かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

「鞆の浦」の行方

2008-04-30 02:24:34 | ゆきずりの*旅
 今、鞆の浦で一つの問題が起きあがっているというニュースを聞いた。
 鞆の浦とは、広島県福山市の瀬戸内海に面した港町である。風情のある鄙びた漁港だと知ってはいた。
 問題の発端は、その港を一部埋め立て、海に橋を架けて、交通の便をよくするという案が持ちあがったことだ。それに対して、地元港の人や環境保護を訴える人が反対して、交通対策としては街の裏(北側)にある山にトンネルを掘る案を出し、意見が二分されているというのである。

 福山は、山陽線の岡山と広島の間にあり、列車で通ると、駅のすぐ北に天守閣を持つ福山城が見えるので印象に残る町なのだが、降りたことはなかった。
 吉野の桜を見たあと、翌4月26日、関西をあとにして山陽新幹線の福山駅で降りた。
 去年の今頃は、山陰の石見銀山を旅し、山陰線の各駅停車の列車に乗っていたことを思い出した。
 福山駅を降りると瀬戸内海寄りの南側にバスターミナルが広がっていて、よく見かける駅前の光景であった。ちょうど正午頃であったが、どんよりとした日差しが幸いして暑くはない。

 駅前からバスに乗って30分ほどで鞆の浦に着いた。
 駅の案内書でもらった地図を片手に町を歩いた。バス通りから街中の路地に入ると、古い風景が広がった。少し前の時代の街並みだ。
 山陰の石見銀山の町、大田市の街並みに似通うものがあった。どちらも、意識的に古い街並みを残そうとする、住んでいる人たちの細かな息づかいである。
 路地から路地へと歩くと、港へ出た。この港のシンボルともいえる、安政6(1959)年に建てられたという常夜燈が見えた。灯台である。遠くに波止(防波堤)が海に突き出ている。
 海岸に行くと、石段が海に続いている。ここで、架橋反対の署名活動をしている元漁師だという初老のおじさんが、この石段は雁木だと教えてくれた。
 おじさんの話だと、常夜燈、雁木、波止、それに船番所、船を洗うところのたで場を、鞆の浦の五点セットと言うらしい。日本に、これらがすべて残っている港は、今は他にないと聞いたことがある。

 路地を歩いていても人通りは少ない。静かな田舎町だ。
 そんな静かな路地で、地元の人がなにやら頻繁に出入りしている店に出くわした。のぞいて見ると、若いお兄さんが魚を小麦粉にまぶして油で揚げている。魚の天ぷら屋さんだ。並べてあるのは、鯵の開きとエビだけだ。
 そういえば、路地を歩いていて、鯵の開きをまるで簾のように軒先に吊るしてあるのを、時折見かけた。きっと鯵が獲りごろなのだ。
 注文に応じて、お兄さんが手際よく次々と揚げている。僕も、さっそく鯵とエビの天ぷらを数尾ずつ買った。もう夕方なのに、昼食をとっていないので腹は減っている。
 バス停で、バスが来るのを待ちながらアツアツの天ぷらを頬ばった。やはり、港町の魚は美味い。残りは、明日のおかずにしよう。

 古い街並は歩いていて、落ち着いた気持ちにさせる。
 ヨーロッパには、中世の街並みをそのまま残した街が数多くあるが、日本は残念ながらそうではない。ヨーロッパの古い都市と最も異なるのは、街の色彩の統一感である。
 鞆の浦は古い街並みのままでいてほしいと思うのは、旅行者の身勝手なのかもしれない。
 鞆の浦の海に架かるかもしれない橋を考えながら、福山駅に向かった。

 福山から博多へ。博多に着いたときは、もう夜だった。
 そして、佐賀へ。
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遅き桜をたずねて、吉野へ

2008-04-28 20:20:21 | ゆきずりの*旅
  吉野山 こずえの花を見し日より
    心は身にも そはずなりにき

 奈良の吉野を有名にしたのは西行にほかならない。
 西行に魅かれて吉野を歩いたのは、20年前である。桜の季節を外れた秋であった。そのときは奥千本の西行庵まで歩いた。途中の柿の葉ずしや葛餅などの店を眺めながらゆっくりと歩いた。当然桜の華やかさはなく、行き交う人も少なく、周囲は緑に囲まれた山道だった。そして、その足で高野山に行った。
 それから、桜の季節にいつか行こうと思っていながら叶わなかった。

 そんなとき、今年の4月、朝日新聞の「be特集」アンケートによる「お花見名所の日本一」に、千鳥ヶ淵を押さえて吉野山が1位と掲載された。
 それを見て、やはり吉野の桜を見たいという欲望がわき上がってきた。
 吉野山の桜は、下千本、中千本、上千本、奥千本と下から順に咲いていくので、長い間桜が見られる。
 調べてみると、今年は、4月初旬に下千本で開花した桜は、順次山上に昇っていき、4月21日に上千本にて開花とあった。
今年も時期を逸したが、九州・佐賀の実家へ帰る途中、吉野へ寄ろうと思った。

 4月25日、奥千本あたりにはまだ桜は残っているかもしれないという淡い期待を持って、吉野へ行った。
 やはり、下千本、中千本あたりはたまに八重桜がところどころで見うけられるものの、あの霞のような山桜はなく、緑一面である。
 上千本の金峰神社に着くと、境内にやっと山桜が何本か咲いていた。しかし、あたりはどこを見渡しても桜の群れは見あたらない。奥の山道は針葉樹に囲まれている。山を薄桃色に染める景色は、どこにあるのだろうと思った。
 金峰神社から針葉樹の山道を登って、横道にそれたところの西行庵の近くに行き着くと、白に近い薄桃色の桜が出てきた。その奥は奥千本で、薄もやの中、山の中ほどを刈り上げたように薄桃色に染まっていた。

 吉野山 花のさかりは限りなし
   青葉の奥も なおさかりなり

 しかし、すでに盛りは過ぎていた。今度は、本当に花の盛りに行こうと思った。
 山道の途中の店で、20年前食べなかった柿の葉ずしと葛餅を買って食べた。柿の葉ずしは、軽く握った酢めしに薄く切った塩鯖をのせ、柿の葉でくるんだ押し鮨である。要するにバッテラで、なかなか美味い。

 帰りに、橿原神宮、石舞台、高松塚に寄った。
 橿原神宮の裏山が畝傍(うねび)山と聞いたときに、一瞬歴史の授業を思い起こした。記憶の奥に眠っていた名前だった。そして、思わず、天香久(あまのかぐ)山と耳成(みみなし)山はどこだろうと見渡したのだった。
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□ 私の男

2008-04-20 01:14:36 | 本/小説:日本
 桜庭一樹 文芸春秋社

 「私の男」とくれば、「俺の女」だろうか。
 人が自分の所有物といえる対象は、どんな関係で成り立つのだろう。「私のもの」「俺のもの」。そこに含まれるものは、固い絆とか血縁を超えたものを感じさせる。相手の存在そのものを抱え込むもの、飲み込まれるもの、同化できるもの、こう書き続けても、書ききれなく、それからはみ出るものが最も重要だと感じる。
 男も女も、人を自分のものとなかなか言いきれない。それは、親が子に対してもそうで、ましてや夫婦間でも、そう言いきれないのは言うまでもない。
 では、言いきれる場合は、どんな関係であろう。
 そう、男と女の性的なものを抜きにして、この間系は言い表せないだろう。
 「私の男」と言えば、女である私に夢中で、私の言いなりになる男で、「俺の女」と言えば、その主語が女性で目的語が女性になるだけだろうか。
 おそらく、そうではないだろう。
 言いなりになる人間は、所有物とは違う。
 一方的に成立しているのは、関係として成立していない気がする。それは何かのときにすぐに崩壊する危険性を孕んだ、気紛れな関係である。
 思うに、「私の男」と「俺の女」は対をなしていて、相互の不可分の関係にあるに違いない。
 「私の男」と言い切るには、「俺の女」と言いきられる関係があってこそ、初めて成立するのではなかろうか。

 本書は、本年度138回直木賞受賞作である。
 これから結婚する24歳の私の男とは、まだ40歳の父である。
 主人公の花は、9歳の時災害で家族をなくし、まだ若い親戚の男が養父となって引き取り、2人は一緒に暮らすことになった。
 少し不良がかった父である男は、その日から彼女の男になった。
 この経緯が、主人公の少女の目から、父である男の目から、主人公の婚約者の目から、男の元の恋人の目からと、各々の立場から少女と男との関係・心情が描かれる。

 父と子の禁断の関係は、しばしば小説に登場するが、この小説は、舞台である海の匂いを醸し出すことに成功している。
 「私の男」といえる対象を見つけ、それに耽溺する幸せと不幸が、北国の流氷のように迫ってくる。
 作家、桜庭一樹は、危ういうまさがある。この作家とは、もう少し付きあわないといけないようだ。その危うい感性を快楽と感じるために。
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◇ JSA

2008-04-15 17:20:27 | 映画:アジア映画
 パク・チャヌク監督 ソン・ガンホ イ・ビョンホン イ・ヨンエ 2000年韓国

 JSAとは、朝鮮半島を北と南に分断する38度線のあたりの共同警備区域(Joint Security Area )をいう。この軍事国境線には、かの有名な板門店があり、このあたりは緊張感が溢れている。
 朝鮮半島は、第2次世界大戦後の1950年の朝鮮戦争勃発により、北と南に分かれて争われ、1953年北緯38度線を持って境界線となった。北はソ連・中国の、南はアメリカのバックアップのもと、軍事的睨み合いを続けてきた。
 その後東西ドイツは一体化し、ソビエト連邦は崩壊、中国は経済的資本化を進めているが、朝鮮半島はずっと南北に分かれたまま緊張関係を残して今日に来ている。

 1999年、11発の発砲が起こり、2人の北朝鮮の兵士が射殺される事件が起こった。現場にいた北朝鮮兵士(ソン・ガンホ)と韓国兵士(イ・ビョンホン)が、事情徴集を受ける。この事件を円満に解決するため、中立監査委員会より女性の責任捜査官(イ・ヨンエ)が派遣される。
 供述は、お互い喰い違っている。そして、死体に撃ち込まれた銃弾からも不審な点が多い。
 映画は、その発砲事件が起きた騒乱になる日までの、北と南の兵士を映し出す。兵士たちに何が起きていたのか。
 実は、一触即発の境界線の中の、暗闇の奥で、北と南の兵士の間に交流が秘やかに行われていた。それも、友情にまで昇華する交流が。
 映画は、それでも重苦しい雰囲気を保って進んでいく。頻繁に映し出される兵士のタバコに火をつけるライターの明かりが、2国の間にたちこめる暗雲の空気の中の一筋の明かりを象徴しているかのようである。
 映画は、現在と過去が錯綜して分かりづらいが、迫力ある映像で、最後まで引きつけていく。
 そして、最後は意外な結末が待っている。その静止した画像が余韻を残す。

 人は、国のために命をかけるのであろうか? 
 それとも、友情のために?
 いや、自分の真実を貫くために?
 人が、命をかけられるのは、何なのだろう。

 韓国映画は、この映画によって奥行きが深くなったと言っていい。その後、興味深い、素晴らしい映画やドラマを作り続けている。
 北朝鮮の兵士を演じた兄貴格のソン・ガンホがいい演技をしている。南の若い兵士イ・ビョンホンはこの映画のあと韓国を代表する人気俳優へと上りつめていった。
 中立監査委員の責任捜査官のイ・ヨンエが、最初はあの「チャングムの誓い」の彼女とは分からなかった。清楚で凛々しく美しい。
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□ アサッテの人

2008-04-11 00:22:45 | 本/小説:日本
 諏訪哲史著 講談社刊

 平成19年度上期、137回芥川賞受賞作である。
 内容は、失踪した叔父の日記を紐解きながら、叔父を解明しよう、知ろうともがく主人公の姿を小説とするならばどうすればいいかと自問しながら、書き進めたものである。
 吃音者だった叔父は、吃音が治ったあと、不思議な言葉を発するようになる。その典型的な言葉が、「ポンパッ」である。それらの言葉とは何か意味があるのか、どこから導かれたものなのかを、主人公は推理、探究、考察するのである。
 小説とは何なのか、書くということはどういう意味を持つのかを問う小説が、今も息づいているとは少し複雑な気持ちになった。このような大上段に構えた小説は、既に過去のものとなったと思っていたからだ。手法こそ違え、もう何度も繰り返されたテーマである。
 いや、社会が爛熟のあとの頽廃に足を踏み入れていると思える現代では、このようなテーマは必然なのかもしれない。新しい世代の、言語に対する葛藤、社会に対する対応矛盾の描写なのかもしれない。
 著者は、技巧を凝らしている。本書は、そのように作られた小説である。しかし、読んでいくうちに、玉葱の皮をむいているような半端な苛立ちも感じさせる。著者は二重三重に施した狷介な計算を逆手にとって、あからさまにその技巧を披露しているのだ。
 しかし、「■■■!」という表現手法。しかも3倍角の大きさになっている。あるいは、巻末に叔父の部屋の見取り図がある。この手法も、小説としては疑問である。
 言語を追求しながら、言語を放棄しているように思えてくる。いや、これが新しい表現手段だと言うのだろうか。
 
 小説は、進化しているのだろうか?
 少なくとも、純文学と言われるものに限っては、進化というより試行錯誤と思えるのだ。
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