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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

愛の蛇行を追う映画、「ドライブ・マイ・カー」

2022-03-03 02:22:22 | 映画:日本映画
 人生で、文学より映画の方が影響力が強かったと自負する、かつての映画好きの私であるが、過去の古い映画は録画・再放映で観ているけれど、封切の新しい映画からはとんと遠ざかっているのが現状である。
 映画「ドライブ・マイ・カー」は、2021(令和3)年の第74回カンヌ国際映画祭で日本映画としては初となる脚本賞を受賞したのをはじめ、多くの映画祭で賞を受賞している話題の濱口竜介監督作品である。

 であるから、これは見ておこうと、2月15日、久しぶりに近くの多摩センターの映画館に観に行った。この映画館は8スクリーンを持つ多上映システムだが、本作品は1日に夕方1回上映と限られていた。
 まあ混んではいないだろうとタカをくくって上映時間5分前に受付窓口に行ったら、あと3席の空きしかなかった。中に入ったら、私の隣は空いていて、全体を見まわしても意外や空席が目立つ。ギリギリ遅れて入ってくる人が多いのかなと思っていたら、そうでもない。
 すぐに、そのとき東京はコロナ蔓延防止等重点措置期間中なので、席は一つおきにしているのだ、と気がついた。だから、私の隣は空席なのだ。
 
 ともあれ、映画は映画館で観るのはいい。

 *愛の喪失と葛藤の行方を走る「ドライブ・マイ・カー」

 脚本は、村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」に収録された短編「ドライブ・マイ・カー」を基に濱口竜介、大江崇允の共同執筆によるものである。

 簡単な粗筋を紹介する。
 舞台俳優で演出家でもある主人公の中年の男(西島秀俊)は、元舞台俳優で脚本家である妻(霧島れいか)を愛し満ち足りた生活をしている。ある日、その妻が家に他の男を連れ込んで不倫しているのを知る。妻の不実を知りながら、男は気づいていない素振りを通し続ける。
 が、妻は突然、脳梗塞で死ぬ。
 それから2年後、広島での演劇祭の出演者選考および演出の仕事のため、男は自分の車で広島へ行く。
 男は、仕事場と宿泊ホテルの往復に、専属の女性の運転手(三浦透子)を付けられ、自分の車をその無口な女性に任せることにする。
 広島での舞台オーディションを受けに来た一人に、妻の不倫相手だった売れっ子の若手俳優(岡田将生)がいた。主人公の男は、妻の不倫相手と知りつつ彼を主役に選び、芝居の稽古は進む。芝居公開の日が近くなったころ、その主役の男が暴力事件で逮捕される。それで、主人公の男が代わりに主役をやることにし、公演は無事行われる。
 この間、男と運転手の女性は、多くを話さなくとも次第に気心が通じるものを感じていた。公演が終わり、お互い過去の傷を知りあうと、二人は、車で彼女の故郷の北海道に行くのだった。

 *定点言葉発送と俯瞰動画の文学的映画手法

 この映画を観た直後の感想は以下のようなものであった(つい青い文となった)。
 濱口竜介は、言葉を重視する文学的な映画監督である。
 表面で交わされる日常会話と内面の会話を闘わせることで、二人の関係あるいは社会での関係から、その個人を晒そうとする。内面の言葉を相手と、あるいは自分と闘わすことで、その人となりを露出させていく。
 その人となりは、すぐには現れないし、現れることを必ずしもその人は良しとしない。多くは呻吟するし抵抗もする。だから、多くの会話、あるいは独白が必要となるし、時間の経過も有することになる。
 かつてヌーヴェル・ヴァーグの映画が、映画的でなかったように、彼の映画も映画的でないのかもしれない。
 言葉を多く語り、この映画では劇中劇での言葉も物語に組み込み、さらに多国籍言語の混在を挿入させている。

 高速道路をあるいは海岸線を運転して走る車を俯瞰的に映し出しているのが印象に残る。

 *ルーツを垣間見た、濱口監督の大学院修了制作「PASSION」

 昨年2021(令和3)年の11月6日、近くの小田急線・新百合ヶ丘で行われている「しんゆり映画祭」に出向いた。お目当ては、濱口竜介監督の「PASSION」(2008年制作)。
 先に書いたように、私は最近の新作映画を観ていないので濱口監督なるものを知らなかったが、この映画が彼の東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作とあるので興味をひいたのだ。

 「PASSION」の簡単な粗筋は、久しぶりにかつての大学時代の同級生(であろう)数人が集まる。その中に、婚約しているカップルがいた。話の中で、期せずしてその男が他の友人である女と関係していたことが判明する。そのことにより、彼らのそれまでの関係が歪みだし、違った関係性に変換していくというものである。
 
 物語の多くが会話対応で費やされ、なかでも男女3人のゲームとして、本音しか言わない会話劇が組み込まれているなど、心理劇と言えなくもない。
 畳み込むようにダイアローグで進む物語は、小説家志望が若い頃に書く観念的な小説だと思った。それと同時に、それを映画で試みたという志の強さと本物性に、嫉妬に似た感情が沸いた。大学院とはいえ学生が作る映画とは思えない高度な出来なのだ。

 私は少し前まで10年ほど、地元の「多摩映画祭」(TAMA CINEMA FORUM)で、新人による映画「TAMA NEW WAVE」コンペティションの一般審査員をやっていて、若者の映画を少し観てきたが、この「PASSION」は、若者の青さが強く匂うのに、それを逆手にとったような強引さを活かした、高い完成度なのである。
 「PASSION」は、文学性の強い濱口監督のルーツだった。

 *

 「PASSION」で婚約者の不実の過去は、婚約解消という結末の、いわば一直線での愛の行路の別れとなる。
 「ドライブ・マイ・カー」での妻の現在の不実は、黙認を装いながら葛藤を続け、二人の愛の本質を問うことなく妻を突然死させることによって、大きな愛の本題から別の本題へと、意図的に道をそらす。これが、この映画の本質なのだろうが。
 「ドライブ・マイ・カー」は、「PASSION」の直線的な道が、幾年かの時をへて蛇行した道となったものを、俯瞰的に捉えようとした映画だといえよう。

 
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小林旭② 吉永小百合との共演「黒い傷あとのブルース」

2016-02-27 02:53:56 | 映画:日本映画
 李香蘭以後、東アジアで最も人気があった日本人のスターは小林旭であろう。
 1950年代末から60年代にかけて、映画「渡り鳥シリーズ」、「流れ者シリーズ」、「銀座旋風児シリーズ」、さらに「銀座の次郎長シリーズ」などの小林旭主演の多くのシリーズ作品が生まれた。また、その間に作られた単発作品も含めて、月1本の間隔で小林旭主演の映画が全国にて公開されていたのだ。
 そして、映画とともにそのなかで歌われる彼の主題歌も大ヒットした。
 日本が高度成長の波に乗り、映画が全盛の時代である。映画で主演を張り、歌も歌う俳優は、銀幕のスターと称された。
 小林旭の人気が日本国内だけでなかった様子は、「渡り鳥シリーズ」のなかの1作、1961年公開の「波涛を越える渡り鳥」での香港とバンコクを舞台としたこと。そのとき台北空港に立ち寄った際には、大勢の人に迎えられ、「熱烈歓迎 小林旭(シャオリンシー)先生」という横断幕が張られていたという。
 香港映画のスター、ジャッキー・チェンや「男たちの挽歌」のチョウ・ユンファも小林旭のファンだ。チョウ・ユンファは、顔立ちがどことなく小林旭に似ている。
 当時、渡り鳥シリーズなどの小林旭の映画は若者に人気だったが、国内では無国籍映画と評されて正当な評価を受けなかったと思う。しかし、その無国籍性が国境を越えて若者に支持を受けていたのだ。

 *

 北は北海道の函館から南は九州の鹿児島、はたまた海を越えて香港、バンコクが舞台となる、渡り鳥や流れ者シリーズの物語は、配役やデテールは作品によっていくらか違うが大まかに次のようなものだ。
 あるのどかな地方の町にふらりとギターを肩にかかげた男(小林旭、渡り鳥の場合は滝伸次、流れ者の場合は野村浩次)がやってくる。そこは牧歌的な草原が広がる町だったり、港町だったりする。ギターをかかえた若者、渡り鳥は馬でやって来るときもある。
 その町で知り合った人がよさそうな若い男(青山恭二)は、その町にアミューズメント・センターをつくろうと企んでいる町のボス(金子信雄や藤村有弘)に、土地を乗っ取られようとしている。
 ボスには、彼には似合わない純朴な美しい娘(浅丘ルリ子)がいる。あるいは、土地を乗っ取られそうなふがいない男に気丈で可憐な妹がいる。
 ふらりとやってきた男渡り鳥は、その町の悪徳ボスに立ち向かうことになる。
 その町は、どんな鄙びた牧歌的な町だろうと、夜にはボスが経営している銀座ではないかと思うような華やかなナイトクラブがあり、地下には秘密的なカジノまがいの賭け事が開かれていたりする。クラブにはボスの情婦の妖艶なママ(楠侑子)がいて、夜ごとダンサー(白木マリ)によるムードあるダンスが躍られる。
 そのクラブにふらりと渡り鳥はやってくる。ボスに雇われているチンピラどもは男を追い返そうと殴りかかってくるが、渡り鳥はそれを制して、甲高い声で歌を歌い始める。歌い終わったころを見諮って、格闘が始まる。
 渡り鳥は、やがてその悪徳ボスに雇われている用心棒の男(殺し屋ジョージやハジキの政などと名のる宍戸錠)と対決することになる。対決するが、最後は二人で悪徳ボスたちに立ち向かう。
 悪徳ボスたちが一掃され町に再び平和が訪れたときは、ちょうど町は祭りの夜である。祭りの賑やかさに紛れて、そっと町を背にする渡り鳥。それを追いかけるように映し出されるのは、急にいなくなった渡り鳥を探し求める、彼に恋心を持ち始めていた美しい娘。
 娘を振り切るように、男は黙って町を去る。それを見送る娘の瞳が涙で潤う姿に、渡り鳥の歌が流れゆく。

 *

 僕が小林旭の映画を初めて見たのは、高校1年の冬で、「黒い傷あとのブルース」だった。この映画のすぐあとに、渡り鳥シリーズの実質最後の作となる「渡り鳥北へ帰る」が公開された、そのときの映画である。
 「黒い傷あとのブルース」の題名はもともと洋物の曲で、旭の日本語の歌詞をつけた歌もヒットした歌謡映画であるが、当時朝日新聞の映画評に、この映画は日活アクション映画としては半歩前進、といった評が載った。
 僕はなぜかこの記事が嬉しくて、次の日、体育の授業でのラグビーが終わって、水道で泥んこになった靴を洗いながら、隣にいるクラスの友だちに,昨日の新聞の映画の記事見たか、と嬉しさをこらえきれない調子でその内容を話したのだった。その友だちも、うんうん、あれはいい記事だったという返事をした。その友だちは、もうこんな会話は忘れているだろうな。
 しかし、何といってもこの映画が特出されるのは、小林旭が吉永小百合と共演した初めての映画だということである。その後も共演はないので、唯一の記念すべき映画ということである。

 小林旭のファンは意外なところにいると思ったことがある。
 建築家の渡辺武信は、その思いを「日活アクションの華麗な世界」に込めた。
 僕は、かつて小林信彦の小説「オヨヨ・シリーズ」を読んでいたとき、物語のなかにさりげなく小林旭を登場させているのを見つけて、彼も旭のファンかと思い、にやついた記憶がある。
 もと「はっぴいえんど」のミュージシャンの大瀧詠一は、1985年に「熱き心に」を作曲提供しているし、さらに小林信彦と「小林旭読本」という貴重な資料本を編んだ。


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誰よりも戦後日本映画の代表格女優であった、原節子

2015-11-29 00:36:38 | 映画:日本映画
 原節子が今年2015年の9月5日になくなったことが判明した。
 彼女とは1920(大正11)年の同じ年に生まれた李香蘭こと山口淑子がなくなったのが、ちょうど1年前の9月20日だった。
 伝説、レジェンドという言葉が軽々しく使われるようになった今日、「伝説の女優」と呼ぶのに躊躇(ためら)うことのない2人が、相次いでなくなったことになる。
 平凡な言い方をすれば、何か大きな時代が一つ終わったような気がする。
 それは、戦争を跨(また)いで活動・活躍した人と言えるかもしれない。2人はまったく異なった人生であったが、日本が戦争に突入していく時代に思春期を送り、女優として戦局のなかに身を置き、さらに新しく戦後を生き抜いた人生であったように思う。
 その時代を生きてきた人は、誰でも波乱を含んだ人生であったことは、自分の親の人生を想うだけで少しはわかるものがある。

 1939年、満州映画協会(満映)が日本人である山口淑子を中国人の李香蘭として中国、満州で売り出し中の戦中時代、満映と東宝の提携映画「東遊記」(監督:大谷俊夫)で、原節子と共演している。この後、李香蘭は満州と日本で大人気女優となる。
 戦後、李香蘭こと山口淑子の芸能生活20周年記念映画で、女優引退記念映画でもある「東京の休日」(監督:山本嘉次郎、1958年東宝)に、原節子も出演している。
 2人が同じ映画に出演(共演)した、ある意味では貴重な映画と言える。

 李香蘭と原節子、彼女たちが生きていた時代に、いくらかでも重なって自分も同じ空気を吸って生きていたという想いを、今一つ味わいたいと思う。

 李香蘭は大鷹淑子となった晩年の参議院時代に1度パーティーで見たことがあるが、1963年に女優業を引退し、それ以後一切公衆の面前に顔を出さなかった原節子を実際に見たことはない。
 李香蘭は、彼女の数奇な人生と僕の満州に対する幻想もあって、僕の中でも伝説化されていた。彼女が中国語で歌う「夜来香」も、僕を遠く大陸へ思いを馳せさせた。
 しかし、原節子には個人的な特別な思いはない。
 とはいっても、原節子は戦後を代表する映画女優であるのは言うまでもない。
 好きな女優をあげよと言われれば指折り数えることができるが、戦後を代表する女優を1人あげよとなると、原節子と言われても異論を唱えるつもりはない。やはりそうだなあ、と思わせるものがこの人にはある。
 戦後の代表的な政治家と言われれば、吉田茂があがるだろう。原節子は、そんな存在感のある女優なのである。

 2000年の「キネマ旬報」の「20世紀の映画スター・女優編」で、原節子は著名人選出による日本女優の第1位に輝いている。ちなみに5位までをあげてみよう。
 1.原節子
 2.吉永小百合
 3.京マチ子
 4.高峰秀子
 5.田中絹代
 日本の映画史上に名を残す女優が並んだ。

 僕の手元にある1990年の「文芸春秋」編によるアンケート「わが青春のアイドル 女優ベスト150」によるベスト5は、以下の通りである。
 1.久我美子
 2.高峰秀子
 3.吉永小百合
 4.原節子
 5.桂木洋子
 1位の久我美子は、「また逢う日まで」(監督:今井正、1950年)のなかで、岡田英次とのガラス窓越しのキスシーンで有名な公家出身の女優である。
 4位にいる原節子は、美しさは認めるがアイドル風には見られていなかったということだろう。それでも6位以下の芦川いづみや桑野道子、桑野みゆき親子などを押しのけてこの位置にいるのは、日本の女優としてこの人を抜きには語れないという風格というか、すでに伝説が作りあげられているからだろう。
 5位の桂木洋子は、昭和20年代清純派で人気だったらしいが、この人の映画は残念なことに僕は1本も見ていない。

 *

 僕が初めて原節子を映画のなかで見たのは、おそらく子供のころに見た「ノンちゃん雲に乗る」(監督:倉田文人、1955年)であろうが、主役の可愛い鰐淵晴子のことは思い出せても、残念ながら彼女の印象は薄いのだ。のちに資料で鰐淵の母親が原節子だったということを知ったぐらいである。
 大人になって、といってもまだ若い頃、リバイバル上映の名画座あたりで原節子出演の小津安二郎監督の「麦秋」(1951年)や「東京物語」(1953年)を見たが、当時はヌーヴェルヴァーグの新鮮さに酔っていたこともあって、小津作品の良さはまったくわからなかった。
 地方に住んでいる老夫婦が都会へ出ていった子どもたちのところに出向くのだが、そこでのバラバラになった家族の会話や微妙な心理を垣間見せる、大きな山場もないささやかな物語が、若者には物足りなかったのだ。小津作品の良さがわかるには、もう少し年齢を重ねなければならなかった。

 若いときには、渋い茶の味などわかろうはずがない。
 小津安二郎作品のなかの原節子の存在は、渋い茶を味わっているのだが、その茶葉の中にダリヤかボタンの花びらが混じりこんでいるような感じである。それが、茶の味を引き立てていると思えるのだ。
 *写真は、11月27日の朝日新聞の追悼記事より、映画「山の音」(監督:成瀬巳喜男、1954年、東宝)から。左は山村聰。

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映画「野火」に見る、日本が体験した戦争

2015-11-25 01:50:40 | 映画:日本映画
 たて続けに2つの「野火」の映画を観た。
 「野火」(のび)は、1951年に発表された大岡昇平の小説で、1959年に市川崑、そして2015年に塚本晋也による監督で映画化されたものである。
 内容は、第2次世界大戦末期のフィリピン、レイテ島を舞台に、敗走する日本兵の飢えや人肉食いを、著者、大岡昇平の体験をもとに描いたものである。

 市川崑監督の作品時代の1959年当時は、まだ先の戦争の実体験がわが国の社会全体に残っていた時代である。「ビルマの竪琴」(監督:市川崑)や「人間の条件」(監督:小林正樹)などに見られるように、戦争の記憶の残照が生々しくあったはずだ。
 日本は満州(中国東北部)を支配下に置いたあと、1941年太平洋戦争がはじまると“大東亜共栄圏”の旗印のもと南方に攻め入ったが、戦争末期には敗走を重ねた。戦後、その戦争の実態はどうだったのかが、体験をもとに小説や映画で描かれていった。
 映画「野火」は、主演の船越英二が熱演している。また、当時人気のロカビリアンだったミッキー・カーチスが好演している。

 そして、半世紀が過ぎた。
 東京・第25回多摩映画祭TAMA CINEMA FORUM(11月21日―29日開催)で、塚本晋也監督の映画「野火」が11月21日に上映された。
 現在の2015年、なぜ「野火」という戦争を扱った映画なのか。
 塚本監督は、多摩映画祭での上映のあとの今日マチ子(漫画家)、荻上チキ(評論家)とのトークで次のように語った。
 「構想は20年前からあって、いつかはと思っていたが、きな臭い時代になって、今この映画を作らなければもう作れないのではないかと思った」
 この映画で、塚本晋也は監督・脚本・製作などに加え、主演も兼ねていることからみても、その意気込みが伝わってくる。
 時代的にモノクロの市川作品に対して、塚本作品は原色の南国の森林を著す濃緑が生々しい。その濃緑に血の赤が混じりこむ。画面から、戦争がもたらす残酷さと狂気がにじみ出る。

 今日、世界中がきな臭い時代である。そして、70年前、日本は戦争をしていた。
 今、戦争というものを考えるきっかけになる映画であろう。

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誰でも経験する恋の傷、「イニシエーション・ラブ」

2015-07-15 00:31:22 | 映画:日本映画
 薔薇の蕾は摘めるうちに摘め 
 時は一刻一刻過ぎ去っていく 
 今日ほほえみかけるこの花も 
 明日は色褪せ萎えていく 
     ――ロバート・ヘリック
 
 「イニシエーションinisiasion」とは、英和の辞書には、「着手、開始」、「手ほどき、秘伝伝授」、「入会式、(加入の)儀式」とある。

 乾くるみによる「イニシエーション・ラブ」(原書房刊)が、「必ずもう一度読み返したくなる本」と話題になったのはずいぶん前だった。僕は、ミステリーはあまりというか殆ど読まないのだが、再読したくなるほどの本なら一度は読んでみようと思って読んだのだった。
 ミステリーというより、よくある恋愛小説だと思った。この本が、また必ず読み返す本なのかと少し訝しくすら思った

 物語は1986年から1987年頃の静岡と東京が舞台で、side-Aとside-Bの2章からなり、各タイトルには当時のヒット曲の曲名が付けられている。
 恋愛には奥手でぎこちない静岡の大学生と合コンで知り合った歯科衛生士との恋愛を描く前半のA章。卒業して静岡に就職した男だが東京に転勤となり、遠距離恋愛となり破局を迎える後半のB章。
 このなかで、若いときに経験する苦い恋を「イニシエーション」という言葉に例えて、「通過儀礼のこと。子どもが大人になるための儀式」と答えている。

 誰もが経験する初めての恋、そして、それを通過しないと大人になれない恋、それを「イニシエーション・ラブ」というなら、イニシエーション・ラブは、あまりにも切ない。そして、あなたも経験したことだろう。
 誰にでもある、甘酸っぱいが胸が痛む恋。薔薇の棘が刺さったような恋。
 もう二度と来ない恋。

 *

 この「イニシエーション・ラブ」が、映画化されたので見に行った。
 監督は、「明日の記憶」、「トリック」や「20世紀少年」シリーズなどの堤幸彦。出演は、前田敦子、松田翔太、木村文乃ほか。
 映画の進行と同時に、「愛のメモリー」(松崎しげる)、「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)、「ルビーの指環」(寺尾聰)など、当時ヒットした懐かしい曲が流れる。
 主演の前田敦子に関しては、女性アイドルグループAKB48の元メンバーであることぐらいの知識しかなかった。
 しかも、もともと前田敦子と大島優子の区別もおぼつかない僕ではあるが、最初に合コン場面で登場したとき、その女性が前田敦子とは気づかなく、脇役だろうがいい新人女優が出てきたなあと思ったくらいだった。しかし、物語が進むにつれ彼女が主役の女性だとわかった。とすると、彼女が元AKBの前田敦子ということになる。それを知った瞬間は、ちょっとした驚きだった。
 彼女は恋する女心を、切なさを滲ませながら演じきっていた。

 映画は、最後には物語のハプニングを映し出す。
 しかし、最後まで僕はそれがミステリーだと、うかつにも気付かなかった。
 僕は次の日、近くの書店に行って、原作を見つけ、本をめくってみた。
 最後の2ページを読み返した時、僕はやっとそれが恋愛小説よりはミステリーと呼ばれる訳を知った。
 やはり、この本を読み返すことになったのだった。
             (写真は、最近の多摩の夕景)
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