かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

昨年2014年ノーベル文学賞の受賞作家による、「イヴォンヌの香り」

2015-02-19 02:30:08 | □ 本/小説:外国
 恋は懐古することで、より甘美になる。
 進行形の時は、その恋に対して自分がどの位置にいて、どのような方向に進んでいるのかはっきりと分からないものだ。
 その恋がもう手の届かない過去に去ってしまったときに、おぼろげに全体像が把握できるようになり、人は霧で曇った磨(す)りガラスを指で拭うように、それを懐かしくなぞることを試みる。そして、失ったものの価値を知る。
 そのとき恋は、やっと一つの物語として甦るのだ。

 「イヴォンヌの香り」も、一人の男の、18歳の時の一夏の恋の物語である。
 著者は、昨年(2014年)、本命とみられていた村上春樹を破ってノーベル文学賞を受賞したフランスの作家、パトリック・モディアノである。
 映画「イヴォンヌの香り」(Le parfum d’Yvonne、パトリス・ルコント監督、出演:ジャン・ピエール・マリエル、イボリット・ジラルド、1994年)はかつて観ていたのだが、原作は読んでいなかったので、改めて読んでみた。

 この映画で印象深いシーンは、主人公の男とイヴォンヌが出会って間もない時の、船のデッキでの場面である。
 抜けるような青い空に、風が吹いている。男が彼女を写真で撮っている。彼女は男に近づき、「ご褒美をあげなくてはね」と言って、おもむろに自分のスカートの中に手を入れる。そして、白いパンティーを脱いで、男に与えるのだった。風が彼女の白いスカートをめくり、形のいいお尻がちらちらと見え隠れするのだった。
 もちろん大筋は同じだが、映画では本の原作にないシーンが多くあり、映画の主旨も少しひねってあった。
 *映画「イヴォンヌの香り」ブログ2012.1.30参照

 *

 1945年にパリ郊外に生まれたパトリック・モディアノは、1968年、23歳の時に「エトワール広場」で文壇デビューする。
 1973年には、ルイ・マル監督(脚本は共同執筆)により「ルシアンの青春」(Lacombe Lucien)が映画化された。第2次世界大戦時のフランスの田舎町を舞台にした瑞々しい映画だった。
 「イヴォンヌの香り」(柴田都志子訳、集英社刊)は、彼が30歳の時の1975年、フランス・ガリマール社より発売された。原題は、映画と違って「Villa Triste」で、日本語に訳すと「哀しみの館」である。日本での出版が映画化に合わせてだったので、この題名「イヴォンヌの香り」になったのだろう。

 男は、12年前にこの地にやって来たときのこと、そして一人の女と出会ったときのことを回想する。
 その時、主人公の男は18歳。フランスのスイスに近いレマン湖のほとりの小さな避暑地の町にやって来て、ビクトール・シュマラ伯爵と名のった。
 主人公のその男ビクトールは、何者かに追われているようで、素性のわからないところがある。青春の持つ鬱陶しい焦燥感と不安感を持っていたともいえる。
 ビクトールは、その町で魅惑的なイヴォンヌという女と、彼女の古い友人であるマントという中年の男と知り合いになる。
 イヴォンヌは22歳で、映画にも出たこともあるまだ無名の女優で、摑まえどころのない女であった。マントは医師ということだった。
 ビクトールはイヴォンヌの魅力に惹かれ、すぐに二人は恋仲になり、彼女の住んでいる高級リゾート・ホテルに転がり込む。二人は、退廃にも似た享楽の生活を送る。

 イヴォンヌは、この町で行われているミス・コンテストのような「エレガンス・ウリゲン・カップ」なるコンテストに、マントの先導で出場することになる。そのコンテストに優勝して、町の時の人となる。
 ビクトールは、彼女が大女優になると確信しているが、彼女にはまるでその気がないようだし、そのための努力をする気もなさそうだ。
 ビクトールはイヴォンヌに、新しい生活を始めるために、この町を発ってアメリカに行こうと誘う。そしてビクトールは、彼女と自分の関係をマリリン・モンローとアーサー・ミラーの関係に重ねるのだった。しかし、彼女は彼の話を一向に本気にしていないようだった。
 イヴォンヌは、ビクトールが手の中に入れておける女ではなかったのだ。
 ファム・ファタールとも言える、運命の女。いつの時代でも、どこの国でも、若い情熱だけでは掴みとることのできない儚い恋がある。

 小説には、多くのフランス人の名前と、町や通り名が出てくる。
 若い時は、カタカナ表記の名前がわずらわしかった。しかし、今はその人名にしろ通り名にしろ、それらの名前からあれこれと想像を膨らませるのも楽しい。

 イヴォンヌ。フランス女らしい名前だ。初めてフランスへ行ったとき、フランスの知人の女友だちにこの名の人がいた。今はどうしているのだろう。
 ジュヌビエーブ。この名もフランス女らしい。パリの守護聖女からきている。
 ミッシェル(ミシェル)。この名の響きが好きだ。スペインやポルトガルではミゲルとなり、イギリスではマイケル。ラテン語ではミカエルで、キリスト教の大天使の名からきている。パリのメトロにサン・ミッシェル駅がある。
 ドミニック(ドミニク)もなんとも言えない。「暗殺の森」、「悲しみの青春」のドミニク・サンダは、眩いばかりの若い時の映画しか知らない。

 この小説「イヴォンヌの香り」の舞台は、ジュネーブに近いフランスのサヴォア地方のある町である。
 僕も1989年にこの地方を旅したことがある。この地方には、アルプスと湖を望む美しい街が散在している。
 レマン湖のほとりには、美しい水の町エヴィアンがある。僕も行ったムジェーヴ(メジェーブ)の町も本の中に出てきた。まるで西部劇か絵本に出てくるような町だった。シャンベリーにいたる道とあったから、アヌシーやタロワール、あるいはエクス・レ・バンの町も脳裏に浮かぶ。

 パトリック・モディアノの小説で、韓国ドラマ「冬のソナタ」に影響を与えたという「暗いブティック通り」も読まなくてはいけない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青い空に白い月に思う「享年」

2015-02-02 02:20:53 | 気まぐれな日々
 散る花に 君をしのびて 仰ぐれば
     はるかな故郷の 香こそ漂よふ
                   沖宿

 昨年2014年の9月7日に、李香蘭こと山口淑子が亡くなった。
 旧満州の中国で生まれ、戦前に中国人の李香蘭として生き、戦後、本来の名前の山口淑子、結婚して大鷹淑子として生きた波乱万丈の生涯だった。
 彼女が死んだ後、ずっと考えていた。大陸の満州のことを。満州・中国と日本を股にかけて活動した李香蘭。これで、満州がまた遠くなったと思った。
 李香蘭については、以前に彼女(山口淑子)の最後の映画である「東京の休日」(1958年、東宝)を見た折に、ブログで書いたが、彼女のことについてさらに書こうと思いながら、月日だけが過ぎていった。
 94歳だったから、大往生と言っていいだろう。

 人間、早かれ遅かれいずれ死ぬ運命にある。
 「享年」とは、天から享(う)けた年の意である。概ね、死んだときの年齢を指す。
 僕が好きだった人、関心を抱いた人たちは、いくつの時に死んだのだろうと考えた。
 檀一雄は63歳だった。開高健、58歳。池田満寿夫、63歳。色川武大(阿佐田哲也)、60歳。森敦、77歳。
 痩せていたので少し老けて見えた、吉行淳之介は70歳だった。大往生のようにして一人死んだ、永井荷風は79歳。
 心中自殺した太宰治は38歳。若い頃から老人に見えた、老いる自分に終止符を打つように自殺した川端康成、72歳。割腹自殺した三島由紀夫はまだ45歳だった。
 李香蘭の「夜来香」を後に歌った、テレサ・テン(麗君)が死んだのは42歳の時だった。
 みんな、天から享けた生を全うしたのだろうか。
 みんな、どんな思いで死んでいったのだろうかと思った。

 *

 昨日となったが、2月1日は、東京は雲のない澄んだ青空だった。それなのに、哀しみが滲んでいるように感じた。冷たい風が流れた。
 夕方、空を見上げたら、その青空に透けるように白い月が浮かんでいた。(写真)
 この空は、どこまでも続いているだろうと思った。ユーラシアの彼方まで続いているだろう。
 そのユーラシアの片隅で、ジャーナリストの後藤健二さんが亡くなった。
 まだ47歳だ。道半ばだったと思う。
 この喪失感は、何と言っていいだろう。彼の姿は脳裏に焼きついている。
 なぜあんな危険な地帯に行ったのかという疑問は中(あた)らない。ジャーナリストの本能なのだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする