かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

夏の盛りの、空と雲

2010-07-26 02:28:19 | 気まぐれな日々
  空に真っ赤な雲の色
  玻璃に真っ赤な酒の色
  何でこの身が悲しかろ
  空に真っ赤な雲の色
          (北原白秋)

 最近は、東京も猛暑日が続く。
 この日、7月25日も日中はうだるように暑く、空は青空だった。ところが、夕方6時過ぎぐらいから少し雲が出てきて、雨は降っていないのに遠く雷鳴がした。そして、7時頃には、西の方は、雲間に少し赤い空が映しだされた。

 ここ最近の空、それも夕暮れ時の空から目が離せない。
 青空に、綿菓子のような白い雲、さらに雨(水)を含んだ黒い雲がさ迷い込んでくる。夜ともいえる7時になっても空はまだ明るさを保っていて、時に青空が赤みを帯びる。その茜の空は、西の空の夕焼けだけでない、広範囲な空に及ぶ。

 去る7月23日の7時頃、東京の多摩の南の空も赤く色づいた。赤く染まった空に、浮かんだ丸く白い日。それは夕暮れを思わせた。
 しかし、赤い空に浮かんでいるのは日(太陽)ではなく、月だった。月はまだ真ん丸の満月ではなく(月齢11.3)、色も白く、太陽が色褪せているように見えた。(写真)
 太陽を探したが、雲の中にいるのか既に地平線の下へ潜ったあとなのか見つからなかった。もし、太陽が出ていたら、空に日が2つあるように思えたかもしれない。
 そう思っていると、ふと、夜に月が2つ出る世界を描いた村上春樹の「1Q84」を思いだした。考えてみると、村上春樹の世界も、あながち突拍子な世界とは言えないかもしれない。
 おや、おや、である。

 空に、いつしか雲が流れる。雲は、行方を知らない旅人のようだ。雲は天才だと言った詩人がいた。
 夕暮れ時、空の色が絵の具を流したように染まる。空は、まるで見知らぬキャンパスだ。
 暑い最中に、僅かに風がそよぐ。風も季節に紛れ込んでいく。
 季節は夏の盛りだ。これも、いつまで続くのだろう。

  空を越えて、雲は行き、
  野を越えて、風はよぎる。
  野を越えてさすろうのは、
  私の母の迷える子。
          (ヘルマン・ヘッセ)

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◇ 告白

2010-07-22 00:58:54 | 映画:日本映画
 湊かなえ原作、中島哲也監督・脚本 松たか子、木村佳乃、岡田将生 2010年

 告白とは、秘密の開示である。
 告白するということは、それによってする方とされる方の関係が変わることを前提にしている。何の意味もない、何の効力もない告白は、告白とは言えないだろう。それは、呟きとも独り言ともとられかねない、単なる吐露である。
 だから、威力ある告白は、緊迫した中で、表面は静かに行われる。

 中学校の教室における、ホームルームでの担任の女教師の話で、「告白」は始まる。
生徒は、ひそひそと話していたり、メールを打っていたり、自分の席を離れて動き回っている者もいる。教師の話を半分も生徒たちは聞いてはいない。教師の話に、時々生徒が茶々を入れる。
 これが学校の教室かと愕然とする。学級崩壊などの話を聞くが、これでは教師もたまったものではない。映画だから極端に描いたと言えるのだろうか。これに似た光景が、実際にどこかの教室で行われているのかもしれない。
 先日の新聞報道によると、教師の途中退職する数が年間1万2千人と発表されていた。退職率は1.5%である。関西や首都圏の都市部ほど、退職率が高い。

 ざわめく教室の中で、「告白」の教師は、静かに!と怒鳴ることもなく、話を続ける。
 その騒がしい教室が、静まりかえったのは、教師の次のような言葉を発したときである。
 「私の娘は、皆さん知ってのように死にました。プールでの事故死となっていますが、本当は殺されたのです。その犯人が、この教室にいます」
 教師は犯人の実名は言わないが、すぐにその生徒は状況推定により特定される。
 「私は、その生徒に私自身の手で罰を与えました」
 こうして、悲劇の第2幕は切り落とされる。
 第1幕は、既に行われた教師の娘の死、生徒による少女殺人であった。

 原作は、湊かなえの小説である。
 この本に対する文は、「告白」(6月15日、ブログ)で読んでほしい。

 映画は、原作に忠実に、淡々と、ときにはダイナミックな映像で展開されていく。
 主人公の生徒たちは、普通の生徒をオーディションの中から選んだという。
 娘を殺された女教師に松たか子が扮し、表情を変えることなく復讐する女を淡々と演じている。
 犯人の生徒の母親役の木村佳乃も、エキセントリックな女を演じて新境地を見せた。

 原作では、現在の少年法によって、少年の犯罪が過剰に保護されていると訴えていた。映画では、少年の母親への愛情憧憬とコンプレックスの方が前面に出ていたように感じたが、それが事件の鍵となっている。
 とはいえ、原作と同様、現在の日本映画で秀でた作品であることは疑いない。
 見終わった後、モノクロ映画ではなかったかと思わせた。それほど、女教師の精神が、復讐という1点に集約された、いわゆるモノトーンの映画であった。
 
 映画館を出たら、そこは渋谷の雑踏だった。
 俗称スペイン坂からセンター街を経て、道玄坂に向かった。若者サブカルチャーの最も象徴的な、若者がたむろする街を歩きながら、日本の学校の現状の一部(暗部)を覗いたようで、心の底に暗い澱が残っているのを感じた。
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◇ アパートの鍵貸します

2010-07-17 01:38:48 | 映画:外国映画
 ビリー・ワイルダー製作・監督・脚本、I・A・L・ダイアモンド製作・脚本、ジャック・レモン、シャーリー・マクレーン、フレッド・マクマレイ 1960年米

 大会社の平凡なサラリーマン。
 特別才能もない男が、出世するにはどうすればいいか? 上司に取り入られるのが最も速い近道である。
 都心にアパートを借りているという地の利を活かして、夜、上司にラブホテル代わりに部屋を貸すということで、彼は出世の切符を掴む。
 その平凡なサラリーマンが好意を寄せているのが、同じ会社のエレベーターガール。
 そのエレベーターガールが、こともあろうか上司の愛人で、貸した自分のアパートが2人の情事の部屋になろうとは。
 しかも、彼の部屋で彼女が自殺未遂を計ってしまう。

 物語の舞台は、都心のアパート。日本でいえば、賃貸マンションである。
 映画の原題は「The Apartment」、「アパートメント」と素っ気ない。それを、日本では内容に即して「アパートの鍵貸します」と変えた。これで、何やらいかがわしい想像をはたらかせる題名に変容した。
 自分のアパートの部屋を、複数の上司に日替わりで貸してあげているので、アパートの住人からは女たらしと思われてしまう。大屋のおばさんには毎晩煩いと小言を言われるし、同じ階の中年の医師からは毎晩違う女性を連れ込んでいると思われているので、異常なまでの性豪と思われ、死んだら身体を献体させてくれと頼まれたりする。

 アメリカのアパートは、自由だ。だから、様々な物語の舞台になる。
 1階上の部屋にふらりとやってきた美女、マリリン・モンローに一目惚れした男は、家族が避暑のバカンスに出かけるのをいいことに、彼女を部屋に誘い(冷房が効いてるよと)、浮気の妄想を働かせる「7年目の浮気」。
 自由気ままな生活をしている女、オードリー・ヘプバーンの住む同じアパートに、これも気ままな若い作家が引っ越してきて、何となく仲よくなる「ティファニーで朝食を」。

 「アパートの鍵貸します」で主演しているのは、哀感のある平凡な男を演ずれば右に出る者がいない演技派、ジャック・レモン。
 ブロードウェイの舞台を経て、映画俳優に。「お熱いのがお好き」(1959年)ではマリリン・モンローを相手にコメディーを演じて一躍人気俳優になった。シャーリー・マクレーンとは「あなただけ今晩は」(1963年)で、再共演している。また、「おかしな二人」(1968,1998年)では、ウォルター・マッソーと絶妙な爆笑コンビを見せた。
 相手役のシャーリー・マクレーンは、味のある女優である。
 数々の映画に出演し、「愛と追憶の日々」(1983年)ではアカデミー主演女優賞を受賞している。
 しかし、彼女について最も彼女を印象づけ、決定づけたのは、映画ではなく「アウト・オン・ア・リム」(1983年)という、彼女が書いた本である。これは、彼女の体験をもとに、神秘な世界、今でいうスピリチュアルな世界を描いたものである。
 発売当時は、そのような風潮もあって日本でも話題になったが、不思議な精神世界の内容であった。

 「アパートの鍵貸します」は、この年のアカデミー賞を総なめにし、シャーリー・マクレーンは、この映画で、ヴェネチア映画祭で、主演女優賞を得た。
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◇ 月蒼くして

2010-07-14 02:13:38 | 映画:外国映画
 オットー・プレミンジャー監督 F・ヒュー・ハーバート脚本 ウィリアム・ホールデン、デヴィッド・ニーヴン、マギー・マクナマラ、ドーン・アダムス 1953年米


 分別も金もある中年男、加えて遊び人のプレイボーイが、若くて美しい、それも純朴な女性にふと手を出す。ところが、今までのようにはすんなりといかず、こんなはずではないと戸惑い、迷い、やがて我を忘れ、かえって女のペースにはまってしまうということがある。
 次第に男の遊び心が純愛に変化するという、映画によく描かれる物語である。

 当時最も高いビルであったニューヨークのエンパイア・ステートビルの展望台で男が女に話しかけ、女がそれに応える。よくあるガール・ハントの風景である。
 男(ウィリアム・ホールデン)は世間ずれしたビジネスマン風。女(マギー・マクナマラ)は世間知らずのお嬢様風。男はショッピングをしていた女を見ていて興味を持ち、最初から誘うつもりで女のあとをついてきたのだ。
 声をかけると、会話は少しちぐはぐだが、弾む。女からは、男の思いもよらない返事が戻ってくる。女の話を聞いていると、純朴なのかすれっからしなのか分からない。キスだって、簡単にできる。
 男は、食事に誘い、すんなり承諾を得る。
 ところが、男の上着のボタンが取れてしまう。それを女が自分が持っていた針と糸で付けてやろうとするが、男の企みで針が失(な)くなる。それで、男のアパートに行ってボタン付けをすることになり、2人はタクシーで男のアパートに行く。男のアパートは台所も整った洒落た部屋造りだ。
 男には婚約者の女性(ドーン・アダムス)がいたのだが、昨晩別れたばかりだという。アパートのエレベーターで擦れ違った女性がその女で、このアパートの上の階に住んでいた。
 アパートに着いた2人だが、外は土砂降りの雨なので、女が料理を作るから、この部屋で食事をしようということになる。男は願ってもないチャンスの到来とばかり、それではと勇んで食材を買いに出る。
 男が買い物に出かけたところに、同じビルのアパートに住んでいる男の友人(デヴィッド・ニーヴン)が部屋にやってくる。その第2の男は、男の別れた女性の父親であり、やはりどうやら遊び人である。
 その第2の男も、女と話しているうちに、若い女性の純朴だが不思議な魅力に惹かれ、彼女に求婚までしてしまう。
 つまり、男(ウィリアム・ホールデン)には、別れた女性と新しく知りあった女性との三角関係が、女性(マギー・マクナマラ)には、知りあった男と、その友人の男との三角関係が、できあがってしまう。
 それで、物語の最初の愛の出合いは、複雑な展開になって壊れるかと思わせる。ところが、最後は、やはりうまくゆくという……アメリカ映画によくある話である。

 「月蒼くして」(The moon is blue)は、ヒット舞台の映画化で、映画では、誘惑や処女やセックスという言葉が、あけすけに出てくるというので、1950年代の映画公開当時は話題になったようだ。それにマギー・マクナマラが発した「職業的処女」(professional virgin)という言葉が流行した。
 しかし、今はどうという会話ではない。
 主演女優のマギー・マクナマラは、エリザベス・テイラーと、「恋愛専科」のスザンヌ・プレシェットから華(はな)を取り除いたような女性だ。
 この年のアカデミー主演女優賞にノミネートされたが、賞は「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーンに持っていかれた。世間知らずのお嬢様を演じた似たような役柄であるが、映画の質的にも違いは明確だ。
 今日、映画史を紐解いても、マギー・マクナマラはすっかり忘れられた名前となった。

 若い女性をオードリー・ヘプバーンに、中年の遊び人をゲーリー・クーパーにすれば「昼下がりの情事」である。
 やはり可愛い女性であるオードリー・ヘプバーンが主演で、彼女に好意を寄せる男たちにウィリアム・ホールデンとハンフリー・ボガードとくれば、「麗しのサブリナ」である。
 純なコケティッシュな女にマリリン・モンロー、つかみどころのない彼女に戸惑う中年の遊び人にイヴ・モンタンを持ってくれば、「恋をしましょう」となる。

 遊び心と純愛(のようなもの)、アメリカ映画が好む典型的なラブストーリーである。

 映画の中でデヴィッド・ニーヴンが呟く、きらりとした味のある台詞があった。
 「中年の遊び人が若い娘を惑わすというか、遊び人だけが純真さをめでる才能があるんだ」
 遊び心における、教養ある中年男の自家薬籠的論理というか、下心の衒学的な言い訳とでもいおうか。
 なるほどと納得すれば、そこには陥穽(落とし穴)が待っている。
 
 

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□ 私の途中下車人生

2010-07-09 03:20:21 | 本/小説:日本
 宮脇俊三著 講談社

 鉄道ファン、鉄道マニアのことを鉄ちゃんと愛称でいうが、この鉄ちゃんにもいろいろあって、列車の車両、鉄道撮影、時刻表、駅などに対しての、のめり込み具合や力のいれ具合で分類が別れるそうだ。最近は、録音・音響マニアもいる。
 僕も列車が好きだが、いうところの鉄道ファンではない。近年は年に数回東京と九州の佐賀を往復しているが、飛行機は使わず総て列車である。値段は飛行機よりも高くつく。だから、どうしてJRは、飛行機(航空会社)のように季節による割引やマイレージ制度を運用しないのかと言いたいぐらいだ。
 九州以外でも国内旅行は、概ね列車である。海外でも、その地へ行くのは仕方なく飛行機を使うが、目的地に着いたら、そこからはバスも使うが、あれば列車、鉄道である。韓国だったら、行くのにも船を使う。
 鉄道ファン用語でいえば、乗り鉄であろうが、○○線に乗りたいとか、日本の鉄道を全線走破したい、といった思いを持ったことはない。ただ、旅が好きなだけだ。
 現地点と目的地の、点と点を移動する旅ではなくて、線の旅をしたいのだ。つまり、そこへ行き着く移動感覚が好きなのだ。それには、列車が最も快適で相応しい。
 地図と時刻表があれば、今どこを走っているのが分かる。初めて走る路線だったら、窓の外は見知らぬ景色だ。見知らぬ街があり、見知らぬ人が住んでいる。
 たとえ、何十回通った東海道新幹線の景色も、決して退屈しない。速く走る分だけ景色は瞬く間に変わるし、季節や天候具合で変わった風景になる。景色を見たくなければ(たまにそんな時があれば)、本や雑誌を読んでいればいい。

 1978年出版された「時刻表2万キロ」は、当時国鉄全線走破と銘打って発売された。
 僕は、そういう旅は好きでなかったが、発売されたとき本は買った。よほど、暇な人間であろうと思っていたら、その人が同じ業界の出版社の人間であることを知り、少し驚いた。 しかも、全線走破したときは会社員であり、社の看板雑誌の編集長まで務めた人だった。
 その人が、中央公論社を辞めて、その後、鉄道ブームの象徴的人物になる宮脇俊三である。
 かつて、「温泉1000(2000でも3000でもいいが)入湯達成」といった本で、1日に近くの温泉を走り回り、風呂にざぶんと浸かってすぐに出て、次の目的地に走ったなどとの文を読んで、がっかりした記憶がある。何事も、数ではないなあと思った。
 フェルメールの絵を全部見てまわった、などの本もあるが、フェルメール研究者でもない限り、そのことに意義を見つけることは難しい。
 しかし、宮脇俊三は単に数にこだわる人ではなかった。根っからの鉄道好きだった。全線走破は、彼の記念の足跡に過ぎない。
 そもそも国鉄の全線を走破した人は宮脇が初めてではないし、時代とともに、廃線があったり逆に新線ができたり、その全線のキロ数は変わる。
 エベレストの初めての登頂とは意味が違うのである。

 この宮脇俊三の「私の途中下車人生」は、インタビューに答える形で、彼の出生から、鉄道に興味を持った子どもの頃、学生時代、中央公論社時代、そして鉄道紀行作家時代と、彼の人生をほぼ年代順に語ったものである。
 この中で語っているが、彼は仕事の出張のついでに旅をしたことは一度もなかった、仕事と趣味(彼は一応鉄道のことをこう控え目に言っている)を、混同したことはなかった。だから、会社の同僚には長い間、趣味の鉄道のことは話さなかったと。

 そうなんです。
 心の中に溜めておいて、そのときはいちいち話すこともないですしね。
 僕も、あとで旅のことは本にまとめましたが、そのときは、旅を趣味とも思っていなかったのです。

 宮脇俊三はもともと時刻表マニアだった。そこから出発して、必然的に旅に移る。
 会社時代の後期は、組合対策の労務担当の取締役になる。傍目には多忙に映る。
 ――そういう状況のなかで、旅行はできたのですか? という質問に、こう答えている。
 ええ、時刻表は毎月買って読みふけっていましたし、時刻表を眺めていれば鉄道に乗りたくなりますから、平均して月に1回はどこかへ出かけていました。
 ――でも、疲れるでしょう。
 疲れませんよ。だって、汽車の中では、労働するわけではありませんからね。
 イヤイヤ汽車に乗って、退屈していると、疲れるでしょうね。
 私は地理が好きなので、車窓から地形や畑の作物などを眺めていて飽きませんし、時刻表ファンだから、列車のすれちがいや追い越しが気になりますし、トンネルも好き、鉄橋も好き、駅はもっと好き、というわけで、退屈する暇がありません。
 旅館で泊まるより、寝台車で寝る方が好きですしね、寝台のゴトゴト揺れている感じが好きなんです。何しろ、それが好きなんですから、疲れることもない。

 僕の最初の北海道旅行がそうだった。
 東京を夜発つ寝台列車に乗って、次の日の朝、青森に着いた。青森から青函連絡船で函館に行き(そのとき、青函トンネルはまだできていなかった)、函館から列車で札幌に行った。札幌に昼頃着いたが、夜再び札幌発の夜行列車に乗り、次の日の早朝、釧路に着いた。2日続けての列車の中で寝る旅だった。
 旅が好きだと、寝台車でも疲れないものである。

 宮脇俊三は、旅の面白さとは、日常的なものから離れて異質なものに触れることにある、という思いから、「遠くへ行くばかりが旅ではない」というのが持論で、ローカル線の旅を勧めている。
 彼は、「時刻表2万キロ」の出版と同時に会社を辞めて、趣味が本業になったのである。その後、仕事で積極的に海外の鉄道にも乗っている。本当に鉄道が好きな人であった。


 *

 リスボン22時発マドリッド行きの国際夜行列車に乗った。快適な寝台列車だ。
 夜行寝台列車が好きだ。見知らぬ人と車内で擦れ違ったときのお互いが一瞬交わす、同じ列車に乗っているという連帯感と、この人は何の目的でどこへ行くのだろうといった思惑と、もう二度と遭うことはないだろうという切なさなどが混じりあった、目と目の会話が好きだ。
 「かりそめの旅」(岡戸一夫著)--第10章、黄昏の輝きスペイン、ポルトガル--より
 *この本に関しての問い合わせは、ocadeau01@nifty.com へ。

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