かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

□ 上海ベイビー

2009-10-14 15:00:20 | 本/小説:外国
 衛慧著 文芸春秋社刊

 本の帯に、「たちまち発禁処分を受けた中国の大ベストセラー。ポルノか新人類文学か?」とあるように、話題になった本だ。
 2006年には、映画化(ドイツの作品として)され、謎の富豪夫人役で松田聖子が出演している。

 上海は、かつて第2次世界大戦前は外国の租界地だったこともあって、中国の中では海外の影響を大きく受け、それが波打っている街だ。
 そんな街だからこそ、この小説が生まれたのだろう。

 1999年の上海を舞台にした、作家衛慧の自伝的小説である。この物語の主人公は、崇拝するココ・シャネルに因んでココである。そして、主人公である作家の最も崇拝する人物は、ヘンリー・ミラーであり、ここ上海の街で、誰かに注目されることがないかと思って生きていると自分に呟くことで、この物語は始まる。
 「上海は、1日中どんより靄がかかって、うっとうしいデマといっしょに、租界時代から続く優越感に満ち満ちている。それが、私みたいに敏感でうぬぼれやすい女の子をいつも刺激する。優越感を感じること、そのことに私は愛憎半ばする思いがある」

 ココは、上海のカフェでウェートレスをやりながら、小説を書いている25歳の女性である。
 彼女の恋人天天は、繊細でハンサムな男だが、両親との複雑な関係からか、性的障害を持っていた。
 そンな状況の中で、彼女にドイツ人のマークが近づいてきて、二人は男女の仲になり、彼女は性に耽溺する。

 舞台は上海なのだが、ニューヨークとも東京とも言ってよい、自由で奔放な恋愛が語られる。
 かといって、自由主義社会の文学では、発禁になるといった過激さではない。資本化を推し進めているとはいえ、社会主義を標榜する中国で生まれた小説としては、このような自由奔放な性愛を語る小説は異例なのであろう。
 旧租界地の自由さが生き残っている街、高層ビルが雨後の筍のように生まれている街、中国での上海、それは特異な街なのであろう。

 *

 上海を旅しようと思い、この本を手にしてみた。上海について何も知らないが、10月15日より、しばらく上海に行くことにした。
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◇ 7年目の浮気

2009-10-08 01:50:19 | 映画:外国映画
 ビリー・ワイルダー脚本・監督 マリリン・モンロー トム・イーウェル 1955年米

 この映画を見たことのない人でも、マリリン・モンローの白いフレアー・スカートが下からの風で上へめくりあがり、それを彼女が押さえている写真なら見たことがあるだろう。
 その有名なシーンが出てくるのが、この映画である。

 井上章一は、「性欲の文化史」(2)で、彼の体験談を書いている。
 1977年、彼がまだ22歳の時、ヨーロッパを旅した際、パリに建築を見るために寄った。そのとき、例の地下鉄の排気口からの風で、女性のスカートがめくれてパンツ(下着)がのぞくシーンに出くわした。
 彼は、このシーンと、そのときの女性の薄緑色のパンツが今でも心に強く残っていると書いている。とは言っても、彼はこのパンチラ場面に出くわしたことを幸運だったと言おうとしているのではない。彼が忘れられなく、その後の研究にまで影響を及ぼしたというのは、そのときのフランス人の反応である。
 彼と同じくこの情景を見た、彼の横にいたフランス男が、さらりと「メルシー・マダム」と声をかけたのである。「ありがとう、おねえさん」といったニュアンスで。
 さらに、井上が感服したのは、そう言われたパンチラのおねえさんが、怒った風でもなく、「見たわね」となじる風でもなく微笑み、その情景を見た井上らにウインクまで返して、また何気なく立ち去ったことである。
 日本でなら、決してそうはいかなかっただろうと、井上はフランス人の成熟した大人の対応と、日本人との文化の隔たりを痛感したと述懐している。
 建築のことは忘れたが、そのパンチラの情景は忘れられず、それ以後、井上はその方面(パンチラの文化史的方向)の研究に傾いたとすら言っている。

 さらに面白いのは、井上の中国・上海に行ったときの体験談である。
 1988年の時だというから、もう人民服を着ている人は少なく、殆どの女性はスカートをはいていた。そして、ご存じのように、当時は中国では道路は自転車でいっぱいであり、通勤でも自転車に乗る人が多かったときである。
 ところが、長いスカートでは自転車は乗りづらい。スカートがチェーンに絡むことがある。それで、上海女性は、スカートの裾の片方をハンドルにかけて、その上からハンドルを握って運転する女性がいた。いや、左右のスカートの端をハンドルに乗せて、スカートごしにハンドルをつかむ女性も多く見かけたのだった。
 そうすると、正面からは風でふくらんでスカートの中が丸見えの状況ができたりする。パンツ(下着)まで見える情景である。そのことが気になった彼は、何人かの中国人に、訊いた。
 そのときの一人の青年の答が、忘れられないと書いている。
 その男は、「パンツをはいているから、大丈夫ですよ」と言ったのだった。
 うーん、と僕も唸ってしまった。
 パンツがちらと見えるのに、性的想像をかきたてられ胸が揺れ騒ぐ人間が普通だと思っていたら、そうとばかりは言えないのである。「パンツをはいているから、大丈夫ですよ」、つまり直接性器が見えるわけではないから、下着が見えることぐらい大したことではないと言いきる中国人も、懐が深いといえるのかもしれない。
 パンツがちらと見えることと男の性的妄想については、民族が違えば違った感受性があるようだ。その方面の研究も興味深い。

 *

 それはさておき、この映画「7年目の浮気」は、結婚7年目になる出版社勤務の中年男(トム・イーウェル)が、妻と子供が夏休みに田舎に出かけた留守中、同じアパートの2階の留守宅に一時やってきた美女(マリリン・モンロー)に、心が揺れ動き、そこから巻き起こる騒動の物語である。
 男は、家族がいないのをいいことに、2階の女に、自分の部屋で一杯どう?と誘う。そこから、想像を超えた男の妄想で、ハラハラドキドキのユーモアな展開に発展していく。
 言うまでもなく男の妄想の原因は、モンローの素直であどけない言葉(声)と、アンバランスなグラマーな肉体の魅力である。この映画では、モンローの魅力が充分に発揮されている。
 主人公の男が、これから本を出すことになっている精神分析学者の原稿の中に、「既婚男性の浮気傾向と7年目のかゆみ(itch)」という文章を読む件がある。この内容は、既婚男性を調査した結果、結婚7年目に浮気が急上昇するというものだ。
 それで、浮気心が芽ばえてきた男は、かゆくなると比喩表現しているのだ。
 この7年説は、科学的根拠があるかどうかは分からない。データーも確かなものかどうかも分からない。夫婦の倦怠期が、このあたりがピークという推察なのかもしれない。
 原題は、「The seven year itch」。つまり、「7年目のかゆみ」である。この何とも味気ないタイトルを、「7年目の浮気」と訳したのは素晴らしい。

 ところが、その後1993年、「4年目の浮気」説が発表された。
 いや、浮気どころか、結婚「4年目の離婚」説が発表された。
 この説を著した人は、アメリカの人類学者ヘレン・フィッシャーで、彼女は著書「愛はなぜ終わるのか」で、もともと人間は4年で離婚するように遺伝子的にプログラムされているのだという説を展開した。
 この根拠を、人類の誕生から説きほぐし、子供の離乳(子供の親離れ)との関連で説明しているのは興味深いし、画期的な学説だ。
 フィッシャーは最近来日し、いわゆる「婚活」に関する活動を行って、帰っていった。

 最近では、男と女の愛や恋に対する発想の違いを、脳科学から研究する分野の進歩は著しい。
 「7年目の浮気」説は、映画の物語とはいえ、男と女の生理的違いに(科学的ともいえる)焦点を当てた走りかもしれない。

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◇ 恋をしましょう

2009-10-04 03:18:22 | 映画:外国映画
 ジョージ・キューカー監督 マリリン・モンロー イヴ・モンタン トニー・ランドール フランキー・ボーン 1960年米

 原題は、「Let’s make love」(レッツ・メイク・ラヴ)である。
 ということは、「make loveをしましょう」ということで、アメリカ映画とはいえ直接的な表現である。日本語に約すれば、「恋をしましょう」でいいのだが、言うまでもなく、make loveは、セックスをも含んだ恋である。いや、恋がなくてもセックス行為そのものをも指す。
 それなのに、このようなタイトルが大手を振って公開されていいのだろうか、と思ってしまうのである。いやいや、もはや半世紀もこの題名のまま押し通してきた(当然だが)、有名な映画なのである。
 この映画は1960年公開だが、やはり何事もアメリカは進んでいたのである、と解釈して納得しよう。
 日本ではそれよりだいぶん遅れて、1966年ヒットした坂本九の歌「レット・キッス」(ジェンカ)が、せいぜいであった。
 なぜかこの曲が、中学校あたりの運動会でフォークダンスとして日本で広く流布したのが、いまだに解せない。「レッツ・キッス、頬よせて……レッツ・キッス、眼を閉じて……」この歌詞は、どうしてもキス(口づけ)の内容である。
 さらに、である。「小鳥のように、くちびる重ねよう」と続く。やはり、「キスをしましょう」の歌である。
 このような歌詞だからといって、運動場などで、踊りながらキスをするのではないのである。そんなことが学校で許されるはずがない。ましてや、1960年代である。そんなことをしているのを(羨ましいことだが)見つけられたら、お説教はおろか、PTAものであったろう。
 にこにこ踊るだけで、決してキスにはならなかった。眼を閉じることも、頬をよせることもなく、ただただ健康的ということを意識的に前面に出すように、元気よく踊ったのである。歌の内容をあえて無視しながら踊るので、「レッツ・キッス」という九ちゃんの歌声だけが頭の上あたりに浮かんでいるという、中途半端な違和感だけが残ったものだ。
 ところが、この曲は、正しくは「Letkiss」で、フィンランド語で、列になって踊る、という意味らしい。だから、後ろから前の人の肩に手を置いて、足を上げて踊るわけである。
 キスをしようと、列になって踊ろうとは、そう簡単には、それに、そう単純には結びつかない。だから、どことなくちぐはぐ感がぬぐえなかったのである。
 これは、訳詞家(永六輔)が、間違って「キスをしましょう」と強引に訳したのか、確信犯的にレコード会社と一緒になって、「Let’s kiss」と曲解しかか定かではない。

 話は、逸れたが、映画「恋をしましょう」は、マリリン・モンローとフランスのシャンソン歌手、イヴ・モンタン共演の、典型的なアメリカン・ラブ・コメディーである。
 フランス出身の大富豪家で世界的実業家のクレマン(イヴ・モンタン)は、ニューヨークでもプレイボーイで有名であった。その彼が、自分のことを茶化した芝居を、小劇場でやろうという計画があるというニュースを耳にする。彼は、その芝居小屋に、芝居がどんなものかをこっそり偵察に行ってみる。
 小劇場に入ってみると、舞台稽古が行われていた。
 舞台の上では、スポットライトの中で、グラマラスだがコケティッシュな女が踊り始める。だぶだぶの紫のセーターをはおり、下は網タイツ。
 彼女は、観客席を見つめながら、身体をくねらせ、飛び回り、こう言う。
 「私の名前は、ロリータ」
 そして、歌い始める。
 ……ダメって言われているの、男の人と遊ぶのは。
 私の心はパパのもの。だってパパは、とっても優しいの……
 と、とろけるような声で、ジャズナンバーの「私の心はパパのもの」(My heart belongs to daddy)を歌うのだった。
 クレマンは、この女、名前はアマンダ(マリリン・モンロー)の歌と踊りを見た瞬間から、「クレマンの心は、アマンダのもの」になってしまった。

 「私の心はパパのもの」の歌を、ロリータ(劇中劇だが)が歌うとは知らなかった。
 「ロリータ」は、ウラジーミル・ナボコフの有名な小説である。初版がパリで出版されたのが1955年で、アメリカで英語版が出たのが1958年。スタンリー・キューブリック監督による映画「ロリータ」は、この「恋をしましょう」の公開時は、まだ制作されていない。
 映画「ロリータ」が公開されるのは、この「恋をしましょう」の2年後の1962年だから、ロリータを映画出演させたのは、この「恋をしましょう」が第1作となる。
 映画「ロリータ」のロリータ役のスー・リオンは、制作当時15歳で、原作に近かったが、マリリン・モンローは当時30歳をとうに過ぎていた。それでも、その砂糖菓子のような甘い歌声は、ロリータと言っていい。
 僕が持っているCD「ジャズ・ベスト・オムニバス」の中に収められている「私の心はパパのもの」は、アーティ・ショーのもので歌はうまいが、やはりモンローの甘さの方がいい。

 芝居の稽古風景を偵察に来たクレマンだったが、演出家にクレマン役の応募者と勘違いされ、そっくりだということで役者として採用されてしまう。そこで、クレマンは実物の大富豪家ということを隠して、新米役者になりすましてアマンダと仲よくなる算段を企てるのだが……。

 マリリン・モンローの色っぽさが充分に発揮された映画である。
 そして、本来はシャンソン歌手であるイヴ・モンタンの、男としての色気も充分に発揮されている。すでにイヴ・モンタンはシモーニュ・シニョレと結婚していたが、この映画撮影中、映画の内容と同じく、モンタンとモンローは熱い仲になったという。
 それも仕方ないだろう。題名からして、Let’s make love なのだから。
コメント (2)
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