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FMラジオでのピアノの弾き語りの番組を聴いていたら、クラシックを基としたポップスとして、「キッスは目にして!」が流れてきた。
カテリーナ・ヴァレンテ(日本ではザ・ピーナツ)が歌った「情熱の花」と同じく、ベートーベンの曲「エリーゼのために」をアレンジした、ザ・ヴィーナスが歌った曲である。
う~ん、「キッスは、目にして」か、と思った。
キスは、目に!
実は、私は先月(2022年9月)末、目の手術をしたばかりだった。
近年、自分の病気をテレビやSNSで公にする芸能人や有名人が多くなった気がする。「他人の不幸は蜜の味」ではないが、世間である視聴者の潜在的要求に同調する風潮があるのかもしれない。また、自分の病気体験を微に入り細に入り、子細に描く作家もいる。
元々、私は自分の病気について書くつもりはないのだが、思いもよらず「キッスは目にして!」を耳にして、思えば稀有な体験というか、やろうと思ってもできる経験ではなかったので、書いておこうかとふと気持ちが動いたのである。
私の敬愛する吉行淳之介も、かつて「人口水晶体」(講談社)という目の手術体験を書いている。
この本は1985(昭和60)年刊行の本で、吉行が目の不調を自覚してから、1984年の年末に白内障の手術をするに至るまでの体験記である。彼がちょうど還暦のときである。
吉行が52歳のとき、目の具合が何となく悪くなって病院で見てもらう。眼精疲労ぐらいに考えていたのだが、白内障と診断される。
吉行が「目の酷使は関係ありますか」と質問すると、医者は次のような意味の答えをする。
「ありません。これからいくら使っても構いません。目の水晶体の白髪(しらが)というように考えてください」
たしかに、白髪が痛くないように、その後も目が痛かったことはない……。
まだ現在のように、白内障における眼内レンズが一般化されていない時代のことである。
「人口水晶体」は、吉行が目の不調、視力が弱くなったことを自覚してから、診断を受けた担当の医者とのやり取りと手術までの心理の移ろいが、いかにも吉行淳之介らしく描かれている。
この本を読んだ当時は私もまだ若かったので、その後自分が目で煩わされるとは思ってもいなかった。たしかに白髪が増えるのは痛くもなく、ロマンスグレイで渋いですねと言われて、まんざらでもない気分でいたぐらいだ。
*「眼」の中が見えた、硝子体手術体験
私たちが目で見るのは、外の景色である。
外の景色を、目(眼球)の外側のレンズを通して反対側の内側の網膜に写すことによって、姿・形として見ているのである。
目は丸い球体で、球体の中は硝子体といって透明なゼリー状の液体である。
私の病名は「網膜前幕」(黄斑上膜)といい、網膜の前に薄い膜ができる症状である。白髪のように痛みも痒みもなく、初期は見え方に何ら変化もないが、この膜によって網膜に皺がよったりすると、視力が低下したりモノが歪んで見えたりする症状が起きる。
つまり、網膜の前にできた不要な膜を除去する手術である。
硝子体の中の手術ということで、目にメスが入るということである。
手術での私の眼の中で起こった出来事の概略を記すと、次のようになる。場所は大学病院の手術室。時刻は昼下がり。
<手術台でのシーン>
・眼が洗浄される。
・眼に麻酔注射が打たれる。チクリと痛い。(局部麻酔)
・眼に灯りが充たされ、全体が白く明るくなる。(明かり投射か?)
・白い世界に、液体のような気体のような緩やかな流れが、眼の球体内で流動、浮遊している。細かい鉄粉のような粒片も流れのなかに散在している。(硝子体の中の動きか?)
・緩やかな流動体は吸い上げられたのか、白い無風の世界になる。(硝子体内の液の排出と液体(水)もしくはガスの注入か?)
・白い世界に、左の方から黒い細いが幅を持った、影のような2本の線が延びてくる。向きあった細い刀のような、細い裁ちばさみのような、まっすぐ伸びたピンセットのような、2本の細い幅を持った線。(医療機器の鉗子である)
・2本の線がその先を摘まみ、白い世界からガムテープを剥がすように、影のようなベール状のものをめくって剥がし取る。(前膜の除去)
・影のような2本の線とそれによって剥がされた膜状が、左に引っ込むように消える。
・白い世界に戻る
総て、白い世界での出来事で、モノクロの世界である。
目は、外の世界しか見えないはずである。しかし、このとき、眼の中の世界、そこで起こっていたのが見えた。確かに、硝子体の中で起きていたことである。前記の出来事での( )内に記したのは、私の個人の想定である。
私は、ひょっとしてこれは私だけが見ている、私だけが見えていることではと思うと、手術がもたらす不安というより感動に値するのではと感じた。
手術が終わったあと、しばらくは白い世界が広がっていた。
まるで、インドネシア・バリ島で見たワヤン・クリのようだ。かりそめのモノクロの影絵劇だ。
(写真は、バリ島ウブドでのワヤン・クリのモノクロ写真)
罠、罠、罠に落ちそう……
メスよりも、キスは目にして!
目の中の、硝子体の出来事はすべて陽炎(蜉蝣)……
カテリーナ・ヴァレンテ(日本ではザ・ピーナツ)が歌った「情熱の花」と同じく、ベートーベンの曲「エリーゼのために」をアレンジした、ザ・ヴィーナスが歌った曲である。
う~ん、「キッスは、目にして」か、と思った。
キスは、目に!
実は、私は先月(2022年9月)末、目の手術をしたばかりだった。
近年、自分の病気をテレビやSNSで公にする芸能人や有名人が多くなった気がする。「他人の不幸は蜜の味」ではないが、世間である視聴者の潜在的要求に同調する風潮があるのかもしれない。また、自分の病気体験を微に入り細に入り、子細に描く作家もいる。
元々、私は自分の病気について書くつもりはないのだが、思いもよらず「キッスは目にして!」を耳にして、思えば稀有な体験というか、やろうと思ってもできる経験ではなかったので、書いておこうかとふと気持ちが動いたのである。
私の敬愛する吉行淳之介も、かつて「人口水晶体」(講談社)という目の手術体験を書いている。
この本は1985(昭和60)年刊行の本で、吉行が目の不調を自覚してから、1984年の年末に白内障の手術をするに至るまでの体験記である。彼がちょうど還暦のときである。
吉行が52歳のとき、目の具合が何となく悪くなって病院で見てもらう。眼精疲労ぐらいに考えていたのだが、白内障と診断される。
吉行が「目の酷使は関係ありますか」と質問すると、医者は次のような意味の答えをする。
「ありません。これからいくら使っても構いません。目の水晶体の白髪(しらが)というように考えてください」
たしかに、白髪が痛くないように、その後も目が痛かったことはない……。
まだ現在のように、白内障における眼内レンズが一般化されていない時代のことである。
「人口水晶体」は、吉行が目の不調、視力が弱くなったことを自覚してから、診断を受けた担当の医者とのやり取りと手術までの心理の移ろいが、いかにも吉行淳之介らしく描かれている。
この本を読んだ当時は私もまだ若かったので、その後自分が目で煩わされるとは思ってもいなかった。たしかに白髪が増えるのは痛くもなく、ロマンスグレイで渋いですねと言われて、まんざらでもない気分でいたぐらいだ。
*「眼」の中が見えた、硝子体手術体験
私たちが目で見るのは、外の景色である。
外の景色を、目(眼球)の外側のレンズを通して反対側の内側の網膜に写すことによって、姿・形として見ているのである。
目は丸い球体で、球体の中は硝子体といって透明なゼリー状の液体である。
私の病名は「網膜前幕」(黄斑上膜)といい、網膜の前に薄い膜ができる症状である。白髪のように痛みも痒みもなく、初期は見え方に何ら変化もないが、この膜によって網膜に皺がよったりすると、視力が低下したりモノが歪んで見えたりする症状が起きる。
つまり、網膜の前にできた不要な膜を除去する手術である。
硝子体の中の手術ということで、目にメスが入るということである。
手術での私の眼の中で起こった出来事の概略を記すと、次のようになる。場所は大学病院の手術室。時刻は昼下がり。
<手術台でのシーン>
・眼が洗浄される。
・眼に麻酔注射が打たれる。チクリと痛い。(局部麻酔)
・眼に灯りが充たされ、全体が白く明るくなる。(明かり投射か?)
・白い世界に、液体のような気体のような緩やかな流れが、眼の球体内で流動、浮遊している。細かい鉄粉のような粒片も流れのなかに散在している。(硝子体の中の動きか?)
・緩やかな流動体は吸い上げられたのか、白い無風の世界になる。(硝子体内の液の排出と液体(水)もしくはガスの注入か?)
・白い世界に、左の方から黒い細いが幅を持った、影のような2本の線が延びてくる。向きあった細い刀のような、細い裁ちばさみのような、まっすぐ伸びたピンセットのような、2本の細い幅を持った線。(医療機器の鉗子である)
・2本の線がその先を摘まみ、白い世界からガムテープを剥がすように、影のようなベール状のものをめくって剥がし取る。(前膜の除去)
・影のような2本の線とそれによって剥がされた膜状が、左に引っ込むように消える。
・白い世界に戻る
総て、白い世界での出来事で、モノクロの世界である。
目は、外の世界しか見えないはずである。しかし、このとき、眼の中の世界、そこで起こっていたのが見えた。確かに、硝子体の中で起きていたことである。前記の出来事での( )内に記したのは、私の個人の想定である。
私は、ひょっとしてこれは私だけが見ている、私だけが見えていることではと思うと、手術がもたらす不安というより感動に値するのではと感じた。
手術が終わったあと、しばらくは白い世界が広がっていた。
まるで、インドネシア・バリ島で見たワヤン・クリのようだ。かりそめのモノクロの影絵劇だ。
(写真は、バリ島ウブドでのワヤン・クリのモノクロ写真)
罠、罠、罠に落ちそう……
メスよりも、キスは目にして!
目の中の、硝子体の出来事はすべて陽炎(蜉蝣)……
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