goo blog サービス終了のお知らせ 

かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

九州の駅弁「長崎街道」

2015-04-23 02:13:04 | 気まぐれな日々
 地元、佐賀・武雄の友人と会うときは、きまって友人が贔屓にしている市内の繁華街から少し離れた静かな住宅街にある「まねき鮨」である。
 この店は、昨年の20014年に出版された「ミシュランガイド福岡・佐賀2014特別版」に、星こそないが武雄市で唯一の鮨店として紹介されているように、味には定評のある店である。
 ここでは、カウンターに座っていると、黙っていてもその季節の最も旬な魚介が、客に合わせた適度な間隔で出てきて、じっくり自分のペースで新鮮なそれらを味わうことができる。何回行っても、失望したことはない。

 呼子のイカを食べた翌日の4月17日、その友人と「まねき鮨」で会った。
 魚を食べながら飲んでいる時、呼子のイカの話となった。
 彼が東京出張のとき、呼子のイカを食べさせる店があると聞き、「江戸で、肥前のイカを食うのも粋なものかも」と、その店に行ってみた。すると出てきたのはスルメイカだ。彼が、これは剣先イカじゃないではないか」と問うと、店の者は「あいにく剣先イカが切れていたので」と申し訳を言ったそうだ。その時は、仕方がないと彼はそれを食って帰った。
 そして、それからだいぶんたった後のこと、またその店に行ってイカを注文したら、出てきたのはまたもやスルメイカであった。彼は、その店に失望して、もう二度と行かないと言いながら、「江戸では、剣先イカとスルメイカの区別もつかないのか。味も硬さも全く違うのに」と嘆いた。
 イカと言っても、いろんな種類があるのである。
 キノコで言えば、松茸(マツタケ)と椎茸(シイタケ)のような差がある。

 *

 4月18日、佐賀を出て東京へ戻った。
 博多駅の新幹線の構内にも、駅弁を並べている店がある。九州内の各地の駅弁もそろっていて、この日は前にも食べたことがある「長崎街道」を買った。鳥栖にある駅弁の老舗である中央軒の製造である。
 長崎から佐賀を通って小倉まで続く長崎街道のネーミングどおり、長崎、佐賀、福岡の名産を詰めた幕の内弁当である。長崎・茂木の枇杷や佐賀・小城の羊羹、有明海のウミタケ粕漬が入っているのも特徴であろう。ご飯にはカシワ飯がある。(写真)

 長崎街道は、別名「シュガーロード」とも言い、砂糖の道として、この街道界隈に長崎のカステラや佐賀のマルボーロ(丸芳露)、小城の羊羹など、様々な菓子が生まれた。
 戦前の四大キャラメル菓子メーカーである森永製菓の森永太一郎、江崎グリコの江崎利一、新高製菓の森平太郎と、明治製菓をのぞく三つのメーカーの創業者は佐賀県出身である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玄界灘・呼子のイカ

2015-04-21 01:46:04 | 気まぐれな日々
 佐賀にいるのであるからと、玄界灘を望む漁師町の呼子(現在は唐津市)に、友人とイカを食べに行った。
 どうも年を経るにしたがい食べ物に関心が強くなったようで、最近は食に関する話題や記載が多い。若いときは、食べ物にはあまり関心がなかったし、人生には重要なことや楽しいことはもっと他にあり、食べ物について考えたり、話題で云々するのは賤しいと思っていた。
 要するに食事とは腹を満たせばいいのであって、今日は何を食べようかとか、味についてあれこれ考えたことはあまりなかった。
 20代で初めてフランスに行ったときなど、ほとんどの日が、昼に近い朝にホテル近くのカフェで、ジャンボンを挟んだフランスパン(バゲット)にコーヒーのブランチであったが、夜は毎日何を食べていたのか思い出せない。食に関して印象に残っているのは、フランスのパンがおいしかったことと、ワインを知ったことぐらいだ。
 しかし最近では旅に行っても、どこで何を食べようかが大きな関心事となってしまった。進歩したのか、退歩したのか。

 呼子のイカは何といっても活き造りである。今ではすっかりブランドになっているようで、呼子から生きたままイカを銀座まで運んで来て、そこで食べさせる店があるらしい。値段は相当高いと聞いた。
 僕が呼子で行く店は、昔からある「河太郎」である。海辺にある店で、近年、店を新しくした。
 ウィーデーの昼であったが、やはり人気があるのか10人ほど待っている。30、40分待ちだと言われたが、待つことにした。東京だと、どんな店でも待ってまで食おうと思ったことはないが、ここだと待ち時間に近くの海辺をぶらぶらするのも楽しい。何人かのおばちゃんが、道端に簡易な出店を出して、干しイカや干し魚を並べて売っている。

 呼子のイカは、剣先イカ(現地ではヤリイカと呼んでいる)である。スルメイカとは違い、白く透き通った柔らかい肌で、大きな目をしている。
 一度、この店でコウイカを食べたこともあったが、その後店で見たことがないので、それは珍しいことだったのだろう。
 店の中では、大きな生簀を設えてあり、そこにイカが泳いでいる。呼子には、イカを食べさせる店が何軒もあるが、だいたいどの店も生簀を設けてあるようだ。
 メニューの目玉である、イカの活き造り定食を頼む。(写真・イカは2人前)
 イカは刺身で食べられるように細く切ってあるのだが、まだ足(脚)は動いている。目がこちらを見つめているようだが、お構いなしである。
 やはり、甘みがあって美味い。
 足(脚)は、頼めばテンプラにしてくれる。定食には、呼子名産の「イカしゅうまい」も付いている。

 帰りに、「萬坊」の「イカしゅうまい」の箱詰めを買って帰った。

 呼子は、今でもそうだが、鄙びた海辺の情緒のある町だ。
 かつて呼子からは「壱岐」行きの船が出ていて、若いとき、ぶらりと呼子に来たときにその壱岐行きの船がとまっていたのを見て、思わず飛び乗り壱岐に行ったことがあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京駅での、駅弁誕生130周年記念の「幕の内弁当」

2015-04-15 00:38:54 | 気まぐれな日々
 法事で、佐賀に帰ってきた。
 九州にまっすぐ帰るときは、いつも、昼頃東京駅を発つ列車、新幹線に乗る。だから、列車の中で弁当を食べることが多い。そのときは、東京駅の地下構内で弁当を買うこととなる。
 東京駅構内の地下は、ここ数年の間に様相が変わり、丸の内側から八重洲側に伝う通路が新しく整備改装された。店もいろいろできて、ユニクロまで進出しているのには驚いた。
 最近駅弁が人気なのか、その東京駅内にも何軒か駅弁を売っているところがある。

 東京を発った日の4月10日、東京駅に着くと、駅弁を買おうと思って駅の構内の地下中央通路の弁当屋をのぞいた。時間がないときは、東海道新幹線の中央改札口を入って、すぐの左手にある駅弁屋で慌てて買うことが多い。
 この日は、出発の列車の時間まで余裕があるので、あれこれ駅弁を見て選べることができる。出発の列車といっても、僕は混雑期以外はだいたいが自由席に乗るので、遅れると次の列車に乗ればいいだけのことなのだが。

 東京駅の中央通路にある、各地のいろいろな駅弁をそろえている駅弁屋は、以前は中華系の食堂だったところだと思う。九州から東京に戻ったときは、大体が夜なので、かつてはこの食堂で晩飯(夕飯)を食べることをよくやった。
 上野駅が東北・北海道地方の人の心の駅なら、僕にとってのそれは東京駅だった。旅から戻ったときや九州の田舎から戻った夜、東京駅に着くと、何となく侘しさが襲ってきたものだ。今までの旅や帰省が終わったのだと、しみじみとした気持ちが襲ってくるのだった。
 そして、東京駅の地下の食堂で一人食事をすることで、それまでの旅の想いや九州での親と交わした久しぶりの家族の味わいを噛みしめるのだった。ここで、田舎での生活、あるいは旅は終わったのだと気持ちをリセットして、再び東京の生活に戻ったのだった。
 そういう意味で、僕にとって東京駅は出発であるとともに、終わりの駅なのだ。

 この日は、その駅弁屋が賑々(にぎにぎ)しい。入り口の正面では、粋なお姉さんが、かつて人気の駅弁の「峠の釜めし」を売っていて、左右に「4月10日、駅弁の日」、「駅弁大会」の幟が垂らしてある。よく見ると、「駅弁誕生130周年」とある。
 4月10日が駅弁の日とは知らなかった。
 店内は、全国の有名駅弁が所狭しと並んでいる。買う人も、押し合うほどいっぱいだ。
 やはり、駅弁の定番である幕の内弁当系を買おうと探した。前にも食べたことがある東京の老舗の食を集めた「東京弁当」を手にした。すると、すぐ近くにシンプルな名前の「幕の内弁当」というのが目についた。
 たまたま弁当を補充していた店の人が横にいたので、訊いてみた。その係りの人によると、このなんの衒いもない単純なネーミングの「幕の内弁当」は、駅弁誕生130周年駅弁大会限定で、この4月の10日から3日間だけしか売っていないという。
 何日間限定とか、ここだけしか置いていないといったものに弱いので、僕はすぐにこの弁当を買うことにした。弁当の包み紙のデザインは、芝居の幕間(幕の内)に食べたという謂われからか、歌舞伎のモチーフ柄である。

 列車が動き出して、「幕の内弁当」を開いた。
 中に、弁当の品書きと駅弁130周年の、駅弁の解説書が入っていた。
 それによると、駅弁の誕生には諸説あるが、一般的には1885(明治18)年7月16日、宇都宮の旅館白木屋が、梅干しの入ったオニギリにゴマ塩を振りかけ、タクアン2切れを添えて、竹の皮に包んで売り出したものだという。料金は5銭。
 駅弁の日を、始まりの日にちもはっきりしているこの7月16日ではなく4月10日にしたのはどうしてだろうと思っていたら、「弁」の「4」との類似と、「当」と「10」のゴロ合わせのようだ。ちょっと芸がない。

 駅弁誕生130周年駅弁大会限定「幕の内弁当」の中身は、以下のとおりである。(写真)
 サーモントラウト味噌漬け焼き(焼魚)、玉子焼き、蒲鉾の“幕の内弁当の三種の神器”をはじめ、合鴨スモーク串、帆立貝、ぜんまい五目煮、サツマイモ甘露煮、海老入り真丈筍揚げ、マイタケの天ぷら、パプリカ揚げ、がんも、生麩などの煮物、茶飯、白飯ほか。
 いかにも、具の種類が豊富である。味も満足。料金は1,500円。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市ヶ谷界隈の桜から、千鳥ヶ淵へ

2015-04-08 01:43:31 | * 東京とその周辺の散策
 胸騒ぐ 散る花びらを 唇(くち)に受けて
     咲き誇りける 乙女いずこへ
   ――かつての花咲く乙女たちを想い――沖宿

 この季節、日本列島が桜の花で覆われた。もうすでに散った南の島から、これから咲こうとする北の大地まで多少の時差はあるものの、九州から関東地方は先週にソメイヨシノの満開を迎えた。
 多摩市・鶴牧西公園の大きな枝垂桜の古木も葉桜となり、その近辺を源流としている多摩川の支流である乞田川沿いの桜も花吹雪となった。

 毎年見に行く千鳥ヶ淵の桜もそろそろ散ってしまうなと思い、4月3日に出向いた。
 夕方、JR市ヶ谷の駅を出ると、すぐに外濠公園の桜が目に入った。この市ヶ谷界隈は、僕が長年通った懐かしい街だ。
 市ヶ谷駅からすぐのところにある旧私学会館であるアルカディア市ヶ谷を挟んで、右手の大通りが靖国通りで、左手のJR中央・総武線に沿って飯田橋へ続く小高い土手は、外濠公園の遊歩道となっている。
 外濠公園の通りは桜の並木になっていて、通りに入ると、花見の人であろうか、立ち止まっている人や、そぞろ歩きの人たちが上目づかいに左右の並木を見上げている。歩道脇の草むらにはシーツを敷いて、すでに宴会を始めている人たちも目に入る。
 市ヶ谷から飯田橋に向かって延びている外堀の内側にある、この外濠公園の通りのある側は千代田区で、この公園から見るとJR線路に沿って横たわる外堀の向こう側には、外堀通りが走っていて、そちら側は新宿区である。
 外堀通りの黒いソニービルの手前から、小さなまっすぐに延びた上り坂が見える。ここが左内坂である。左内坂の左手に市ヶ谷亀ヶ岡八幡宮があるのだが、今はビルの陰になっている。

 外濠公園の桜は、まさに散らんとする前の刹那の華やかさをまき散らしていた。
 外濠公園通りを飯田橋方面に歩いていくと、左に水を湛えた外堀が、左右から延びた桜の梢の先に、高層ビルの法政大学が見える。(写真)
 公園通りを歩いて法政大学にぶつかったところは五叉路になっていて、外堀通りの新見付の橋から延びた道を右手に一口坂を歩いていくと、市ヶ谷駅前で分かれた靖国通りにぶつかるのである。

 靖国通りを歩いて、靖国神社へ出た。
 この境内にある、気象庁が東京の桜の開花宣言をする際の基準木となっている桜を見て、千鳥ヶ淵に向かった。靖国神社の桜も、まさに散ろうとしている。
 老木化が伝えられる千鳥ヶ淵の桜だが、皇居の堀に向かってしなだれるように延びる桜と水の状景は、東京の桜では最高の眺めであろう。
 この日は風が強いせいか、例年千鳥ヶ淵の堀に浮かぶボートが、人を乗せることなく繋がれて並んでいた。
 千鳥ヶ淵の桜も、この日が盛りだった。少しチラチラと花びらが舞った。思いがけなく、1枚の花びらが口に入った。ずいぶん前にも、こんなことがあったことを思い出した。
 今年の千鳥ヶ淵の桜を見られるのは、この日が最後かもしれない。かろうじて花が持ったとしても、明日までだろう。例年より早いかもしれない。
 5年前の4月10日、母の葬儀の日、葬儀場の桜は一斉に風に吹かれて散り、花びらが舞ったのだった。そのとき、散っても散っても花びらがなくならないように感じだ。

 千鳥ヶ淵を出て、皇居の堀に沿って歩き、半蔵門から桜田門へ出た。
 そういえば、去年はこの先の坂下門が一般に開かれ、人混みの中で皇居の中の乾通りの桜を見たのを思い出した。

 春のこの季節、毎年桜は咲き続ける。人はそれを見て、楽しむ。
 人には、年ごとの桜がある。馴染みの桜を見る以外に、旅先で見る初めての桜もあろう。ひっそりと人知れず咲いている桜もあれば、華やかに並んでいる名所の桜もあろう。
 まだ蕾のときもあれば、はらはらと散る花吹雪のときもあろう。一人で見るときもあれば、友人や家族と、あるいは恋人と見るときもあろう。
 楽しい思いばかりでなく、悲しい思いに包まれる桜もあるだろう。
 満開の桜の時に、気紛れに雪が降った日があった。淡いピンクの花びらの上にのった、白い淡い雪。この季節の雪はすぐに溶けるから、儚い短い光景だ。市ヶ谷の外堀の桜と多摩の桜、これまで僕は2度しか体験していない。

 毎年日本のどこかで花咲く桜は、その年の人それぞれの節目になるのだろう。それに何か記憶に残る思い出が加われば、それに越した桜はない。

 *

 「桜に雪」のことを書いたら、翌日、つまり今日だが、4月8日の朝、窓のカーテンを開けると、外はうっすらと煙っている。庭の垣根のカイヅカイブキの緑の葉が濡れているので、小雨が降っているようだ。
 いや、よく見ると、小さい白い綿のようなものが舞っている。
 雪が降っているのだ。多摩の桜はまだ咲いているので、桜に雪だ。いや、雨交じりなので、正確には霙(みぞれ)だが、確かに粉雪が舞っているのだった。
 積もるほどではないが、「雪月花」の二つが揃う花に雪だ。今宵、月が出て、桜木のそこに雪が舞えば、そんなことを夢想してしまった。
 昼頃には、霧雨のようになり、白い雪はもう消えていた。幻のような4月の雪だ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする