かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

多摩のイルミネーションのなかの、新日本フィル

2014-11-27 00:40:43 | 歌/音楽
 多摩市のパルテノン多摩では、不定期だが新日本フィルハーモニーの演奏会を開いている。
 去年そのことを知った僕は、去年の秋、9月にドイツ人であるインゴ・メッツマッハ―指揮の演奏会を聴きに行ったのだった。メインの曲は、チャイコフスキーの「交響曲第5番ホ短調」であった。
 あれから約1年がたっていた11月16日、再び新日フィルの演奏会を聴く機会を得た。
 実は、僕の前のヴァイオリンの先生が出演するというものだ。「前の」と書いたが、そうなんである。先の9月で、僕が習っている多摩の音楽教室でのヴァイオリンの先生が多忙のため教室を辞められたのだ。
 かつてブログでも書いたことがある、マンハイマー・カルテット(クインテット)としても活動されている宇野友里亜先生である。

 今回の新日本フィルの演奏会の指揮は、高関健。曲は、マーラーである。
 最初の曲目は、「亡き子をしのぶ歌」で、歌曲である。テキストの詩は、フリードリヒ・リュッケルトの作品。
 歌手はメゾソプラノの加納悦子。
 愛児を亡くした悲しみを歌ったもので、哀しみを湛えた曲だ。

 次に演奏されたのがマーラーの「交響曲第5番嬰ハ短調」。
 マーラーはあまり聴いたことがなく馴染みがなかったが、素晴らしかった。
 5楽章に分かれていて、第1楽章「葬送行進曲、正確な歩みで、厳粛に」、第2楽章「嵐のように激しく動いて」、第3楽章「スケルツォ、力強く、急ぎ過ぎずに」、第4楽章「アダージェット、きわめてゆっくりと」、第5楽章「ロンド・フィナーレ、生き生きと」と、解説の注釈に書かれていた。これを見てもわかるように、全編に血が通っているように生き生きとしていた。
 演奏時間約80分は、大きな波風のある一篇の物語を読むように、あっという間に過ぎていた。
 先生は、ヴィオラ奏者として演奏されていた。今回は、客員演奏者として招聘されたのだ。

 演奏会が終わった後、外へ出てみると、パルテノン多摩から駅に続く広いなだらかな道は、イルミネーションに彩られていた。近くのサンリオ・ピューロランドからやって来たのか、お馴染みの大きなキティーちゃんも光り輝いている。
 パルテノン多摩の階段上の高台から、多摩センターに続く道を見つめた。(写真)
 イルミネーションを見ていると、また今年も暮れに近づいたのだと実感する。1年がたつのは速い。いや、若い時はその速度を振り返り考えることもしなかったが、人生は速い。
 街のイルミネーションのきらびやかな光の中に、若い時は見えなかった一抹の哀しさが灯っているようだ。

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デビュー、ヴァイオリン諏訪内晶子

2014-11-21 01:08:12 | 歌/音楽
 楽器のなかでは、ヴァイオリンが好きだ。
 映画「昼下がりの情事」(Love in the afternoon、監督:ビリー・ワイルダー)の中でのことだった。
 パリの音楽学校に通う小娘のオードリー・ヘプバーンは、大富豪である中年の渋い色男のアメリカ人、ゲーリー・クーパーに好奇心を抱き、知り合うことに成功する。名うてのプレイボーイである男を引き付けようと、小娘は背伸びして、恋の達人らしく振る舞う。
 この掴みどころのない愛らしい小娘に興味を持った男は、自分が滞在している高級ホテル(オテル・リッツ)の個室でのディナーに誘い、何とか娘をものにしようとするが、小娘はするりするりと男の腕の中から逃げ出す。
 小娘をロマンチックな気分に持っていくために男が策を弄したのは、ディナーの雰囲気造りだ。ディナーの時に、お抱えと思えるヴァイオリニスト数人を生演奏させるのだ。機が熟したころ、男が娘に近づき盛り上がろうとする局面では、ヴァイオリニストたちはすっと二人に近づき、まるで耳元で囁くように哀愁的なメロディーを奏でる。
 この色男は、女を口説く時は、いつもこの手を使っていたのかもしれない。つまり、女をうっとりとさせるために、ヴァイオリンのメロディーという妙薬を。

 僕は思った。やはり、恋人たちをロマンチックな気持ちにさせる雰囲気を作り出す道具、手段、必殺技は、ヴァイオリンが最も適しているのだ。ヴァイオリンのメロディーは、恋の秘薬だ。それを、この映画は言っているのだと。
 こんな純粋ともいえない理由もあって、僕は無謀にもヴァイオリンにチャレンジすることにしたのである。格好良さだけに惹かれて、その難しさを度外視して。
 当然のことだけど、子どものころからやっているのならまだしも、ヴァイオリンの壁は大きい。それに僕は怠惰だから、なかなか上達しないのだ。それでも、魅力があるのがヴァイオリンである。

 * 

 現在、国際的に最も有名な日本人のヴァイオリニストの一人が、この人、諏訪内晶子ではないだろうか。
 1990年、彼女が史上最年少の18歳でチャイコフスキー国際コンクールで優勝した時は、僕はまだヴァイオリンにきちんと触ったこともなかったが、彼女の容貌と名を知った。やはり、ソリストの場合は、ヴィジュアルの印象が大きいと言わざるを得ない。
 そして、今何枚かの彼女のCDを持っているが、実際に生の演奏は聴いたことがなかった。

 それが、去る11月11日に赤坂・サントリーホールで行われたコンサートで、待望の聴く機会を得た。
 ローマ・サンタ・チェチーリア国立管弦楽団の来日によるものだ。指揮はアントニオ・パッパーノ。
サントリーホールは何年ぶりだろう。やはり、威厳がある。(写真)
 最初に演奏されたのは、ロッシーニのオペラ「セビーリャの理髪師」序曲。
 そして、2曲目に諏訪内晶子が登場した。
 演奏曲は、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番ト短調。僕が持っている彼女のデビューアルバム(ブルッフ「スコットランド幻想曲」も内録)の中の最初の曲だ。この曲は、彼女の中で特別なものなのであろう。
 ロングスカートで覆った長い脚を曲げて、少し中腰の姿勢で奏でる彼女の白くて長い手が動き回る。弦を自在に押したり離したりする左手の細い指先が、餌を催促する雛のように小刻みに動く。
 当然のことだが、家で聴くCDよりサントリーホールで聴く生演奏の方がいいに決まっている。
 アンコール曲は、バッハ無伴奏パルティータ第3番より「ルーレ」。
 
 彼女が使っているヴァイオリンは、1714年製のストラディヴァリウス「ドルフィン」。
 僕の愛器だってストラディヴァリウス1713年だい、と心の中で呟いてみた。
 

 *「ストラディヴァリウスの夢」(ブログ、07.8.26)参照。 
 http://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/m/200708

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新しい秋祭りなのか、「ハロウィン」

2014-11-03 02:12:25 | 気まぐれな日々
 10月30日、佐賀インターナショナルバルーンフェスタが始まったとテレビ報道で、佐賀平野にいくつもの熱気球が舞う風景が映し出された。運が良ければ佐賀市近辺では、嘉瀬川河川敷から飛び上がった熱気球が浮遊するのが見ることができる。
 そういえば、去年の今頃は佐賀にいて、嘉瀬川河川敷の特設会場に、この熱気球を初めて見に行ったのだったと思い出した。
 そして、11月2日(日)からは唐津くんちが始まった。
 9月から11月にかけてのこの季節、北九州地方は秋の祭り、くんちの季節だ。佐賀でも、各神社のくんちで、神輿や山車の行列や流鏑馬など、エキサイティングな催しが行われる。
 くんちとは、諸説あるが、旧暦の9月9日、重陽の節句に行われた祭であることから、神社によってまちまちだが、現在では10月9日、19日に行われるのが多い。

 *

 今年は、9月に佐賀に帰ったので、10月は東京にいることにした。それで、くんちも秋祭りも味わうことなく過ぎていた。
 ところが、10月25日(土)、26日(日)に、地元の多摩センター(東京都多摩市)で、ハロウィンが行われた。
 10月26日に駅前からパルテノン多摩に向かう通りでは、出店が並び、中央通りの十字路広場では、カボチャをくりぬいて中にロウソクを立てた「ジャック・オー・ランタン」が飾ってあり、その奥では仮装コンテストが行われていた。(写真)
 多摩センターのハロウィンは、今年でもう13回目だという。知らない間に、だんだん賑やかな行事になったようだ。

 それから数日後のことである。10月30日(木)の夜、渋谷に行くことになった。
 その時、やけに派手なメイクや顔にペインティングしたりしたコスプレの人間が多いなと感じた。コーヒーショップに入った時にも、それらしい子がたむろしていた。
 それで、そんな顔をした女の子に訊いてみたらハロウィンだからだという。
 僕は多摩センターで行われたハロウィンのイベント祭りが終わったのを知っていたので、もうハロウィンは終わったのだと思っていた。しかしハロウィンが過ぎても、その余韻を味わおうと、その後もしばらく仮装をやっている子が渋谷辺りに集まって来ているんだと思っていた。
 そして、次の10月31日(金)、乃木坂の国立新美術館に、高校時代の書の先生が出展しておられるので「日展」を見に行った。
 展示を見た後、黄昏時に六本木を歩いていると、昨日の渋谷から感染したかのように、やはりコスプレの女の子がやたらに多い。
 それで、この日が正式なハロウィンの日というのを知った。
 10月31日がウィークデーなので、多摩センターはその前のウィークエンドの土日にハロウィンをやったのだろう。あとで分かったことだが、多摩センターのように、前の週末に行った街も多いようだ。

 そう、多摩センターのように、いつの間にかハロウィンを催す街が、日本でも多くなっているようだ。たまたま出向いた渋谷も六本木も、そんな若者で(年配者もいたかもしれない)溢れていた。渋谷の場合は、区が先導したのではなく、自主的に仮装した若者が集まってきたようだ。
 新聞によると、今年のハロウィンはバレンタインデーの売り上げを超えたデパートがあると報じていた。
 不思議なことに、日本人は宗教なんて関係ない、考えてないって感じで、何でも取り入れてしまう。
 くんちをはじめ日本の秋の祭りは、だいたいが収穫を祝う祭りである。ハロウィンも、もともとは古代ケルト人が始めたとされる秋の収穫を祝う祭りである。
 日本のハロウィンは、秋祭りが行われていない都会の街を中心に、伝統的な秋祭りの代わりに真新しいハロウィンの行事を取り入れたとも考えられる。アニメやコスプレが大好きな日本人は、カボチャは形として残しつつも単なる仮装する祭りとして、日本独特なハロウィンとなって、今後さらに大きな波になりそうな予感がする。

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