あれは何年前だっただろうか。
佐賀の実家に帰っていたとき、千代田町の高志神社というところで狂言をやるという情報記事がたまたま目に入った。佐賀でもあまり有名ではない。
行ってみようと思いたち地図を見て調べてみると、高志神社は佐賀市から東に向かった福岡県寄りの、交通の不便なところだった。しかも、狂言は午前中に行われるのだった。
佐賀駅前のバス停から、めったに来ない千代田町(現在は神埼市に合併)方面のバスに乗り、神社の最寄りのバス停で降りた。もとより乗った人も少なく、そのバス停で降りた人も僕一人だった。
周りを見渡すと田畑ばかりで、遠くに家がちらほらと見えた。地図を片手に、神社の方に歩いた。秋だというのに強い日差しで、歩いているうちに汗ばんできた。
田畑の中を神社の方に向かって歩いていくと、いくつかの家屋があり、その中の1軒が廃屋だろうか、とても古い家だった。その道の先に横切る道があって十字路の先に鳥居があり、その先に神社があった。
神社の境内には、人がばらばらと集まっていた。神社の中にある舞台は古くからあるもので、すでに設えてあった。観光客らしい人はいなくて、ほとんどが地元の人らしかった。
この千代田町高志地区の狂言は、200年以上伝承されているとのことだった。それも、現在では姿を消した鷺流狂言の流れをくむ、貴重なものだということだった。
その「高志狂言」が行われた。入場料などは取らない。神社の奉納なのだ。この地区に言い伝えられた伝承によって、地区の人たちが受け継ぎ、演じるのだ。
演題は2つ行われ、その一つが題名は忘れたが次のような内容だった。
主人がある日、家を留守にするので、この箱の中のものは毒だから食べてはいけないと、家に残る召使の2人に言い残して出ていく。2人は好奇心いっぱいで、箱の中をおそるおそる開いてみる。取り出してみると、それは毒ではなく甘い菓子(饅頭)だった。2人は思わず、それを口にし、ついつい全部食べてしまう。食べ終わった後、はたと言い訳を考え、実行するのだった。
*
ここ何年か9月の満月の夜、多摩市のパルテノン多摩の奥の多摩中央公園で、能が行われてきた。公園の水の上に舞台を作って行われるので、「水上能」と謳った。
今年は、一三夜に、狂言のみが行われ、「つきよ(月夜)狂言」と謳った。
出演は、京都大蔵流の茂山千五郎家である。京都で受け継がれてきた名門である。
日中は残暑が続く暑い日であったが、夕方ふらりと出向いてみた。水上の舞台の前に椅子を並べ作られた 観客席は、ほぼ満員である。狂言とあって、子ども連れも多い。月はまだ出ていない。
演目は、「船渡婿(ふなわたしむこ)」の後、「附子(ぶす)」というのが行われた。
附子とは、解説書によると、トリカブトの植物を使って作った毒薬とある。この「附子」の内容が、あの高志狂言で行われたものと同じだった。猛毒だと言われた附子が、実際は箱を開けてみると砂糖だったので、留守番の2人がそれをついつい食べてしまったという話である。
暑い日差しの下、やはり野外で観た高志狂言を思い浮かべた。高志の場合は、周りはのどかな田園で、客も地元の馴染みの人が占めていた。ひっそりと受け継がれてきた村の祭りなのだ。
多摩の水上に設えた舞台の奥の茂った木々から、月が顔を出してきた。そして、あたかも狂言の舞台を照らしているかのように上空に浮かんだ。(写真)
能にしてもそうだが、伝統芸能の舞台は野外に限る。
それにしても、東京の多摩の舞台と、佐賀の片田舎の舞台の違いを思った。
高志神社の高志狂言は、今年も10月12日に行われるという。
佐賀の実家に帰っていたとき、千代田町の高志神社というところで狂言をやるという情報記事がたまたま目に入った。佐賀でもあまり有名ではない。
行ってみようと思いたち地図を見て調べてみると、高志神社は佐賀市から東に向かった福岡県寄りの、交通の不便なところだった。しかも、狂言は午前中に行われるのだった。
佐賀駅前のバス停から、めったに来ない千代田町(現在は神埼市に合併)方面のバスに乗り、神社の最寄りのバス停で降りた。もとより乗った人も少なく、そのバス停で降りた人も僕一人だった。
周りを見渡すと田畑ばかりで、遠くに家がちらほらと見えた。地図を片手に、神社の方に歩いた。秋だというのに強い日差しで、歩いているうちに汗ばんできた。
田畑の中を神社の方に向かって歩いていくと、いくつかの家屋があり、その中の1軒が廃屋だろうか、とても古い家だった。その道の先に横切る道があって十字路の先に鳥居があり、その先に神社があった。
神社の境内には、人がばらばらと集まっていた。神社の中にある舞台は古くからあるもので、すでに設えてあった。観光客らしい人はいなくて、ほとんどが地元の人らしかった。
この千代田町高志地区の狂言は、200年以上伝承されているとのことだった。それも、現在では姿を消した鷺流狂言の流れをくむ、貴重なものだということだった。
その「高志狂言」が行われた。入場料などは取らない。神社の奉納なのだ。この地区に言い伝えられた伝承によって、地区の人たちが受け継ぎ、演じるのだ。
演題は2つ行われ、その一つが題名は忘れたが次のような内容だった。
主人がある日、家を留守にするので、この箱の中のものは毒だから食べてはいけないと、家に残る召使の2人に言い残して出ていく。2人は好奇心いっぱいで、箱の中をおそるおそる開いてみる。取り出してみると、それは毒ではなく甘い菓子(饅頭)だった。2人は思わず、それを口にし、ついつい全部食べてしまう。食べ終わった後、はたと言い訳を考え、実行するのだった。
*
ここ何年か9月の満月の夜、多摩市のパルテノン多摩の奥の多摩中央公園で、能が行われてきた。公園の水の上に舞台を作って行われるので、「水上能」と謳った。
今年は、一三夜に、狂言のみが行われ、「つきよ(月夜)狂言」と謳った。
出演は、京都大蔵流の茂山千五郎家である。京都で受け継がれてきた名門である。
日中は残暑が続く暑い日であったが、夕方ふらりと出向いてみた。水上の舞台の前に椅子を並べ作られた 観客席は、ほぼ満員である。狂言とあって、子ども連れも多い。月はまだ出ていない。
演目は、「船渡婿(ふなわたしむこ)」の後、「附子(ぶす)」というのが行われた。
附子とは、解説書によると、トリカブトの植物を使って作った毒薬とある。この「附子」の内容が、あの高志狂言で行われたものと同じだった。猛毒だと言われた附子が、実際は箱を開けてみると砂糖だったので、留守番の2人がそれをついつい食べてしまったという話である。
暑い日差しの下、やはり野外で観た高志狂言を思い浮かべた。高志の場合は、周りはのどかな田園で、客も地元の馴染みの人が占めていた。ひっそりと受け継がれてきた村の祭りなのだ。
多摩の水上に設えた舞台の奥の茂った木々から、月が顔を出してきた。そして、あたかも狂言の舞台を照らしているかのように上空に浮かんだ。(写真)
能にしてもそうだが、伝統芸能の舞台は野外に限る。
それにしても、東京の多摩の舞台と、佐賀の片田舎の舞台の違いを思った。
高志神社の高志狂言は、今年も10月12日に行われるという。