いつか行こう、いつでも行けると思っているうちに年月だけがたっていて、心の片隅に宿っていたところ、「門司港駅」にやっと来たのだった。
門司港駅に着いた翌日の9月21日、朝に門司港を発って長崎に行き、その日は長崎で中学の同級生たちと会い、長崎に宿泊する予定だった。
しかし、台風17号が北九州の長崎、佐賀地域に上陸との予報なので、長崎行きを中止し、この日は佐賀で宿泊することにした。
ということで、夕方まで門司港を散策することにした。台風が近づいているとは思えない穏やかな空模様だ。
*トロッコ列車で九州最北端の駅へ
「門司港駅」から鉄道記念館の方に歩いていたら、すぐのところで、人が並んでいるのに出くわした。その先に、まるで「きかんしゃトーマス」号を思わせるような可愛い列車が停まっているのが見えた。
車掌とおぼしき係りの人に聞くと、ここから列車を運転中とのことで、そこは「九州鉄道記念館」という駅だった。
ここ「九州鉄道記念館」駅から、北へ向かった関門橋の先の「関門海峡めかり」駅まで、片道10分の短い列車の旅だ。
この路線は、かつてのJR貨物線と市保有の鉄道廃線跡を利用して、観光用のトロッコ列車として2009(平成21)年に開業したもので、正式には「北九州銀行レトロライン」、列車の愛称を「潮風号」という。今の時期は土・日・祝日限定の運転で、この日はちょうど土曜日で、運転中だった。
乗車運賃は、片道大人300円、往復だと1日フリー乗車券600円。トロッコ列車といっても、窓なしではなく立派な2両編成の客車だ。
思えば、かつて富山県宇奈月から黒部峡谷トロッコ列車に乗ったときは、まだ10月だというのに予想外の吹雪になり、窓がないので「ここは八甲田山か?」と、震える思いをした。
「九州鉄道記念館」駅を出発した「潮風号」は、左手にレトロな建物の並ぶ街と、その先の関門海峡を見ながら、ゆっくりと進んでいく。「出光美術館」、「ノーフォーク広場」の駅を過ぎると、関門橋が見えてくる。
すると、トンネルに入った。トンネルに入るや車内の明かりは消え、代わりに濃紺色の天井に様々な魚やタコなどの姿が泳ぐイルミネーションが出現する。短い時間だが、その間、幻想的な海底を走っているという演出だ。
トンネルを過ぎると、やがて終点「関門海峡めかり」駅に着く。駅の表示板には「九州最北端の駅」とある。
*関門海峡を歩いて渡る
トロッコ列車「関門海峡めかり」駅の近くの海沿いから、関門海峡沿いに遊歩道が続いていて、関門橋方面に歩いて行くと、「関門トンネル人道入口」に出くわした。
門司と下関間の海底を刳り抜いた国道2号線である「関門国道トンネル」は、車が走る「車道」の他に、人が歩いて渡る「歩行者海底トンネル」ができているのだ。
つまり「関門国道トンネル」は二重構造で、すそ野から約3,500mの長さの「車道」の下に「歩道」があるので、厳密にいえばトンネルは2本あるといえる。この歩道トンネルは、全長780mと短い。
なお「関門鉄道トンネル」も、単線2本である。
人道トンネルへは、入口のある建物からエレベーターで下に降り、そこから海底トンネルを歩くことになる。トンネルは単調な直線で、情緒など期待はしない方がいい。途中、福岡県と山口県の県境が書かれた標識を通る。(写真)
この人道を自転車で通り過ぎた外国人に出会った。自転車も通れるのだ。
下関側には約10分で着く。下関側に着いたら、今度は逆にエレベーターで上へ上ると、地上に出る。
そこは、関門海峡を越えた山口県下関市である。
かつて九州自動車道の高速道路で、九州(門司)から「関門橋」を渡って本州(下関)へ行ったことがあるが、歩いて関門海峡を渡ったのは初めてである。
列車、自動車に加えて、歩いて関門海峡を渡ったことになった。あとは、船と泳いで、か。
関門海峡の下関市側は源平最後の合戦、壇之浦古戦場の前で、沿岸は公園になっている。そこには、海に向かって幕末・長州藩の大砲が並んでいた。
再び、下関から海底トンネルを歩いて門司へ戻った。船でも泳ぎででもなかったのは、残念だったが。
*瞼の特急「さくら」に再会
40分ごとに出ている帰りのトロッコ列車に乗って、門司港中心街に戻った。
門司港のトロッコ列車の駅の先に、旧九州鉄道本社を利用した「九州鉄道記念館」がある。
何本もの線路の横を歩いていく先に、いくつもの列車が陳列品のように停まっている。
鉄道記念館の入り口横に、スフィンクスのように泰然と停まっているのが、9600形蒸気機関車 59634で、1922年川崎造船所製である。何とも優麗な漆黒のSLだ。
奥には、今はなき列車が何両も停まっている。
特急「富士」や「月光」とともに、僕の目に留まったのは、何といっても乗車したことのある東京-長崎・佐世保間を走っていた特急「さくら」である。懐かしい寝台車も繋いである。何十年ぶりの再会に、もう一度乗ってみたい思いにかられた。
いや、「さくら」に乗って東京へ行っていたあの頃に、もう一度帰ってみたいのだ。
「九州鉄道記念館」をあとに、門司港駅の先の船乗り場のある海辺に行き、昨日泊まったプレミアムホテル門司港の横の「はね橋」を渡った。はね橋から、格調高い煉瓦造りの「旧門司税関」の建物が見える。
館内には自由に入れるので、入って上階まで行ってみた。
「旧門司税関」を出たところで、小さな雨が降り出したので、門司港の散策はここまでにして、門司港駅に行った。佐賀に向かうには、ちょうどいい時刻だ。
*「門司港」駅から「博多」駅まで、鹿児島本線の在来線で
夕方、「門司港駅」から、ゆっくりと鹿児島本線の快速電車で「博多」へ行くことにした。
今まで新幹線で素通りしていた、車窓からの街並みと小さな駅を見ておきたかった。
「門司港駅」から「小森江」「門司」を経て「小倉」に着く。新幹線の場合は、「小倉」の次は「博多」で、15分で着くのだが、時刻表を見ると在来線はその間27の駅がある。そして、快速といっても停まる駅の方が多い。
在来線の鹿児島本線は、新幹線の行路とはまったく違う。
地図を見るとよくわかるのだが、在来線は地形にそって曲がりくねりながら走っているのだが、新幹線の行路は、スピードを優先するために直線に近い。だから、新幹線は在来線の南の内陸寄りで、山を突き抜けるトンネルだらけである。
在来線の、初めて聞くような駅は新鮮である。
「西小倉」の次は「九州工大前」である。九州工業大学がここにあるとは知らなかった。この沿線には大学が多いようで、大学の名の駅名が他にもいくつか目についた。「教育大前」「福工大前」「九産大前」などなど。
「戸畑」では、赤い若戸大橋が見えた。若松と戸畑を結ぶ橋で、1962年のできた当時は東洋一の吊り橋といって大きな話題になった。記念切手も発行されたぐらいだ(僕は切手少年でもあった)。
「八幡」の景色は、無機質な工業地帯然とした景色と違って、人が生活している街の息吹が感じられて、何だか心が和みホッとした。
「水巻」駅の名を見るたびに、プロゴルファーの水巻善典のルーツはこの町だろうと思ってしまう。
「赤間」「東郷」は、宗像神社のある宗像市である。世界遺産のある町になった。
「香椎」は、松本清張の小説「点と線」の舞台となったところで、香椎宮のあるところだ。ここまで来たら、もう福岡市だ。
「箱崎」は、筥崎宮のあるところで、かつて移転するまで九州大学があった。この次の「吉塚」の次が「博多」駅だ。
「門司港」から「博多」まで、約1時間半の、あっという間の旅であった。
「博多」から鹿児島本線で「鳥栖」へ。鳥栖から長崎・佐世保線で「佐賀」へ向かった。
佐賀に着いたときは、もう日も暮れていた。
さあ、佐賀で夕食は何を食おうか。
門司港駅に着いた翌日の9月21日、朝に門司港を発って長崎に行き、その日は長崎で中学の同級生たちと会い、長崎に宿泊する予定だった。
しかし、台風17号が北九州の長崎、佐賀地域に上陸との予報なので、長崎行きを中止し、この日は佐賀で宿泊することにした。
ということで、夕方まで門司港を散策することにした。台風が近づいているとは思えない穏やかな空模様だ。
*トロッコ列車で九州最北端の駅へ
「門司港駅」から鉄道記念館の方に歩いていたら、すぐのところで、人が並んでいるのに出くわした。その先に、まるで「きかんしゃトーマス」号を思わせるような可愛い列車が停まっているのが見えた。
車掌とおぼしき係りの人に聞くと、ここから列車を運転中とのことで、そこは「九州鉄道記念館」という駅だった。
ここ「九州鉄道記念館」駅から、北へ向かった関門橋の先の「関門海峡めかり」駅まで、片道10分の短い列車の旅だ。
この路線は、かつてのJR貨物線と市保有の鉄道廃線跡を利用して、観光用のトロッコ列車として2009(平成21)年に開業したもので、正式には「北九州銀行レトロライン」、列車の愛称を「潮風号」という。今の時期は土・日・祝日限定の運転で、この日はちょうど土曜日で、運転中だった。
乗車運賃は、片道大人300円、往復だと1日フリー乗車券600円。トロッコ列車といっても、窓なしではなく立派な2両編成の客車だ。
思えば、かつて富山県宇奈月から黒部峡谷トロッコ列車に乗ったときは、まだ10月だというのに予想外の吹雪になり、窓がないので「ここは八甲田山か?」と、震える思いをした。
「九州鉄道記念館」駅を出発した「潮風号」は、左手にレトロな建物の並ぶ街と、その先の関門海峡を見ながら、ゆっくりと進んでいく。「出光美術館」、「ノーフォーク広場」の駅を過ぎると、関門橋が見えてくる。
すると、トンネルに入った。トンネルに入るや車内の明かりは消え、代わりに濃紺色の天井に様々な魚やタコなどの姿が泳ぐイルミネーションが出現する。短い時間だが、その間、幻想的な海底を走っているという演出だ。
トンネルを過ぎると、やがて終点「関門海峡めかり」駅に着く。駅の表示板には「九州最北端の駅」とある。
*関門海峡を歩いて渡る
トロッコ列車「関門海峡めかり」駅の近くの海沿いから、関門海峡沿いに遊歩道が続いていて、関門橋方面に歩いて行くと、「関門トンネル人道入口」に出くわした。
門司と下関間の海底を刳り抜いた国道2号線である「関門国道トンネル」は、車が走る「車道」の他に、人が歩いて渡る「歩行者海底トンネル」ができているのだ。
つまり「関門国道トンネル」は二重構造で、すそ野から約3,500mの長さの「車道」の下に「歩道」があるので、厳密にいえばトンネルは2本あるといえる。この歩道トンネルは、全長780mと短い。
なお「関門鉄道トンネル」も、単線2本である。
人道トンネルへは、入口のある建物からエレベーターで下に降り、そこから海底トンネルを歩くことになる。トンネルは単調な直線で、情緒など期待はしない方がいい。途中、福岡県と山口県の県境が書かれた標識を通る。(写真)
この人道を自転車で通り過ぎた外国人に出会った。自転車も通れるのだ。
下関側には約10分で着く。下関側に着いたら、今度は逆にエレベーターで上へ上ると、地上に出る。
そこは、関門海峡を越えた山口県下関市である。
かつて九州自動車道の高速道路で、九州(門司)から「関門橋」を渡って本州(下関)へ行ったことがあるが、歩いて関門海峡を渡ったのは初めてである。
列車、自動車に加えて、歩いて関門海峡を渡ったことになった。あとは、船と泳いで、か。
関門海峡の下関市側は源平最後の合戦、壇之浦古戦場の前で、沿岸は公園になっている。そこには、海に向かって幕末・長州藩の大砲が並んでいた。
再び、下関から海底トンネルを歩いて門司へ戻った。船でも泳ぎででもなかったのは、残念だったが。
*瞼の特急「さくら」に再会
40分ごとに出ている帰りのトロッコ列車に乗って、門司港中心街に戻った。
門司港のトロッコ列車の駅の先に、旧九州鉄道本社を利用した「九州鉄道記念館」がある。
何本もの線路の横を歩いていく先に、いくつもの列車が陳列品のように停まっている。
鉄道記念館の入り口横に、スフィンクスのように泰然と停まっているのが、9600形蒸気機関車 59634で、1922年川崎造船所製である。何とも優麗な漆黒のSLだ。
奥には、今はなき列車が何両も停まっている。
特急「富士」や「月光」とともに、僕の目に留まったのは、何といっても乗車したことのある東京-長崎・佐世保間を走っていた特急「さくら」である。懐かしい寝台車も繋いである。何十年ぶりの再会に、もう一度乗ってみたい思いにかられた。
いや、「さくら」に乗って東京へ行っていたあの頃に、もう一度帰ってみたいのだ。
「九州鉄道記念館」をあとに、門司港駅の先の船乗り場のある海辺に行き、昨日泊まったプレミアムホテル門司港の横の「はね橋」を渡った。はね橋から、格調高い煉瓦造りの「旧門司税関」の建物が見える。
館内には自由に入れるので、入って上階まで行ってみた。
「旧門司税関」を出たところで、小さな雨が降り出したので、門司港の散策はここまでにして、門司港駅に行った。佐賀に向かうには、ちょうどいい時刻だ。
*「門司港」駅から「博多」駅まで、鹿児島本線の在来線で
夕方、「門司港駅」から、ゆっくりと鹿児島本線の快速電車で「博多」へ行くことにした。
今まで新幹線で素通りしていた、車窓からの街並みと小さな駅を見ておきたかった。
「門司港駅」から「小森江」「門司」を経て「小倉」に着く。新幹線の場合は、「小倉」の次は「博多」で、15分で着くのだが、時刻表を見ると在来線はその間27の駅がある。そして、快速といっても停まる駅の方が多い。
在来線の鹿児島本線は、新幹線の行路とはまったく違う。
地図を見るとよくわかるのだが、在来線は地形にそって曲がりくねりながら走っているのだが、新幹線の行路は、スピードを優先するために直線に近い。だから、新幹線は在来線の南の内陸寄りで、山を突き抜けるトンネルだらけである。
在来線の、初めて聞くような駅は新鮮である。
「西小倉」の次は「九州工大前」である。九州工業大学がここにあるとは知らなかった。この沿線には大学が多いようで、大学の名の駅名が他にもいくつか目についた。「教育大前」「福工大前」「九産大前」などなど。
「戸畑」では、赤い若戸大橋が見えた。若松と戸畑を結ぶ橋で、1962年のできた当時は東洋一の吊り橋といって大きな話題になった。記念切手も発行されたぐらいだ(僕は切手少年でもあった)。
「八幡」の景色は、無機質な工業地帯然とした景色と違って、人が生活している街の息吹が感じられて、何だか心が和みホッとした。
「水巻」駅の名を見るたびに、プロゴルファーの水巻善典のルーツはこの町だろうと思ってしまう。
「赤間」「東郷」は、宗像神社のある宗像市である。世界遺産のある町になった。
「香椎」は、松本清張の小説「点と線」の舞台となったところで、香椎宮のあるところだ。ここまで来たら、もう福岡市だ。
「箱崎」は、筥崎宮のあるところで、かつて移転するまで九州大学があった。この次の「吉塚」の次が「博多」駅だ。
「門司港」から「博多」まで、約1時間半の、あっという間の旅であった。
「博多」から鹿児島本線で「鳥栖」へ。鳥栖から長崎・佐世保線で「佐賀」へ向かった。
佐賀に着いたときは、もう日も暮れていた。
さあ、佐賀で夕食は何を食おうか。