「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」(Old soldiers never die; They just fade away)
この言葉は、もともとは兵隊歌の一節だが、ダグラス・マッカーサー元帥(連合国軍最高司令官)が1951年に米国上下両院議会で行った退任演説の中で述べたことで有名になった。
今では日本でも、辞任や退職などのときにしばしば用いられるように、気負いも衒いもなくさりげなく使われる格好の去り際の言葉となった。
*サガン鳥栖、フェルナンド・トーレスの引退の意味するもの
去る2019年6月21日、元スペイン代表でサッカーJ1サガン鳥栖のフェルナンド・トーレス(35)が、「私のキャリアが終わるときが来た」と、今夏限りで現役を引退することを表明した。
僕はもともとサッカーには関心がなく、同じルーツを持つフットボールではラグビーの方が面白いと思っていた。
そんなところに、ふるさとの佐賀県の鳥栖市にホームを置くサッカーチームの「サガン鳥栖」が、こともあろうか2012年にJ 1に昇格した。すると、新聞でもスポーツニュースでもメディアで大きく報道されることもあって、サガン関係のニュースから目が離せなくなった。
佐賀に帰ったときには、JRの車窓から見える鳥栖駅近くのあの鳥の巣のようなスタジアムに観戦にも行った。何年か前だが、そのときは対FC東京戦だったのだが、鳥栖の選手がゴールを決め、試合に勝ったときには、思いがけずに熱くなって叫んでいたのには、われながら驚いた。それまで、冷ややかにしか見ていなかったサッカーなのに、だ。
こんなサガン鳥栖に対する偏狭的ファンだから、試合を見るといってもサガン戦だけである。
アビスパ福岡や大分トリニータ、V・ファーレン長崎など、他の九州チームもJ1に昇格してくるのだが、長く留まらずにすぐにJ2に降格するのに、サガン鳥栖は昇格以来ずっと8年間もJ1の位置を保ち続けている。
去年の2018年は降格の危機的状況にあったのだが、そんなサガン鳥栖に途中からフェルナンド・トーレスが加入した。サッカーの知識に乏しい僕は、彼がどのくらいの人か知らなかったのだが、同時期、ヴィッセル神戸に加入したイニエスタとともに、元スペイン代表の世界的なスーパースターだった。
フェルナンド・トーレスは、186センチの長身で、ゼントゥルマンであることの証しであるかのように、褐色の髪をヘヤクリームできっちり分けた、腕のタトゥーが不釣り合いなほど甘いマスクの男だった。
このようなスター選手が、よく資金力もない九州の地方都市の鳥栖のチームに来てくれたものだと、驚きながらも喜んだ。
そのサガン鳥栖は、去年2018年は最後の試合でようやくJ1に踏みとどまるという苦しい試合の連続だった。
最終試合の後、フェルナンド・トーレスは、喜びの言葉として「ミッション達成!」と綴った。
*
そして、今年2019年のサガン鳥栖は、開幕から不調が続き最下位まで落ちた。フェルナンド・トーレスもケガによる体の不調もあったのか、試合に出場することも少なかった。
そんな矢先の6月21日の、突然の引退発表であった。
「私は18年のエキサイティングな時をへて、私のキャリアが終わるときが来た」
そして、6月23日の会見では、引退理由を次のように語った。
「自身のレベルを設定しているが、ベストのレベルに到達していないという疑問点があった」としたうえで、
「ベストなコンディションにもし到達できなくなるなら、今のレベルでサッカー人生を終えたいと思っていた」と語った。
そして、おそらく最後になるであろう試合に、スペイン時代の旧友イニエスタやビシャが所属する8月23日のヴィッセル神戸戦をあげた。
最初彼の引退発表を聞いたとき、僕だけでなく誰もが早すぎる決断だと思っただろう。
そして、やがてその決断に、桜のような散り際の美学を感じた。花は、盛りのときに散ってゆくのが美しい。
彼が言う「美しいものには、始まりと終わりがある」という理念の、自らの潔い実践なのであろう。
*
フェルナンド・トーレスの引退の言葉は、通算868本塁打を記録した王貞治が引退したときの言葉を想い起こさせた。
「王貞治としてのバッティングができなくなったということです」
このときの1980年の王の最終シーズンは、「30本塁打、84打点」という、決して引退を決意するほど悪すぎるとはいえない、今思えば立派な成績である。だから、誰もが彼のプロ意識と誇りに裏打ちされた、去り際の美学に胸を打たれた。
ちなみに、この年の最多本塁打王は山本浩二(広島)の44本である。
*
残り香を漂わせて潔く去るのは、誰にでもできるものではない。
その人に美学を必要とするからだ。
引退発表の翌週の6月30日、地元鳥栖の「駅スタ」で行われた対清水エスパルス戦に7試合ぶりに先発出場したフェルナンド・トーレスは、2発のゴールを決め、全盛期を彷彿させる活躍を見せた。
まだやれるという声のなかで、
「まだできるという感覚の中で終えたい」
そして、彼はこう呟いたという(スポニチ配信記事)。
「近日中にサッカーをやめる。今日のような夜をいとおしく、懐かしく思う日が来る」
僕らも、フェルナンド・トーレスという選手がサガン(佐賀の)鳥栖のフィールドにいたということを、懐かしく思う日がくるだろう。
そして、誰もが、いつか、どこかで、どこかを、去る時が来るのである。
<追伸>
2019年8月23日、引退を表明していたフェルナンド・トーレス現役最後の試合であるヴィッセル神戸戦が、鳥栖市の駅スタ(駅前不動産スタジアム)で行われた。入場者は今季最多の23,055人。
しかしトーレスは何度かシュートを放つもゴールは奪えず、チームも1-6で大敗し、この日の試合を飾れなかった。
翌日の朝日新聞も見出しに「トーレス ほろ苦の花道」と、イニエスタとボールを奪い合う写真付きで、トーレスの最後の試合を惜しんだ。
そして、彼の「良いときも悪いときも、努力を惜します、続ける姿勢は見せられた。好きなサッカーで仕事ができて恵まれていた」との言葉で結んだ。
人生、すべて思い通りに行くものではない。誰もがそうなのだ。
だからこそ、通り過ぎた道がしみじみと心に残るのだろう。
*
Jリーグ史上で、J2からJ1に初昇格して以降、1度もJ2に降格経験のないクラブは、2012年に初昇格以降J1にい続けるサガン鳥栖の1クラブだけである。
現時点(2019年8月24日)24試合消化時で、サガン鳥栖16位=勝点24、7勝14敗3分、得点21失点40差-19。
去年(2018年)同様、危機的状況に変わりはない。
これから、フェルナンド・トーレスのミッションと、彼が残した教訓をどう生かしていくのだろうか。
この言葉は、もともとは兵隊歌の一節だが、ダグラス・マッカーサー元帥(連合国軍最高司令官)が1951年に米国上下両院議会で行った退任演説の中で述べたことで有名になった。
今では日本でも、辞任や退職などのときにしばしば用いられるように、気負いも衒いもなくさりげなく使われる格好の去り際の言葉となった。
*サガン鳥栖、フェルナンド・トーレスの引退の意味するもの
去る2019年6月21日、元スペイン代表でサッカーJ1サガン鳥栖のフェルナンド・トーレス(35)が、「私のキャリアが終わるときが来た」と、今夏限りで現役を引退することを表明した。
僕はもともとサッカーには関心がなく、同じルーツを持つフットボールではラグビーの方が面白いと思っていた。
そんなところに、ふるさとの佐賀県の鳥栖市にホームを置くサッカーチームの「サガン鳥栖」が、こともあろうか2012年にJ 1に昇格した。すると、新聞でもスポーツニュースでもメディアで大きく報道されることもあって、サガン関係のニュースから目が離せなくなった。
佐賀に帰ったときには、JRの車窓から見える鳥栖駅近くのあの鳥の巣のようなスタジアムに観戦にも行った。何年か前だが、そのときは対FC東京戦だったのだが、鳥栖の選手がゴールを決め、試合に勝ったときには、思いがけずに熱くなって叫んでいたのには、われながら驚いた。それまで、冷ややかにしか見ていなかったサッカーなのに、だ。
こんなサガン鳥栖に対する偏狭的ファンだから、試合を見るといってもサガン戦だけである。
アビスパ福岡や大分トリニータ、V・ファーレン長崎など、他の九州チームもJ1に昇格してくるのだが、長く留まらずにすぐにJ2に降格するのに、サガン鳥栖は昇格以来ずっと8年間もJ1の位置を保ち続けている。
去年の2018年は降格の危機的状況にあったのだが、そんなサガン鳥栖に途中からフェルナンド・トーレスが加入した。サッカーの知識に乏しい僕は、彼がどのくらいの人か知らなかったのだが、同時期、ヴィッセル神戸に加入したイニエスタとともに、元スペイン代表の世界的なスーパースターだった。
フェルナンド・トーレスは、186センチの長身で、ゼントゥルマンであることの証しであるかのように、褐色の髪をヘヤクリームできっちり分けた、腕のタトゥーが不釣り合いなほど甘いマスクの男だった。
このようなスター選手が、よく資金力もない九州の地方都市の鳥栖のチームに来てくれたものだと、驚きながらも喜んだ。
そのサガン鳥栖は、去年2018年は最後の試合でようやくJ1に踏みとどまるという苦しい試合の連続だった。
最終試合の後、フェルナンド・トーレスは、喜びの言葉として「ミッション達成!」と綴った。
*
そして、今年2019年のサガン鳥栖は、開幕から不調が続き最下位まで落ちた。フェルナンド・トーレスもケガによる体の不調もあったのか、試合に出場することも少なかった。
そんな矢先の6月21日の、突然の引退発表であった。
「私は18年のエキサイティングな時をへて、私のキャリアが終わるときが来た」
そして、6月23日の会見では、引退理由を次のように語った。
「自身のレベルを設定しているが、ベストのレベルに到達していないという疑問点があった」としたうえで、
「ベストなコンディションにもし到達できなくなるなら、今のレベルでサッカー人生を終えたいと思っていた」と語った。
そして、おそらく最後になるであろう試合に、スペイン時代の旧友イニエスタやビシャが所属する8月23日のヴィッセル神戸戦をあげた。
最初彼の引退発表を聞いたとき、僕だけでなく誰もが早すぎる決断だと思っただろう。
そして、やがてその決断に、桜のような散り際の美学を感じた。花は、盛りのときに散ってゆくのが美しい。
彼が言う「美しいものには、始まりと終わりがある」という理念の、自らの潔い実践なのであろう。
*
フェルナンド・トーレスの引退の言葉は、通算868本塁打を記録した王貞治が引退したときの言葉を想い起こさせた。
「王貞治としてのバッティングができなくなったということです」
このときの1980年の王の最終シーズンは、「30本塁打、84打点」という、決して引退を決意するほど悪すぎるとはいえない、今思えば立派な成績である。だから、誰もが彼のプロ意識と誇りに裏打ちされた、去り際の美学に胸を打たれた。
ちなみに、この年の最多本塁打王は山本浩二(広島)の44本である。
*
残り香を漂わせて潔く去るのは、誰にでもできるものではない。
その人に美学を必要とするからだ。
引退発表の翌週の6月30日、地元鳥栖の「駅スタ」で行われた対清水エスパルス戦に7試合ぶりに先発出場したフェルナンド・トーレスは、2発のゴールを決め、全盛期を彷彿させる活躍を見せた。
まだやれるという声のなかで、
「まだできるという感覚の中で終えたい」
そして、彼はこう呟いたという(スポニチ配信記事)。
「近日中にサッカーをやめる。今日のような夜をいとおしく、懐かしく思う日が来る」
僕らも、フェルナンド・トーレスという選手がサガン(佐賀の)鳥栖のフィールドにいたということを、懐かしく思う日がくるだろう。
そして、誰もが、いつか、どこかで、どこかを、去る時が来るのである。
<追伸>
2019年8月23日、引退を表明していたフェルナンド・トーレス現役最後の試合であるヴィッセル神戸戦が、鳥栖市の駅スタ(駅前不動産スタジアム)で行われた。入場者は今季最多の23,055人。
しかしトーレスは何度かシュートを放つもゴールは奪えず、チームも1-6で大敗し、この日の試合を飾れなかった。
翌日の朝日新聞も見出しに「トーレス ほろ苦の花道」と、イニエスタとボールを奪い合う写真付きで、トーレスの最後の試合を惜しんだ。
そして、彼の「良いときも悪いときも、努力を惜します、続ける姿勢は見せられた。好きなサッカーで仕事ができて恵まれていた」との言葉で結んだ。
人生、すべて思い通りに行くものではない。誰もがそうなのだ。
だからこそ、通り過ぎた道がしみじみと心に残るのだろう。
*
Jリーグ史上で、J2からJ1に初昇格して以降、1度もJ2に降格経験のないクラブは、2012年に初昇格以降J1にい続けるサガン鳥栖の1クラブだけである。
現時点(2019年8月24日)24試合消化時で、サガン鳥栖16位=勝点24、7勝14敗3分、得点21失点40差-19。
去年(2018年)同様、危機的状況に変わりはない。
これから、フェルナンド・トーレスのミッションと、彼が残した教訓をどう生かしていくのだろうか。