かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

「門司港」② 九州最北端の駅と関門トンネル

2019-10-16 02:25:44 | * 四国~九州への旅
 いつか行こう、いつでも行けると思っているうちに年月だけがたっていて、心の片隅に宿っていたところ、「門司港駅」にやっと来たのだった。
 門司港駅に着いた翌日の9月21日、朝に門司港を発って長崎に行き、その日は長崎で中学の同級生たちと会い、長崎に宿泊する予定だった。
 しかし、台風17号が北九州の長崎、佐賀地域に上陸との予報なので、長崎行きを中止し、この日は佐賀で宿泊することにした。
 ということで、夕方まで門司港を散策することにした。台風が近づいているとは思えない穏やかな空模様だ。

 *トロッコ列車で九州最北端の駅へ

 「門司港駅」から鉄道記念館の方に歩いていたら、すぐのところで、人が並んでいるのに出くわした。その先に、まるで「きかんしゃトーマス」号を思わせるような可愛い列車が停まっているのが見えた。
 車掌とおぼしき係りの人に聞くと、ここから列車を運転中とのことで、そこは「九州鉄道記念館」という駅だった。
 ここ「九州鉄道記念館」駅から、北へ向かった関門橋の先の「関門海峡めかり」駅まで、片道10分の短い列車の旅だ。
 この路線は、かつてのJR貨物線と市保有の鉄道廃線跡を利用して、観光用のトロッコ列車として2009(平成21)年に開業したもので、正式には「北九州銀行レトロライン」、列車の愛称を「潮風号」という。今の時期は土・日・祝日限定の運転で、この日はちょうど土曜日で、運転中だった。
 乗車運賃は、片道大人300円、往復だと1日フリー乗車券600円。トロッコ列車といっても、窓なしではなく立派な2両編成の客車だ。
 思えば、かつて富山県宇奈月から黒部峡谷トロッコ列車に乗ったときは、まだ10月だというのに予想外の吹雪になり、窓がないので「ここは八甲田山か?」と、震える思いをした。

 「九州鉄道記念館」駅を出発した「潮風号」は、左手にレトロな建物の並ぶ街と、その先の関門海峡を見ながら、ゆっくりと進んでいく。「出光美術館」、「ノーフォーク広場」の駅を過ぎると、関門橋が見えてくる。
 すると、トンネルに入った。トンネルに入るや車内の明かりは消え、代わりに濃紺色の天井に様々な魚やタコなどの姿が泳ぐイルミネーションが出現する。短い時間だが、その間、幻想的な海底を走っているという演出だ。
 トンネルを過ぎると、やがて終点「関門海峡めかり」駅に着く。駅の表示板には「九州最北端の駅」とある。

 *関門海峡を歩いて渡る

 トロッコ列車「関門海峡めかり」駅の近くの海沿いから、関門海峡沿いに遊歩道が続いていて、関門橋方面に歩いて行くと、「関門トンネル人道入口」に出くわした。
 門司と下関間の海底を刳り抜いた国道2号線である「関門国道トンネル」は、車が走る「車道」の他に、人が歩いて渡る「歩行者海底トンネル」ができているのだ。
 つまり「関門国道トンネル」は二重構造で、すそ野から約3,500mの長さの「車道」の下に「歩道」があるので、厳密にいえばトンネルは2本あるといえる。この歩道トンネルは、全長780mと短い。
 なお「関門鉄道トンネル」も、単線2本である。

 人道トンネルへは、入口のある建物からエレベーターで下に降り、そこから海底トンネルを歩くことになる。トンネルは単調な直線で、情緒など期待はしない方がいい。途中、福岡県と山口県の県境が書かれた標識を通る。(写真)
 この人道を自転車で通り過ぎた外国人に出会った。自転車も通れるのだ。
 下関側には約10分で着く。下関側に着いたら、今度は逆にエレベーターで上へ上ると、地上に出る。
 そこは、関門海峡を越えた山口県下関市である。
 かつて九州自動車道の高速道路で、九州(門司)から「関門橋」を渡って本州(下関)へ行ったことがあるが、歩いて関門海峡を渡ったのは初めてである。
 列車、自動車に加えて、歩いて関門海峡を渡ったことになった。あとは、船と泳いで、か。

 関門海峡の下関市側は源平最後の合戦、壇之浦古戦場の前で、沿岸は公園になっている。そこには、海に向かって幕末・長州藩の大砲が並んでいた。
 再び、下関から海底トンネルを歩いて門司へ戻った。船でも泳ぎででもなかったのは、残念だったが。

 *瞼の特急「さくら」に再会

 40分ごとに出ている帰りのトロッコ列車に乗って、門司港中心街に戻った。
 門司港のトロッコ列車の駅の先に、旧九州鉄道本社を利用した「九州鉄道記念館」がある。
 何本もの線路の横を歩いていく先に、いくつもの列車が陳列品のように停まっている。
 鉄道記念館の入り口横に、スフィンクスのように泰然と停まっているのが、9600形蒸気機関車 59634で、1922年川崎造船所製である。何とも優麗な漆黒のSLだ。
 奥には、今はなき列車が何両も停まっている。
 特急「富士」や「月光」とともに、僕の目に留まったのは、何といっても乗車したことのある東京-長崎・佐世保間を走っていた特急「さくら」である。懐かしい寝台車も繋いである。何十年ぶりの再会に、もう一度乗ってみたい思いにかられた。
 いや、「さくら」に乗って東京へ行っていたあの頃に、もう一度帰ってみたいのだ。

 「九州鉄道記念館」をあとに、門司港駅の先の船乗り場のある海辺に行き、昨日泊まったプレミアムホテル門司港の横の「はね橋」を渡った。はね橋から、格調高い煉瓦造りの「旧門司税関」の建物が見える。
 館内には自由に入れるので、入って上階まで行ってみた。
 「旧門司税関」を出たところで、小さな雨が降り出したので、門司港の散策はここまでにして、門司港駅に行った。佐賀に向かうには、ちょうどいい時刻だ。

 *「門司港」駅から「博多」駅まで、鹿児島本線の在来線で

 夕方、「門司港駅」から、ゆっくりと鹿児島本線の快速電車で「博多」へ行くことにした。
 今まで新幹線で素通りしていた、車窓からの街並みと小さな駅を見ておきたかった。
 「門司港駅」から「小森江」「門司」を経て「小倉」に着く。新幹線の場合は、「小倉」の次は「博多」で、15分で着くのだが、時刻表を見ると在来線はその間27の駅がある。そして、快速といっても停まる駅の方が多い。
 在来線の鹿児島本線は、新幹線の行路とはまったく違う。
 地図を見るとよくわかるのだが、在来線は地形にそって曲がりくねりながら走っているのだが、新幹線の行路は、スピードを優先するために直線に近い。だから、新幹線は在来線の南の内陸寄りで、山を突き抜けるトンネルだらけである。

 在来線の、初めて聞くような駅は新鮮である。
 「西小倉」の次は「九州工大前」である。九州工業大学がここにあるとは知らなかった。この沿線には大学が多いようで、大学の名の駅名が他にもいくつか目についた。「教育大前」「福工大前」「九産大前」などなど。
 「戸畑」では、赤い若戸大橋が見えた。若松と戸畑を結ぶ橋で、1962年のできた当時は東洋一の吊り橋といって大きな話題になった。記念切手も発行されたぐらいだ(僕は切手少年でもあった)。
 「八幡」の景色は、無機質な工業地帯然とした景色と違って、人が生活している街の息吹が感じられて、何だか心が和みホッとした。
 「水巻」駅の名を見るたびに、プロゴルファーの水巻善典のルーツはこの町だろうと思ってしまう。
 「赤間」「東郷」は、宗像神社のある宗像市である。世界遺産のある町になった。
 「香椎」は、松本清張の小説「点と線」の舞台となったところで、香椎宮のあるところだ。ここまで来たら、もう福岡市だ。
 「箱崎」は、筥崎宮のあるところで、かつて移転するまで九州大学があった。この次の「吉塚」の次が「博多」駅だ。
 「門司港」から「博多」まで、約1時間半の、あっという間の旅であった。

 「博多」から鹿児島本線で「鳥栖」へ。鳥栖から長崎・佐世保線で「佐賀」へ向かった。
 佐賀に着いたときは、もう日も暮れていた。
 さあ、佐賀で夕食は何を食おうか。

コメント (2)
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「門司港」① 振り向けば、九州の玄関駅

2019-10-05 02:18:01 | * 四国~九州への旅
 「門司港」駅へ行った。
 明治24年から続いている九州の玄関口の駅で、JR鹿児島本線の始点で終点でもある。

 高校を卒業して東京に住むようになって50余年。その間、毎年実家で過ごすのを習慣としていた年末・正月時期を含め、年に2~3回は九州・佐賀に帰っていた。
 ということは、今まで百数十回、東京~九州間を往復したことになる。
 そのうち、飛行機で帰ったのは、福岡空港へおそらく3回と佐賀空港へ1回の、計数回あるかないかである。
 他に、四国経由の船による九州上陸が、八幡浜(愛媛県)から別府(大分県)へ2回と、宿毛(高知県)から佐伯(大分県)への1回、計3回がある。
 つまり、百数十回の九州行きのほとんどが列車ということである。

 これほど多く列車で東京から九州へ行っていて、しかも鹿児島本線の始発駅なのに、僕は実は1度も門司港駅に降りたことがなく、通過したこともなかった。門司港駅が始発駅で終着駅だから当然通過することはないのだが、降りたことも駅を見やったこともないのはなぜだろう?

 *「関門トンネル」と「門司」駅と「門司港」駅の謎

 列車で本州から九州へ入る場合は、間に海峡があるので、関門トンネルを通って山口県の下関から福岡県の門司へ入る以外にない。逆に九州から本州に入る(出る)場合も、門司から下関に入る(出る)ということになる。車や歩行でも、このルートである。
 関門(鉄道)トンネルは、下り線は1942(昭和17)年に、上り線は1944(昭和19)年に開通していて、戦前から列車はトンネルを通っていた。

 東京・九州間の往復は、上京してから当初は、僕は佐世保・長崎発の急行「西海・雲仙」、もしくは特急「さくら」を利用していた。
 そして、新しく新関門トンネルが造られ、山陽新幹線が博多駅まで開通したのが1975(昭和50)年で、それ以後は、多くは新幹線を利用した。

 新幹線のほとんどの列車は、山口県の「新山口」(旧小郡)駅から、九州へ入った最初の駅は「小倉」である。その間、「厚狭」「新門司」の駅があるが、各駅停車の「こだま」以外の多くの列車は素通りする。
 在来線は、東海道本線・山陽本線と繋いで下関から関門鉄道トンネルを通って九州に入った列車は、「門司」駅に入る。下関からの山陽本線は門司駅で終わり、小倉・博多方面に向かう鹿児島本線となるのであるが、九州最初の駅は、始点の「門司港」駅ではないのである。
 始点の門司港駅の先(小倉寄り)のところで、山陽本線と鹿児島本線は合流するのである。つまり、門司駅と門司港駅間は、盲腸のように取り残されたようになっているのだ。その間、5.5キロ。

 しかし、これには物語がある。
 現在の「門司港」駅は、かつて「門司」駅と称していた。ところが、関門(鉄道)トンネルができ、出入口が当時の門司駅より小倉駅寄りになったせいで、そこの「大里」駅が門司駅となり、始点の門司駅は門司港駅と変わることになった、
 つまり、本州から九州へ上陸した場合、在来線も新幹線もどの列車も「門司港駅」は通らないのである。
 新しく九州の玄関口、門司駅ができたからといって、盲腸は不要だといって門司港駅までの路線を廃線にしなかったのは、その場所に多くの歴史が息づいていたからである。九州鉄道の発祥の遺産、関門海峡の変遷の物語が、昔は門司駅と言った門司港駅を残存させたのだ。

 ちなみに、在来線と新幹線の関門トンネルは別の坑道で、出入り口の位置も別である。列車用の鉄道トンネルは2つあるのである。
 関門トンネルは、この他1958(昭和33)年に、車道・歩道の国道2号が開通しているので、3本のトンネルがあるということである。
 加えて、1973(昭和48)年に高速道路の「関門橋」が開通しているので、本州と九州を結ぶ関門路線は4パターンとなる。

 *孤高の「門司港駅」

 台風の通る最中の9月22日に佐賀・武雄市で高校の同窓会があるので、9月19日に東京を発った。
 その日は関西に1泊して、翌20日、西国24番札所の中山寺(兵庫県宝塚市)を見て周って、夕方に「新神戸」駅から山陽新幹線で九州へ向かった。
 九州へ入った最初の停車「小倉」駅で降りた。
 小倉駅から在来線の、上りの鹿児島本線の各駅停車に乗る。「門司港」行きと「下関」行きがあり、門司港への経路は、<小倉―門司-小森江-門司港>となる。これが、下関行きに乗ると、<小倉-門司―下関>となり、門司港へは行かずにその手前で関門トンネルへ入っていくのである。
 小倉から各駅停車の門司港行きに乗った。所要時間は13分である。
 終着駅の「門司港」駅に着いた。
 各ホームの線路の先に、白黒の三角十字のような車止標識が目に入る。
 ホームを見回したあと、改札を出た。構内は思ったより広い空間で、落ち着きと威厳がある。天井から吊るされた明かりと高い天井は、格式あるホテルのようだ。
 構内にあるスターバックス・コーヒー店も都会で見るのとは違って軽くないように見えてしまうし、2階にある食堂も「みかど食堂」と称しているように、厳かな雰囲気である。
 戦前から使用されているという洗面所や手水鉢は、遺産だろう。

 駅を出ると、広いファサードが絨毯をひいたように広がっている。 
 正面に「日本郵船」と「門司三井倶楽部」の時代がかったビルが並んで、一昔前のモダンな都会の空気を醸し出している。
 日暮れ時の薄暗さが“時”を曖昧にさせる演出をしているかのようだ。空は今にも雨が降りそうだが、台風はまだのようである。
 振りかえって門司港駅を見ると、駅とは思えない装麗な建物であることに少し驚かされる。まるで、ヨーロッパの小さな町、アヌシーかマーストリヒトに佇む古城のようだ。
 この建物は1914(大正3)年に建てられた2代目ということだが、駅舎では最初に重要文化財に指定されたというだけあって、美しい。(写真)
 門司港駅と駅前の雰囲気、これを見るためにここへ来たと言ってもいい。

 門司港駅から日本郵船ビルの横の通りの先に、通りを遮るようにクラシックなビルが建っていた。海のすぐ近くだ。この建物が、今日宿泊する予定の旧門司港ホテルのプレミアホテル門司港だった。

 *港町で食べるものは!

 ホテルに荷物を置いて、外へ夕食を食べに出た。
 霧のような雨が降り出した。ホテルの玄関口では、自由に使用できる傘を用意しているのがいい。
 駅近辺の食堂を見て歩いたら、カレー店でないのにカレーをメニューに掲げ、うちにもありますよとPRしているところが多い。よく見ると、どの店も「焼きカレー」とある。ご当地グルメのようだが、焼きカレーなるものを僕は知らなかった。
 町おこしやひょっとしたら町の新しい名物になるかもという意図が見えるこの手のB級グルメ料理は、基本的に僕は好きになれない。
 長崎で「トルコライス」を物は試しに食べたが、理屈はいろいろつけてあるようだがトルコ料理とは何の関係もない料理だ。
 地元佐賀では「シシリアンライス」というのを売り出しているが、ご飯の上に薄切り肉と野菜をのせ、その上にマヨネーズをかけたもので、シシリア(シチリア)とは何の関連性もない。だから、佐賀に行っても食べたことはない。

 海の町、門司港に来ているのだから何もカレーを食べて帰ることはないと、魚を食べさせてくれる寿司店に入った。
 もちろん、下関が有名なフグ刺しも注文した。ビールは、大正時代に生まれた地元の地ビールを復刻させた「サクラビール」である。
 店のテレビでは、W杯ラグビー、日本対ロシア戦を映している。
 外は、霧雨も収まったようだ。微かに潮風の香りがする。

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