エマニュエル・トッドの現代を読み解く「西洋の敗北」を書き始めたら、個人的な戦後(第2次世界大戦後)アメリカの栄光に至り、「アメリカン・グラフィティ」、「夢のカリフォルニア」、「ホテル・カリフォルニア」に行きついた。
さて、本題の「西洋の敗北」である。
ところが、いつもの通る道でのことである。
いつものように通る道で、旧・三越デパート(現・ココリア多摩センター)のビルが見えてきたら、もう多摩センター(東京都多摩市)の中心部である。道の先には国籍不明のサンリオ・ピューロランドが見える。
その多摩センターに向かう道とビルの交差部分に、ちょっとした三角形の敷地がある。その敷地はきちんと煉瓦を敷き詰めて整備されているので空き地とは言えないが、何の目的でそこにあるのか理解しづらい空間である。どう使っていいのか、どう使われていいのかわからないといった塩梅で、たまに何かの撮影が行われていたり、時々若者がたむろしているぐらいで、所在なさそうにあり続けている。
5月の黄金週間に、その空間に黒いテントが出現した。
そして幟が立ち、前の塀にチラシが貼られた。それは、芝居小屋だった。そこで、天幕劇場「深海洋燈」(しんかいらんぷ)という劇団による芝居が行われたのだった。
私は黒テントが気にはなっていたが、通り過ごしていた。
しかし、「多摩センター 野外テントシアター・フェスティバル」の最後の日である5月19日、テントで芝居を見るのも唐十郎の紅テント以来かと思って、ふらりとテントに入った。
*黒テントの舞台「野ばら」
その日の最後のトリの公演が、「深海洋燈」の「野ばら」という芝居だった。
劇団名も演目も初めて知った芝居だった。
原作は小川未明が戦前(第2次世界大戦前)の1922年に発表した短編小説で、脚本・演出は申大樹である。出演は、申大樹、小林由尚、傳田圭菜、史椛穂、武田治香、桃菜、佐藤梟。
*
学校へは行かずに外で飛び回っていた少年は、祖父が書いたというノートを持っていた。少女と知り合った少年は、二人でそのノートを読む。祖父の戦争体験だった。
老兵と青年兵が、ある二つの国の国境を挟んで見張っていた。老人は大きい国の兵士で、青年は小さい国の兵士であった。二人は国境を挟んで将棋をするようになり、親しくなる。
ところが、この2国の間で戦争が始まる。老兵は青年兵に自分を殺して手柄にしなさいと言うが、青年はそれはできないと言って、遠い戦場へ出向いていった。
日本では、敵国(アメリカ)と戦争が始まった。学校では敵国の言葉である英語は使えなくなった。戦争に反対した女先生は捕らえられてしまった。
老兵と青年兵が国境を挟んでいた戦争は、大きな国が勝って戦争は終わった。国境近くに残っていた老人は旅人に、小さな国の兵士はみんな死んだと聞いた。その夏、そこに咲いていた野ばらは枯れ、老人は息子や孫のいる故郷へ帰るのだった。
*
黒テントの中の舞台には、ハプニングとして底に水(水路)が設えてあり、その水の中から人が登場したり、芝居の間に生のギター演奏が響いたりする。
登場人物は別の物語のごとく、オムニバスのように変わる。それでも、芝居全体に戦争(体験)が通底として流れているのが分かる。
そして最後に、紙吹雪が舞い、テントの奥の幕が開き、舞台と外の夜の街が繋がり、音楽が流れる。
なんと、その曲が、「花はどこへ行った」(Where have all the flowers gone?)であった。
テントの奥から多摩の夜の街角に、「花はどこへ行った」が静かに流れた。
(写真:芝居が終わり奥のテントが開いた先に、多摩の夜の街が見える)
私がこの「西洋の敗北」で書いてきた「花はどこへ行った」が、予想だにしなかったことだが、この夜、いつもの道に繋がっていたのだった。
まるで(でき)芝居のようだ。
※→「西洋の敗北④ “花のサンフランシスコ”から、“花はどこへ行った?”」(2025-04-26)
https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3
さて、本題の「西洋の敗北」である。
ところが、いつもの通る道でのことである。
いつものように通る道で、旧・三越デパート(現・ココリア多摩センター)のビルが見えてきたら、もう多摩センター(東京都多摩市)の中心部である。道の先には国籍不明のサンリオ・ピューロランドが見える。
その多摩センターに向かう道とビルの交差部分に、ちょっとした三角形の敷地がある。その敷地はきちんと煉瓦を敷き詰めて整備されているので空き地とは言えないが、何の目的でそこにあるのか理解しづらい空間である。どう使っていいのか、どう使われていいのかわからないといった塩梅で、たまに何かの撮影が行われていたり、時々若者がたむろしているぐらいで、所在なさそうにあり続けている。
5月の黄金週間に、その空間に黒いテントが出現した。
そして幟が立ち、前の塀にチラシが貼られた。それは、芝居小屋だった。そこで、天幕劇場「深海洋燈」(しんかいらんぷ)という劇団による芝居が行われたのだった。
私は黒テントが気にはなっていたが、通り過ごしていた。
しかし、「多摩センター 野外テントシアター・フェスティバル」の最後の日である5月19日、テントで芝居を見るのも唐十郎の紅テント以来かと思って、ふらりとテントに入った。
*黒テントの舞台「野ばら」
その日の最後のトリの公演が、「深海洋燈」の「野ばら」という芝居だった。
劇団名も演目も初めて知った芝居だった。
原作は小川未明が戦前(第2次世界大戦前)の1922年に発表した短編小説で、脚本・演出は申大樹である。出演は、申大樹、小林由尚、傳田圭菜、史椛穂、武田治香、桃菜、佐藤梟。
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学校へは行かずに外で飛び回っていた少年は、祖父が書いたというノートを持っていた。少女と知り合った少年は、二人でそのノートを読む。祖父の戦争体験だった。
老兵と青年兵が、ある二つの国の国境を挟んで見張っていた。老人は大きい国の兵士で、青年は小さい国の兵士であった。二人は国境を挟んで将棋をするようになり、親しくなる。
ところが、この2国の間で戦争が始まる。老兵は青年兵に自分を殺して手柄にしなさいと言うが、青年はそれはできないと言って、遠い戦場へ出向いていった。
日本では、敵国(アメリカ)と戦争が始まった。学校では敵国の言葉である英語は使えなくなった。戦争に反対した女先生は捕らえられてしまった。
老兵と青年兵が国境を挟んでいた戦争は、大きな国が勝って戦争は終わった。国境近くに残っていた老人は旅人に、小さな国の兵士はみんな死んだと聞いた。その夏、そこに咲いていた野ばらは枯れ、老人は息子や孫のいる故郷へ帰るのだった。
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黒テントの中の舞台には、ハプニングとして底に水(水路)が設えてあり、その水の中から人が登場したり、芝居の間に生のギター演奏が響いたりする。
登場人物は別の物語のごとく、オムニバスのように変わる。それでも、芝居全体に戦争(体験)が通底として流れているのが分かる。
そして最後に、紙吹雪が舞い、テントの奥の幕が開き、舞台と外の夜の街が繋がり、音楽が流れる。
なんと、その曲が、「花はどこへ行った」(Where have all the flowers gone?)であった。
テントの奥から多摩の夜の街角に、「花はどこへ行った」が静かに流れた。
(写真:芝居が終わり奥のテントが開いた先に、多摩の夜の街が見える)
私がこの「西洋の敗北」で書いてきた「花はどこへ行った」が、予想だにしなかったことだが、この夜、いつもの道に繋がっていたのだった。
まるで(でき)芝居のようだ。
※→「西洋の敗北④ “花のサンフランシスコ”から、“花はどこへ行った?”」(2025-04-26)
https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3