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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ わらの女

2009-05-31 02:15:21 | 映画:外国映画
 カトリーヌ・アルレー原作 バジル・ディアデン監督 ジーナ・ロロブリジーダ ショーン・コネリー ラルフ・リチャードソン ジョニー・セッカ 1964年英

 今、もっともセクシーな女優は誰かといえば、アンジェリーナ・ジョリーだろうか。さらにスペイン女のペネロペ・クルス。セクシーとは違うけど美女のイギリス女キーラ・ナイトレイ。少し遡ってイタリア女のモニカ・ベルッチ、アメリカ女のシャロン・ストーン。
 さらに遡れば、イタリア女のC・Cことクラウディア・カルディナーレ、フランス女のB・Bことブリジット・バルドー、そしてアメリカ女のM・Mことマリリン・モンローなどに行き着く。
 それに、キム・ノヴァクやジャンヌ・モローなどの成熟した女、正統派美女のカトリーヌ・ドヌーブやドミニク・サンダ、はたまたジーン・セバーグやジャクリーヌ・ササールなどの美少女イメージを付け加える人がいるかもしれない。
 忘れてならないのは、50年代から60年代と長い間ヨーロッパではこの人がセクシーの代名詞だった時代があった。それは、イタリア女のジーナ・ロロブリジーダ。
 伝説の美男子ジェラール・フィリップと共演した「花咲ける騎士道」、「夜ごとの美女」で名声を不動とするや、その後はそのグラマラスな肉体で男どもを虜にした。

 セクシーな男優といえば、ブラッド・ピッド、キアヌ・リーブス、ヒュー・ジャックマンetc.etc.
 しかし今は髪も薄くなりすっかり渋くなったが、やはり「007」の初代ジェームス・ボンド役で一世を風靡したショーン・コネリーをあげなければならない。この人には、アラン・ドロンにはないゼントゥルマン、紳士の雰囲気があった。

 セクシーな女とセクシーな男である、この二人が共演した映画が「わらの女」である。
 内容は、大金持ちの初老の実業家である男(ラルフ・リチャードソン)は車椅子の生活だが、まだ第一線で指揮をとっていて、意気軒昂で女性への強い関心もある。
 その甥である男(ショーン・コネリー)は、子供がいない叔父の仕事を受け継いでいるのだが、遺産はわずかしかもらえず、叔父が死んだらその大半は慈善事業に寄付すると遺書にあるのが不満である。
 その叔父のところに、お抱え看護師として美女(ジーナ・ロロブリジーダ)がやってきた。甥は看護師に叔父に取り入れられるようにし向ける。叔父は一目で看護師を気に入り、やがて結婚するに到る。そして、妻に遺産を譲るように遺書を書き替える。
 そして、叔父である男と今は妻になった看護師と甥の三人は、船で海に出かける。そこで、叔父の男が突然死ぬ。
 男は病死なのか殺害なのか、もし殺されたとしたら誰がどうやってというミステリー仕立ての映画である。
 
 「わらの女」、変わったタイトルだと思っていた。
 かつて高校時代に、このようなタイトルの映画を見たのだが、もっと地味な暗い映画だったように思った。それに、ロロブリジーダのような魅力的な女性が出てきたという印象はない。
 だとすると、「わらの女」ではなく「わらの男」(ピエトロ・ジェルミ監督)だったのだろう。
 映画の原作は、「Woman of straw」。もともとカトリーヌ・アルレーの原作は、フランス語で「La femme de paille」。直訳通り、わら、つまり藁の女である。
 もともと、わらの男は、取るに足らない人間を言ったようである。それに操り人形、傀儡を意味したようだ。
 それは、この映画の主題を意味しているのだが、男と女、どちらが藁なのか分からないというのが人間の本質のようである。

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◇ アリスのレストラン

2009-05-28 01:58:26 | 映画:外国映画
 アーロ・ガスリー原作・音楽 アーサー・ペン監督 アーロ・ガスリー パット・クイン ジェームス・ブロディック 1969年米

 1960年代末から70年代にかけての、若者のムーブメントは一種独特のものであった。フラワー・レボリューション、ヒッピー、サイケデリック、マリファナ、フォーク・アンド・ロック。
 アメリカではベトナム戦争の暗い脱力感が広がりつつあったが、若者は根無し草で軽いけれど、遠い夢もおぼろげながらも漂っていた。
 
 「俺たちに明日はない」で、ニューシネマの旗手と称されたアーサー・ペン監督による「アリスのレストラン」は、当時のヒッピーとも言われる若者をよく表わしている。
 この年には、やはりアメリカ・ニューシネマの代表作、「イージー・ライダー」(デニス・ホッパー監督、ピーター・フォンダ)が封切られている。
 「ウッドストック」にも登場したフォークシンガー、アーロ・ガスリーは、この映画の中で自らを演じている。音楽をやりながら自由に生きている彼にも、徴兵検査の通知がくる。
 「木枯らしを顔に受けながら、僕は考えた。
  徴兵猶予か免除適用の、政府公認の教育を受けようと
  ヒッチハイクの旅に出た」
 戦争反対、徴兵検査反対などと大声を出さずに、彼は兵役不適正の判断を受け、徴兵から逃れる。
 題名の「アリスのレストラン」は、ガスリーのアルバム名であり、この映画に登場するこの時代の典型的な女性の名前である。
 「アリスのレストランは、何だって手に入る。
  アリスのレストランは、お望みのまま」
 アリス(パット・クイン)の恋人ロジャー(ジェームス・ブロディック)は、アリスとの結婚式の日、みんなが集まる古い教会を売って、大きな田畑を買おうとする。そして、そこでみんなで暮らそうと言う。
 ロジャーにとって、それは夢の農園のように思えた。しかし、みんなはそんな彼から離れていった。アーロ・ガスリーも去った。
 残されたアリスとその恋人。
 まるでそれは、その当時の若者ムーブメントが、実現することのない儚い夢物語に過ぎなかったことを予言するかのような幕切れであった。
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◇ ナショナル・トレジャー

2009-05-24 00:56:25 | 映画:外国映画
 ジョン・タートルトーブ監督 ニコラス・ケイジ ダイアン・クルーガー ジャスティン・パーサ ション・ビーン ジョン・ヴォイト 2004年米


 ヨーロッパは伝説を重んじる。ギリシャやゲルマン・ケルトの神話伝説は、複雑で多岐にわたる。それは、長い宗教と戦いの歴史の表れでもある。
 その伝説の最たるものがキリストに端を発するもので、その伝説を担ってきたのがテンプル騎士団をあげることができよう。十字軍の第1回派遣終了(1096年)を契機に発足したこの騎士団は、エルサレムでキリストの聖杯あるいは聖櫃を見つけたなどの伝説を生んでいる。それは、フリーメイスンの秘密組織へと受け継がれていく。
 キリストの聖櫃と聞けば、思い浮かべるのが「インディ・ジョーンズ」シリーズの第1弾「レイダース失われたアーク(聖櫃)」であり、第3弾の「最後の聖戦」では、聖杯をめぐる冒険物語である。

 この「ナショナル・トレジャー」は、テンプル騎士団、フリーメイスンの血をひく男が、隠されたエジプトの秘宝を探し求める話である。
 その秘宝は在処は、暗号に充ちていて、暗号の解明は次の暗号の入口で、次の暗号を解いたら、また暗号が現れるといった具合で、なかなか秘宝に行き着かない。
 その暗号は、アメリカ独立宣言書にあると行き着いた男は、それを盗もうとする男と戦いながら、さらにFBIの目をも盗みながら、アクションと冒険を繰り返す。
 もうここまで書けば、「インディ・ジョーンズ」シリーズの焼き直しだと思わざるをえないのでは。
 インディのハリソン・フォードが、ニコラス・ケイジになり、インディの父親ショーン・コネリーがジョン・ヴォイトである。それに、インディと一緒に冒険に巻き込まれる美女が、ダイアン・クルーガーである。
 謎解きに凝ってはいて、冒険も繰り広げられるので、伝説と冒険物語が好きな私は引き込まれたが、どう贔屓目に見ても、本家インディにかなわない。
 それに、インディは考古学者だった。それ故に、考古学と伝説が結びつく面白さも説得力があった。舞台も、ニューヨークの都会ではなくて、インド、中東、アフリカと摩訶不思議な世界に広がった。その危険に満ちた冒険に、少年時代の忘れかけたときめきを甦らせるものがあった。
 やはり、ジョージ・ルーカスの力量を改めて再認識した次第である。
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有田の陶器市

2009-05-05 01:52:04 | ゆきずりの*旅
 黄金週間になると、有田の陶器市に出向くのが習慣となって久しい。もう買うべき物などないのだが、やはりこの週間になると一度は出向きたくてむずむずしてくるのだ。
 電車を乗り逃がした次の日、「見るだけ」と自分に言いきかせて、ぶらりと出かけてみる。
 有田から上有田の間の4キロ余の街中の道の両側に、ずらりと陶磁器の店が並ぶ。
 いつものように、上有田から有田の方に向かって歩く。相変わらず賑やかだ。みんな手提げ袋やリュックを持っている。

 辻修さんの展示店を覗いたら、久しぶりにそこにいた本人に会った。20年ほど前に彼のコーヒーカップを買って以来の顔見知りである。
 先日、四谷の中華料理店に行ったら、変わった箸置きが出てきて、すぐに辻さんの作品だと気づき、オーナーにこれは辻さんの作品でしょうと言ったら、そのオーナーは、分かる人がいたととても喜んで、僕を奥の方に飾ってあるやはり辻さんの作品である大花瓶のところまで案内した、という話を辻さんにした。
 辻さんは、細やかで個性的な作品とは不釣合いの、大らかな笑顔で、そうですか、世間は狭いですね、と嬉しそうに笑った。

 途中で、以前買った大皿の「宗右衛門」の、同系統の葡萄の葉柄の小皿があったので、5客買ってしまった。
 食器は、何となく、食卓には大皿や小皿は同じ柄で揃えたいと思うところがある。だから、つい増えるのだ。
 「深川」に行ったら、2階に食事としてカレーを食べさせる臨時のコーナーがあった。その横に、食事用に使っているのと同じカレー用の深皿が飾ってあった。売り物でもあるようだ。
 そういえば、持っている深皿は気に入らなくて棚の奥にしまってあり、カレーを食べるときはどれにしようか決まっていなかったと思い出し、カレー用の皿を買うことにした。
 西洋風の今時の絵柄を散りばめたものと、陶器市期間限定という同型の無地の皿があった。絵柄が気に入らなかったので、無地の方を3皿買うことにした。
 独り者だから1つでもいいものだが、食器はどうしても複数揃えることになる。滅多に来ない客のことも、つい考えてしまう。その数は、5客(皿)が正当なのだろうが、僕の場合はそのときの気分で変わる。
 「香蘭社」に行くと、梅酒用のコップが、これも気分によっていろいろ決まっていなかったなあと思い、それ用の野葡萄柄のコップを買うことにした。それと同じ柄の水差し風の小皿もそれぞれ4客買うことにした。
 帰りに、去年買って気に入った磁器の風鈴をまた買うことにした。

 「見るだけ」のつもりで行ったのが、結局あれこれ買う羽目になった。毎年のことだ。もうこの辺でやめないと、使わない食器が棚の奥に積まれていく。
 まさしく、「見るだけ」の食器が家に増えていく。
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青い麦

2009-05-03 02:20:26 | 気まぐれな日々
 昼下がり、田舎の道を歩いていく。青い空に青い田園が左右に広がっている。
 実家の佐賀に帰ってきていて、今日は有田の陶器市に行く予定だったのだが、駅の向こうをこうやって歩いている。
 なぜこうなったかと言うと、有田に行くために家を出たのだが、電車の発車時刻に遅れそうなので走って(いつもこうなのだ)駅に滑り着いたときは、ホームにすでに電車が停まっていたのだった。
 息を切らせながら、改札口に立っている駅員さんに「もうだめですよね」と言えば、駅員さんも、ホームを見ながら「そうですね、ほらもうドアが閉まりました」と言った。そして、電車は何事もないかのように、ぼくを置き去りにして動き出したのだった。
 いつもは間に合うのだが、今日はどうしたことか電車が早く来て早く発車した、インドだったらこんなことにはならなかったのに、と僕は心の中でぼやきながら、駅を通り過ぎて歩き始めたのだった。
 ここは、九州・佐世保線の特急の停まらない佐賀の田舎の駅。
 1本逃すと次の電車は1時間半後なのだ。家に戻ろうかとも思ったが、陶器市は次にして、佐賀白石平野に向かう田舎の道を歩き始めたのだった。
 子どもの頃、田舎のおばあちゃんの家に行くには、この道をバスに乗って行った。道は今みたいに舗装されていなくて、バスは橋を渡ってゴトゴトと走った。
 途中に牛小屋があり、時には道に馬も歩いていたりした。だから、道には馬糞も転がっていた。今は、きれいな道になったのだが、バスは廃止されて久しい。
 道はきれいになったが、広がる畑の景色は変わらない。季節によって、米(稲)であったり、玉葱であったりする。この季節、麦が波のように広がる。時に、植えたばかりの青い稲も、玉葱も残っていたりするが、青い麦が一面に広がる。

 青い麦を見ると、「青い麦」という文字が思い浮かび、コレットの「青い麦」のような漠然とした思春期のもどかしい季節を思い浮かべる。まだ性も知らない思春期の、「青春」という文字を雑誌で見ただけで、胸が騒いだ時期のことを。
 コレットの「青い麦」「le ble en Herbe」の舞台は、タイトルのような麦畑ではない。ブルターニュの海辺での、大人の女性に性の手ほどきを受ける、16歳の少年のひと夏の体験なのだ。

 麦畑の向こうに、鯉のぼりが見える。麦の中から鯉が昇りたって行くかのようだ。鯉は勇ましいが、麦は少しウエットだ。それに青い麦とくれば、幼くも艶かしい性の香りがする。
 こうして青い空の下に広がる麦畑を見ても、性など一切関係ない牧歌的な風景なのに、「青い麦」と言葉にすれば、たちまちもやもやとした気持ちが甦るから不思議である。「青い稲」や「青い玉葱」では、なんの感慨も呼び起こさないのに。

 違った経路で帰ろうと畑の中を分け入ったら、行くときに渡った川の土手に出た。六角川という名の通り、うねるように曲がっている。土手を歩いたら、ぼくの町に近づいてきた。近道だと思ったら、また急に戻りだし町からどんどん離れだした。川はU字型に蛇のようにくねっているのだった。そして、やはり行くときに渡った橋の麓に出た。
 近道どころではなく、行きの直線コースの倍以上の距離を歩いたようだ。橋を渡らないと、元の街に戻れないのだから、やはりこうなるのだ。
 しかし、誰ともすれ違うこともなかった知らない田んぼの小道は、懐かしい青い麦の匂いに充ちていた。

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