かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

熱帯の夢を呼び起こす、「カルダババナナ」

2018-02-19 03:55:44 | ワイン/酒/グルメ
 食べもののなかで最も好きなものは?と問われれば、僕は果物、フルーツと答えるだろう。
 果物は何でも好きで、今はリンゴが主だが年中何かしら食べている。

 熱帯を旅していて、聳えているヤシやバナナの木を見ると心が浮き浮きしてくる。
 初めてインドネシアのバリ島へ行ったとき、ハイビスカスの赤い花の虜になったが、サヌールのホテルで目を覚ましベランダへ出ると、テーブルに皿の上に果物が並んで置いてあった。そのなかに、初めて見る、ザクロを小さくしたような紫味を帯びた茶色の丸っこいのがあった。
 ちょっと硬い皮を無理やり剥くと、甘い香りとともに中から柔らかい白い果肉が顔を出した。果肉はミカンのようにいくつかに分かれていて、その1個を取り出して口に放り込んだ。すると、プリンとした感触から甘味と酸味が絶妙に混じった果汁が口のなかを満たした。ライチをさらにコクのある味に、あるいは加工調理されていない野性味を持った粘質上の杏仁豆腐のように感じた。今まで食べたどの果物よりも美味しいと思った。それが、マンゴスチンだった。
 デンパサールの街を歩いていると、通りのところどころで果物を売っている店に出くわし、その果実の彩りと種類の豊富さは僕を浮き浮きさせた。
 インドの熱い街中では、喉が渇けば瓜に似た水分の多い野菜のような果物を齧ったり、タイの田舎ではココナツの汁を啜ったりして、歩きまわった。
 熱帯の果物はどれも美味しかった。そこらじゅうに果物があるだけで、僕は熱帯に浮かされるのだった。果物だけ食べていければとすら思った。熱帯に住んで、毎日バナナやヤシの実を食べていたら飢え死にはしないだろうと夢想した。

 * 栄養の源、果物

 最近はずっと、年に1度の市の無料の健康診断を受けている。
 そこで数年前、血糖値が少し高いですよと診断された。
 僕は、甘いものは嫌いじゃないがそんなに食べていないし、食事には気を配るようになっているので、原因が思いつかない。問診で、看護師に昨日は何を食べましたか、と訊かれたので、思い出して食べたものを並べて言ってみた。
 すると、あなたは果物を食べすぎですよ、と言われた。
 僕は柑橘類が大好きなので、温州(冬)ミカン、夏ミカン、グレープフルーツなどは年中欠かさなかった。大体朝(昼頃だが)起きたら、リンゴかグレープフルーツを1個食べ、夜は季節の果物を何かしら食べていた。
 果物も糖分です。1日の目安はこのくらいです、と看護師は言いながら、各果物の絵写真による小学生にもわかる絵表を渡された。それによると、バナナは1回にとる量は1/2房、1日に1房。リンゴや柿は1回に1/4個ぐらい、1日に 1/2個程度の量だ。
 これでは、食べた気にならない、第一、切って残りを別の日に食べていたら新鮮味がなくなるではないですか、と言ってみたが、相手にされなかった。
 それまで、果物はビタミンが豊富だし、多く食べていいことはあっても体に悪いとは思いもよらなかった。それで、しぶしぶ果物は少し自重することにした。

 しかしである。そのことがあってしばらくして、フルーツ、果物だけを長年(7年以上)食べている人がいるということを知った。熱帯に住んでいる人ではなくて、日本に住んでいるちゃんとした元東大教員である。
 この人は、米やパンはもちろん、水や酒も飲まず、フルーツ、果物以外一切口にしないというのだから、羨ましいというか立派である。果物だけをとって、どう身体が反応するかを自分の身体で実験しているというのである。
 それでどうなったかと言うと、痩せはしたが、血糖値は正常だという。
 そのまま真似ることはできないが(その人もそう言っている)、そもそも僕も果物が血糖値を上げるという説には半信半疑なので、このような人がいるのは心強い。

 * バナナの5角形の謎

 先日、スーパーで青いバナナに目がいった。
 前からちょっぴり気になってはいたが見逃していたもので、普段いつも売っている黄色いバナナと違い、さっき木からもぎ採ったばかりのように青々としていて、野性味あふれるずんぐりと角ばった体形である。
 名は「カルダババナナ」と言い、フィリピン産、調理用と書いてある。
 食べたことがないので、やはり食べてみないといけないと思い買って帰った。
 100グラム38円で、4房で180円程度だから、普段のポピュラーなバナナより少し高い程度である。1房の長さは13~15センチで、重さは105~120グラム程度である。
 バナナにしてはやけに角ばっているなあと思い、さわりながらよく見たら5角形だった。同じ方向に何本(房)も伸びている姿は、まるで柱状節理のようだ。たしか、柱状節理も5角形があったはずだ。
 普段注意してバナナの形状を見ていなかったが、普段のバナナも確かに少し角ばったところがあるが、ほぼ丸と思い込んでいた。すぐに普通のバナナを確認したら、やはり5角形だった。いや~、この年までバナナが5角形とは知らなかった。
 しかし、バナナの実はどうして不安定で奇数の5角形なんだろう。
 とはいっても、考えてみると自然界に5角形がないではない。ヒトデもそうだ。
 5という数字は素数で、何とも不安定な気がするが、花の花弁には3枚、5枚など奇数が多くみられる。梅、桃、桜などの花木(かぼく)のほとんどが5枚である。

 ではバナナはなぜ5角形かを調べてみたが、植物学に疎いので難しい。
 バナナはバショウ科なので、1枚ずつ大きく葉が伸びる単子葉である。この単子葉類には3枚の花弁を持つものが多い。これらの花の構造は3を基数とし、花の外側から外花被片(萼(がく)片)3、内花被片(花弁)3、おしべは内外3本ずつで計6本、めしべは1本である。
 バナナを切って断面を見ると、子房は3室になっている。で、本来ならば6角形であろうところが、バナナは内花被片が1枚欠けていて、つまり退化して5角形になったようなのである。

 * やはりカルダババナナは生で 

 さて翌日、朝食(昼食でもあるのだが)のサラダにと、主役のカルダババナナを食べるために、まずは皮をむいた。
 これが固いのである。爪をたてないと皮がはがれない。皮と果肉が執拗にくっついているのだ。皮と肉を分けられるのを嫌がっているようだ。仕方がないので、皮と果肉がくっついたまま先から下へ裂くことにした。(写真)
 すると、指がべとついた。バナナから出た粘液で、まるでガムかゴムのような粘りが付いたのである。獰猛な熱帯の感触が息づいている。
 やはり、野性味たっぷりのバナナだ。
 何とか皮をむいて、輪切りにして野菜サラダに混ぜた。果物を煮たり焼いたりして食べるのは本意ではない。このカルダババナナは青いときは生では美味しくないと言われているが、熱帯の果実である。美味しくないはずがない。
 さあと、口に入れて食べてみた。すると、やはりいくら果物好きの僕でも、美味しいとは言えない味である。いや、食感はあっても味がないのだ。
 う~ん。愛しているのだけれど、好きだという言葉で出てこない、という気持ちになった。
 甘さを感じるには若すぎたのだ。何事も時期、タイミングというのがある。
 やはり、もう少し日にちを置いて、黄色くなってから食べてみよう。そうすると、きっと思いもよらない美味しい味に変化しているに違いない。

 *

 <追伸>
 あれから数日して、黄色くなったカルダババナナを食べてみた。もちろん、生のままで。
 皮をむかずに、まず真ん中あたりを横に切った。断面は、青いときは皮と果肉がくっついて境界が曖昧であったが、だいぶん果肉との境界もくっきりしてきて形の輪郭がわかる。
 紛れもなくはっきりとした5角形だ。これは、やはり植物の柱状節理だ。
 皮も、抵抗されることなくすんなりむける。
 味はといえば、甘みが格段に増して、もう別人になっていた。コクのあるモンキーバナナを大きくした感じである。
 青いカルダババナナは、成長・変身・熟成する。いつしか青い生娘から、すっかり黄色い熟女になっていた。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミシュランの☆佐賀探索② 佐賀伝統の料亭、☆☆楊柳亭

2014-10-17 01:18:12 | ワイン/酒/グルメ
 先月のことだ。9月22日の夜、「ミュシュランガイド福岡・佐賀2014」を小脇に抱え、私は佐賀駅を降りた。
 ミシュランの星を獲得したのは佐賀県内で12店で、3つ星はなく、2つ星は3店である。
 佐賀市内での2つ星は、日本料理の楊柳亭のみである。これは、ぜひ行かねばならないと思い、先日予約しておいたのだ。

 佐賀市は平坦で分かりやすい街である。
J R佐賀駅を挟んで南北に中央の大通りが走っている。北へ行くと里山に出て山あいにたどり着くが、南はどこまでも平坦で、最後は有明海に行きつくことになる。ということは、かつて佐賀市の南は浅海で、干拓で平地を広げたのである。
 そういう意味ではオランダのアムステルダムのようで、佐賀市ももっと自転車文化を発達させた方がいいと思うのだが、自転車で市内観光している姿はほとんど見かけない。
 駅近辺でレンタル自転車を普及させたらいかがだろう。大牟田駅でも、駅内で市が積極的にレンタル自転車をやっていたので、自転車で炭鉱遺跡の跡を走ったことがある。大町町でも、利用者を見たことがないがレンタル自転車をやっている。しかしここは、狭量にも走る範囲は町内限定というから利用も難しい。

 佐賀駅を降りて、南にまっすぐ延びた中央通りを進むと、この通りの左右が、特に左(東)側が佐賀市の繁華街である。町名も唐人町、呉服元町など風情のある町が集まっている。
 その中央通りを歩いて20分、ゆっくり歩いても30分もかからずに国道207号線にぶつかり、その国道に並行した濠に架かる橋を渡ると、ゆったりとした景色に変わる。すると、やがて佐賀城が見えてくる。この辺りは美術館や図書館も散在していて、市内の文化的憩いの地域でもある。
 この中央通りの国道の手前の東側に佐嘉神社と松原神社がある。松原神社の東側の鳥居からさらに東の脇道を入ると、そこに前庭を有した古い屋敷がある。そこが、料亭、楊柳亭である。
 今までも佐賀をぶらぶらと散策している時、何度かその前を通ったことがある。風格のある屋敷なので、たちどもることになる。道から屋敷を見るだけである種の雰囲気が伝わってくるから、どうしても一人では入りづらい。ある時は、玄関口で、店の案内書をもらって帰ってきたこともある。
 こういうところは、女性と来るものである。
 (前ブログ「ミシュランの☆佐賀探索①」に楊柳亭玄関前写真有)

 *

 庭先から玄関まで歩いている間に、そこかしこに潜んでいた歴史がそっと忍び込んでくるようだ。
 玄関を入ると、書が掲げてある。明治の政治家で参議、外務卿を務めた佐賀藩出身の副島種臣の書である。副島は書家としても名を成している。さらに奥には、明治の三筆の1人である中林梧竹の書がある。
 この料亭は明治15年創業とあるので、ゆうに百年を超えた年月を刻んでいることになる。
 この辺りに枝垂れ柳が多かったことに由来して、楊柳亭と名付けたのが初代の佐賀県知事鎌田景弼というから、昔から格式のある料亭で、政治家や経済人が利用していたのであろう。副島種臣が来ていたということは、大隈重信あたりも来ていたのかもしれない。
 戦後の昭和24年の昭和天皇の全国行幸の際は、この楊柳亭で宿泊されたというから、県内随一の格式と認められていたのである。
 ミシュランの星は、おそらくこの佐賀県随一ともいえる格式を有する料亭を蔑ろにすることができなかったのであろう。

 玄関を入って、奥の階段を上がった2階の座敷の部屋に中居さんが案内してくれた。
 畳の古いたたずまい。二人には、ゆったりと広すぎるぐらいの部屋だ。一人だと、空間と雰囲気をもてあましそうだ。
 まず、烏賊の麹漬けイクラ添え、先付(前菜)として南京豆腐、鰹・鯛・かますの造りが、出てくる。(写真)
 これを摘みにビールを飲む。
 頃合いを見計らって、中居さんが椀や鉢を運んでくる。
 蓮根饅頭の芋田楽・おくら添え、豚白菜巻き茸ソース掛け、鰯湯葉揚げ、津蟹汁、そして焼き締め鯖。
 それほどゆっくり食べているわけではないが、時間はゆっくりと流れていく。
 これらを食べ終わったころ、そろそろ締めとなる主食とでもいおうか、飯物として釜揚げうどん(もしくはそば)が出る段取りである。
 デザート(水物)として、りんごムースジュレ(ゼリー)掛け。

 佐賀の夜は、ゆったりと更けていった。ここでは、つかのま現実を忘れてしまう。こうした浮世離れした一夜も、経験としていいものであろう。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミシュランの☆佐賀探索① 「ミシュランガイド福岡・佐賀版」

2014-10-14 01:12:16 | ワイン/酒/グルメ
 日本でというより、アジアで初の「ミシュランガイド」の東京版が発行されたのは、2007年の12月だった。もう7年も前のことだ。
 私はすぐに近くの書店に行った。多摩市でも、どこの書店でも店頭に積んでいたが、その日のうちに完売だった。当時はちょっとしたニュースだった。
 当初東京版の発表を聞いたとき、意外な星の多さに驚いた。東京版は、何と三つ星は8軒、二つ星が25軒、一つ星が117軒であった。星付き店が150軒、星の数191個というのは世界最多であった。
本場パリですら三つ星は10軒である。そして、二つ星が13軒、一つ星が42軒で、星付き店、星の数は東京の半分以下である(2009年時)。
 しかも、予想に反して和食や鮨店が数多く含まれていた。あのグルメで気位の高いフランス人が、東洋の街に星を乱発したのは、日本食に新鮮な感覚と好奇心を持ち始めたからだろうと推測した。

 もともと、魚を生で食べる習慣のない西洋人にとって、刺身は生の魚を切って並べてあるだけだし、鮨は切った魚を米(飯)にのせるだけの、料理とはいえない野蛮な食習慣だと心の奥では思っていたであろう。
 実際、幕末の欧米使節団がロンドンに着いた時のことである。使節団の一行が日本食が恋しくなって、生魚を手に入れて切り刻んで、日本から持って来ていた醤油で刺身にして、しばしば食べていた。それを記者に目撃され、日本人は生魚を常食していると当地の新聞に書かれている。
 ところが近年、どうも生で食べても安全のようだし、意外と美味いじゃないか、と西洋人も思い始めたのだ。一部の日本びいきの人から始まって、やがて健康志向の意識と相まって和食は徐々に西洋人にも広まった。
 「ミシュランガイド」の東京版発売は、稀な西洋人の間で、食のジャポニズムが進んだ結果だと思う。油絵の西洋の世界に、版画の浮世絵が入ったときに新鮮だったように、いち早く鮨や刺身を食した西洋人は、少し変人と思われつつ粋人を気取っていたに違いない。
 美味という観点では、和食に対する価値基準が確立できていないまま、「ミシュランガイド」日本版刊行は決行され、日本人の食通(と思われている人)の意見を参考にして星を付けたのだろうと推測する。

 「ミシュラン、星☆の謎」――ブログ2007.11.23
 http://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/48a4d5731bda9c8eaae38e3c5cd2eea5

 *

 今年(2014)年7月10日、東京、関西、北海道、広島に続き5地域目となる「ミシュランガイド福岡・佐賀2014特別版」が発売された。
 その日、多摩市の丸善、啓文堂の大型書店に行ったが、そのどちらも入荷されていなかった。やむをえず注文することになった。

 ガイドには489(うち佐賀県は121)の飲食店、旅館、ホテルが掲載され、星を獲得したのはこのうち57店(福岡45店、佐賀12店)だった。
 最高ランクの三つ星を獲得した店は福岡県内の2店だけである。
 ☆☆☆ すし、「行天」(福岡市中央区)。日本料理、「嵯峨野」(同市博多区)。

 二つ星は両県で12店で、佐賀県内からは3店である。
 ☆☆ ◇佐賀県 日本料理、「飴源」(唐津市)、同「楊柳亭」(佐賀市)。すし、「鮨処つく田」(唐津市)。
 ◇福岡県 ふぐ料理、「油山山荘(旅館)」(福岡市城南区)、同「い津み」(同市博多区)。日本料理、「ゑびす堂」(同)。すし、「鮨 安吉」(同)、同「近松」(同市中央区)。天ぷら、「天孝」(同)。日本料理、「とき宗」(同)、同「中伴」(同)。すし、「二鶴」(北九州市小倉北区)。

 一つ星は43店で、佐賀県内からは9店である。市町名記載なしは佐賀市。
 ☆ 日本料理、「酒菜志波」、同「八百和」(有田町)。すし、「銀すし」(唐津市)、同「鮨多門」。天ぷら、「みねまつ」。鉄板焼、「季楽本店」。中華料理、「Jotaki」。ヨーロピアン、「ワイズキッチン」(唐津市)。ステーキハウス「キャラバン」(同)。

 佐賀県で星を獲得した店の12店のうち、行ったことのある店は1店だけである。
 東京のミシュラン星の店に積極的に行きたいという気になれないのは、値段もさることながら、星を獲得して店の敷居が高くなったのと、星が目的だとわれながらスノッブだなあと思うことである。世界遺産巡りのツアー客のようで、何とも積極的になれない。それに東京には、それに比肩する無印の美味しい店がいっぱいあるからである。
 しかし佐賀はそんなに敷居は高くないし、ミシュランの星を獲得したからといってお高くとまっているとは思えない。もっと気楽に行けそうだ。
 ミシュランの星を楽しむという、佐賀に帰った時の楽しみが増えたようだ。
 (写真は、佐賀市の二つ星店「楊柳亭」玄関前風景)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別れのワイン

2010-02-03 05:07:44 | ワイン/酒/グルメ
 「刑事コロンボ」は、最初アメリカのテレビ・ドラマとして、1967年単独で「殺人処方箋」が放映された。その後、パイロット版として71年「死者の身代金」が放映されたあと、シリーズ化され、69作品作られた。
 日本語版のほか、各国で放映された人気シリーズである。

 「別れのワイン」は、刑事コロンボ・シリーズの第19作目の作品である。原作、W・リンク、R・レビンソン。単行本は二見書房刊。
 原題は、「 Any old port in a storm 」。日本では、「別れのワイン」としたタイトル・メーキングは秀逸だ。
 物語の中で、ワインを通して含蓄ある会話が取り交わされる。ワインを愛する男の誇りと熱情が伝わってくる、名作と言っていい。

 ワインは、ただ飲むものではない。いや、ただ美味しいと飲んでももちろんいいのだけれど、それでとどまるものではない。
 葡萄の種類や生産される土地や風土や年度、さらに製造過程などで、まったく違った味を作り出す。加えて言えば、同じ銘柄・同じ生産年度品でも、保存状態によっても大きく違ってくる。それは、知れば知るほど、それについて知りたくなる、悪女のような魅力があるのだ。
 いや、失礼。これは、僕の浅はかな知識による推測による発言である。
 悪女という表現は適切ではない。若草のような処女もいれば、目も眩む熟女もいる、と言った方がいいかもしれない。いやいや、そんな魅力的な女性ばかりでなく、素っ気ない名も知らぬ女や、素通りするに値する性悪女もあまたいる、と付け加えなければならないのだろう。
 いわゆる、ワインの味の微妙な違いが分かるにしたがって、味の好みが生まれ、それに優劣が感じとることができるようになるということである。つまり、各ワインに、極端に言えば一本一本のボトルに、味の広がりと奥行きの差異を感じとるようになるのだ。
 だから、あるボルドーのワインには、ヒエラルヒーともいえる等級が存在する。ボルドー以外でも、価格の等級は歴然とある。
 それとこの種の酒に限って、自ずと飲み方が問われるような気がする。そのような意味では、ある種のスコッチもそうであろう。
 これらは、それを選択した時点で、暗黙のうちに人間性を問われているような面はゆい思いを抱かせる。
 例えば、知らない店で、特にフランス・レストランで、ワイン・リストの中から知らないワインを、それもあまり高くないのを頼んだりするとき、今日はこんなものでいいよねと、言い訳がましく照れ笑いしながら頼むのも、本当は面白くない。
 高いのを頼めばいいというものでもない。知らない銘柄であれば、それがどの程度のものか知識がないのに高い値段を払うのも癪なのだ。それに、高いのを頼んで、味が大したことなかったら、どんな反応をしたらいいのだろう。
 値段と味が比例するとは限らないのも、ワインなのだ。
 どちらにしろ、値段の高低にかかわらず、胸を張って頼めないところがあるのだ。味と値段がほぼ確定している、あるいはそれほど高低差がないビールや日本酒やほかの酒では、こんな後ろめたい思いで頼むことはない。
 つまり、ワインは、生半可な知識では、生半可な頼みしかできなく、生半可な味わいしか持てない、と言うことなのかもしれない。
 ワインを知るには、キャリアと愛情が必要なのだ。
 それに、最も大事なことだが、人間性が。

 *

 物語の主役、カリフォルニアのワイナリーの経営者、エイドリアン・カシーニは、ワインの製造に純粋に情熱を注ぎ込んでいる、この地では一目置かれる人物である。

 ある日、エイドリアン・カシーニ氏と数人のワイン鑑定の専門家が試飲用サンプルのワインを飲んでいた。
 その中で、エイドリアンに注目は集まっている。彼は、おもむろにワインを少し口にし、呟く。
 「フムム…。育ちのいい酒だ。あと味も愛嬌があって面白い。ちょっとばかり皮を取り去るのに時機を逸した気味があるが」
 そして、もう一口、ほんの少し口にして、ゆっくりと息をして、満足そうに言うのだった。
 「どうやら見当がついた。葡萄の品種は……、スパイスのような独特の風味は、輸入物だな。しかも良産年のものらしい」
 そして、銘柄とヴィンテイジの生産年度を言う。
 ざわめきが起こる。そして、一人がボトルを取り出し確認する。そして、大きく首を振ると、周りは感嘆の声に変わる。
 「まあ、信じられないくらいですわ。その通りだわ。どうして、そんな芸当ができるのですか。ぜひ、その秘密を教えてください」との女性の声がかかる。
 息を呑んだ一同に、彼は厳かに言う。
 「いや、簡単そのものですよ。あなた方が、ワインの芳香に気を奪われていらっしゃるその間に、私は瓶のラベルを見ただけでしてね」
 そして、弾けるように笑う。かつがれたと感じたみんなも、一緒に笑うのだった。
 業界専門家の一人が、隣の同僚にそっと呟く。
 「いや、エイドリアン君のユーモアの感覚てのは実に素晴らしいですな。パーティーの主役をさせても一流でしょう」
 隣の同僚も、微笑を浮かべて小さな声で囁く。
 「その通りです。実に洗練された感覚の持ち主だね。君、見ましたか? 私はずっと注意していたのだが、エイドリアン君は一度だって瓶のラベルなど見ていないんですなあ。つまり、彼は実際に的中させたのです」
 「じゃあ、なぜ?」
 不審そうに訊く同僚に、彼は説明する。
 「あまりに鮮やかすぎる才能は、とかく嫉妬や反感を招くものだ。エイドリアン君は、それが分かっているんです。だって的中したといってもたかが酒の銘柄だと言われりゃあそれまで。気障(きざ)なやつだということで食通としてはともかく、実業家としてはマイナスになりかねない。それより、周囲の人々を楽しませた方がいい。おそらく、彼はそう判断したのでしょう。分かる人は分かる、そう思ってね」

 この領域に達するには、相当高い峰に上らねばならない。
 それを支えるものは、ゆるぎない自信である。それに、人徳。

 *

 オークションの会場に出席したエイドリアン・カシーニは、古いワインの競りに値を付けた。値段はどんどん高騰する。
 隣りに座っている秘書が心配声で言う。
 「カシーニさん、これまでの分だって相当な量になりますわ。1本のワインに大金を投じるというのは、どんなものでしょう。この分だと(このボトルは)3千ドルはいきそうですが」
 それに対して、エイドリアンはこう答える。
 「分かっている。たかが1本のワインにしては高すぎる。買わなきゃならない必然性なんて何もないさ。だがねえ、人生はそう長くはない。芸術はどうか知らんが、人生というやつは、まったく痛ましいぐらい短いんだ」
 そういって、競売人に手を挙げて値を言うのだった。
 結局、エイドリアンは予想を超えて5千ドルで競り落とした。
 秘書は言う。
 「カシーニさん。いったいあのボトル、本当に入り用ですの?」
 エイドリアンは、苦々しい口調で答える。
 「1本5千ドルのワインが入り用な人間なぞ、いるわけがない。私は、他の人間にあのボトルを取られたくないのだ。それだけのことさ」

 このドラマが作られたのが、1973年のことだから、5千ドルの価値がどれくらいのものか。1ドル300円ぐらいの時である。
 そして、まだカリフォルニア・ワインはブレイクしていなくて、やっとアメリカにワインが根つき始めた頃である。カリフォルニア・ワインが、フランスのボルドー・ワインに、ブラインドテイスティング競争で勝ったのは、その3年後の1976年である。それは事件であった。
 入幕したばかりの力士が、横綱を破ったようなものだったからだ。
 そして、その後カリフォルニア・ワインが、いや、新興国のワインがおしなべて、ボルドーを抜いたという話は聞かない。
 今でも、東西の横綱は、ボルドーとブルゴーニュなのである。
 単なる味の追求だけでは測れないのである。それが文化の深度の違い、つまるところワインの奥行きなのだと思うのだが。

 *

 コロンボは、エイドリアン・カシーニが、腹違いの弟を殺害したとして、例の下手に出ながらも執拗に付きまとう。
 「このワイン、きっと気に入ると思いますよ。コロンボ警部」
 カシーニ・ワイナリーに顔を出したコロンボに、エイドリアンは嫌な顔をせずに、グラスにワインをついで差し出す。
 「このワインはですな」
 エイドリアンの説明を遮るように、コロンボは、「私が、当ててみます」と言う。
コロンボはワインのことはまったく知らなかったのだが、この日の前日、専門家に、基本だけでも教えてくれと申し出ている。
 「フウン…、デリケートな育ち、芳香も素晴らしい。コクも上等。あと味も結構で」
 ワインを一口味わい、呑み込んだコロンボの、この言葉を聞いて、エイドリアンの顔は、思わずほころんだ。昨日、カベルネ・ソーヴィニヨンの発音もできなかった男と思えない台詞だったからだ。
 「これは、バーガンディーじゃありませんか? だが、私に分かるのはそこまででして、ピノ・ノワール種かガメェ種だと思うんだが、どちらかまでは判定できませんのです」
 コロンボは、少し小首をかしげて笑いながらエイドリアンの目をのぞき込む。
 「素晴らしい。びっくりしましたよ。ピノ・ノワールです。でも、いったいどうして分かったのですか?」
 驚いたエイドリアンに、コロンボは照れくさそうに説明するのだった。
 「カシーニ・ワイナリーで作っている赤ワインは3種だということは知っていたのです。1つは、カベルネ・ソーヴィニヨンでボルドー・タイプ、あと2つはバーガンディー・タイプということもね。この赤ワインは、昨日ご馳走になったカベルネ・ソーヴィニヨンとは違った味だからバーガンディーに違いない。バーガンディーとなれば、ここで栽培しているのはピノ・ノワールかガメェでしょ。簡単な消去法による推理です」
 エイドリアンは目を丸くしてこう言う。
 「警部、あなたもなかなか隅に置けないお人ですな」

 このドラマの公開当時、僕もコロンボと同じく、カベルネ・ソーヴィニヨンもピノ・ノワールも知らなかった。だから、ワインを一口、口にしただけで、数多くのワインの銘柄の中から、当てる人物を驚嘆の思いで見ていた。
 今では簡単な推理で基本的なワイン(葡萄の種)の種類だが、このときのコロンボの推理も、感嘆したのだった。
 バーガンディーとは、ブルゴーニュのことで、かつてアメリカではこう言っていた。ヴェネティアをベニスというようなものだ。

 *

 最後に、コロンボは策謀を仕掛ける。
 疑ったことを詫びる意味で、コロンボはエイドリアン・カシーニと秘書のカレンを高級フランス・レストランに招待する。レストランでは、「パリの空の下」の曲が流れている。
 そこでコロンボは、特別なワインを注文する。それはポート・ワインの「フェレイラの1945年産」である。
 これが、原題の「old port 」である。port は、ポルトガル・ワインのことである。
 また、port は、港の意味でもある。「any port in a storm」で、「急場しのぎ」という慣用句となる。この、「any port in a storm」が、事件の命取りになったのだった。
 日本題名「別れのワイン」もいいのだが、原題も事件の核心を暗喩していて、なかなか洒落ている。

 *

 事件を感づいた秘書カレンは、12年勤めている勤勉な中年の独身女性である。カレンが、エイドリアン・カシーニのために嘘の証言をコロンボにする。
 そのことをたてに、エイドリアンはカレンに結婚を迫られるのだった。
 人が変わったような彼女の強気な姿勢に、エイドリアンは彼女に哀れんだ表情で言う。
 「強要で愛は得られないよ、カレン」
 「そうかもしれないわね。でも、結婚するのに愛が不可欠なんてことはないでしょ。結婚なんてもろい地盤の上で結構成り立ってるじゃありませんか」
 エイドリアンは何も言う気もなくなって、黙って彼女に背を向けて歩き出す。

 そして、エイドリアンは、自分の「any port in a storm」(急場しのぎ)のせいで、事件の綻びを見て、コロンボに自白する覚悟を決める。
 エイドリアンは、コロンボに言う。
 「実際の話、肩の荷を下ろしたような気分ですよ」
 「はあ」と聞き返すコロンボに、エイドリアンは呟くのだった。
 「いや、実は真相を知ったカレンに結婚を迫られているのですよ。こうなったら、女は強いですな。……刑務所は結婚より自由かもしれませんね」

 エイドリアンを車の助手席に乗せて、警察へ向かう途中、彼のワイン工場の前でコロンボは車を止める。
 「私が幸福だと感じた世界でただ一つの場所でした」
 エイドリアンはしみじみと呟く。
 コロンボは、バックシートから1本のボトルを取り出す。そして、グラスを2個取り出した。
 エイドリアンは、そのボトルを手に取ると、やっと硬い表情を崩すのだった。
 「モンテフィアスコーネですな。素晴らしいデザート・ワインです。別れの宴に相応しい」
 エイドリアンは、グラスについだワインを一口飲んで、コロンボに言った。
 「実によく勉強したものですな」
 コロンボはエイドリアンを見つめながら、言った。
 「ありがとうございます。何よりも嬉しいお褒めの言葉です」
 そう言って、2人は別れのワインのグラスを空けて、コロンボは車を発車させたのだった。

 モンテフィアスコーネはイタリアの白ワインで、正確には「エスト!エスト!!エスト!!!ディ・モンテフィアスコーネ」。「エスト」とは、「ある」という意味のラテン語で、12世紀の酒好きの僧正とその召使いの伝説による銘柄。
 最後にコロンボが「ありがとうございます」とエイドリアンに言う台詞は、「Thank you,sir」と、サーを付けて敬意を表している。ワインを媒体として、コロンボはエイドリアンの人間性を認めていたのだ。
 だから、この物語では、証拠による逮捕ではない。「自白してくれますね」という、異例の終結となっている。
 カシーニ・エイドリアン役のドナルド・プレザンスの、哀愁をおびたワインを愛する男の存在感がいい。
 まだワインに対する知識が行き届いていない時代のドラマ作成で、それにアメリカでできた作品とは思えないほど、ワインに対する愛情が溢れている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ ミシュラン、星☆の謎

2007-11-23 04:10:40 | ワイン/酒/グルメ
<11月19日>
 この日、11月22日発売の「ミシュランガイド」の東京版の内容が発表された。
 ミシュランガイドは、星☆印3つを最高に、以下2つ、1つとレストランを格付けする、仏タイヤメーカーにより1900年に創刊された100年以上の歴史を持つ、世界で最も権威のあるレストランおよびホテル・ガイドの本である。このミシュランガイドに星が付いただけで、その店およびそのシェフは最高の名誉とされている。
 フランス・パリ版を発端に、ヨーロッパ各版およびアメリカ・ニューヨーク版があり、アジアでは東京版が初めてである。

 東京版は、何と三つ星は8軒である。二つ星が25軒、一つ星が117軒。
 最初発表を聞いたとき、意外な星の多さに驚いた。星付き店が150軒、星の数191個というのは世界最多である。しかも、その約6割が日本料理(和食)である。その中には、寿司屋も相当含まれている。
 本場パリですら三つ星は10軒である。そして、二つ星が13軒、一つ星が42軒で、星付き店、星の数は東京の半分以下である。
 それまで、パリの三つ星に次ぐのは、スペイン・ポルトガル版およびドイツ版の6軒。イタリア版は5軒であった。
 ヨーロッパ以外で初めて2005年にニューヨーク版が作られたが、三つ星はわずか3軒で、しかもすべてがフランス人シェフの店である。アメリカの食文化の低さからして、それはそれで納得いく結果ではあるが。

 ミシュランのガイドブックは、広告を載せずに、覆面調査員が密かに訪れ食し調査するという、公平・厳密さを売り物にして人気と権威をつけた。星の格付けはあたかも絶対的で、星がなくなるもしくは減る(降格する)ということで、その店のシェフが自殺するというエピソードもいくつかあるぐらいである。
 こうした歴史的背景を見ても、自分の文化に対してプライドの高いフランスをさしおいて、東京の星の異常とも思える多さはなぜなのだろうと思った。
 想像するに、ミシュランの、和(日本)食に対する認識が欠けていたということである。
 覆面調査員は、本社のフランス人3人に日本人2人ということである。このフランス人が和食に対する免疫がなかったのに違いない。フランスはじめ海外の日本食といえば、寿司、すき焼き、天ぷらで、値段は高いのに、日本人が食べると大した味ではない店ばかりである。
 このような和食しか経験したことのないフランス人が、日本の和食店に来て、初めての和食の味に驚き、はまったのであろう。
 しかし、懐石はまだしも、寿司などは鮮度で殆ど決まるので、料理の格付けは難しいと思うのだが。
 う~ん、星の疑問は残った。

<11月22日>
 この日、ミシュラン東京版が発売された。
 僕は、多摩センターの駅近くのビルの中にある行きつけの本屋K書店に、夕方6時少し前に行ってみた。
 平積みされているコーナーを見渡しても見つからないので、レジのところに行き、「ミシュランはどこにありますか?」と訊いてみた。すると、店員の女性がレジのカウンターを指さして、「そこに、最後の1冊があります」と、にやりと笑って言った。
 僕はそれを買って、「この店は何部仕入れたのですか?」と訊いてみた。すると、店長がやってきて、「20部です。系列の八王子店では100部仕入れて開店2時間で売り切れたそうです」と答えてくれた。そして、「うちの店も、売れると思って100部請求していたのですが、系列店全店に配給された中から、この部数だけしか割り当てられなかったのですよ」と話した。そして、「版元(ミシュラン)は、今、急いで増し刷りの準備をしているんじゃないですか」と笑った。
 その足で、駅の構内にある、少し大きな書店K堂に行ってみた。
 その店も売り切れだった。やはり、売れ行き状況を定員に訊いてみると、「当店は、100部仕入れましたが、夕方5時頃には全部売れました」と言って、コンピューターのデータを見ながら、「K堂の京王沿線30チェーン店で1700部仕入れましたが、この時間ですべての店で完売していますね」と言った。

 東京の郊外の多摩市でこの状況である。
 三つ星の大半を占め、そのグルメ度を確認させた銀座周辺の書店では、相当の数を仕入れ、そしてこの日完売したに違いない。
 
 そして、やっと気づいた。東京版の星の多さを。
 ミシュランのフランス人調査員の和食カルチャーショック論以外に、次のようなことが考えられる。
 * ミシュランが得る利益は、店の広告収入ではないので、純粋に本の販売部数による。まず、本が売れることが何よりである。あまりにも、星が少なすぎたら(厳格すぎたら)、日本人のミシュランに対する期待度が萎んでしまう。
 本が売れることでこそ、権威付けができるというものである。
 * 東京は16万店を超える食堂、レストランがあるといわれ、全世界の料理が食べられるほどバラエティに富んでいる。それに、日本人は勉強熱心である。料理も例外でない。特に最近では、本場で修行する料理人が増えている。であるからして、レストランのレベルは高い。確かに、フレンチはさておき、特にイタリアンなどは本場を超えるほどの味の追求であると思う。
 フランス料理を中心に評価してきたヨーロッパ版と違って、東京は日本食以外に世界各国の料理店があり、それを無視できないうえに、ミシュラン調査員は初年度にして、取捨選択の基準が定まらず(特に和食では)、当落線上の店に星を付けざるを得なかった。
 しかし、イタリアンは思ったほど多く星を得ていない。同じヨーロッパ食に関しては厳格なのである。それにもまして、中華料理店が少ないのと、インド料理をはじめアジアの料理店が皆無なのは解せない。
 * 日本人は格付けが好きである。大学などは、全国大学の学部別に1点差による偏差値格付けが横行している。テレビのバラエティ番組では、女性の格付けすら行っていた。
 
 ミシュラン東京版は、日本料理(和食)に重心を置いた日本人好みの特殊な本となった。
 この結果、ミシュラン東京版は、(おそらく)予想以上の売れ行きを見ることになるのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする