かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

芸人の域を超えている、又吉直樹の「火花」

2015-06-09 00:19:44 | 本/小説:日本
 近年、話し言葉で語尾に必要以上に「ね」を付けて話す人が気になっていた。優しさと丁寧さを併せて出しているつもりだろうが、特に男が使う場合は、どうも気持ちが悪い。「ね」の同調押し売りは勘弁してほしい感じだ。
 そして、違和感がぬぐえないのが、いまだに女性がよく使う「そうなんですね」という曖昧な相槌言葉である。この言葉を使われると、力が抜ける。

 例えばだ。僕がバー(酒場)に行った時の、店の女の子との会話でのことである。
 女の子が、僕に訊いてきた。
 「最近、どこか行きました?」
 「先月、中国に行ったよ」
 「そうなんですね。中国のどこですか?」
 「中国東北部の旧満州地方だよ」
 「そうなんですね」
 ここで、僕は我慢できなくなって言う。
 「<そうなんですね>はおかしいだろう。君は僕が中国に行ったことを今初めて知ったのだから、この場合は<そうなんですか>だろう。あるいは、<そうでしたか>、<そうですか>だろう」
 「そうなんですね」
 「……」

 いつごろから蔓延してきたか知らないが、この曖昧な「そうなんですね」は、2年前の2013年7月に出版された「カネを積まれても使いたくない日本語」(内館牧子著、朝日新聞出版刊)に、「ヘンなあいづち」として出ている。
 著者は、この「そうなんですね」を連発されると、同書に出てくる「ヘンなあいづち」である「ホントですか」「マジっすか」の類の方が、まだましだと思えてくるとさえ言っている。

 *

 さて、「火花」は、ピースの又吉直樹の小説である。
 今年の「文学界」(文芸春秋社)2月号の巻頭を飾った。表紙には「又吉直樹 デビュー中編「火花」230枚一挙掲載!」とある。
 堂々と作家としての扱いである。
 僕は初出の雑誌「文学界」で読んだが、その後単行本化され、そのネームヴァリューもあって文芸書としては異例の売り上げを続けているようだ。
 当初、タレントの小説を文芸誌に載せたので、どんな内容かと興味本位で読んだのだが、意外にもその質の高さに失礼だが驚いた。タレントの書いた小説では、劇団ひとりの「陰日向に咲く」を読んだことがあるが、又吉の「火花」は、さらに文学的といっていい。
 内容は、売れない芸人の主人公が熱海の花火大会で尊敬する先輩芸人と会い、個人的に師弟関係を結ぶ。小説は、概ね最後まで主人公と一風変わった個性的な先輩芸人とのやり取りである。そのなかで、芸人として考えていることや、先の見えない不安定な日々が描写される。
 「火花」は三島賞を惜しくも逸したが、芥川賞の可能性は残っている。
 芥川賞を受賞したとしても、話題性で取れたと思わせない質の高さを持っている。また、「火花」初出の「文学界」および単行本の版元が、芥川賞を創設した文芸春秋社である。芥川賞、直木賞等の文学賞の授与を行っている日本文学振興会は、この文芸春秋社内にある。

 「火花」の小説のなかで、おやと思うところがあった。
 このなかの会話に、「そうなんですね」という言葉が何度か出てくる。
 ということは、又吉がこの言葉を日常的に使っているのだろう。この曖昧な相槌と同意を内包する言葉を、又吉は無意識に使い分けているように見えるし、そうでないようにも見える。
 ほとんどの人が、この言葉使いになんとも思わないのかもしれない。それに、文芸春秋の担当編集者も看過しているのだから、この言葉使いも市民権を得ているのかもしれない。
 水泳の北島康介が2004年のアテネ・オリンピックで金メダルを取った時、「チョー(超)気持ちいい」と言って、それまで蓮っ葉な若い子が使っていたと思っていた「チョー(超)」が市民権を得たのを思い出した。この言葉は今でこそだいぶん廃れてきたが、ずっと違和感は拭えない。
 日本語は、どうなるか(どう使われるか)分からないものだ。

 
 *

 本日、7月16日、僕が考えていた通り、又吉直樹は第153回芥川賞を受賞した。羽田圭介の「スクラップ・アンド・ビルド」と同時受賞である。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする