かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

「女のいない男たち」に見る、村上春樹の失恋のあり様

2022-04-27 01:28:35 | 本/小説:日本
 濱口竜介監督の映画「ドライブ・マイ・カー」の原作ということで読んだ、村上春樹の短編小説集。 
 村上春樹の長編小説は好きだが、今まで短編小説には手を伸ばしたことがない。映画が話題になったので、2014年発売のこの小説も映画に絡めて宣伝されていて、相乗効果で売れているようだ。
 この短編集には、「ドライブ・マイ・カー」、「イエスタデイ」、「独立器官」、「シェエラザード」、「木野」、そして表題作の「女のいない男たち」の6遍で構成されている。
 共通しているのは、表題の〝女のいない男゛ということであろうが、まったく女がいないというわけではない。いや、むしろ全ての男に女がいる、もしくはいたのである。

 *6つの短編小説の概略

 「ドライブ・マイ・カー」は、映画の根幹となった物語である。
 舞台俳優の男は、亡くなった妻の不倫相手の男と酒を飲みながら妻のことを話しあう仲となる。そのことを、彼の専属ドライバーになった若い女性に語り始める。
 それにしても、妻の不倫相手の男が一途に妻への賛美を語る話に、知らぬ素振りで聞いてあげるという主人公の男はいかがなものか?

 「イエスタデイ」は、ビートルズの歌からきているが内容に関連性はない。
 大学生の主人公の男は関西・芦屋出身で上京してすぐに標準語(共通語)を話したが、同級生の女の子から紹介され親しくなった男は東京・田園調布出身なのにネイティブのような関西弁を話す。「イエスタデイ」に関西弁の歌詞を付けたという、この一風変わった男の話である。
 しかし、著者(村上春樹)の出身校でもある早稲田大を目指して浪人中の男が、勉強そっちのけで関西弁習得のために関西に一時住むことまでする熱の入れ方というのは、どういう目的意識なのか?

 「独立器官」は、金もあり女にも不自由なく遊んでいる独身中年の美容整形外科医が、突然人妻に恋をし、拒食症になり死んでいった話である。
 う~ん、若きウェルテルならいざ知らず、遊びなれた男が陥る穴としては状況描写も意外性を裏付ける物語性も足りていない。

 「シェエラザード」は、元は「千夜一夜物語」の登場人物で語り手である。
 ハウスに隠れるように住んでいる得体のしれない男のところに、不定期に身の回りの世話とセックスをしに中年の女性が訪れる。その女性はセックスをした後、決まってとりとめもない物語をして帰っていく。
 映画「ドライブ・マイ・カー」では、主人公の妻がセックスのあとに物語を語るという、「シェエラザード」の役目を付加している。

 「木野」は、主人公の男の名前で、妻に不倫されたことで会社を辞めたあと、その名のジャズバーを開く。
 店には、黙って一人酒を飲む男、いわくありげなカップル、やくざ風な二人組の男などがやってくる。ところが、ある日、主人公の男は店を閉めて遠いところに旅に出なくてはならなくなる。
 この小説が最も村上文学らしいパラレルワールドを感じさせるが、いかんせんショートストーリーのためか、長編小説に見る深淵の向こう側を想起・彷徨させるに至らず物語を終わらせている印象だ。

 「女のいない男たち」は、表題作のために書いたという作。つまり、あとがきのような小説だ。
 主人公の男は真夜中の電話のベルで起こされ、知らない男性から、「妻は先週の水曜日に自殺をしました、なにはともあれお知らせしておかなくてはと思って」と言われる。自殺した女性は主人公のかつての恋人で、ずっと昔別れた彼女との恋に男は想いを馳せる。
 物語のようなものはなく、ここでは、女のいない男、つまり、著者による女と別れた男のあり方が語られる。

 著者が言いたかったことは、
 「女のいない男たちになるのはとても簡単なことだ。一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去ってしまえばいいのだ」
 「……そして、ひとたび女のいない男たちになってしまえば、その孤独の色はあなたの身体に深く染み込んでいく。淡い色合いの絨毯にこぼれた赤ワインの染みのように」

 *
 女のいない男たちとは、私のことか?
 いやいや、遠い昔のことだ。絨毯に赤い染みはいくつもある。
 こんな夜は、リムスキー・コルサコフの交響組曲「シェラザード」(CD表記)を聴いて寝るとしようか。

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千鳥ヶ淵の花見のあとの、銀座裏通り

2022-04-10 02:32:29 | 気まぐれな日々
 *3年ぶりの千鳥ヶ淵の桜

 満開の桜の季節、3月30日、パンデミックで自粛していた千鳥ヶ淵の花見に、3年ぶりに出かけた。夕方、靖国神社をスタートし千鳥ヶ淵へ。
 人出は例年より少ないが、ほどほどには混んではいる。みんなマスクをしての花見だ。それにしても、コロナウィルスの3回目のワクチンは打ち終わったが、いつまでマスクをするのだろう。
 桜は満開で、ちょうど見ごろである。皇居の濠に向かってしなるようになびく桜の枝が織りなす花の舞は、変わらず絶妙であり絶品であった。
 今年は例年にも増して、濠に浮かぶボートの数が多かった。それに、行き交う外国人も多いように感じられた。いまだパンデミック下であるので観光客ではないだろうから、日本に住んでいる人たちであろう。
 世情が不安定であるから、みんな、桜でも見ようという心情であろうか。

 *日比谷の松本楼へ

 いつものように千鳥ヶ淵から濠に沿って歩いて、日比谷に出た。
 日も暮れた頃なので、夕食である。
日比谷公園を抜けて有楽町近くの日比谷界隈の店へ行こうと思っていたのだが、公園の中を歩いているうちに建物の灯りが見えたので気が変わった。そうだ、公園内にある松本楼へ行こうと思いたったのだ。

 「松本楼」は、西洋風の日比谷公園が1903(明治36)年に開園するにあたり開業した洋食店である。当時ハイカラ好きの間では人気だったようで、戦前には日本に亡命していた中華民国初代総統の孫文やインド独立活動家のラース・ビハーリー・ボースとの縁も伝わっている。
 若いときから日比谷や日比谷公園には何度も来ていて、私の好きな界隈なのだが、松本楼は入ったことがなかった。若いときは、何だか敬遠する店だった。
 店内は明るいながら、老舗の持つ落ち着いた雰囲気を漂わせている。
 少し歩き疲れた脚を慰めるために、ソーセージとエビの唐揚げを肴にビールを一杯。そして、ここの看板メニューともいうべきハイカラビーフカレーを食べた。

 *銀座裏通りの三原小路へ

 松本楼を出たのがまだ夜8時だ。時間はあるので、銀座に行こうと思いたった。
 いつも気まぐれな行動だが、銀座のクラブに行こうというのではない。気になっていた、知人が話した銀座の裏通りを探そうと思ったのである。
 その人の話では、銀座を散歩しているとき、ふと小さな通りに入り込んだ。その通りは、普段知っている銀座とは思えない雰囲気があった。
 その通りの中ほどにある和風の食の店の前では、四角い煉瓦火鉢が置いてある。そこで小さな少女が、炭火で小さな餅を上手に焼いていた。
 思わず、「いつも焼くの?」と訊くと、「う~ん? お客さんの日だけ」と。「上手ね」と言うと、「う~ん?」と、あどけない返事とのこと。
 その通りは「三原小路」と言った。

 「三原通り」は、銀座中央通りと昭和通りの間を走っている通りである。地下鉄東銀座駅の交差点が「三原橋」で、今は知らないがこの地下街に、ピンク映画を上映している映画館があった。
 その「三原小路」は銀座5丁目というので、おおよその検討をつけて中央通りの裏通りを歩いたが、それらしい通りは見つからない。地元の人とおぼしき人に訊いて、その通りの入口にたどり着いた。
 ここに通りが、と思わせるところに、その通りは存在した。
 石畳の小さな通りに、小料理屋や中華などの店が左右に並んでいる。急に、何だか地方都市の通りに迷い込んだ雰囲気である。
 途中、和食店の前に例の煉瓦火鉢が置いてある。店は京都の町屋を思わせる、思ったよりきれいな造りだ。この夜は、誰も座って焼いてはいない。店の中から女将とおぼしき人が、何やら料理とおぼしき品を抱えて、道の前の別の大きな店に入っていった。
 店を過ぎ通りの端に出ると、赤い幟が並んでいるのが目に入る。そこは、よく見ると「あづま稲荷神社」である。小さな通りに小さな稲荷神社が佇んでいる。
 通りの入口には、「三原小路」と通りの名前を書いた明かりが、在処(ありか)を主張するかのように光っている。
 どうして、この通りを今まで見かけなかったのだろう。銀座4丁目から目と鼻のすぐのところにあるというのに。

 「小路」とは、侘しさとロマンを内に秘めた情緒のある通り名だ。
 日を改めて、ゆっくりもう一度来なくてはいけない。そして、ゆっくりと一杯飲まなくては……

 三原小路の 灯りのように
 待ちますわ 待ちますわ
 どうせ気まぐれ 東京の銀座裏通り
 ――「池袋の夜」(歌:青江三奈、作詞:吉川静夫、作曲:渡久地政信)の歌に合わせて……

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