春分の日も過ぎ、近くの公園では梅が満開だ。(写真)
この季節、梅、桃、桜と、春の樹の花が続く。
多摩の桜はまだ蕾が付いたところだが、3月25日の午後、東京都心も開花宣言をしたようだ。桜が咲きほころぶのも近い。
桜の花弁は、小学校の頃の学生帽の校章や学生服のボタンに刻まれていたように、花弁の先に割れ目が入っている。それに、何といっても桜は見慣れているし、花柄が長いのでわかりやすいのだが、梅と桃の区別は注意深く見ないとむつかしい。梅の花弁は丸く、桃は梅に比べて花弁がやや細長く先が尖っているのだ。
今日、日本で花あるいは花見といえば桜だが、そもそも、古代奈良時代ぐらいまでは宮廷で花といえば、中国に倣って梅であった。「万葉集」でも圧倒的に梅を歌ったものが多い(しかし数でいえば「萩」が最も多い)。
当時の桜は山桜で、今のソメイヨシノほど派手ではなかったのだ。
風運ぶ 花の香りを 頬に受けて
君がくちびる 思いおこすや
沖宿
*
先週春一番が吹いた3月18日、高尾に梅を見に行った。
正確に言うと、高尾に行ったので、梅を見てきたのだ。
実は、その前週末に、知人が出演した芝居「冬の夜ばなし」(座シェイクスピア公演)を青山に観に行った。見終ったあと曙橋で食事をした帰りに、四ツ谷駅から中央線の快速電車に乗り、新宿で降りた際、その電車の吊り棚に本を置き忘れてしまったのだ。本はもう在庫がなくなった自分の本「かりそめの旅」の新本で、個人的には貴重なのだ。
すぐに翌日、JRに電話で問い合わせたが、届いていないという。また、後日かけなおしてください、遅れて届く場合もありますからと言われたが、残念だが、僕の失態だから仕方がないと半分諦めた。再度その翌日電話してみた。すると、何と届いていた。忘れた当日ではなく、約1日後の翌日届けられたようだ。
それで、直接受け取る場合は、保管してあるJR高尾駅に来てくれとのことなので、中央線の終点、高尾駅まで出向くことになったのだ。
気象庁によると、この日春一番が吹いた。高尾にも暖かい風が吹いたのだった。
高尾には、高尾山以外に梅郷があった。青梅の吉野梅郷は以前行ったことがあるが、高尾梅郷は知らなかったので、ちょうどその季節だったので高尾を歩いてみることにした。
高尾梅郷とは、街道沿いにあるいくつかの梅林を総称して言っているらしい。
JR高尾駅から甲州街道を西に歩く。東京とはいえ道沿いに団子屋などがあり、田舎の風情が漂っている。
途中梅が散らばって咲いている土手のようなところがあったが、そこを通り過ぎて、梅林を探して歩き続けた。なかなか梅林に出くわさないなあと思っているうちに、京王線の高尾山口駅に出てしまった。梅林があるのは、甲州街道でも旧甲州街道沿いだったのを思い出した。
そういえば西浅川の交差点を過ぎたところで、梅の集まりがあったのを思い起こして、戻ることにした。そこは遊歩道梅林であった。まだ全開とはいかないが梅が土手沿いに咲いていた。そこから、北の方の旧甲州街道に入って、西に向かった。
しばらく行くと、小仏関跡があり公園になっていて、そこも梅林となっていた。
さらに西に向かって歩いた。道に沿って並ぶ家々の庭にも、ちらほらと梅が目につく。いや、脳や目が必死で梅を探し求めているのだ、と思った。
梅の集まりがあったので表示を見ると、荒井梅林だった。写真で見た通りで、それ以上の広がりはなく、箱型に閉じ込めたような梅林だ。
地図によるとさらにこの先西の方にもまだ梅林があるのだが、梅林散策はもうこの辺でいいだろうと思い、バス停にあった地図を見た。すると近くに天満宮があり、そこも天神梅林となっているので、そこを見てから帰ろうと思いついた。
街道に沿って流れている小仏川に掲げてある梅郷橋を渡ると、丘になっていて梅の林があった。それまでの小さな箱庭のような梅林ではなく、この梅の丘は野性味溢れている。丘の中腹には、新しい造りだが鳥居がある天満宮もちゃんとあった。あと何十年かしたら、枯れた味を醸し出すだろう。
高尾梅郷は吉野梅郷に比べて、散在する梅林がどれも小ぢんまりとしていて少しがっかりしたのだが、最後に行った天満宮の梅で、満足することができた。満開の時に、弁当とビールでも持ってきたら、その野趣を楽しめるだろう。
帰りは、またゆっくりとJRの高尾駅まで歩いた。
駅に着いたころに、日が暮れた。駅前で、食堂を探した。
本を電車の中に忘れたことで、高尾の梅を見ることができた。
ものごと、何かが何かに繋がっている。
「因果応報」よりも、「禍福はあざなえる縄のごとし」あるいは「人間万事塞翁が馬」とも言った方がいい。良いことも悪いことも、コインの裏表のようなものである。
この季節、梅、桃、桜と、春の樹の花が続く。
多摩の桜はまだ蕾が付いたところだが、3月25日の午後、東京都心も開花宣言をしたようだ。桜が咲きほころぶのも近い。
桜の花弁は、小学校の頃の学生帽の校章や学生服のボタンに刻まれていたように、花弁の先に割れ目が入っている。それに、何といっても桜は見慣れているし、花柄が長いのでわかりやすいのだが、梅と桃の区別は注意深く見ないとむつかしい。梅の花弁は丸く、桃は梅に比べて花弁がやや細長く先が尖っているのだ。
今日、日本で花あるいは花見といえば桜だが、そもそも、古代奈良時代ぐらいまでは宮廷で花といえば、中国に倣って梅であった。「万葉集」でも圧倒的に梅を歌ったものが多い(しかし数でいえば「萩」が最も多い)。
当時の桜は山桜で、今のソメイヨシノほど派手ではなかったのだ。
風運ぶ 花の香りを 頬に受けて
君がくちびる 思いおこすや
沖宿
*
先週春一番が吹いた3月18日、高尾に梅を見に行った。
正確に言うと、高尾に行ったので、梅を見てきたのだ。
実は、その前週末に、知人が出演した芝居「冬の夜ばなし」(座シェイクスピア公演)を青山に観に行った。見終ったあと曙橋で食事をした帰りに、四ツ谷駅から中央線の快速電車に乗り、新宿で降りた際、その電車の吊り棚に本を置き忘れてしまったのだ。本はもう在庫がなくなった自分の本「かりそめの旅」の新本で、個人的には貴重なのだ。
すぐに翌日、JRに電話で問い合わせたが、届いていないという。また、後日かけなおしてください、遅れて届く場合もありますからと言われたが、残念だが、僕の失態だから仕方がないと半分諦めた。再度その翌日電話してみた。すると、何と届いていた。忘れた当日ではなく、約1日後の翌日届けられたようだ。
それで、直接受け取る場合は、保管してあるJR高尾駅に来てくれとのことなので、中央線の終点、高尾駅まで出向くことになったのだ。
気象庁によると、この日春一番が吹いた。高尾にも暖かい風が吹いたのだった。
高尾には、高尾山以外に梅郷があった。青梅の吉野梅郷は以前行ったことがあるが、高尾梅郷は知らなかったので、ちょうどその季節だったので高尾を歩いてみることにした。
高尾梅郷とは、街道沿いにあるいくつかの梅林を総称して言っているらしい。
JR高尾駅から甲州街道を西に歩く。東京とはいえ道沿いに団子屋などがあり、田舎の風情が漂っている。
途中梅が散らばって咲いている土手のようなところがあったが、そこを通り過ぎて、梅林を探して歩き続けた。なかなか梅林に出くわさないなあと思っているうちに、京王線の高尾山口駅に出てしまった。梅林があるのは、甲州街道でも旧甲州街道沿いだったのを思い出した。
そういえば西浅川の交差点を過ぎたところで、梅の集まりがあったのを思い起こして、戻ることにした。そこは遊歩道梅林であった。まだ全開とはいかないが梅が土手沿いに咲いていた。そこから、北の方の旧甲州街道に入って、西に向かった。
しばらく行くと、小仏関跡があり公園になっていて、そこも梅林となっていた。
さらに西に向かって歩いた。道に沿って並ぶ家々の庭にも、ちらほらと梅が目につく。いや、脳や目が必死で梅を探し求めているのだ、と思った。
梅の集まりがあったので表示を見ると、荒井梅林だった。写真で見た通りで、それ以上の広がりはなく、箱型に閉じ込めたような梅林だ。
地図によるとさらにこの先西の方にもまだ梅林があるのだが、梅林散策はもうこの辺でいいだろうと思い、バス停にあった地図を見た。すると近くに天満宮があり、そこも天神梅林となっているので、そこを見てから帰ろうと思いついた。
街道に沿って流れている小仏川に掲げてある梅郷橋を渡ると、丘になっていて梅の林があった。それまでの小さな箱庭のような梅林ではなく、この梅の丘は野性味溢れている。丘の中腹には、新しい造りだが鳥居がある天満宮もちゃんとあった。あと何十年かしたら、枯れた味を醸し出すだろう。
高尾梅郷は吉野梅郷に比べて、散在する梅林がどれも小ぢんまりとしていて少しがっかりしたのだが、最後に行った天満宮の梅で、満足することができた。満開の時に、弁当とビールでも持ってきたら、その野趣を楽しめるだろう。
帰りは、またゆっくりとJRの高尾駅まで歩いた。
駅に着いたころに、日が暮れた。駅前で、食堂を探した。
本を電車の中に忘れたことで、高尾の梅を見ることができた。
ものごと、何かが何かに繋がっている。
「因果応報」よりも、「禍福はあざなえる縄のごとし」あるいは「人間万事塞翁が馬」とも言った方がいい。良いことも悪いことも、コインの裏表のようなものである。