かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

横浜・盛り場ブルース② 若葉町から、「美空ひばり像」を探して

2024-03-09 02:44:11 | * 東京とその周辺の散策
 川の流れに 惑わされ いつしか揺らぐ 街の灯よ
  ここは横浜 若葉 宮川 日ノ出町

 地図を見るとよくわかるが、横浜の主要地といえる関内およびその関外は、横浜港のみなとみらい地域から出ている大岡川と、山下公園の東端から出ている中村川の間の地域だということである。
 この二つの川の間に横浜が凝縮されている。

 *若葉町から、大岡川に添いながら関外、吉田新田を歩く

 さて、横浜の関外を歩いている。
 大岡川のほとりの「黄金町」から出発して、大岡川の対岸の「末吉町」、「若葉町」にやってきた。
 横浜のこの一帯は、通りを1本またげただけで違った町名になる。
 若葉町の東隣の通りは「伊勢佐木町」で、その先は「曙町」、その先は「弥生町」となり「大通り公園」にぶつかる。
 ちなみに、ここまでが中区で、大通り公園から先は、南から「高根町」、「真金町」、「永楽町」と南区である。その北の方が再び中区で、「山吹町」、「万代町」と連なる。
 東京都の一部では、歴史的な住居表示を平坦な町名に変えてしまったところが多々ある。しかし、ここ横浜で細かく分かれて複雑となっていれども、町名が統合されずに残っているのは喜ばしい限りである。

 関内の方向に向かった「若葉町」のこのあたりにくると、タイのマッサージ店やレストランをはじめ飲食店があちこちに出没し、盛り場の雰囲気が出てくる。「Hotel Bali Bali」なる、南国リゾートと見紛うホテルもあり、無国籍な街の雰囲気が出てきたようだ。
 若葉町の通りを進んで「福富町」の手前を、再び大岡川の方に向かって、東の方に左折する。

 大岡川・長者橋の手前付近に、突如「清正公堂」なるお堂が出現する。
 清正といえば熊本藩の加藤清正であろう。どうしてここに清正公がと思うが、解説によると熊本の本妙寺の上人が長者町にあった常清寺境内に開堂したことが起因のようだ。戦災により常清寺は移転したが、清正公堂は、長者町の初代吉田勘兵衛住宅跡に別院として建立したという。

 そのすぐ先に「吉田家大井戸跡」がある。
 長者橋たもとの屋敷跡地にある、初代の吉田勘兵衛が掘ったと言われる井戸の跡である。
 清正公堂の建立に関して出てきたあの吉田家である。この一帯は吉田というのが頻繁に出てくる。
 では、吉田とは何者なのか?
 吉田勘兵衛は江戸時代前期の材木商であったが、17世紀中期にかつて入海であったこの一帯を開墾した人物である。その後、この一帯は吉田新田と呼ばれた。
 関内のふもとにある吉田橋をはじめ吉田町という町名にもその名が残っている。

 吉田家大井戸跡から大岡川に沿って進むと、すぐに「長者橋」に出る。長者橋というからには、ここは長者町なのか?
 そう「長者町」なのである。

 *長者町の不思議

 「長者町」は不思議な町だ。
 このあたりの町は、東西(地図上では左右)、南北(地図上では上下)の通りが碁盤の目のように走っていて、伊勢佐木町にしても曙町にしても、だいたいが南北の通りが町の区切りである。
 しかし長者町は異なる。
 長者橋のたもとに来たとき、もっと西の方でこの町名を見た記憶があったので、おや、ここにも同じ名の長者町か?と不思議に思ったのだ。それで、詳しい地図を見た。
 長者町は、この一帯の町の区切りである南北(上下)に逆らい、通りを切り裂くように東西(左右)に走っているのだった。
 「横浜駅根岸道路」が、JR根岸線の南をだいたい平行に、つまり関外の吉田新田を横断するように東西(地図上では左右)に走っている。その通りの東の中村川の「石川町」を挟む車橋から(1丁目)、西の大岡川の長者橋まで(9丁目)の、通りに沿った約1㎞の細長い地域が長者町なのだ。
 それゆえ、南北に長い伊勢佐木町は2丁目と3丁目の間で分断されていて、長者町の4丁目と5丁目の境に「大通り公園」が南北に貫いている。ここに、横浜市営地下鉄ブルーラインの「伊勢佐木長者町」なる駅がある。駅名に伊勢佐木の名が付いているが、伊勢佐木町と隣接しているわけではなく、名前を拝借したに過ぎない。
 というわけで、長者町の接する町は、大岡川・長者橋の対岸の「日ノ出町」から、中村川の対岸の「石川町」に連なる間の20余町にものぼる。
 これは多い。これほど多く他の町と接している町をほかに知らない。長者町の通りを歩き進むたびに、左右(東西)の町の名が変わる。

 *日ノ出町から宮川町へ

 大岡川に架かる長者橋を渡ると「日ノ出町」である。
 すぐの川べりに碑がある。
 「長谷川伸生誕の碑」である。
 長谷川伸と言っても、今では知らない人が多くなったであろう。かつて「沓掛の時次郎」、「瞼の母」、「一本刀土俵入り」など新国劇で人気を誇った劇作家で、歴史小説家である。1963(昭和38)年、79歳で永眠。

 京急「日ノ出町駅」脇の細長い路地を進むと、長い階段が現れ、その坂下のふもとに「天神坂碑」なる石碑がある。
 先にあげた「吉田家大井戸跡」にも登場した、この一帯の吉田新田を開墾した吉田勘兵衛の碑である。勘兵衛が新田を開発するにあたり、埋立てに必要な土砂を採集したことを示す記念碑で、昭和9年に建てられたという。
 この階段を上るのは、これからの歩く工程を考慮してやめることにして、日ノ出町駅前の通りに戻った。

 日ノ出町駅前の通りを北へ進むと大きな通りに出くわす。
 そこで飛び込んできたのは「横浜ロック座」。普通のビルの1階にあり、派手な看板が目につく。立て看板には、「今週の舞姫」と5人のかわいい女の子の顔写真がアップされていて、その横に「入場料金5000円」とある。
 アイドルのショーと見間違うが、ストリップ劇場なのだ。末吉町にあった黄金劇場とはストリップの本質が異なる、今どきの劇場なのである。

 その通りを北へ行くと「宮川町」になり、映画館「光音座」がある。映画館はカウンター、券売機を挟み1と2に分かれていて、「光音座1」がゲイポルノ映画、「光音座2」がピンク映画の専門館である。
 このような映画館も、今では珍しいかもしれない。
 この先の「野毛町」の繁華街には、ゲイ向けの飲食店が多くあるという。その領域なのだ。
 この近くには、場外馬券売り場の「ウインズ横浜」がある。ここは、美空ひばりが本格デビューを果たしたとされる「横浜国際劇場」があったところである。

 *丘のホテルの 赤い灯も……美空ひばり像

 その元横浜国際劇場の向かい側にある鮨屋の前庭に、見過ごしそうだったが「美空ひばり像」が建っている。あの戦後昭和の歌謡曲史上に大きな足跡を残した、美空ひばりである。
 この像を見るのが、今回の散策の一つの目的だった。
 もともと美空ひばり(1937〈昭和12〉年-1989〈平成元〉年)は横浜市磯子区出身だが、彼女が芸能活動をはじめた頃から通っていたという、ここ松葉寿しの主人の発案で、この像は1993(平成4)年に建てられたという。
 像は、シルクハットと燕尾服、そして手にはステッキという、子ども時代のひばりのこましゃくれたスタイルである。これは、横浜が舞台になった初の主演映画「悲しき口笛」(監督:家城巳代治、松竹、1949年)のポスターがモチーフとなっている。(写真)

 丘のホテルの 赤い灯も 胸のあかりも 消えるころ
  みなと小雨が 降るように……
 彼女が歌う「悲しき口笛」(作詞:藤浦洸、作曲:万城目正、1949年)も大ヒットした。

 美空ひばりの像は、おそらくここだけであろう。
 ※調べてみると、福岡市南区油山にある油山観音正覚寺の敷地の中に「ひばり観音」があるが、ここは美空ひばりとの縁を考えても、像の持つニュアンスも異なるようだ。

 それでは、「美空ひばりの歌碑」はというと、正確なところははっきりしないが、日本全国に8カ所あるようだ(2023年現在、湘南の士・資料協力)。
 ≪歌碑一覧≫(日本列島、北から順に)
 ・「美幌峠」 北海道網走郡美幌町
 ・「リンゴ追分」 青森県弘前市/リンゴ公園
 ・「越後獅子の唄」 新潟市南区月潟
 ・「みだれ髪」 福島県いわき市塩屋崎
 ・「歌の里」 長野県上伊那郡箕輪町
 ・「港町十三番地」 神奈川県川崎市 京急線「港町」改札・出所
 ・「川の流れのように」 高知県長岡郡大豊町/大杉の苑
 ・「花風の港」 沖縄県那覇市/がじゃんぴら公園

 *
 私が美空ひばりの歌で最も好きなのは、「白いランチで十四ノット」(作詞:石本美由起、作曲:万城目正、1958年)である。
 ベストアルバムにも入っていなく聴く機会も少ないが、「若い笑顔に 潮風うけて 港のカモメよ〝今日は”……」という歌詞の、ひばりの歌では珍しい爽やかでリズミカルな歌である。
 美空ひばりに関しては、この歌に関連して、このブルグで書いている。
 ブログ→「戦後昭和を疾走した美空ひばりの、「ひばりの森の石松」」(2012-12-10)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/07eed99e5e8a2cd956f514ca0d527918

 私が後悔しているのは、美空ひばりのライブを一度も観なかったということである。
 新宿で毎晩のように飲んでいた若いころ、すぐ近くの新宿コマ劇場でしばしばライブ公演をやっていた。その頃は、気にも留めずに「ああ、また美空ひばりが公演をやっているなぁ」くらいに思って、通り過ぎていた。
 あの日も、あの季節も、いつの間にかままならないところに行ってしまう。

 *
 宮川町の美空ひばり像をあとに、すぐ先(北)の「野毛町」へ入っていくことにした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする