かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

月夜の狂言

2011-09-21 01:38:52 | 歌/音楽
 あれは何年前だっただろうか。
 佐賀の実家に帰っていたとき、千代田町の高志神社というところで狂言をやるという情報記事がたまたま目に入った。佐賀でもあまり有名ではない。
 行ってみようと思いたち地図を見て調べてみると、高志神社は佐賀市から東に向かった福岡県寄りの、交通の不便なところだった。しかも、狂言は午前中に行われるのだった。
 佐賀駅前のバス停から、めったに来ない千代田町(現在は神埼市に合併)方面のバスに乗り、神社の最寄りのバス停で降りた。もとより乗った人も少なく、そのバス停で降りた人も僕一人だった。
 周りを見渡すと田畑ばかりで、遠くに家がちらほらと見えた。地図を片手に、神社の方に歩いた。秋だというのに強い日差しで、歩いているうちに汗ばんできた。
 田畑の中を神社の方に向かって歩いていくと、いくつかの家屋があり、その中の1軒が廃屋だろうか、とても古い家だった。その道の先に横切る道があって十字路の先に鳥居があり、その先に神社があった。
 神社の境内には、人がばらばらと集まっていた。神社の中にある舞台は古くからあるもので、すでに設えてあった。観光客らしい人はいなくて、ほとんどが地元の人らしかった。
 この千代田町高志地区の狂言は、200年以上伝承されているとのことだった。それも、現在では姿を消した鷺流狂言の流れをくむ、貴重なものだということだった。
 その「高志狂言」が行われた。入場料などは取らない。神社の奉納なのだ。この地区に言い伝えられた伝承によって、地区の人たちが受け継ぎ、演じるのだ。
 演題は2つ行われ、その一つが題名は忘れたが次のような内容だった。
 主人がある日、家を留守にするので、この箱の中のものは毒だから食べてはいけないと、家に残る召使の2人に言い残して出ていく。2人は好奇心いっぱいで、箱の中をおそるおそる開いてみる。取り出してみると、それは毒ではなく甘い菓子(饅頭)だった。2人は思わず、それを口にし、ついつい全部食べてしまう。食べ終わった後、はたと言い訳を考え、実行するのだった。

 *

 ここ何年か9月の満月の夜、多摩市のパルテノン多摩の奥の多摩中央公園で、能が行われてきた。公園の水の上に舞台を作って行われるので、「水上能」と謳った。
 今年は、一三夜に、狂言のみが行われ、「つきよ(月夜)狂言」と謳った。
 出演は、京都大蔵流の茂山千五郎家である。京都で受け継がれてきた名門である。
 日中は残暑が続く暑い日であったが、夕方ふらりと出向いてみた。水上の舞台の前に椅子を並べ作られた 観客席は、ほぼ満員である。狂言とあって、子ども連れも多い。月はまだ出ていない。
 演目は、「船渡婿(ふなわたしむこ)」の後、「附子(ぶす)」というのが行われた。
 附子とは、解説書によると、トリカブトの植物を使って作った毒薬とある。この「附子」の内容が、あの高志狂言で行われたものと同じだった。猛毒だと言われた附子が、実際は箱を開けてみると砂糖だったので、留守番の2人がそれをついつい食べてしまったという話である。
 暑い日差しの下、やはり野外で観た高志狂言を思い浮かべた。高志の場合は、周りはのどかな田園で、客も地元の馴染みの人が占めていた。ひっそりと受け継がれてきた村の祭りなのだ。
 多摩の水上に設えた舞台の奥の茂った木々から、月が顔を出してきた。そして、あたかも狂言の舞台を照らしているかのように上空に浮かんだ。(写真)
 能にしてもそうだが、伝統芸能の舞台は野外に限る。
 それにしても、東京の多摩の舞台と、佐賀の片田舎の舞台の違いを思った。
 高志神社の高志狂言は、今年も10月12日に行われるという。

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無頼派の系譜および、「いねむり先生」

2011-09-10 01:41:22 | 本/小説:日本
 無頼派とは、文学的には戦後の坂口安吾、太宰治、織田作之助、田中英光、檀一雄などを指すことが多い。
 文学の共通した内容はともかく、その意味する文字面からして遊蕩無頼の私生活を想像させ、それを反映した文学者と受けとりたい。
 遊蕩無頼の私生活には、酒と女とギャンブルがあると言っても、言い過ぎではないだろう。もちろん、そのすべてが揃っている場合は文句のつけようがないが、その一つに特化していてもそれが色濃く反映されている場合は、無頼派と呼べる作家もいる。
 しかし、遊んでいるからといって、それだけでは無頼派とは言い難い。どんなに豪快に遊んでいても、きちんと家庭を守っているのでは、無頼ではない。
 無頼に共通するのは、結婚していても家庭を顧みないということだろう。酒、女、ギャンブルなどの理由により家庭が崩壊していて、小市民的な家庭生活から逸脱した生活を送っている。
 そこには、破滅を避けられないという生き方が根底にあると思う。それゆえ、退廃的生活に身をゆだね、反体制に身も思いも流れゆくアウトローな作家が、無頼派としては浮かび上がってくる。
 かつては、そういう作家が多かったが、最近はまともな(実直なという意味で)生活を送っている作家が多いようだ。男性でも女性でも、自分の家の近くに仕事部屋を借り、会社員のように毎日決まった時間に通勤している作家もいる。
 仕事部屋と称してそこに愛人がいるのであれば、また話は別だが。

 僕は、生き方としての無頼派が好きである。その中に、儚さが見てとれるし、さらに退廃が滲んでいる場合が多い。
 この無頼派の系譜に、その後、吉行淳之介、色川武大を加えていいだろう。
 吉行の場合は、紳士で洒落すぎているかもしれない。しかし、酒、女、ギャンブルの三拍子はそろっている。描くのも、家庭にはない危うい男と女の関係だ。
 洒落た遊蕩的無頼派としては、永井荷風が先輩だろう。彼は老いてなおかつ、独り花街に生きた。
 豪放磊落だが研ぎ澄まされた精緻な文章を書いた開高健は、ベトナム戦争に従軍したりアマゾンで釣りをやったり、行動的で、快楽を求め、好き勝手に生きた。しかし、詩人の牧羊子という奥さんがいて、ちゃんと家庭があり退廃の匂いがしないので、無頼派とは言えないかもしれない。
 長い間電通の社員だったが、藤原伊織には、その匂いがした。彼は、会社員の垢を感じさせなかった。
 白川道は、今風にその道の王道を歩いていたように見えたが、大手出版女性編集者と事実婚して、猫など抱いて静かに納まったようだ。「ぼぎちん」はどこへ行ったのか?
 博奕といえば、森巣博はカジノ(正式にはカシノと彼は言っている)でのプロである。無頼派ではないが、ラスベカスあたりで時々遊んで帰ってくる作家とは違い、オーストラリアのカジノを主戦場に生活費を稼いでいた。その手の面白い本もかなり書いているが、今もカジノに通っているのだろうか?
 
 女性では、話題が先行した鈴木いづみや、漫画家の西原理恵子、それにある意味では枠から外れている中村うさぎもそうだろう。
 デビューしたころの山田詠美は、その生き様にも文体にも酩酊させるような刺激に満ち溢れていたが、年齢とともに落ち着いてきたようだ。
 無頼派を通すことは、難しい。

 *

 そして、「いねむり先生」(集英社)の伊集院静。
 「いねむり先生」とは、色川武大である。別の名は阿佐田哲也。
 「麻雀放浪記」の作者にして「雀聖」。
 色川武大に関しては、先のブログ(8月16日)、「色川・阿佐田先生の「うらおもて人生録」」をも覗いてほしい。
 http://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/48164b599cb6289c49477175efe6f163

 「いねむり先生」は、主人公の筆者である伊集院静と、いねむり先生こと色川武大の交流の話だ。
 先生は、かつて博奕のプロだった人だ。麻雀からサイコロ賭博、競輪と何でもやる。
 主人公である伊集院は、先生に誘われ、「旅打ち」と称する地方の競輪場回りをする。先生は、伊集院を弟子のような優しさで見つめる。
 もう自分には文は書けないと思っていた伊集院は、先生の優しさと人間的魅力に惹かれ、旅の共をする。それは、自壊しつつあった自分を蘇生させる源となっているのに、彼は後で気づく。
 話の中に、やはり先生の魅力に惹かれたIという音楽家が出てくる。主人公とIは、先生の魅力を語る。そして、主人公が先生と一緒に旅打ちという地方の旅行に行ったことを聞き、Iは、いいなあ、僕も先生と一緒に旅に行きたいなあと、少し嫉妬まじりの言葉を吐くくだりが面白い。
 このIは、井上揚水と思われる。
 色川武大は、幅広い交遊関係を披露した「ばれてもともと」(文芸春秋)で、「揚水さんがうらやましい」と陽水との交流を書いている。
 この本「いねむり先生」では、突然眠りに襲われるという病気を持っている色川武大の、主人公を見つめる優しさと、不思議な人間的魅力が伝わってくる。
 阿佐田哲也こと色川武大は、特異な作家だった。
 そして、博奕打ちだった。

 
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紳士協定(Gentleman's agreement)

2011-09-07 04:18:24 | 映画:外国映画
 監督:エリア・カザン 脚本:モス・ハート 出演者:グレゴリー・ペック ドロシー・マクガイア ジョン・ガーフィールド 1947年米

 「紳士協定」とは、公式手続きや規約に基づかなくとも、暗黙の了解として行われる約束事項である。紳士だから、いちいちその内容を言わなくてもみんなわかっているよね、といった意味を含めて使われる。
 この映画では、紳士協定とは、大衆に根付いた差別意識を皮肉表現としてタイトルとしている。古くから続く因習や差別は、どこの国でも存在し、自分ではそう思っていなくとも無意識にそれに追従している場合が多い。
 人々の無意識の差別を問いかける。

 アメリカは多民族国家ゆえに自由主義を標榜していても、白人による黒人の差別やユダヤ人への排他的感情がごく最近まで根強くあった。
 この映画「紳士協定」は、アメリカ社会でのユダヤ人への差別・排他感情を、一人の男の行動を通してあぶり出した物語である。
 主人公のグレゴリー・ペックは、アメリカの良心を描いた映画では、この人をおいてないような男優である。「アラバマ物語」(1962年)は、黒人差別を扱った物語で、この映画で彼はアカデミー主演男優賞を受賞している。
 しかし、グレゴリー・ペックといってピンとこない人でも、あのオードリー・ヘプバーンを世界的なスターにした「ローマの休日」の相手役の新聞記者と言えば、すぐ顔を思い浮かべる人も多いだろう。
 ほかに、ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」(共演、エヴァ・ガードナー)やメルヴィルの「白鯨」など、文芸作品も多い。

 *

 妻に先立たれ、幼い息子と母とカリフォルニアに住むライターのフィル・グリーン(グレゴリー・ペック)は、週刊誌の編集長から新連載を依頼され、ニューヨークに引っ越してくる。
 新連載の内容は「反ユダヤ主義」。今までさんざん取り扱われた記事だが、今までにはない斬新な記事を頼まれる。その発案者は、編集長の姪のキャシー(ドロシー・マクガイア)だった。
 フィルとキャシーは、すぐに意気投合して恋仲になる。
 新しい切り口を考え苦悩していたフィル・グリーンは、自分がユダヤ人になりきることを思いつく。次の日、会社の幹部による昼食会で、自分はユダヤ人でグリーンバーグだと名乗ると、噂は瞬く間に広がり、編集部の秘書をはじめ周囲の彼に対する目や反応が一変する。

 ユダヤ人の姓でよく知られるものに、次のようなものがあげられている(「人名の世界地図」)。
 フリードマンFriedman(平和の人)、グリーンバーグGreenberg(緑の山の人)、グリーンフィールドGreenfield(緑の野原の人)、ホフマンHofmann(宮廷人)、ロスRoth(赤)、ロスチャイルドRothchild(赤い盾)、ルービンシュテインRubinstein(紅玉石)など。
 これらの名前であれば、西洋ではすぐにユダヤ人だとわかる。姓にスターン sternやステインsteinをつけることが多いとある。
 ユダヤ人の姓の由来には、このような話もあげてある。
 16世紀以降、姓を持つことを禁じられていたユダヤ人に、ドイツでは話のわかる領主がユダヤ人に姓を売るようになった。それでもすぐにユダヤ人だとわかるように、その名を植物名と金属名に限った。例えば、ローゼンタールRosental(薔薇の谷)、リリエンタールLiliental(百合の谷)、ゴールドシュタインGoldstein(金石)などとある。

 フィルがグリーンバーグと名乗ると、すぐにユダヤ人だとわかるのである。
 たちまち彼に対する周囲の人々の対応が微妙に変わる。子供はいじめにあい、ユダヤ人だと知ったホテルでは体よく理由をつけて宿泊を拒否される。
 フィルは、周囲の無意識に蔓延している差別意識に怒りが込み上げてくる。
 フィルと婚約したキャシーは、食事の席でユダヤ人に対する悪いジョークに腹が立ったが、結局黙っていた。その話を聞いたフィルは、差別には反対といいながら、実際には何もしないそういう態度こそ、善人ぶった偽善者だとキャシーを責め、2人は別れを決意する。

 フィルは、自分の体験をもとに「8週間のユダヤ人」と題した連載を、ついに雑誌に発表開始する。
 本当は、ユダヤ人ではなかったと知った編集部の秘書は驚いた顔で彼を見た。彼は言い放つ。
 「よく見ろ。昨日とどこが変わったか。何を驚いている。好き好んでユダヤ人になるなんてどうかしていると? それこそが差別だ。キリスト教徒の方がいいと思っている。昨日、ある人に言われた“それが現実だ”と。私をよく見ろ。目も鼻もスーツも同じ。触ってみろ、同じ体だ」

 差別は、各々の心の中にある。
 この映画で、差別はその人になりきらないとわからない。自分は差別主義者ではないと言い張っていても、何もしないで黙認しているとそれを助長させているにすぎないと、主張する。
 差別は、どこの国でもある。自分の国に当てはめてみると、よくわかる。心が痛む過去があろう。
 この作品は第2時世界大戦直後の1947年作で、アカデミー作品賞、監督賞、助演賞(セレスト・ホルム)を受賞したが、なぜか当時日本では公開されず、日本公開は40年後の1987年だった。

 雑誌に発表される息子の原稿を読んだフィルの母は、「うんと長生きしたい」と言う。そして、次のように続ける。
 「どんなふうに世界が変わるのか見届けたい。変わるために今苦しんでいるの。将来、“変革の世紀”と呼ばれるかもしれない。アメリカの世紀でも、原子力の世紀でもなく、“万人の世紀“になるかも。世界中の人が仲良く生きられる時代よ。その始まりを見たいわ」
 確かに、20世紀はあらゆる意味で変革の世紀だったかもしれない。しかし、フィルの母のこの言葉に託したエリア・カザンの夢を、新しい21世紀になって人間は実現していると誰が言えるであろうか?

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ギリシャ男の魂、「その男ゾルバ」

2011-09-02 02:54:42 | 映画:外国映画
 ギリシャへは行くつもりはなかったが、20代の時、一人初めての海外への旅にパリへ行った際、アテネに1日寄ったことがある。
 航空チケットを買いに日比谷にあった航空会社(スイス航空)に出向いたとき、係りの人が、どうせ旅費は同じだからと言って、旅の帰りにアテネへ途中寄航するよう手続きしてくれた。
 そういうことで、ジュネーブを経由してアテネに降りたったのだが、空港はなんだか空気も街も乾燥している印象だった。飛行場を出ても、市街に向かうバスがわからず、僕は面倒になって仕方なく街中までタクシーに乗った。
 タクシーの運転手は、野卑な笑いを浮かべながらしきりに僕に話しかけてきたが、ギリシャ語で何を言っているかわからないので、まともな返事はしなかった。窓の外は青空が広がり、空には雲が巻いていて、5月というのに夏のようだった。
 車が走っている間中、音楽がガンガンとなった。ギリシャの音楽は軽快で、南国や中東のそれに共通するものがあり、僕の好みだった。しかし、ヴォリュームを必要以上にあげているので、素敵な音楽だと感じる以上に喧騒感が募るのだった。それでも運転手はお構いなく、音楽に負けないようにか、高い声で話しかけるのをやめなかった。
 うるさいほどの音楽を聴きながら、僕は時折通った六本木にあるギリシャ料理店の「ダブルアックス」を思い浮かべた。この店では毎晩、食事の合間に現地(ギリシャ)人であろう店員が、ギリシャ音楽に合わせてダンスを踊るイベントがあった。
 店では、このダンスが行われる前に、客に白い皿が配られた。ダンスが佳境に入ったころ、掛け合いとともに店員が皿を床に放り投げるのだった。それを合図にか、客も持っていた皿を次々に投げるのだった。そのたびに、皿の割れる音が店内に響いた。
 皿の割れる音が響く中、ダンスは繰り広げられるのだった。

 夜、僕は夕食をとるためにアテネの街をぶらついた。通りから路地と相当歩いた後、1軒のタベルナのガラス窓から、ギリシャの民族弦楽器を奏でているのが目に入った。扉を開けると、ブズーキを含めた4人の演奏者たちが僕の方を見てにっこり笑いながらも、演奏は続けた。彼らは、ロックミュージシャンのような ラフな格好をしていた。
 僕は、あの軽快なギリシャ音楽を耳にしながら、食事と一緒にウゾを頼んだ。

 *

 原作:ニコス・カザンザキス 製作・脚本・監督:マイケル・カコヤニス 出演:アンソニー・クイン アラン・ベイツ イレーネ・パパネ リラ・ケロドヴァ 1964年米=ギリシャ

 映画「その男ゾルバ」は、若いときに観た。
 ギリシャ人のゾルバを演じたアンソニー・クインの印象が強烈だった。ゾルバは、酒と女を愛し、人生の哀歓を表すとき、全身で踊った。映画では、ギリシャの音楽が重なって流れた。
 今度、再び見たときは、若いときに気づかなかったであろう含蓄ある言葉が残った。

 父が持っている廃坑になった炭鉱を再興しようと、ギリシャのクレタ島に向かった若いイギリス人の作家バジル(アラン・ベイツ)は、偶然にその島に行くギリシャ男、ゾルバ(アンソニー・クイン)に会う。ゾルバは中年を超えた初老とも言えたが、人懐っこく、それでいて豪放磊落だった。
 バジルは、あくが強いが憎めない、この人間臭いゾルバを、なりゆきで現場監督に雇い、島で炭鉱採掘に乗り出すことにした。

 島には、黒い服を着た美しい女(イレーネ・パパネ)がいた。美しいけど、険しさがあった。
 その女に対して島の男たちは、遠くから憧れと、その反面排他的な態度をとっていた。その女は、島の言い寄る男たちを無視している、孤高の女のようであった。
 島のあらゆる男たちを無視しているこの女が、バジルには気があることを、2人が初めて会った日に、ゾルバは彼女の眼の表情から見抜いた。
 ゾルバはバジルに、「あの女の家に行ってやれよ、お前が来るのを待っている」と勧める。
 確かに、女はバジルが自分に近づいてくれるのを待っているようであった。しかし、生真面目なバジルは、ゾルバの勧めにも何の行動も起こさなかった。
 ゾルバはバジルに言う。
 「神は今日、天国からあんたに贈り物をくれた」
 尻込みするバジルに、ゾルバは付け加える。
 「神が人に手を与えたのは、掴むためだ」
 「面倒は嫌だ」と言うバジルに、ゾルバは言う。
 「人生は面倒なものだ。死ねばそれもない」

 「女に独り寝させるのは男の恥だ」
 「神は寛大だが、決して許さない罪がある。女が求めているのに男がそれを拒むことだ。……トルコ人の年寄りがそう言っていた」

 ゾルバは、波乱の人生を歩いてきたようだった。戦争に行き、国のためなら何でもやった、相手が敵国人だったからだと語る。人を殺し、村を焼き、女を犯した。本当にバカだったと述懐する。
 「今は、人を見て善人か悪人かしか考えない。国は関係ないんだ」
 「もっと年をとると、善人だろうが悪人だろうが、どっちでもよくなる。最後は皆同じ。蛆虫のエサだ」

 2人は、島で1軒しかない老いた女(リラ・ケロドヴァ)が営むホテルに住みこみ、鉱山の再興を試みる。
 そんな中、やっとバジルと島の孤高の美女は愛を確認したのだが、翌日、村人たちの手によって、女は残酷な死を遂げることになる。彼女を助けることができなかったゾルバとバジルは、悲嘆にくれる。
 「なぜ若者は死ぬ。なぜ人は死ぬんだ?」と言うゾルバに、バジルは「わからない」と答えるだけだった。
 夜、一人でよく本を読んでいるバジルを見ているゾルバは、こう言うのだった。
 「本は、何のためにある。これを教えずに、何を教える」
 「本は……それを答えられない人の苦悩を教えてくれるんだ」
 バジルのこの答えに、ゾルバは吐き捨てるように言う。
 「そんな苦悩、クソ食らえだ」

 2人で進めてきた炭鉱の再興計画は、結局失敗に帰してしまう。それで、2人は島を去ることにする。
 島に来るとき出会った2人だが、また元の人生に2人は戻ることになる。真面目で思慮深いバジルと豪放で女好きなゾルバの2人は、年齢も育った環境も性格も違うが、友情以上のものを感じていた。しかし、男と女ならずとも、誰でも別れの時はやってくる。
 おとなしいバジルだが、俺も踊りたいと言って、2人は海辺で踊り始める。まるで、別れを振り切るように、今ある人生を謳歌するかのように、2人は踊る。
 最後に、ゾルバがバジルに、「これだけは言っておきたい」と言う。
 「あなたには、一つだけ欠けている。それは、愚かさだ。愚かさがないと……」
 「愚かさがないと?」
 「愚かさがないと、人は自由になれない」

 この物語は、ゾルバという一人の男の骨太の人生観を根源として描いたものと言え、アンソニー・クインの存在感はまさにその男、ゾルバそのものであった。
 そのゾルバの若いボスというか相棒となっている、知的な雰囲気を持つイギリス人のアラン・ベイツがいい。彼はロンドンの王立演劇学校出身で、稀しくも、「トム・ジョーンズの華麗な冒険」のアルバート・フィニーや、「アラビアのロレンス」のピーター・オトゥールなど、端正で知的雰囲気を持つ男優がクラスメイトである。
 島の美女であるイレーネ・パパネは、目鼻立ちが整っていて、まるでギリシャ彫刻のようだ。村の男の視線を一身に背負って生きている姿は、イタリア・シチリア島を舞台にした「マレーナ」(2000年、伊)のモニカ・ベルッチを思わせた。
 この映画の方がずっと先の作品なので、「マレーナ」のモニカ・ベルッチは、「その男ゾルバ」のイレーネ・パパネを思わせる、と言わねばならないが。
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