10月18日、上海から杭州へ行くことにした。
地図を見ると、上海から東に向かった太湖のほとりに蘇州があり、東南の方に杭州がある。
まず杭州に1泊し、杭州から蘇州に行き、蘇州で2泊して、再び上海に帰る予定にした。
宿泊している那宅青年旅舎(ユース・ホテル)から、同じ系統の杭州の旅舎に予約を頼んだ。杭州の街の中心に近い旅舎は結局予約がとれずに、郊外の旅舎にやむをえず予約を入れておくことにした。
中国は、日本のような鉄道の時刻表がなく(あるのかもしれないが見つけられず)、やはり遅れているなあと思ったが、思った以上に電脳(コンピューター)が発達している。
旅舎のカウンターで、杭州行きの時刻表はないかと訊いたら、パソコンで検索して、表示してくれた。ついでに、杭州駅から蘇州行きに時刻表も調べてメモしておいた。
パソコン表示の時刻表を見て、上海駅13時46分発に乗ることにした。それだと、15時35分に杭州駅に着く。
中国では、鉄道は火車で、汽車はバス、自動車である。
であるから、鉄道の上海駅は上海火車站(駅)となる。
上海駅に着くと、すぐに切符を買いに向かった。切符売場は「售票処」といい、列車の乗降所の建物と道を隔てた別のところにあった。これは、分かりづらい。
售票処の窓口は、何列も行列ができている。これはインドも同じだ。だが、現在はコンピューターで処理するので、早い。窓口に、「今日10月18日、上海13:46発→杭州、1枚(単票)」と書いて差し出すと、薄い紙の切符が渡された。
「D5673次」が列車の車両番号のようだ。Dとあるのは、まさかD51(デコイチ)のように蒸気機関車ではないだろうなと思った。座席に関しては何も指定しなかったが、一等座と書いてあり座席指定で、75元。
切符を買ったら、電光掲示板で、飛行機のフライト情報のように、自分の乗る列車が改札を開始しているかどうかを確認しなければいけない。改札開始の表示が出たら、そのホームに降りていくことになる。改札口は、検票口である。
杭州行きのホームに降りると、すでに白い流麗な列車が待っていた。車体に、「和階号」と書いてある。どうやら、中国の新幹線らしい。どうりで一等座である。
蒸気機関車ではと疑って、失礼なことをした。和階号は、どこまで続くのかと思わせるように長い。
いよいよ列車の旅である。
車両は、横2列ずつの座席である。僕の隣に座った若い男は、中国人らしくない顔立ちだ。
ここ上海あたりでは、中国人は一般的に丸顔でゆったりとした表情をしている人が多い。
若者の職業は技師で、そこそこの英語を話した。出張の帰りで、杭州の手前の海寧へ帰るところだと言った。
僕が「韓国の映画スターにイ・ビョンホンという男がいるが、彼に似ているね」と言ったら、「妻もそう言った」と言って顔を崩した。若いので独身だと思っていたら、その言葉で結婚しているのを知った。
僕が「中国語は分からない」と言った。そして、よく使う言葉は、ガイドブックにくるんだ白いカバーに、こうやって書いているんだ、と言って、最初に書いてある「清給我睥(似字)酒」(ビールをください)を指さした。すると、彼は頷いて、「これは、最も重要な言葉だ」と言ったので、笑ってしまった。ユーモアもある男だ。
海寧で男が降りて、代わりに乗ってきたのは日本でバブル時に流行ったボディコンを着た若い女性だ。ばりばりのOL風で、海賊版ではないであろうルイ・ヴィトンのバッグを掲げていて、座ると短いスカートから丸い脚がむきだしだ。
中国の格差社会は、進んでいるようだ。
*
杭州駅へ着いた。
まずは、明日の蘇州行きの切符を買っておこうと售票処へ行った。やはり並んでいる。
僕の番が来て、窓口に、昨晩コンピューターの時刻表で調べておいた「10月19日、杭州14:00発→蘇州。1枚(単票)、」と書いたメモを差し出した。
受付の女性は、意外にも蘇州の字が分からないようだった。僕がガイドブックで、蘇州の項を開いてここだと言っても、まだ腑に落ちない顔をしている。
中国では蘇が略字になっているとはいっても、元の字は本家中国の漢字であるのだから中国人は当然分かると思っていたのは、思い違いだった。中国の漢字は枝分かれが完全に進んでいるようである。
蘇州の中国読みである「スーヂョウ」と言うと、彼女はパソコンに何やら文字を打ち込んだ。日本語のパソコンのように、音(おん)で打ち込んで漢字に変換したのだろうか。画面に、いくつかの「○州」という字が出てきた。画面を見せて、それでどれかと僕に問うているようであるが、それは僕に訊くことかい、僕が分かるはずがない。
その中の一つに「芬(似字で日本語にはない)州」という字があった。ガイドブックにもこの字が載っている。僕が、その列車は天津行きだったので「終点:天津」と書いて渡すと、やはり「芬州」という文字が出てきて、これに間違いないということになった。
蘇州一つにしても、日本語と中国語はまったく違うのだ。
ようやく、明日の蘇州行きの切符を買った。
*
杭州は、地図を見ると西湖を中心とした街だ。
杭州駅から中心街に向かうバスに乗った。
予約は取れなかったが、とりあえず西湖に近い中心街にある杭州国際青年旅舎に行ってみようと思った。それで、地図にある旅舎の近くの名所らしい「柳浪聞鶯」と書いたメモを運転手に見せて、頷いたので、そのバスに乗った。
杭州は、中国六大古都と聞いていたので鄙びた街を想像していたが、近代的な建物があちこちに建っている、思った以上の都会だ。それでいて、中心に大きな湖があるせいか、街中は上海ほど埃っぽくない。
旅舎の近くの名所のところに来たら、運転手がここで降りろと合図してくれた。
杭州国際青年旅舎は洒落た近代的な建物で、すぐに見つかった。繁華街に近いし、西湖にも近い、絶好のロケーションだ。
受付で、念のため、シングルルームが空いているかと尋ねると、あると言うではないか。すぐにここに宿泊することにして、予約していた郊外の旅舎はキャンセルした。1泊、180元。
何だったんだ、昨日から今日にかけての、旅舎との何回ものやりとりは。
旅舎に荷物を置いて、街へ出た。
もうすでに日は暮れて、街は暗くなっている。旅舎の近くの南山路の並木道には、ファッショナブルなブランドの看板が輝く洒落た建物が並んでいて、中国とは思えない。
スターバックスのようなコーヒーハウスもある。しかし、コーヒーハウスといっても、ウェイターが玄関に立っている高級館だ。メニューを見せてもらったら、コーヒー1杯で35元である。
ファッショナブルな気取った南山路を横切って、繁華街を探した。
いつだって、目指すのは繁華街だ。
賑やかな街並みに入った。様々な店やレストランが並ぶ。街角に二胡をうら悲しく奏でる老人がいて、寄り添うように老婆が丸い鍋をさしだし、行き交う人に喜捨を乞うていた。夫婦なのだろう。僕が小さなコインを入れたら、鍋を持ったほかの男も寄ってきた。
その街並みを過ぎたら、突然古い土産物屋が並ぶ通りに出た。赤い提灯がエキゾチックな雰囲気を醸し出している。道の真ん中に、横になった金色の大黒さんか布袋さんを思わせる、太った仏像が鎮座している。出店では、アクセサリーの彫金をしたり、判を彫ったりしている人もいる。
ここが、土産物屋が並ぶ河坊街だった。(写真)
食事は、大衆食堂に行こうと思い、繁華街の分岐点になっている中河路を越えた暗い街並みに入っていってみた。横道の建国南路に入ったところで、食堂の明かりが見えた。
中国は、どこにでも食堂がある。
中に入ると、奥のテーブルで店の人が、餃子の具のようなものを小麦粉のようなもので平たくくるんでいた。
別のテーブルで、若い3人組が食事をしていた。彼らが食べている細いうどんのようなものが、湯気をたてて美味しそうだ。
大碍(字不明)羊肉絵(面)、8元。大きな碗に具もたっぷり入った麺である。
それに、つまみとして、山羊肉(小)、8元。ベーコンのような山羊の肉。
生拍黄瓜、5元。黄瓜は、日本語になると胡瓜。キュウリの辛みゴマソースかけ。
それに、雪花睥(似字)酒、5元。ビールである。
食事を終えた後、河坊街を通って旅舎へ向かった。すると、小雨が降り出した。
土産物商店街の1軒に雨宿りで入ったら、何だか申し合わせたように色とりどりの傘が並べてあって、若い女性が群がっている。中国の傘はカラフルだ。
傘を買おうかと迷ったが、差すほどではないので、ブルゾンのフードをつけて通りを歩いた。中国での、初めての雨だ。
旅舎に着いたら、その隣はロビーのように椅子が並べてある飲食ができるコーナーになっていた。そこで、コーヒーを飲んだ。
中国に来て、初めてのコーヒーだ。
明日は、杭州といえば西湖と言われる、西湖を見に行こう。そして、蘇州へ出発だ。
地図を見ると、上海から東に向かった太湖のほとりに蘇州があり、東南の方に杭州がある。
まず杭州に1泊し、杭州から蘇州に行き、蘇州で2泊して、再び上海に帰る予定にした。
宿泊している那宅青年旅舎(ユース・ホテル)から、同じ系統の杭州の旅舎に予約を頼んだ。杭州の街の中心に近い旅舎は結局予約がとれずに、郊外の旅舎にやむをえず予約を入れておくことにした。
中国は、日本のような鉄道の時刻表がなく(あるのかもしれないが見つけられず)、やはり遅れているなあと思ったが、思った以上に電脳(コンピューター)が発達している。
旅舎のカウンターで、杭州行きの時刻表はないかと訊いたら、パソコンで検索して、表示してくれた。ついでに、杭州駅から蘇州行きに時刻表も調べてメモしておいた。
パソコン表示の時刻表を見て、上海駅13時46分発に乗ることにした。それだと、15時35分に杭州駅に着く。
中国では、鉄道は火車で、汽車はバス、自動車である。
であるから、鉄道の上海駅は上海火車站(駅)となる。
上海駅に着くと、すぐに切符を買いに向かった。切符売場は「售票処」といい、列車の乗降所の建物と道を隔てた別のところにあった。これは、分かりづらい。
售票処の窓口は、何列も行列ができている。これはインドも同じだ。だが、現在はコンピューターで処理するので、早い。窓口に、「今日10月18日、上海13:46発→杭州、1枚(単票)」と書いて差し出すと、薄い紙の切符が渡された。
「D5673次」が列車の車両番号のようだ。Dとあるのは、まさかD51(デコイチ)のように蒸気機関車ではないだろうなと思った。座席に関しては何も指定しなかったが、一等座と書いてあり座席指定で、75元。
切符を買ったら、電光掲示板で、飛行機のフライト情報のように、自分の乗る列車が改札を開始しているかどうかを確認しなければいけない。改札開始の表示が出たら、そのホームに降りていくことになる。改札口は、検票口である。
杭州行きのホームに降りると、すでに白い流麗な列車が待っていた。車体に、「和階号」と書いてある。どうやら、中国の新幹線らしい。どうりで一等座である。
蒸気機関車ではと疑って、失礼なことをした。和階号は、どこまで続くのかと思わせるように長い。
いよいよ列車の旅である。
車両は、横2列ずつの座席である。僕の隣に座った若い男は、中国人らしくない顔立ちだ。
ここ上海あたりでは、中国人は一般的に丸顔でゆったりとした表情をしている人が多い。
若者の職業は技師で、そこそこの英語を話した。出張の帰りで、杭州の手前の海寧へ帰るところだと言った。
僕が「韓国の映画スターにイ・ビョンホンという男がいるが、彼に似ているね」と言ったら、「妻もそう言った」と言って顔を崩した。若いので独身だと思っていたら、その言葉で結婚しているのを知った。
僕が「中国語は分からない」と言った。そして、よく使う言葉は、ガイドブックにくるんだ白いカバーに、こうやって書いているんだ、と言って、最初に書いてある「清給我睥(似字)酒」(ビールをください)を指さした。すると、彼は頷いて、「これは、最も重要な言葉だ」と言ったので、笑ってしまった。ユーモアもある男だ。
海寧で男が降りて、代わりに乗ってきたのは日本でバブル時に流行ったボディコンを着た若い女性だ。ばりばりのOL風で、海賊版ではないであろうルイ・ヴィトンのバッグを掲げていて、座ると短いスカートから丸い脚がむきだしだ。
中国の格差社会は、進んでいるようだ。
*
杭州駅へ着いた。
まずは、明日の蘇州行きの切符を買っておこうと售票処へ行った。やはり並んでいる。
僕の番が来て、窓口に、昨晩コンピューターの時刻表で調べておいた「10月19日、杭州14:00発→蘇州。1枚(単票)、」と書いたメモを差し出した。
受付の女性は、意外にも蘇州の字が分からないようだった。僕がガイドブックで、蘇州の項を開いてここだと言っても、まだ腑に落ちない顔をしている。
中国では蘇が略字になっているとはいっても、元の字は本家中国の漢字であるのだから中国人は当然分かると思っていたのは、思い違いだった。中国の漢字は枝分かれが完全に進んでいるようである。
蘇州の中国読みである「スーヂョウ」と言うと、彼女はパソコンに何やら文字を打ち込んだ。日本語のパソコンのように、音(おん)で打ち込んで漢字に変換したのだろうか。画面に、いくつかの「○州」という字が出てきた。画面を見せて、それでどれかと僕に問うているようであるが、それは僕に訊くことかい、僕が分かるはずがない。
その中の一つに「芬(似字で日本語にはない)州」という字があった。ガイドブックにもこの字が載っている。僕が、その列車は天津行きだったので「終点:天津」と書いて渡すと、やはり「芬州」という文字が出てきて、これに間違いないということになった。
蘇州一つにしても、日本語と中国語はまったく違うのだ。
ようやく、明日の蘇州行きの切符を買った。
*
杭州は、地図を見ると西湖を中心とした街だ。
杭州駅から中心街に向かうバスに乗った。
予約は取れなかったが、とりあえず西湖に近い中心街にある杭州国際青年旅舎に行ってみようと思った。それで、地図にある旅舎の近くの名所らしい「柳浪聞鶯」と書いたメモを運転手に見せて、頷いたので、そのバスに乗った。
杭州は、中国六大古都と聞いていたので鄙びた街を想像していたが、近代的な建物があちこちに建っている、思った以上の都会だ。それでいて、中心に大きな湖があるせいか、街中は上海ほど埃っぽくない。
旅舎の近くの名所のところに来たら、運転手がここで降りろと合図してくれた。
杭州国際青年旅舎は洒落た近代的な建物で、すぐに見つかった。繁華街に近いし、西湖にも近い、絶好のロケーションだ。
受付で、念のため、シングルルームが空いているかと尋ねると、あると言うではないか。すぐにここに宿泊することにして、予約していた郊外の旅舎はキャンセルした。1泊、180元。
何だったんだ、昨日から今日にかけての、旅舎との何回ものやりとりは。
旅舎に荷物を置いて、街へ出た。
もうすでに日は暮れて、街は暗くなっている。旅舎の近くの南山路の並木道には、ファッショナブルなブランドの看板が輝く洒落た建物が並んでいて、中国とは思えない。
スターバックスのようなコーヒーハウスもある。しかし、コーヒーハウスといっても、ウェイターが玄関に立っている高級館だ。メニューを見せてもらったら、コーヒー1杯で35元である。
ファッショナブルな気取った南山路を横切って、繁華街を探した。
いつだって、目指すのは繁華街だ。
賑やかな街並みに入った。様々な店やレストランが並ぶ。街角に二胡をうら悲しく奏でる老人がいて、寄り添うように老婆が丸い鍋をさしだし、行き交う人に喜捨を乞うていた。夫婦なのだろう。僕が小さなコインを入れたら、鍋を持ったほかの男も寄ってきた。
その街並みを過ぎたら、突然古い土産物屋が並ぶ通りに出た。赤い提灯がエキゾチックな雰囲気を醸し出している。道の真ん中に、横になった金色の大黒さんか布袋さんを思わせる、太った仏像が鎮座している。出店では、アクセサリーの彫金をしたり、判を彫ったりしている人もいる。
ここが、土産物屋が並ぶ河坊街だった。(写真)
食事は、大衆食堂に行こうと思い、繁華街の分岐点になっている中河路を越えた暗い街並みに入っていってみた。横道の建国南路に入ったところで、食堂の明かりが見えた。
中国は、どこにでも食堂がある。
中に入ると、奥のテーブルで店の人が、餃子の具のようなものを小麦粉のようなもので平たくくるんでいた。
別のテーブルで、若い3人組が食事をしていた。彼らが食べている細いうどんのようなものが、湯気をたてて美味しそうだ。
大碍(字不明)羊肉絵(面)、8元。大きな碗に具もたっぷり入った麺である。
それに、つまみとして、山羊肉(小)、8元。ベーコンのような山羊の肉。
生拍黄瓜、5元。黄瓜は、日本語になると胡瓜。キュウリの辛みゴマソースかけ。
それに、雪花睥(似字)酒、5元。ビールである。
食事を終えた後、河坊街を通って旅舎へ向かった。すると、小雨が降り出した。
土産物商店街の1軒に雨宿りで入ったら、何だか申し合わせたように色とりどりの傘が並べてあって、若い女性が群がっている。中国の傘はカラフルだ。
傘を買おうかと迷ったが、差すほどではないので、ブルゾンのフードをつけて通りを歩いた。中国での、初めての雨だ。
旅舎に着いたら、その隣はロビーのように椅子が並べてある飲食ができるコーナーになっていた。そこで、コーヒーを飲んだ。
中国に来て、初めてのコーヒーだ。
明日は、杭州といえば西湖と言われる、西湖を見に行こう。そして、蘇州へ出発だ。