「アラン・ドロンのいた時代」を書いたあと、書かなかったことが気になっていた。
※ブログ「アラン・ドロンのいた時代」(2024-08-24)
https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/bd76b23b284ab180e2b0bda4d5dc0c9f
それは、A・ドロンが主演した映画の一つ「ル・ジタン」である。
「ル・ジタン」(Le Gitan)は、1975年に公開されたフランス映画で、犯罪のなかに身を置く“ジタン”と呼ばれる男の生きざまを描いた、いわゆるフィルム・ノワールである。
気になっていたのは、映画の内容ではない。「ジタン」という言葉、その響き。そして、それが持つ独特の香りである。
「ル・ジタン」(le gitan)はフランス語で、「ル」(le)は冠詞で、「ジタン」(gitan)は「ジプシー」(gypsy)のことである。
「ジプシー」にはヨーロッパ各国で呼び名があり、スペイン語での「ヒタノ」(gitano)、ドイツ語の「ツィゴイナー」(zigeuner)も同様の意である。それらの呼称は自称ではなく外名であり、現在は「ロマ」(Roma)と呼称されている。
サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」(Zigeunerweisen)も、「ツィゴイナー(ジプシー)の旋律」という意味になる。この曲は、サラサーテ本人によって演奏されたレコードも残されている。
それを題材にして書いた小説が内田百閒の「サラサーテの盤」で、さらにそれを原案として鈴木清純が「ツィゴイネルワイゼン」(1980年)という特異な映画を作った。この映画の出演者の原田芳雄、藤田敏八、大谷直子、大楠道代という顔ぶれを見ただけで、この映画の幻惑性が滲み出ている。
*1975年ごろ、「地下室のメロディー」での「ジタン」のこと
あの頃、つまり、アラン・ドロンの「ル・ジタン」が封切られた1975年ごろのことである。
私が出版社に勤めていたときで、社屋ビルの地下に組合事務室が設けられていた。ガリ版刷りのインクの臭いがする日の当たらない暗い部屋だった。その頃、たまたまその委員長になって(選ばれて)しまった。それで、私はその事務室を勝手に「地下室のメロディー」と名づけた。
このことは、「アラン・ドロンのいた時代」にちらと書いた。
そのころ、1970年代だが、日本は急速な経済成長とともに全国的に組合活動も活発だった。特に出版業界はそうだったように思う。
去年(2023年)、百貨店そごう・西武の労働組合がストライキを実施したとして話題になったように、近年、日本ではほとんど行われていないようだが、当時はストライキも労働争議も珍しいことではなかった。フランスでは、今でも頻繁にストライキを行っているが…。
それで「地下室のメロディー」の話の続きだが、労使による団体交渉の時は、会議室にて双方の代表者がお互いテーブルに向き合って座った。
春のベースアップや夏季と冬季のボーナス(賞与)のときは、話し合いの交渉はしばしば深夜に及んだ。交渉の大詰め段階では、最終決定権を持つ社長が出席する。
会議室において、社長を真ん中にした経営者陣と委員長を真ん中にした組合執行委員が対峙する構図になる。
室内は、タバコの煙でけむったい。当時、稀に喫(す)わない者もいたが、男性はほとんど喫煙者だった。もちろん、私も喫っていた。
テーブルの上にライターを置いた。
“フランスかぶれ”だった私は、その前年(1974年)初めてパリに行き、唯一自分の贅沢品として買ってきたカルティエのライターを。
前を見ると、社長のテーブルの脇にもライターが置かれている。それもカルティエだった。思えば、私よりはるかに人生の先輩である、初老の社長は年季の入ったフランス好きの洒落者だ。
※あとで、組合委員の一人が、「社長と委員長がカルティエのライターを横に言い争っているから、おかしくなっちゃったよ」と言って笑いあった。
(そして、時間は過ぎていくなか)
私は、ポケットから煙草(タバコ)を取り出した。
それは「ジタン」だった。
つまり、ここで私はライターのカルティエを自慢したくて書いているのではなく、この煙草の「ジタン」を言いたかったのだ。
*「ジタン」を喫ったことはある?
「ジタン」(GITANES)は、フランスの煙草である。
日本の縦長のパッケージ(箱)と違ってやや横長の大きさである。絵柄は、紫煙を思わせる青い空と白い雲が波うつなかで、タンバリンか扇を舞いながらフラメンコを踊っている女性のシルエットが描かれている。
フランスのタバコ「Gitanes」は、日本では「ジタン」と呼ぶが、正しくは女性名詞複数であるから「ジタンヌ」である。
「ジタン」はアラン・ドロンも喫っていたらしいし、名前もそうだが見た目も格好いい。
私は、学生時代は安い両切りの「しんせい」(当時20本入り40円)か「いこい」(20本入り50円)を買っていて、社会人になってからフィルター付きの「ハイライト」(20本入り70円)か「ロングホープ」(20本入り80円)を喫うようになった。
あるとき、会社のカメラマンがこの「ジタン」の煙草を持っているのを見て、気障(きざ)なやつだと思ったが、日本でも「ジタン」が手に入るのかと心が動いた。
私はすぐさま「ジタン」を買った。
そして喫ってみたが、クセがあって結構きつい。日本のソフトな煙草に慣れてしまっていた身としては、続けては喫えなかった。
それで、やはりフランス製の「ゴロワーズ」(Gauloises)を試してみたが、こちらの方がもっと喫いづらかった。
であるから、「ジタン」はポケットに入ったままが多く、喫うのは格好つけるバーやスナックなどであった。
しかしそれも長続きせずに、そのうち「ジタン」は買うのもやめてしまった。
*
そして、ほどほどの中年になったとき、世間の健康志向に負けて、何度かの試みのあと禁煙をした。
そうではあったのだが、禁煙直後のころ、インドに行ったときに安い「ビディ」という原始的な煙草を見つけた。私は、インドだけの例外措置として、それを喫ってみた。焦げた葉や木を喫っているようで、旨くはない。
この「ビディ」は、煙草の葉(スパイスの実も入っている)を木の葉で細く巻いて糸で括ったもので、身体に悪そうだが煙草の根源的な味がする。
この「ビディ」を自分の土産に、日本に数個持ち帰った。そして、それを全部喫い終わったら完全禁煙にしようと改めて決意した。
ところが、この「ビディ」を喫い終えたら、案の定、煙草が恋しい。すると、捨てる神あれば拾う神あり(適切な例えではないが)。当時、銀座中央通りにあったインド政府観光局の人が、そのビルの上にあるインド料理店「アショカ」に「ビディ」を売っていると教えてくれた。
私は、こんな幸運なことがあろうかと、それでも自分に後ろめたさを感じながら、「ビディ」がなくなるたびに、これで最後と弱く心に誓いつつ、「アショカ」に料理は食べなくとも定期的に通うことになってしまった。
禁煙と言いながら、「ビディ」喫煙状態が1年以上続いた。
*フラメンコ・ロックの「ジタン」
1970年代半ば、「ジタン」を格好だけで喫っていたころである。
1975年、カルメン(Carmen)というロック・バンドが、「舞姫」(Dancing in a cold wind)なるアルバムを発売した。
「カルメン」というグループ名に表れているように、演奏はフラメンコ・ロックという異色のロック・バンドだった。
その曲よりも目をひいたのは、そのジャケットである。まったく煙草の「ジタン」のパッケージ・デザインそのものである。
「カルメン」といえばメリメの小説をもとにしたビゼー作曲のオペラが有名である。これはスペインのセビージャが舞台の物語で、主人公カルメンはジプシー(ジタンヌ)である。
(写真はカルメン「舞姫」のジャケット。その左下にあるのが煙草「ジタン」)
確かに「カルメン」というグループのイメージにピッタリの絵柄ではあるが。
*「ジタン」と、異国の香りの音楽
そのころ1970年代後半、日本ではエキゾチックな内容の曲が流れ、ヒットした。
「いつか忘れていった こんなジタンの空箱……」
庄野真代が歌う「飛んでイスタンブール」(作詞:ちあき哲也、作曲:筒美京平、1978年)が、耳に心地よかった。
「ジタン」を喫っていた気障な男はどうしたのだろう? バーで知りあった行きずりの乾いた恋なのか?
「ジタン」と「イスタンブール」は、異国のエキゾチックな関係なだけ?
「そこに行けば どんな夢もかなうというよ……」と、まだ見ぬところ、知らない国へ誘う歌。私たち(私と友人)は、その歌を恥じらいを含んで口ずさみながら、夜のネオンの輝く街を徘徊した。
ゴダイゴの歌う「ガンダーラ」(Gandhara、作詞:奈良橋陽子・日本語詞:山上路夫、作曲:タケカワユキヒデ、1978年)は、シルクロード・ブームの火付け役となったようだ。
すると、久保田早紀の「異邦人」(作詞・作曲:久保田早紀、1980年)が追いかけてきた。
このエキゾチックな曲は「シルクロードのテーマ」として売り出された。
「……ちょっとふり向いてみただけの異邦人」
そして、1980年、東京はどこかの街、TOKIOになる。
「空を飛ぶ 街が飛ぶ 雲を突きぬけ 星になる……」「TOKIO」(作詞:糸井重里、作曲:加瀬邦彦、1980年)
「……TOKIOが空を飛ぶ」
やがて、糸井重里のコピーによる西武百貨店のイメージCM「不思議、大好き」を人々が漠然と共有し、「おいしい生活」の世界観へ繋がっていく。
日本は、この1980年代、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(Japan as Number One: Lessons for America)と称され、いつしか後にバブルと呼ばれる時代に浸っていく。
惜しむなかれ、あのフランス煙草「ジタン」は、もう日本での発売は終えている。
※ブログ「アラン・ドロンのいた時代」(2024-08-24)
https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/bd76b23b284ab180e2b0bda4d5dc0c9f
それは、A・ドロンが主演した映画の一つ「ル・ジタン」である。
「ル・ジタン」(Le Gitan)は、1975年に公開されたフランス映画で、犯罪のなかに身を置く“ジタン”と呼ばれる男の生きざまを描いた、いわゆるフィルム・ノワールである。
気になっていたのは、映画の内容ではない。「ジタン」という言葉、その響き。そして、それが持つ独特の香りである。
「ル・ジタン」(le gitan)はフランス語で、「ル」(le)は冠詞で、「ジタン」(gitan)は「ジプシー」(gypsy)のことである。
「ジプシー」にはヨーロッパ各国で呼び名があり、スペイン語での「ヒタノ」(gitano)、ドイツ語の「ツィゴイナー」(zigeuner)も同様の意である。それらの呼称は自称ではなく外名であり、現在は「ロマ」(Roma)と呼称されている。
サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」(Zigeunerweisen)も、「ツィゴイナー(ジプシー)の旋律」という意味になる。この曲は、サラサーテ本人によって演奏されたレコードも残されている。
それを題材にして書いた小説が内田百閒の「サラサーテの盤」で、さらにそれを原案として鈴木清純が「ツィゴイネルワイゼン」(1980年)という特異な映画を作った。この映画の出演者の原田芳雄、藤田敏八、大谷直子、大楠道代という顔ぶれを見ただけで、この映画の幻惑性が滲み出ている。
*1975年ごろ、「地下室のメロディー」での「ジタン」のこと
あの頃、つまり、アラン・ドロンの「ル・ジタン」が封切られた1975年ごろのことである。
私が出版社に勤めていたときで、社屋ビルの地下に組合事務室が設けられていた。ガリ版刷りのインクの臭いがする日の当たらない暗い部屋だった。その頃、たまたまその委員長になって(選ばれて)しまった。それで、私はその事務室を勝手に「地下室のメロディー」と名づけた。
このことは、「アラン・ドロンのいた時代」にちらと書いた。
そのころ、1970年代だが、日本は急速な経済成長とともに全国的に組合活動も活発だった。特に出版業界はそうだったように思う。
去年(2023年)、百貨店そごう・西武の労働組合がストライキを実施したとして話題になったように、近年、日本ではほとんど行われていないようだが、当時はストライキも労働争議も珍しいことではなかった。フランスでは、今でも頻繁にストライキを行っているが…。
それで「地下室のメロディー」の話の続きだが、労使による団体交渉の時は、会議室にて双方の代表者がお互いテーブルに向き合って座った。
春のベースアップや夏季と冬季のボーナス(賞与)のときは、話し合いの交渉はしばしば深夜に及んだ。交渉の大詰め段階では、最終決定権を持つ社長が出席する。
会議室において、社長を真ん中にした経営者陣と委員長を真ん中にした組合執行委員が対峙する構図になる。
室内は、タバコの煙でけむったい。当時、稀に喫(す)わない者もいたが、男性はほとんど喫煙者だった。もちろん、私も喫っていた。
テーブルの上にライターを置いた。
“フランスかぶれ”だった私は、その前年(1974年)初めてパリに行き、唯一自分の贅沢品として買ってきたカルティエのライターを。
前を見ると、社長のテーブルの脇にもライターが置かれている。それもカルティエだった。思えば、私よりはるかに人生の先輩である、初老の社長は年季の入ったフランス好きの洒落者だ。
※あとで、組合委員の一人が、「社長と委員長がカルティエのライターを横に言い争っているから、おかしくなっちゃったよ」と言って笑いあった。
(そして、時間は過ぎていくなか)
私は、ポケットから煙草(タバコ)を取り出した。
それは「ジタン」だった。
つまり、ここで私はライターのカルティエを自慢したくて書いているのではなく、この煙草の「ジタン」を言いたかったのだ。
*「ジタン」を喫ったことはある?
「ジタン」(GITANES)は、フランスの煙草である。
日本の縦長のパッケージ(箱)と違ってやや横長の大きさである。絵柄は、紫煙を思わせる青い空と白い雲が波うつなかで、タンバリンか扇を舞いながらフラメンコを踊っている女性のシルエットが描かれている。
フランスのタバコ「Gitanes」は、日本では「ジタン」と呼ぶが、正しくは女性名詞複数であるから「ジタンヌ」である。
「ジタン」はアラン・ドロンも喫っていたらしいし、名前もそうだが見た目も格好いい。
私は、学生時代は安い両切りの「しんせい」(当時20本入り40円)か「いこい」(20本入り50円)を買っていて、社会人になってからフィルター付きの「ハイライト」(20本入り70円)か「ロングホープ」(20本入り80円)を喫うようになった。
あるとき、会社のカメラマンがこの「ジタン」の煙草を持っているのを見て、気障(きざ)なやつだと思ったが、日本でも「ジタン」が手に入るのかと心が動いた。
私はすぐさま「ジタン」を買った。
そして喫ってみたが、クセがあって結構きつい。日本のソフトな煙草に慣れてしまっていた身としては、続けては喫えなかった。
それで、やはりフランス製の「ゴロワーズ」(Gauloises)を試してみたが、こちらの方がもっと喫いづらかった。
であるから、「ジタン」はポケットに入ったままが多く、喫うのは格好つけるバーやスナックなどであった。
しかしそれも長続きせずに、そのうち「ジタン」は買うのもやめてしまった。
*
そして、ほどほどの中年になったとき、世間の健康志向に負けて、何度かの試みのあと禁煙をした。
そうではあったのだが、禁煙直後のころ、インドに行ったときに安い「ビディ」という原始的な煙草を見つけた。私は、インドだけの例外措置として、それを喫ってみた。焦げた葉や木を喫っているようで、旨くはない。
この「ビディ」は、煙草の葉(スパイスの実も入っている)を木の葉で細く巻いて糸で括ったもので、身体に悪そうだが煙草の根源的な味がする。
この「ビディ」を自分の土産に、日本に数個持ち帰った。そして、それを全部喫い終わったら完全禁煙にしようと改めて決意した。
ところが、この「ビディ」を喫い終えたら、案の定、煙草が恋しい。すると、捨てる神あれば拾う神あり(適切な例えではないが)。当時、銀座中央通りにあったインド政府観光局の人が、そのビルの上にあるインド料理店「アショカ」に「ビディ」を売っていると教えてくれた。
私は、こんな幸運なことがあろうかと、それでも自分に後ろめたさを感じながら、「ビディ」がなくなるたびに、これで最後と弱く心に誓いつつ、「アショカ」に料理は食べなくとも定期的に通うことになってしまった。
禁煙と言いながら、「ビディ」喫煙状態が1年以上続いた。
*フラメンコ・ロックの「ジタン」
1970年代半ば、「ジタン」を格好だけで喫っていたころである。
1975年、カルメン(Carmen)というロック・バンドが、「舞姫」(Dancing in a cold wind)なるアルバムを発売した。
「カルメン」というグループ名に表れているように、演奏はフラメンコ・ロックという異色のロック・バンドだった。
その曲よりも目をひいたのは、そのジャケットである。まったく煙草の「ジタン」のパッケージ・デザインそのものである。
「カルメン」といえばメリメの小説をもとにしたビゼー作曲のオペラが有名である。これはスペインのセビージャが舞台の物語で、主人公カルメンはジプシー(ジタンヌ)である。
(写真はカルメン「舞姫」のジャケット。その左下にあるのが煙草「ジタン」)
確かに「カルメン」というグループのイメージにピッタリの絵柄ではあるが。
*「ジタン」と、異国の香りの音楽
そのころ1970年代後半、日本ではエキゾチックな内容の曲が流れ、ヒットした。
「いつか忘れていった こんなジタンの空箱……」
庄野真代が歌う「飛んでイスタンブール」(作詞:ちあき哲也、作曲:筒美京平、1978年)が、耳に心地よかった。
「ジタン」を喫っていた気障な男はどうしたのだろう? バーで知りあった行きずりの乾いた恋なのか?
「ジタン」と「イスタンブール」は、異国のエキゾチックな関係なだけ?
「そこに行けば どんな夢もかなうというよ……」と、まだ見ぬところ、知らない国へ誘う歌。私たち(私と友人)は、その歌を恥じらいを含んで口ずさみながら、夜のネオンの輝く街を徘徊した。
ゴダイゴの歌う「ガンダーラ」(Gandhara、作詞:奈良橋陽子・日本語詞:山上路夫、作曲:タケカワユキヒデ、1978年)は、シルクロード・ブームの火付け役となったようだ。
すると、久保田早紀の「異邦人」(作詞・作曲:久保田早紀、1980年)が追いかけてきた。
このエキゾチックな曲は「シルクロードのテーマ」として売り出された。
「……ちょっとふり向いてみただけの異邦人」
そして、1980年、東京はどこかの街、TOKIOになる。
「空を飛ぶ 街が飛ぶ 雲を突きぬけ 星になる……」「TOKIO」(作詞:糸井重里、作曲:加瀬邦彦、1980年)
「……TOKIOが空を飛ぶ」
やがて、糸井重里のコピーによる西武百貨店のイメージCM「不思議、大好き」を人々が漠然と共有し、「おいしい生活」の世界観へ繋がっていく。
日本は、この1980年代、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(Japan as Number One: Lessons for America)と称され、いつしか後にバブルと呼ばれる時代に浸っていく。
惜しむなかれ、あのフランス煙草「ジタン」は、もう日本での発売は終えている。