ちはやふる 神代の吹雪 頬に受けて
花見る思ひ 誰ぞ知るらむ
――宛てのない相聞を歌う――沖宿
今日、3月21日は春分の日だ。いわゆる春の彼岸で、ほぼ昼と夜の時間が同じ長さの日である。
つまり、これから日(太陽)の出ている昼間の時間が長くなるというのは、本格的に春が来たということである。夜型の僕としては、少し起きる時間を早くしないといけない。
この日、目が覚めたらすでに昼近い時間だったが、リビングのカーテンを開けると庭の垣根のカイズカイブキの頭が白く染まっていて、空には細かい雪が舞っていた。窓を開けると、真冬の冷たい風が吹き抜けた。
僕は、花に雪、桜に雪の状景をすぐに思い浮かべた。
すでに東京の桜も開花し、高知では満開だというのに。昨日の天気予報では、東京は雪とは言っていなかったはずである。
――春に降る冬の雪。
――桜の花びらを震わす白い雪。
暖かくなったのに、突然の寒気がつくりだす束の間の一コマ。
出あってはいけないものどうしが出あうという、対比の妙。
生きているとたまに触れることができるこの奇遇なる自然現象には、儚い風情がある。見上げる空は灰色なのに、なぜか胸に波が躍る。外に出ると手足が冷たくなるが、心は密かに温かい。
*
東京といっても多摩市は23区の西側にある。奥多摩の丘陵山岳部に近い分、多分都心より気温は2~3度低いと思う。だから、都心より雪の量は多い。
もともと多摩市の僕が住んでいるあたりは丘陵地帯で、そこを削って街をつくったのだ。
僕の本棚にある1968年発行の「ポケット日本地図」(平凡社)を見ると、この辺りはまだ多摩丘陵となっていて、多摩町、稲城町である。まだ、唐木田行きの小田急多摩線も調布と橋本を繋ぐ京王相模原線も表れていない。
僕は、多摩の原型が見えるこの地図を秘かに見るのが好きだ。野や林や、そのなかから狸や雉(きじ)が出てくるのが頭に浮かぶ。実際、多摩に引っ越してきたすぐの頃、尾根幹線の大妻女子大の裏手の草むらから、雉が飛び立つのを見た。
近くには、かつて明治天皇が兎狩りに何度も訪れたというところもある。
この地図帳によると、当時の50年前の多摩町の人口は2万2千人で、稲城町は2万3千人である。現在はというと(2018年)、多摩市の人口14万8千人、稲城市の人口8万9千人である。
東京都は東西に細長くなっていて、東側の千葉寄りが23区で、山梨寄りの西側が都市部で、都市部はすべてひっくるめて多摩地方と表される場合が多い。多摩市は、西の方で大きな面積を誇る八王子市の東側で、ほぼ東京都の真ん中あたりに位置している。
天気予報を見る場合、東京しか出ない場合はそれでいいが、もっと詳しく見てみましょうと言って、予報が東京と八王子と分けて表される場合は、微妙だ。
東京が雨で八王子が雪という場合もある。そのような場合、多摩市はどちらなのだろうといつも考える。どちらかというと八王子の枠を見た方が当たるような気がするが、微妙な配分で言うと、八王子7:3東京ぐらいだろう。
*
家の近くの公園は、毎年春もしくは春近くになると、梅、桃、それに桜が咲く。
今月、3月の初旬のことである。
ついそれまで枯れ木のようだった木々に、いつの間にか少しピンクがかった花が、咲いていた。その花をスマホで写真を撮っている老人がいた。
梅か桃か区別がつかなかったので、僕はその老人に、「この花は何の花ですか」と訊いてみた。
すると、その老人は、こともなげに、「桜です」と答えるではないか。
「えっ、桜ですか。梅か桃と思っていました」と、驚いて僕が言うと、「幹を見てください。桜でしょう」と、その老人は証拠物件を見つけた刑事のように少し胸を張って言った。
「桜にしては、早すぎますね。1か月近く早いですよ。東京では3月下旬から4月上旬ですよ。今年は早いとは言っても…」と僕が言うと、その老人は、「そうなんです。あまりにも早いので、珍しいので写真に撮って妻に送ろうと思っていたところです」と、老人は言いながら、他の木もしげしげと見ていた。
これはソメイヨシノではない種類の桜なのだろう。他にも、この季節に花咲く花の色が違う、梅や桃や辛夷(コブシ)、木瓜(ボケ)の花木があり、それらはすでに咲いている木、咲く気配の木、まったく枯れ木のように死んだふりをしているような木が入り交じって立っている。
*
その公園に咲いていた桜はもう昨日あたりは散っていたが、別の区域にはまだ咲いている桜が見受けられたし、 他に白やピンクの花が咲いている木が何本かあった。
今日、思いがけずに春に降る雪。
桜の花びらを震わす雪。
僕は、食事を終えたらなるだけ早く、花木の咲く公園に行こうと思った。
それで、朝食兼昼食のための料理を作りながらも、窓の外の雪を見ながら気をもんでいた。雪が降りやんで、花木に降りゆく雪の景色が見られなくなるのではないかと。
それでも、午後になってもまだ白い粉雪が降り続いているので、雪は大丈夫だと思った。
ところが、だんだんと雪が小さくなってきて、空もうっすらと前より視界が良くなってきた。小さな雪が降っているというのに、外の雪は積もっていかずに、逆に庭の垣根の上にのっている白い雪は心なしか小さくなったようだ。
僕はたまらず食事を中断して、“花に降り注ぐ雪”を見るために外へ出た。
外に出ると、まだ雪だと思っていたのだが、雨まじりの霙(みぞれ)だった。外の雪たまりが思いもよらず午前中より小さくなっているのは、雨が雪を溶かしていたのだった。
傘をさして、僕は公園へ急いだ。
公園の雪が溶けているのではと心配したが、それでも公園にはまだ雪が残っていて、霙が容赦なく降っていた。
冷たい風と共に吹雪く公園に、見知らぬ老人が一人立っていた。僕のような、酔狂な人間がいるのだ。老人は、白い花の咲いている木の前でカメラを構えていた。
僕は、前回と同じように、「この木は何ですか」と訊いてみた。
老人は、「これは梅です」と言った。
僕が「梅ですか」と言うと、「花弁の雄しべを見るとわかります」と専門家肌の知識をちらつかせた。僕が「あれは」と、ピンクの花木を指さすと、「あれは花桃でしょう」と自信ありげに言った。
僕が、その間に立っている散った花木を指して、「これは桜です。幹を見ると、そうですから」、と覚えたての知識で言うと、その老人は花の散った木を見て、「そうですね。もう散っているというのはソメイヨシノではなく、おそらく寒桜でしょうね」と言った。
雨にまじって小さな雪が、カメラを手にした頬を濡らした。
それでも、桜、桃、梅が並ぶ花木に降る雪を微かに感じとれた。(写真)
やはり、もう少し早く来て、“あらぶれる吹雪のなかに咲く花”を見るべきだった。
なにごとも、手を抜いてはいけないのだ。
*
夕方には、霙は本格的な雨に変わった。
夜、霙も雨もやみ、万が一に月が出たとしたら、一生のうちに1度できるかどうかという「九連宝燈」(僕はできたことがない)にも比肩する、出揃った「雪月花」を見ることができたかもしれない。
そうは容易にいくものではない。
花見る思ひ 誰ぞ知るらむ
――宛てのない相聞を歌う――沖宿
今日、3月21日は春分の日だ。いわゆる春の彼岸で、ほぼ昼と夜の時間が同じ長さの日である。
つまり、これから日(太陽)の出ている昼間の時間が長くなるというのは、本格的に春が来たということである。夜型の僕としては、少し起きる時間を早くしないといけない。
この日、目が覚めたらすでに昼近い時間だったが、リビングのカーテンを開けると庭の垣根のカイズカイブキの頭が白く染まっていて、空には細かい雪が舞っていた。窓を開けると、真冬の冷たい風が吹き抜けた。
僕は、花に雪、桜に雪の状景をすぐに思い浮かべた。
すでに東京の桜も開花し、高知では満開だというのに。昨日の天気予報では、東京は雪とは言っていなかったはずである。
――春に降る冬の雪。
――桜の花びらを震わす白い雪。
暖かくなったのに、突然の寒気がつくりだす束の間の一コマ。
出あってはいけないものどうしが出あうという、対比の妙。
生きているとたまに触れることができるこの奇遇なる自然現象には、儚い風情がある。見上げる空は灰色なのに、なぜか胸に波が躍る。外に出ると手足が冷たくなるが、心は密かに温かい。
*
東京といっても多摩市は23区の西側にある。奥多摩の丘陵山岳部に近い分、多分都心より気温は2~3度低いと思う。だから、都心より雪の量は多い。
もともと多摩市の僕が住んでいるあたりは丘陵地帯で、そこを削って街をつくったのだ。
僕の本棚にある1968年発行の「ポケット日本地図」(平凡社)を見ると、この辺りはまだ多摩丘陵となっていて、多摩町、稲城町である。まだ、唐木田行きの小田急多摩線も調布と橋本を繋ぐ京王相模原線も表れていない。
僕は、多摩の原型が見えるこの地図を秘かに見るのが好きだ。野や林や、そのなかから狸や雉(きじ)が出てくるのが頭に浮かぶ。実際、多摩に引っ越してきたすぐの頃、尾根幹線の大妻女子大の裏手の草むらから、雉が飛び立つのを見た。
近くには、かつて明治天皇が兎狩りに何度も訪れたというところもある。
この地図帳によると、当時の50年前の多摩町の人口は2万2千人で、稲城町は2万3千人である。現在はというと(2018年)、多摩市の人口14万8千人、稲城市の人口8万9千人である。
東京都は東西に細長くなっていて、東側の千葉寄りが23区で、山梨寄りの西側が都市部で、都市部はすべてひっくるめて多摩地方と表される場合が多い。多摩市は、西の方で大きな面積を誇る八王子市の東側で、ほぼ東京都の真ん中あたりに位置している。
天気予報を見る場合、東京しか出ない場合はそれでいいが、もっと詳しく見てみましょうと言って、予報が東京と八王子と分けて表される場合は、微妙だ。
東京が雨で八王子が雪という場合もある。そのような場合、多摩市はどちらなのだろうといつも考える。どちらかというと八王子の枠を見た方が当たるような気がするが、微妙な配分で言うと、八王子7:3東京ぐらいだろう。
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家の近くの公園は、毎年春もしくは春近くになると、梅、桃、それに桜が咲く。
今月、3月の初旬のことである。
ついそれまで枯れ木のようだった木々に、いつの間にか少しピンクがかった花が、咲いていた。その花をスマホで写真を撮っている老人がいた。
梅か桃か区別がつかなかったので、僕はその老人に、「この花は何の花ですか」と訊いてみた。
すると、その老人は、こともなげに、「桜です」と答えるではないか。
「えっ、桜ですか。梅か桃と思っていました」と、驚いて僕が言うと、「幹を見てください。桜でしょう」と、その老人は証拠物件を見つけた刑事のように少し胸を張って言った。
「桜にしては、早すぎますね。1か月近く早いですよ。東京では3月下旬から4月上旬ですよ。今年は早いとは言っても…」と僕が言うと、その老人は、「そうなんです。あまりにも早いので、珍しいので写真に撮って妻に送ろうと思っていたところです」と、老人は言いながら、他の木もしげしげと見ていた。
これはソメイヨシノではない種類の桜なのだろう。他にも、この季節に花咲く花の色が違う、梅や桃や辛夷(コブシ)、木瓜(ボケ)の花木があり、それらはすでに咲いている木、咲く気配の木、まったく枯れ木のように死んだふりをしているような木が入り交じって立っている。
*
その公園に咲いていた桜はもう昨日あたりは散っていたが、別の区域にはまだ咲いている桜が見受けられたし、 他に白やピンクの花が咲いている木が何本かあった。
今日、思いがけずに春に降る雪。
桜の花びらを震わす雪。
僕は、食事を終えたらなるだけ早く、花木の咲く公園に行こうと思った。
それで、朝食兼昼食のための料理を作りながらも、窓の外の雪を見ながら気をもんでいた。雪が降りやんで、花木に降りゆく雪の景色が見られなくなるのではないかと。
それでも、午後になってもまだ白い粉雪が降り続いているので、雪は大丈夫だと思った。
ところが、だんだんと雪が小さくなってきて、空もうっすらと前より視界が良くなってきた。小さな雪が降っているというのに、外の雪は積もっていかずに、逆に庭の垣根の上にのっている白い雪は心なしか小さくなったようだ。
僕はたまらず食事を中断して、“花に降り注ぐ雪”を見るために外へ出た。
外に出ると、まだ雪だと思っていたのだが、雨まじりの霙(みぞれ)だった。外の雪たまりが思いもよらず午前中より小さくなっているのは、雨が雪を溶かしていたのだった。
傘をさして、僕は公園へ急いだ。
公園の雪が溶けているのではと心配したが、それでも公園にはまだ雪が残っていて、霙が容赦なく降っていた。
冷たい風と共に吹雪く公園に、見知らぬ老人が一人立っていた。僕のような、酔狂な人間がいるのだ。老人は、白い花の咲いている木の前でカメラを構えていた。
僕は、前回と同じように、「この木は何ですか」と訊いてみた。
老人は、「これは梅です」と言った。
僕が「梅ですか」と言うと、「花弁の雄しべを見るとわかります」と専門家肌の知識をちらつかせた。僕が「あれは」と、ピンクの花木を指さすと、「あれは花桃でしょう」と自信ありげに言った。
僕が、その間に立っている散った花木を指して、「これは桜です。幹を見ると、そうですから」、と覚えたての知識で言うと、その老人は花の散った木を見て、「そうですね。もう散っているというのはソメイヨシノではなく、おそらく寒桜でしょうね」と言った。
雨にまじって小さな雪が、カメラを手にした頬を濡らした。
それでも、桜、桃、梅が並ぶ花木に降る雪を微かに感じとれた。(写真)
やはり、もう少し早く来て、“あらぶれる吹雪のなかに咲く花”を見るべきだった。
なにごとも、手を抜いてはいけないのだ。
*
夕方には、霙は本格的な雨に変わった。
夜、霙も雨もやみ、万が一に月が出たとしたら、一生のうちに1度できるかどうかという「九連宝燈」(僕はできたことがない)にも比肩する、出揃った「雪月花」を見ることができたかもしれない。
そうは容易にいくものではない。