原作:ウワディスワフ・シュピルマン 制作・監督:ロマン・ポランスキー 出演:エイドリアン・ブロディ トーマス・クレッチマン 2002年ポーランド=仏
人間の運命は分からない。
いつ死んだかもしれないし、生きているのは偶然かもしれない。
ましてや、戦争のただ中に生きていたなら、生死は紙一重だろう。いや、第2次世界大戦中のポーランドにおけるユダヤ人だとしたら、死を余儀なくした運命にあっただろう。
第2次世界大戦下、ポーランドはナチス・ドイツに占領された。その時、ホロコーストによって、当時ワルシャワ・ゲットーにいた38万のユダヤ人のうち30万人が殺害されたと言われている。
一方、人間の運命は出会いともいえる。
どのような人間と出会ったかが、大きな人生の岐路になり、運命を分かつことになる。例えひと時の、あるいは一瞬の出会いであれ、人の運命を左右する出会いがまれにある。
人は、それを死ぬまで忘れられない。
「戦場のピアニスト」(The pianist)は、死と向きあっていた戦争下の、一瞬の人間の交叉の物語である。
気紛れな運命ともいえる、ユダヤ人のピアニストとドイツ人の将校の間に人知れず通(かよ)った、ひと時の心の交流と言ってもいい。
ウワディスワフ・シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)は、ワルシャワでピアニストとして活動していた。しかし、ドイツ・ナチス軍のポーランド侵入によって、彼の生活は一変する。ユダヤ人であるという理由により、彼を含めて家族は全員、ユダヤ人を集めたゲットーへ移される。
強制労働、ナチスのホロコーストによる、ユダヤ人の死を意味する収容所送り……。次々と、シュピルマンの周囲に現実の死が覆い始める。彼は、ワルシャワ・ゲットー蜂起、さらにワルシャワ蜂起を目の当たりにしながら、戦火の中をかろうじて逃げ続ける。
ワルシャワにソ連軍の侵攻が近づいてきた頃、廃墟のビルの中に隠れていたシュピルマンは、たまたま偵察に見回っていたドイツの将校(トーマス・クレッチマン)に見つかる。
ドイツ将校に職業は何かと問われて、ピアノを弾いていたと答えた彼は、ここで弾いてみろと言われる。
髭は伸び放題でやせ衰えて乞食のような男が、ピアノを弾き出すと別人のように指が弾む。廃墟に響き渡る曲は、ショパンのバラード第1番ト短調作品23。
シュピルマンの演奏を聴いたドイツ将校は、もう2、3週間ここで辛抱しろと、戦争の終わりを見据えた言葉を残して、彼を見逃す。それどころか、その後も時折食料を隠し持ってくるのであった。
やがて、戦争は終わる。
立場は逆になり、ドイツ将校は捕虜となる。
シュピルマンは、終戦後、再びピアニストとして活動し、2000年、88歳まで生存する。
ドイツ将校のヴィルム・ホーゼンフェルト陸軍大尉は、ソ連収容所で1952年死亡する。
「戦場のピアニスト」は、ポーランド人のウワディスワフ・シュピルマンの実話を元にした映画である。終戦直後、ポーランドでノンフィクションの書籍として出版されたが、すぐに絶版処分となった。のちに、翻訳本がポーランド以外の国で出版された。
制作・監督のロマン・ポランスキーもポーランド人である。ポランスキーは、幼少時にユダヤ人ゲットーに入れられたが父親の計らいで脱出、母親はアウシュビッツの捕虜収容所で虐殺されたという経験を持つ。
長じてポランスキーは映画制作に乗り出し、デビュー作の「水の中のナイフ」(1962年)で、いきなりヴェネチア映画祭国際批評家連盟賞を受賞。「反撥」(1965年)でべルリン映画祭審査員賞を受賞して、若くして鬼才の名を欲しいままにした。
その後アメリカに移って映画制作を続けたが、少女への淫行容疑の裁判沙汰を起こして出国し、ヨーロッパに居住。現在も、アメリカへは入国できない状況にある。
「戦場のピアニスト」は、カンヌ映画祭で最高賞であるパルムドールを受賞した。また、アメリカのアカデミー賞の監督賞、脚本賞、主演男優賞の3部門で受賞。
ウワディスワフ・シュピルマン役のエイドリアン・ブロディが、哀愁をおびた優しげなピアニストを絶妙に演じている。彼もまた、ユダヤ系ポーランド人である父親の家族が、ホロコーストにあったという過去を背負っている。
これらのポーランド人の魂の秘めたる熱情が、この映画を作りあげたといえよう。
戦争の爆撃によって廃墟となった哀しいワルシャワの街が、この映画を逆に美しくさせている。
アンジェイ・ワイダ監督の「地下水道」「灰とダイヤモンド」などとひと味違ったポーランド映画となった。
人間の運命は分からない。
いつ死んだかもしれないし、生きているのは偶然かもしれない。
ましてや、戦争のただ中に生きていたなら、生死は紙一重だろう。いや、第2次世界大戦中のポーランドにおけるユダヤ人だとしたら、死を余儀なくした運命にあっただろう。
第2次世界大戦下、ポーランドはナチス・ドイツに占領された。その時、ホロコーストによって、当時ワルシャワ・ゲットーにいた38万のユダヤ人のうち30万人が殺害されたと言われている。
一方、人間の運命は出会いともいえる。
どのような人間と出会ったかが、大きな人生の岐路になり、運命を分かつことになる。例えひと時の、あるいは一瞬の出会いであれ、人の運命を左右する出会いがまれにある。
人は、それを死ぬまで忘れられない。
「戦場のピアニスト」(The pianist)は、死と向きあっていた戦争下の、一瞬の人間の交叉の物語である。
気紛れな運命ともいえる、ユダヤ人のピアニストとドイツ人の将校の間に人知れず通(かよ)った、ひと時の心の交流と言ってもいい。
ウワディスワフ・シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)は、ワルシャワでピアニストとして活動していた。しかし、ドイツ・ナチス軍のポーランド侵入によって、彼の生活は一変する。ユダヤ人であるという理由により、彼を含めて家族は全員、ユダヤ人を集めたゲットーへ移される。
強制労働、ナチスのホロコーストによる、ユダヤ人の死を意味する収容所送り……。次々と、シュピルマンの周囲に現実の死が覆い始める。彼は、ワルシャワ・ゲットー蜂起、さらにワルシャワ蜂起を目の当たりにしながら、戦火の中をかろうじて逃げ続ける。
ワルシャワにソ連軍の侵攻が近づいてきた頃、廃墟のビルの中に隠れていたシュピルマンは、たまたま偵察に見回っていたドイツの将校(トーマス・クレッチマン)に見つかる。
ドイツ将校に職業は何かと問われて、ピアノを弾いていたと答えた彼は、ここで弾いてみろと言われる。
髭は伸び放題でやせ衰えて乞食のような男が、ピアノを弾き出すと別人のように指が弾む。廃墟に響き渡る曲は、ショパンのバラード第1番ト短調作品23。
シュピルマンの演奏を聴いたドイツ将校は、もう2、3週間ここで辛抱しろと、戦争の終わりを見据えた言葉を残して、彼を見逃す。それどころか、その後も時折食料を隠し持ってくるのであった。
やがて、戦争は終わる。
立場は逆になり、ドイツ将校は捕虜となる。
シュピルマンは、終戦後、再びピアニストとして活動し、2000年、88歳まで生存する。
ドイツ将校のヴィルム・ホーゼンフェルト陸軍大尉は、ソ連収容所で1952年死亡する。
「戦場のピアニスト」は、ポーランド人のウワディスワフ・シュピルマンの実話を元にした映画である。終戦直後、ポーランドでノンフィクションの書籍として出版されたが、すぐに絶版処分となった。のちに、翻訳本がポーランド以外の国で出版された。
制作・監督のロマン・ポランスキーもポーランド人である。ポランスキーは、幼少時にユダヤ人ゲットーに入れられたが父親の計らいで脱出、母親はアウシュビッツの捕虜収容所で虐殺されたという経験を持つ。
長じてポランスキーは映画制作に乗り出し、デビュー作の「水の中のナイフ」(1962年)で、いきなりヴェネチア映画祭国際批評家連盟賞を受賞。「反撥」(1965年)でべルリン映画祭審査員賞を受賞して、若くして鬼才の名を欲しいままにした。
その後アメリカに移って映画制作を続けたが、少女への淫行容疑の裁判沙汰を起こして出国し、ヨーロッパに居住。現在も、アメリカへは入国できない状況にある。
「戦場のピアニスト」は、カンヌ映画祭で最高賞であるパルムドールを受賞した。また、アメリカのアカデミー賞の監督賞、脚本賞、主演男優賞の3部門で受賞。
ウワディスワフ・シュピルマン役のエイドリアン・ブロディが、哀愁をおびた優しげなピアニストを絶妙に演じている。彼もまた、ユダヤ系ポーランド人である父親の家族が、ホロコーストにあったという過去を背負っている。
これらのポーランド人の魂の秘めたる熱情が、この映画を作りあげたといえよう。
戦争の爆撃によって廃墟となった哀しいワルシャワの街が、この映画を逆に美しくさせている。
アンジェイ・ワイダ監督の「地下水道」「灰とダイヤモンド」などとひと味違ったポーランド映画となった。