かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

文字誕生の謎を追って 「銃・病原菌・鉄」(下)より

2011-03-01 02:30:44 | ことば、言語について
 ――文字はどのようにして生まれたのだろうか?という疑問

 文明の発達に欠かせないのは、文字である。
 しかし、ずっと文字を持たない国もあった。
 あらゆるものが必要から生まれる。必要は発明の母である。
 現代人にとって、文字のない世界とは考えられないが、なかったということは、なくても困らなかったということである。しかし、困らなかったとはいえ、なにがしかの発展を阻害したのは間違いない。
 まず、文字のないということは、データや記録ができないということである。伝達も口頭だけになる。言葉だけだと、すぐに消え去る。記憶は時間がたてば曖昧になる。細かく微妙な問題など、時間がたてばなおさらだ。
 だから、文字のない世界は、細かいことは問わなかったのだろう。すべては大体の線、大まかな約束ごとで決まっていたと思われる。

 それでも文字は必要だ、と思われる。
 文字は、どのようにして生まれたのだろう?
 僕たちは、子どもの頃から学校で、漢字の成り立ちを先生から聞かされて習ってきたので、日本語に関しては大まかなところは分かっている。
 「川」は水の流れを3本引いたし、「木」は幹と枝を、「田」は田んぼを簡単に描けば、自然と漢字になった。鳥や魚だって、その姿をデフォルメすると漢字になって、僕たちはなるほどと納得したものだ。僕たちは、漢字を見つめて、そのルーツを探り当てて、感心したり喜んだりしたものだ。
 漢字は中国から伝えられてきたこと、そしてひらがなもカタカナも、漢字を簡略化してできたことを知った。
 漢字は偉大だ、と思った。漢字はその字体から、大体の意味が分かる。
 しかし、欧米人が使うアルファベットとあまりにも違っている。
 最初に中学に入って英語(「Jack and Betty」)に接したとき、言葉も文字も文法も、いつも使っている自分たちの日本語とあまりにも違うので驚いた。
 「私は少年です」を言葉にすると、「アイ・アム・ア・ボーイ」となり、文字に書くと「I am a boy.」になってしまう不思議。
 同じ人間なのに、どうしてこうも違うのか?という疑問は、その後もずっと残ったままだった。

 アルファベットの1個ずつの文字自体からは、意味は分からない。その組み合わせによって、意味が作り出される。
 ところが、漢字は意味が分かるし、分からなくとも何となく想像できる。漢字はそれぞれに意味があるから分かるといっても、漢字は何万字もあり、覚えるのに苦労する。書くのにはもっと苦労する。
 しかし、英語のアルファベットは26文字しかないのに、その組み合わせで何万字分の意味を作り出させる。いや、無限に近い意味(単語)を作り出させる。
 漢字は絵文字から出発しているので、文字が作られた当時は、新しくモノが見つけられるたびに文字が増えていったのだろう。そのモノの絵を描いて、それを造形化して文字にしたのであろう。1文字に1意味を当てれば、モノが発見、開発されるたびに漢字(文字)が増えることになる。つまり、時代とともに、文字は増え続けることになる。
 もう、これ以上文字を増やせないというところで、つまり画数も増え過ぎたし、字自体に意味を持たせる表意文字としての限界もきたし、それにもまして数が増えすぎて収拾がつかなくなった、と誰か国の漢字(国語)管理責任者たる者が感じて、漢字の文字数は締め切られたとしても、漢字は10万字以上あると言われている。
 それ以後に出てきた漢字にないモノは、すでに在る漢字に複数の意味を兼任させたり、漢字を複数繋ぎ合わせて熟語としたりしたのに違いない。
 中国には、正確な漢字元帳なるものがあって、正確な文字数というのはあるのだろうか?
 子どもの頃、漢字は偉大だと思ったけれど、無限に増え続ける文字であれば、文字として限界を感じるのだった。
 今日の中国での漢字の略字化である簡体字化は、複雑すぎる漢字の解消策の過程であろう。画数が減り、易しい文字になったが、漢字の特徴である表意(意味を表わす)の役割もなくなった。
 それにしても、漢字とはまったく形も意味あいもルールも違うアルファベットは、どうして生まれたのだろうかという疑問が、僕にはずっと謎だった。

 ――文字の発明は、どこで、誰によって

 ジャレド・ダイアモンドは、「銃・病原菌・鉄(下)」で、文字の発明について、以下のようなことを書いている。
 文字は、まったくないところの白紙状態から生まれたものと、持ってない民族が文字に接して、そのまま借用したり、自分たちなりの文字に変化させたりしたものがある。
 まったくゼロの状態から文字を作り出すというのは、すでにあるのを拝借するのと違って、極めて難しく画期的なことだということは分かる。
 歴史上、文字システムを独自に作りだしたのは、メソポタミアのシュメール人が紀元前3000年前に、メキシコ先住民が紀元前600年頃に作り出したものと言われている。それと、エジプト人が紀元前3000年前に、中国人が紀元前1300年前に作り出したのも、そうだと言われている。
 ただし、エジプトと中国の文字に関しては、まったく白紙からか、他の文字に触発されて作り出されたのかは、いまだはっきりしていないとされる。

 人類最古の文字は、シュメール人の楔形文字である。
 羊の数や穀物の量を記録するために、先の尖った道具で粘土板にひっかき傷を残すことで、文字は誕生した。それと同時に、表記は、水平方向横一列、左から右へ、上段から下段へといった具合に、一定の約束事も作られた。これは、現代のヨーロッパ人のアルファベット文字と同じである。
 どのような文字にもいえることだが、発話を表記するには、実際の発音と視覚的記号とを対応させ、それをシステム化しないといけない。
 この基本的な問題を解決したときに、シュメール人は楔形文字を作り出すことができた。
 数多くの出土した粘土板から、その推移をたどることができる。
 当初、魚や鳥といった絵が数字とともに刻まれている収支決算報告用の記録がある。
 時代とともに粘土板の絵は変化していき、葦の先端を利用した尖筆が筆記具として登場する。その頃になると、だんだん抽象化されて、複数の記号の組み合わせが1つの意味を表わす記号として登場するようになる。
 例えば、「頭」と「パン」を表わす2つの記号を組み合わせたものが、「食べる」という意味を持つ記号に利用されるようになる。
 といっても、初期のシュメール文字は、表意的な要素だけで、発音通りの音を表わす要素は含まれていなかった。つまり、初めシュメール文字は、どんな発音で読んでも意味は変わらなかった。
 例えば、「十」を、日本語では「ジュウ、トオ」と、中国語では「シー」と、韓国語では「シブ」と発音されても、意味は同じであるのと同様である。
 そしてシュメール人は、何を意味するか絵で描ける名詞と同じ発音で、絵で描くのが難しい抽象名詞として使うという、同音異義語のアイデアを思いつく。
 さらに、その同音異義語の曖昧性を解決するために、その言葉がどの範疇に属するかを指定する決定詞を導入する。
 表音での記述ができることを発見したシュメール人は、抽象名詞だけでなく音節や語尾も文字で表わすようになる。
 こうして、事物の名前や単語を表わす表意的記号、音節、文法的要素、単語の一部などを音声的に表わす表音記号、曖昧性の解消に使用される無発音の決定詞という、3種類の記号が混じり合った文字システムを持つようになった。
 シュメール人は、数百年、あるいは数千年をかけて、このような文字システムを完成させたとされている。

 ――アルファベットは、どのようにしてアルファベットになったのか?

 文字は、「実態の模倣」が繰り返され、広まっていく。
 では、現在、世界で最も使われているアルファベットは、どのようにして作り出されたのだろうか?
 僕にとって、それは長い間謎だった。
 絵文字から発達した表意文字の漢字は、われわれ日本人にはすぐにその字の元が分かる。漢字を使う人間でなくとも、山や川や木や人の字を見れば、その意味するものが大体想像がつく。しかし、アルファベットは、どうして生まれたのかが想像つかなかった。
 この文字の誕生は、「世界の文字の図典」(山川弘文館)に詳しい。
 ダイアモンドは、文字の伝播にも分かりやすく解説している。
 アルファベットは、ローマン・アルファベットをはじめ、ヨーロッパ、アメリカ、最近はアジアの一部などで、少しずつ形が変わった形で使われている。しかし、その元は一つである。

 最初のアルファベットは、紀元前2000~前1000年の間に、現代のシリアからシナイ半島あたりに暮らしていたセム語を話す人の間で誕生した。
 アルファベットの歴史は、エジプトの象形文字まで遡ることができる。
 エジプトの象形文字では、24個の子音を表するために、24個の記号が使われた。
 セム語族の人たちは、この単子音を表する記号だけを使うという他に、この記号に覚えやすい名前を与え(aleph=ox牡牛、beth=house家、英語のa,b,c,d「エイ・ビー・シー・ディー」といった具合に)、それが指示的に意味する事物の形を絵柄的に表現した。
 そして現代的なアルファベットを出現させた工夫として、母音を表わす記号がギリシャ人によって導入された。

 初期のセム語のアルファベットは、その後様々な人たちの中に浸透していく。
 セム語のアルファベットから、初期のアラビア文字に繋がり、現代のエチオピアのアルファベットに繋がった。
 そして、もう一つの流れはペルシャ帝国で使われていたアラム語のアルファベットに繋がり、現代のアラビア語、ヘブライ語、インド語、そして東南アジアの諸言語のアルファベットへと繋がった。
 ヨーロッパ人、アメリカ人に馴染みのあるアルファベットは、紀元前8世紀初頭にフェニキア人を通してギリシャ人に繋がった流れである。この流れは、すぐに同世紀のうちにエトルリア人に繋がり、紀元前7世紀にはローマ人に繋がり、現代に繋がっている。

 ――文字には、どのような種類があるのか?

 文字には、どのような種類、表記があるのだろうか?
 代表的なものは、以下の3つに分類されている。

 まず、世界で最も普及している、1つの文字で1つの音(単音)を表わす手法、表音文字である。
 アルファベットは、文字に基本音(音素)を対応させる。ただし、英語には40個ほどの音素があり、それを26文字で記述している。ということは、1つの文字が複数の音素を表わしたり、thやshのように複数の文字の組み合わせで表わしたりしている。

 次に、1つの単語(意味のかたまり)を表わす手法、つまり表意文字である。
 漢字がそうである。
 アルファベットが広がる以前の、エジプト象形文字、マヤの絵文字、シュメールの楔形文字など、そうであった。

 そして、1つの音節(シラブル)を表わす手法。
 子音と母音からなる音節に、個別の文字を割り当てる。古代において多く見られた。
 日本の「カナ文字」がそうである。

 *

 ジャレド・ダイアモンドは、文字が誕生した背景に、食料生産と社会体型の関係があると言う。
 まず文字は記録に使われたし、それを使う官吏が必要だった。つまり、それを必要とする社会組織で、それを使用する人を養う、余剰生産が必要だった。当初は、文字を使う人は限られた専門職、もしくは権力を持った人だったのだ。
 狩猟採集民の間で文字が発達しなかったのは、狩猟採集民は、農耕民のように余剰食料を持たず、文字の読み書きを専門とする書記を養う余裕がなかったからとされる。

 僕が思うに、文字を持たなかった人たちは、何よりも「今」を生きていたのだ。過去を悔いるのではなく、未来を憂うのでもなく、あるのは今現在という世界である。
 その人たちは、勘を頼りに、夕焼け空や夜の星を見て、今日を、また明日を生きていたのだ。
 記録やデータに頼るより、記憶や感性を重要視していたのだ。
 今となってみれば、文字を必要としない世界も、悪くないかもしれない。

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