かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

人形劇、文楽を観る

2024-05-22 02:06:56 | ドラマ/芝居
 *個性豊かな、世界の人形劇

 人形といえば、子どものころ絵本で見た(読んだ)「ピノキオ」を思い出す。
 木でできた人形のピノキオは人間のように動き、わんぱくで悪戯もする。嘘をつくとアレアレッと鼻が伸びる。そして、海の鯨(原作では大きなサメ)に飲み込まれたりする。

 人形劇といえば、インドネシアのバリ島で観た「ワヤン」が印象深い。ワヤンはワヤン・クリとも呼ばれる人形による影絵芝居である。
 ワヤンは、ガムラン音楽の流れととともに、ダランと呼ばれる一人の人形遣いが、語り、歌をうたい、時に効果音を出すなどしながら、いくつもの人形を操る。
 ガムラン音楽は、鉄琴のような青銅(鉄)製の鍵盤打楽器や銅鑼による合奏のインドネシアの民族音楽である。一回聴いただけで脳裏に残る他に類を見ないリズム、音楽だ。
 旅で訪れたバリ島のウブドの村はずれで、日も暮れた夜に、灯りに照らされた幕(スクリーン)に影による人形芝居が映し出された。ワヤンは、南国の夜空の下に揺らめく、いかにも幻想的な体験だった。

 個性的なのが、ベトナムの「水上人形劇」である。
 舞台はため池などの濁った水の上で、というか水の中で、人形劇が行われるのだ。
 水の中の簾(すだれ)で隠された舞台裏にいる人形操者が水に腰まで浸かって、歌と楽器の演奏に合わせて人形を操る。人形は長い竿の先に取り付けられ、糸によって頭や腕を動かすようになっている。
 実際に見たことはなく映像で見たのだが、初めて水上人形劇を見たときはその着想に驚くような感動を覚えた。水の上が舞台なのだ。水の上を様々な人形が素早く動きまわり、水飛沫が跳ねる。これを見るだけのためにも、ベトナムに行きたいと思った。

 こうしたアジアのユニークな人形劇に対して、ヨーロッパはどうであろうか。
 思い浮かぶのは、フランスのリヨンを中心に行われていた「ギニョール」である。ギニョールは、絹の集散地として賑わっていたリヨンに持ち込まれた、イタリアの指人形劇から始まった人形劇である。
 子どもに人気のユーモラスな動きの勧善懲悪劇で、何だか懐かしい動く紙芝居を思わせる人形劇である。

 そして、日本の人形劇といえば、「人形浄瑠璃文楽」である。
 「人形浄瑠璃」とは、三味線を伴奏に使い、太夫が語る旋律によって物語を進めていく浄瑠璃と人形によって展開される人形劇である。
 ことの初めは、江戸時代、竹本義太夫が古浄瑠璃を独自に発展させた義太夫節と人形劇で、大阪・道頓堀にて竹本座を興し公演・興行をしたこととされる。元禄期に、その竹本座で上演された近松門左衛門作の「曽根崎心中」などを生んで、人気になった。
 その後、人形浄瑠璃は徳島や淡路から全国に伝わり、日本の伝統文化となった。しかし、大正時代以降、いくつかあった公演団体のなかで一定規模以上の団体が文楽座のみになる。それゆえ、「文楽」が人形浄瑠璃と同義に用いられるようになった。

 *初めての文楽体験は、「ひらかな盛衰記」

 日本の伝統芸能である「能」や「狂言」、「歌舞伎」を観たことはあるが、「人形浄瑠璃文楽」は観たことはなかった。
 たまたま観る機会が生じて、こんなときでないと観ることはないと思い出かけた。
 5月9日、東京都北千住の「シアター1010」に出向いた。
 「豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露」と告知が出ていたが、2部制の午前開演のAプロには豊竹義太夫は出演していたが、私が観た午後のBプロ(午後4時開演)の部の「ひらかな盛衰記」では、豊竹義太夫の名はなかった。
 外題の「ひらかな盛衰記」の、「盛衰記」とは「源平盛衰記」のことで、源義仲が滅亡する粟津の戦いから一ノ谷合戦までの間の「平家物語」の世界を描いたものである。

 人形浄瑠璃は、古くは能・狂言や歌舞伎がそうであったように、男性だけで演じられる。
 正面の舞台に、人形が並びその背後に人形遣いがいる。一つの人形につき人形の主遣いが1人、補助役の黒衣が2人付いている。黒衣の黒子は頭巾をかぶり全身真っ黒の影の存在だが、主遣いは紋付・袴で顔もちゃんと出している。
 舞台に向かって右(上手)に張り出した床があり、そこに語りの太夫と三味線の弾きが座っている。
 私は人形浄瑠璃の主役は人形であるから、人形遣いを義太夫と称するのだと思っていた。ところが、主役は語り・謡い手であり、その人が義太夫であった。そんな基礎知識もない、人形浄瑠璃、文楽愛好家から見れば呆れるような初体験であった。

 ※かつて日本語を話す外人タレントの走りであろうか、大阪弁をこなすイーデス・ハンソンという美人で賢い女性がテレビ、雑誌等で多彩に活動していた。その女性が人形浄瑠璃の吉田小玉という人形遣いの人と結婚するという報道を聞いて、日本の異国情緒に惹かれたのかなあと当時思った。そのこともあって、人形遣いが人形浄瑠璃の主役で花形だと私は思ったのだろう。E・ハンソンは2年ほどで離婚したが。
 先日、1970年の大阪万博のアーカイブ映像に、そのイーデス・ハンソンがチラッと映し出された。たまたまそれを見て、来年に迫った2度目の大阪万博と違って、E・ハンソンのいた前の大阪万博の頃は、夢のあるいい時代だったなぁと思いだしたのだった。

 *
 日本の人形浄瑠璃は、やはり日本独特の伝統芸能である。
 人形の動きは、派手でも活発でもない。語りに従って動く。どちらかというと微妙な動きに重きを置いている。それゆえか、どうしても、語り・謡いが主となる。
 いや、日本の伝統芸能は、おしなべてその全体を支えているのは話・物語である。であるから、物語のあらすじを知っていないと、楽しみは半減する。
 今回は、舞台の上の方に語りの台詞が字幕として出るので、初見の者はそれを追うことになる。日本人でも人形浄瑠璃に馴染みのない人は、字幕を見ないとストーリーを把握しづらい。
 これは、能もそうだが、初めて見る外国人の観光客に浸透させるのは難しいだろうと思った。
 イーデス・ハンソンは長く近松門左衛門の大阪の空気を吸っていて、大阪が好きだったし、日本の伝統ジャポニズムに惹かれた奇特な外国人なのである。

 日本人の私ではあるが、日本の伝統芸能である人形浄瑠璃文楽を楽しめるようになるのは難しいな、としみじみ感じ入った。

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クラシック音楽のルーツを探る、ラ・フォル・ジュルネ2024

2024-05-09 02:00:45 | 歌/音楽
 毎年ゴールデンウィークに開催される、フランス発の音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」(熱狂の日々)が、今年も東京国際フォーラムで行われた。
 毎年テーマが掲げられ、去年は「ベートーヴェン」だった。
 今年のテーマは、「ORIGINES(オリジン) ――すべてはここからはじまった」である。
 クラシック音楽のルーツ、最初に生みだされた音楽というだけでなく、幾世紀にもわたり、世界のあらゆる国々の作曲家たちをインスパイアしてきた様々な音楽の伝統にスポットライトを当てる、ということである。

 *クラシック音楽の「オリジン」とは?

 ラ・フォル・ジュルネのアーティスティック・ディレクターであるルネ・マルタンの言葉から、その内容を記しておこう。
 クラシック音楽といえば、「音楽の父」と称されているJ.S.バッハがあげられるが、彼もまた、悠久の時と文明のるつぼに深く根を下ろした長い音楽の伝統を受け継いでいた。そして、彼以後の作曲家たちは皆、どの大陸、どの国の出身であれ、古くからの遺産をよりどころとして自分たちの音楽言語を練り上げ、作品を生み出してきた。
 その「オリジン」として、次の例をあげている。
 19世紀半ば以降、音楽を通して「オリジン」が探求されて、ロシア、ハンガリー、チェコスロバキア、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、フランス、スペインなどで花開いたのが「国民楽派」である。
 各国の限りなく豊かな大衆音楽から想を得、名曲を残した、ムソルグスキー、チャイコフスキー、スメタナ、ドヴォルザーク、コダーイ、バルトーク、さらにはグリーグ、シベリウス、アルベニス、ラヴェル、ビゼーらの作曲家をあげる。
 音楽の「オリジン」をめぐるテーマとしては、「楽曲形式の変遷」をあげる。時代を超えて多くの傑作を生み出してきたソナタ、四重奏曲、協奏曲といった形式は、どのように誕生したのか?
 そして、「楽器の起源」にも視点を置く。今日の私たちが知る楽器は、どのように生まれ、時とともにどのような変化を遂げたのであろう?
 人間の息は、あらゆる音楽の起源であった。竪琴とともに世界最古の楽器の一つとされる笛以上に、息を、すなわち世界の起源を体現する楽器があるであろうか?
 さらに、「パイオニア的作品」といえる、その法外な革新性によって新たな道を切り拓き、音楽史の流れを変えた作品も取りあげる。
 例えば、ヴィヴァルディの〈四季〉、ストラヴィンスキーの〈春の祭典〉、バーンスタインの〈ウエスト・サイド物語〉などをあげている。

 つまり、ラ・フォル・ジュルネにおいてのオリジンは、音楽のこと初めである歌声から、楽器、楽曲の形式、民族の特色など、その時代を彩った音楽、作曲家たちを取りあげる、クラシック音楽のパノラマということである。

 *
 私は、あらゆるジャンルの音楽を聴いてきた。
 歌謡曲、シャンソンやファド、ロック、ジャズ、クラシックなど、時代の流れとともにあった気がする。
 現在聴くのはクラシック音楽が最も多いが、現代音楽は苦手というか良いとは思わない。バロックからモーツァルト、ベートーヴェンなどの古典派が最も心地いいし、どうにかロマン派のブラームスあたりまでである。
 坂本龍一がドビッシーの音楽を聴いたとき、それまでのベートーヴェンなどの古典派の、ソナタ形式などの構築された音楽から、和音にとらわれない水の流れのようだと形容し、音楽的衝撃を受けたと述べていた。
 こう言われても私のなかでは、ドビッシーの良さは宙に浮いたままである。
 現代の音楽家(作曲家や指揮者)の多くが称賛し、このラ・フォル・ジュルネのルネ・マルタンもオリジンとして取りあげているストラヴィンスキーの「春の祭典」も、皆なぜ絶賛するのかという疑問符は氷解することはない。
 つまり、私はいまだベートーヴェンを敬愛した「ブラームスはお好き?」のままなのである。

 *ラ・フォル・ジュルネ2024へ

 ラ・フォル・ジュルネは、5月3~5日の間、朝から夜まで東京国際フォーラムの各ホールおよびその近辺で、数多くの公演が行われた。
 5月4日、東京国際フォーラムに出向いた。
 聴いた2公演は以下の通り。

 ・18:45 〜 19:30 ホールA
 世界に新たな一歩を踏み出した霊妙のコンチェルト
 [曲目]ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.61
 [出演者]リヤ・ペトロヴァ(ヴァイオリン)
 東京フィルハーモニー交響楽団
 三ツ橋敬子(指揮者)
 <リヤ・ペトロヴァ 略歴>
 2016年ニールセン国際コンクール優勝者。ブルガリアの音楽一家に生まれ、エリーザベト王妃音楽院でデュメイに、アイスラー音楽大学でヴァイトハースに、ローザンヌ音楽院でカプソンに師事。パリ管、フランス放送フィル等と共演。2021年、「ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ほか」をリリース。パリ在住。(ラ・フォル・ジュルネ広報より)

 ・20:00 〜 21:00 ホールB5(1)  マスタークラス
 [講師]アンヌ・ケフェレック(ピアノ)
 [曲目]シューベルト: ピアノ・ソナタ第17番ニ長調 D850 から 第1楽章
 公演ではなく、指定の曲を弾いた生徒(音大生)に対して、ピアニストの講師が指導、教授する催しであった。

 *歴史を彩ったクラシック音楽家列像

 会場で販売していたラ・フォル・ジュルネ音楽祭2024、30周年記念盤「オリジン~7世紀にわたる音楽の旅」と称したCD(2枚組)を購入した。
 これまでの音楽祭に登場した、あるいは関連ある作曲家や作品を、「オリジン」のテーマに即した内容としている。
 中世ノートルダム楽派のポリフォニー音楽の作曲家、ペロタン「祝福された胎児」(抜粋)から、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ドヴォルザーク、ブラームスの曲を含め、メキシコ人の現代音楽作曲家のA・マルケス「ダンソンno.2」までを、摘まみ選択したものである。
 そのジャケットには、その時代を彩った作曲家、その関係者の肖像画を羅列してある。音楽の教科書や関連書で見たことのあるモーツァルトやベートーヴェンなど有名な人物もいるが、まったく見たこともない(聞いたこともない)人物もいる。(写真)
 さて、何人知っているだろうか?

 参考までに、以下にその解答を記しておく(名前の順は、左から右へ)。
 ①アントニオ・ヴィヴァルディ
 ②ヨハン・セバンチャン・バッハ
 ③ヨーゼフ・ハイドン
 ④ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
 ⑤ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
 ⑥ルイーズ・ファランク
 ⑦フランツ・シューベルト
 ⑧ファニー・メンデルスゾーン
 ⑨フレデリック・ショパン
 ⑩クララ・シューマン
 ⑪モーリス・ラヴェル
 ⑫ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
 ⑬セルゲイ・ラフマニノフ
 ⑭メラニー・ボニス
 ⑮イーゴリ・ストラヴィンスキー
 ⑯ヨハネス・ブラームス
 ⑰ガブリエル・フォーレ
 ⑱ジョージ・ガーシュウィン
 ⑲ジェルメーヌ・タイユフェール
 ⑳フランツ・リスト
 ㉑ナディア・ブーランジェ
 ㉒フィリップ・グラス

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女性落語家、蝶花楼桃花を聴く!

2024-05-04 04:45:57 | ドラマ/芝居
 会社勤めの頃、通勤・帰宅での電車の乗り換え場(駅)であったこともあり、夜の主戦場は新宿だった。
 新宿駅東口、歌舞伎町から、新宿3丁目界隈が最も頻繁にさ迷い飲み歩いた。
 そんなとき気紛れに、あるときは酔ったついでに、あるときは女の子を誘って、ふらりと新宿末広亭に入って、寄席を楽しんだりした。
 しかし、最近は寄席からすっかり足が遠のいてしまった。
 見る(聴く)とすれば、近くのパルテノン多摩(東京都多摩市)で、年に2回行われている中央大学落語研究会(落研)の学生たちの落語ぐらいである(これが上手いのである)。
 今年になって、そのパルテノン多摩で女性落語家の公演が5月2日に行われるというのを当該情報誌で知った。
 女性の落語家が珍しいので、それにあやかった公演かと見くびっていたら、3月ごろになると、テレビ「笑点」大喜利の最古参メンバーである林家木久扇が4月いっぱいで卒業するにあたり、その後継者候補の一番手に人気女性落語家が、とSNS等で話題になった。
 その女性落語家というのが、パルテノン多摩にやってくる蝶花楼桃花だった。
 1年前に笑点のメンバーとなった春風亭 一之輔を見るまでもなく、笑点レギュラーとなったらチケットが買えないくらい人気になるなと思い、急いでチケットを購入しに行った。ギリギリに席を確保でき、そんな笑点新メンバーの噂もあってか、すぐに3月で席は完売となった。

 蝶花楼桃花は、春風亭小朝の弟子である。
 春風亭ぽっぽとして前座を開始し、二ツ目の時代は春風亭ぴっかり☆を名乗る。なお、名前の末尾に☆マークが入っているが、これは読みはなく、寄席文字にないため定席のめくりには表記されない。
 2022年の真打昇進とともに、高座名を蝶花楼桃花とし、女性落語家として人気上昇し、現在に至っている。

 それにしても、蝶花楼桃花の「蝶花楼」という亭号は珍しい。
 2019年に七代目蝶花楼馬楽が死去して以来、3年ぶりの亭号復活ということである。
 笑点の大喜利メンバーであった林家木久扇は、師匠である林家彦六の真似をよくやっていた。その林家木久扇および三遊亭好楽の師匠でもある、一門の祖である林家彦六は八代目林家正蔵を名乗る前に五代目蝶花楼馬楽を名乗っていた。
 蝶花楼、なにやら華(艶)がある名である。それに、桃花が付く。
 やはり、蝶花楼という亭号は、女性落語家がよく似合う。

 *パルテノン多摩独演会「蝶花楼桃花」 2024年5月2日(木)

 蝶花楼桃花が舞台下手から登場し、壇上で座って客席に向かって一礼すると、そこに花が咲いたように急に舞台が明るくなった。
 まず、「まくら」は、自己紹介のようなものである。
 落語家は階級制度であるとして、見習い、前座、二つ目、真打と昇っていく階級を紹介。その先はないかと思うと、ご臨終にいたると笑いをとる。
 つぎに、全国の落語家さんは約1000人、そのうち女性の落語家さんは30名~40名ととっても少ない、と女性落語家の稀少性をあげてみる。
 そして、私は落語家になりたての頃は、当時大河ドラマ「篤姫」をやっていて、その主演女優、宮崎あおいが人気で、私は「ポストあおい」と言われていた、と。そのオチは、彼女にファンからの手紙を渡す役割(俳優ではなく)だったこと、という(詳細に話すと長くなるので略)。

 演目1は、師匠・春風亭小朝のために書き下ろされた新作落語「こうもり」である。
 「鶴の恩返し」をモチーフにした作品で、「こうもりの恩返し」である。これが、単なる人情噺ではないところが、おやっと新しさを思わせた。
 日本の仏教と西洋のキリスト教の対比をあちこちにオチとして提示するのである。
 であるから、このコウモリの出身がルーマニアになっている。つまり、吸血鬼の里ということである。ここから、聖書の「悔い(食い)改めよ」とか、キリストがこの中に裏切り者がいる、それは3つのコップ、葡萄酒、水、湯のどれかを飲む、と言う。それは、「湯だ」(ユダ)……等々、多少の教養も必要(できれば)な落語となっている。

 余興として、「南京玉すだれ」芸を演じる。
 長さ30~ 40センチの竹製のすだれ(簾)を、釣り竿、東京タワーなどいろいろな形に変化させるものである。

 休憩を挟んで――
 演目2は、「徂徠豆腐(そらいどうふ)」である。
 これは、街の豆腐屋と落ちぶれた浪人の恩返し、人情噺である。

 蝶花楼桃花、彼女は声がいいので、聴いていて心地いい。
 落語界へ、彼女が新しい道を開いてくれるであろう。

 *

 この日、「桃花」にちなんで、パルテノン多摩の近くにある中華料理「桃里」で夕食をした。あいにく、桃の花の季節は過ぎているが。
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