衛慧著 文芸春秋社刊
本の帯に、「たちまち発禁処分を受けた中国の大ベストセラー。ポルノか新人類文学か?」とあるように、話題になった本だ。
2006年には、映画化(ドイツの作品として)され、謎の富豪夫人役で松田聖子が出演している。
上海は、かつて第2次世界大戦前は外国の租界地だったこともあって、中国の中では海外の影響を大きく受け、それが波打っている街だ。
そんな街だからこそ、この小説が生まれたのだろう。
1999年の上海を舞台にした、作家衛慧の自伝的小説である。この物語の主人公は、崇拝するココ・シャネルに因んでココである。そして、主人公である作家の最も崇拝する人物は、ヘンリー・ミラーであり、ここ上海の街で、誰かに注目されることがないかと思って生きていると自分に呟くことで、この物語は始まる。
「上海は、1日中どんより靄がかかって、うっとうしいデマといっしょに、租界時代から続く優越感に満ち満ちている。それが、私みたいに敏感でうぬぼれやすい女の子をいつも刺激する。優越感を感じること、そのことに私は愛憎半ばする思いがある」
ココは、上海のカフェでウェートレスをやりながら、小説を書いている25歳の女性である。
彼女の恋人天天は、繊細でハンサムな男だが、両親との複雑な関係からか、性的障害を持っていた。
そンな状況の中で、彼女にドイツ人のマークが近づいてきて、二人は男女の仲になり、彼女は性に耽溺する。
舞台は上海なのだが、ニューヨークとも東京とも言ってよい、自由で奔放な恋愛が語られる。
かといって、自由主義社会の文学では、発禁になるといった過激さではない。資本化を推し進めているとはいえ、社会主義を標榜する中国で生まれた小説としては、このような自由奔放な性愛を語る小説は異例なのであろう。
旧租界地の自由さが生き残っている街、高層ビルが雨後の筍のように生まれている街、中国での上海、それは特異な街なのであろう。
*
上海を旅しようと思い、この本を手にしてみた。上海について何も知らないが、10月15日より、しばらく上海に行くことにした。
本の帯に、「たちまち発禁処分を受けた中国の大ベストセラー。ポルノか新人類文学か?」とあるように、話題になった本だ。
2006年には、映画化(ドイツの作品として)され、謎の富豪夫人役で松田聖子が出演している。
上海は、かつて第2次世界大戦前は外国の租界地だったこともあって、中国の中では海外の影響を大きく受け、それが波打っている街だ。
そんな街だからこそ、この小説が生まれたのだろう。
1999年の上海を舞台にした、作家衛慧の自伝的小説である。この物語の主人公は、崇拝するココ・シャネルに因んでココである。そして、主人公である作家の最も崇拝する人物は、ヘンリー・ミラーであり、ここ上海の街で、誰かに注目されることがないかと思って生きていると自分に呟くことで、この物語は始まる。
「上海は、1日中どんより靄がかかって、うっとうしいデマといっしょに、租界時代から続く優越感に満ち満ちている。それが、私みたいに敏感でうぬぼれやすい女の子をいつも刺激する。優越感を感じること、そのことに私は愛憎半ばする思いがある」
ココは、上海のカフェでウェートレスをやりながら、小説を書いている25歳の女性である。
彼女の恋人天天は、繊細でハンサムな男だが、両親との複雑な関係からか、性的障害を持っていた。
そンな状況の中で、彼女にドイツ人のマークが近づいてきて、二人は男女の仲になり、彼女は性に耽溺する。
舞台は上海なのだが、ニューヨークとも東京とも言ってよい、自由で奔放な恋愛が語られる。
かといって、自由主義社会の文学では、発禁になるといった過激さではない。資本化を推し進めているとはいえ、社会主義を標榜する中国で生まれた小説としては、このような自由奔放な性愛を語る小説は異例なのであろう。
旧租界地の自由さが生き残っている街、高層ビルが雨後の筍のように生まれている街、中国での上海、それは特異な街なのであろう。
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上海を旅しようと思い、この本を手にしてみた。上海について何も知らないが、10月15日より、しばらく上海に行くことにした。