かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

□ 女は人生で三度、生まれ変わる

2009-01-23 19:39:20 | 本/小説:外国
 ローアン・ブリゼンディーン著 吉田利子訳 草思社

 男性と女性が違うという経験は、誰もが持ったことがあるだろう。
 まず、肉体的特徴が違うのだから、いくらか違うのは当然だと思うが、考え方や性格となると、正確に言い表すことが難しく漠然とした表現になる。ましてや、何故という原因にまで追究されると、生理的なことだろうと、これまた霧の中に茫漠と消えてしまいそうだ。
 ある程度人生を生きてきて、何人もの女性と接し、何人かの女性と恋をし、それに関する多少の本を読み、少しは女性を知ったつもりになっていた。
 しかし、やはり女性の行動や考えは分からないのであった。分かったと思えば思うほど分からないと言ったほうがいいかもしれない。

 この本は、男と女の違いは、すでに遺伝子で決定されていて、その違いは脳に起因しているという視点で書かれたものである。
 特に女性は、年齢によっていくつもの変化を遂げるが、中でも最も大きい変化は、思春期、子供を産んで母親になる時期、それに更年期だという。

 男と女の違いは、赤ん坊のときから違うという。
 「女児は生まれたときから情動の表現に関心を持っている。相手の表情や触れ合い、反応から、自分がどんな意味を持つ存在であるかを感じとる。
 女児は男児に比し10~20倍も母親の顔をうかがい、自分がしていることがいいことかどうかを確認した。
 男子は、母親を無視しているのではなく、警告の音調を聞きとることができない。
 だから、女の子の社会、言語、人間関係のスキルは男よりも何年も早く発達する」
 言葉を早く喋るのは女の子だし、女の子は相対的に早熟なのは脳の違いだったのだ。

 男と女の違いは、十代で顕著に現れる。
 「女の子は人間関係のストレスに、男の子は自分の権威への挑戦に強く反応するようになる。
 思春期の女の子がおしゃべりなのは、おしゃべりを通じた繋がりは少女の脳の快楽中枢を活性化するのだ。それに、女の子の方が孤立することに強いストレスを感じるのだ」

 男と女の恋愛の基本的システムは、男が追い、女は選択する。この形は石器時代からそうであるし、ほとんどの動物も同じである。オスが求愛し、メスが選択し受け入れる。
 恋に陥るとは、男女双方にとって、最も不合理な行動だという。つまり、相手の欠点が見えなくなるのだ。
 「恋の典型的な初期症状は、アンフェタミン、コカイン、ヘロインのようなアヘン系物質やモルヒネ、オキシコンチンなどの薬物の最初の頃の効果と似ている」
 脳の状態はほぼ6か月から8か月続くという。
 恋人の不在は、禁断症状なのだ。だから、遠距離恋愛も恋には悪いとは言えない。

 興味深いのは、ボディランゲージの効果だ。
 寄り添い、抱き合っていると、特に女性は脳にオキシトシンが放出されて相手を信じやすくなる。
 「抱擁に関する実験から、オキシトシンはふつう一人の相手と22回の抱擁ののちに脳内に放出されることが分かっている」
 だから、相手を信頼するつもりがなかったら抱擁はしないほうがいいし、相手を信頼させたかったら、頻繁に抱擁することである。

 片時も離れたくないといった情熱的恋愛も、いつしか静かな恋に変わる。
 脳に放出されたドーパミンは、だんだん鎮静化するのだ。ロマンチックな情熱的恋愛は、穏やかな愛着と絆の回路に変わっていく。
 熱烈な情熱的恋愛が永遠に続かないことを、私たちは知っている。ずっと恋愛関係を保っているカップルは、違った脳に移行しているのだろう。

 男と女の対応の違いも多々あり、おたがい戸惑うことも多い。
 女性は、誰かがつらい思いをしていると、自然に傍にいてやろうと思うし、慰めの言葉をかけるものだ。だが、男性は意外とそっけない。
 「男性は、自分が辛い思いをしているときには他者との接触を避けようとする。つまり、トラブルを一人で解決しようとする」
 だから、女性も同じだろうと思うところで、男女のトラブルが起こる場合もある。

 この本は女性神経精神科医により、女性を対象に書かれたものだが、男と女の違いを知るうえで興味深い部分も多かった。
 脳の違いを知ったところで、女を知ったことにはならないだろうなという思いが残った。
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笹沢佐保が愛した古湯

2009-01-18 13:44:25 | ゆきずりの*旅
 佐賀に古湯温泉があるというのは知ってはいたが、行ったことはなかった。そこは福岡県に接する佐賀の北の方の富士町にあり、山間の鄙びた温泉だということであった。
 この温泉が少し知られるようになったのは、作家の笹沢佐保が住み着いたことも大きい。彼が講演か何かの用だったと思うが佐賀に来た折に、この温泉の富士町に行き、そこを一目ぼれして、この地を終の棲家と思った。
 東京生まれの笹沢はずっと首都圏で生活していて、佐賀とは縁もゆかりもない。彼の半生は自伝的小説『詩人の家』に詳しい。
 彼の富士町に対する思いが本気だったのは、その思いを抱いてから程なくの1988年から、本当に住み着いたことである。佐賀の市街からも離れた山間の地である。
 そこで彼は小説を書き、九州さが大衆小説賞を創設したりした。選考委員は、彼のほかに、彼と親交の深かった森村誠一、福岡在住の夏樹静子などが担い、現在は唐津出身の北方謙三が務めている。
 笹沢は晩年まで富士町に住み着いた。
 彼がその地を好きになったのは、その鄙びた風景と温泉だったのだろうが、その近くに三日月町というのがある。現在は、町村合併により小城市になっているが、佐賀に来た際、三日月町に少し感慨を抱いたのではなかろうかと推測した。
 というのは、笹沢の大ヒット作の『木枯らし紋次郎』の出生地が三日月村であるからである。

 地元の友人が、温泉にでも行こうと誘いに来た。
 武雄温泉か最近できた大町温泉にでも行くかという話になったが、いや、どうせ行くなら行ったことのない古湯温泉に行こうということにした。
 多久から小城を通って、里山の富士町に入ったところに、熊の川温泉が出てきた。何軒かの旅館が並んでいる。そこから川沿いの山間部に登ったところの谷あいに古湯温泉はあった。
 名前の通り、古い温泉町の典型のような風景であった。
 川沿いに今は動いていない水車があり、その近くに斎藤茂吉の歌碑がある。
 「ほとほとに ぬるき温泉(いでゆ)を 浴(あ)むるまも
  君が情(なさけ)を 忘れておもえや」
 さらに奥まったところには、戦前日本に留学し、反日運動、戦後の中国革命、文化大革命を通して、波乱万丈の生涯を送った中国の文人で要人の郭沫若の碑もある。一時期、ここに隠れ住んだという。
 この温泉のルーツは、案内看板によると、2200年前の「徐福」によって見つけられたとあるが、徐福伝説は日本国中あちこちにあるので、眉唾入りであろう。

 温泉街の真ん中にある「古湯温泉センター」に行ってみた。大衆的な温泉センターである。
 湯は、透明で温泉独特の匂いもなくぬるい。湯船の中で、飲める温泉湯も流してある。飲んでみたが、まあ白湯のようなものである。
 風呂はあまり熱くないので、ゆっくり長く入った。このようなさらりとした湯は、銭湯気分で毎日来ても飽きないだろう。
 風呂場の隣りには、うたた寝ができる大広間があり、そこで食事をして、古湯をあとにした。

 古湯温泉の富士町から北西の方向の七山村に向かい、観音の滝で車をとめて渓谷を歩いた。滝としてはさほど大きくないが、渓谷に挟まれていて、橋からの眺めは絶景である。日本の滝100選とある。
 ここから唐津の浜玉町に出て、帰ることにした。
 田舎は車社会なので、道路が隅々まで整備されている。人があまりいない山間の中まできれいな道が続く。道ができるのはいいことなのだが、複雑な心境だ。
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□ 人は見た目が9割

2009-01-10 16:09:30 | 本/小説:日本
 これは、人は大体が外見で印象が決定されるという意味である。私たちは、経験によって、それが植えつけられているし、学習している。
 映画や芝居、漫画などで、正義の主人公、悪役、端役などはそれらしい人が配役として用いられる。それに、表情やしぐさや服装によって、その人の性格などが何となく分かる。
 タイトルは、竹内一郎氏の新書本の題名で、人は情報の伝達を言語からは1割未満だという数字から導いたものである。人の印象決定について、今まで言われてきたことを、氏の漫画、演劇活動を通して書いたものである。
 この本で新しい発見はなかったが、印象に残っているのは次のような2点である。
 
 女性が髪を切ろうかどうしようかと悩むことはよくある。特に、前髪を切ったときのことを著者は注目している。前髪を伸ばして額を隠しているのは、自分を可愛く見せたい心理だと言う。それを卒業したら額を見せるのだと。
 そういえば、おかっぱは小、中学生までで、高校生になったら今はもうほとんど見かけない。
 前髪をたらしていたら「女の子っぽく」、額を出したら「女っぽく」と言える。こういう観点で、テレビに出ているタレントを見ていると面白い。
 大体において、髪の長い女性はナルシズムの傾向が強い。

 男性の髭は、コンプレックスの表れだと言う。
 髭は、威厳を持つ飾りとして歴史的にも用いられた。戦国武将の多くが髭をはやしているし、かつての軍隊の大将や中将など位のついた人物の写真を見てもそうである。
 現代でもそうで、髭をはやしている人間が髭を剃ったときに、自信を取り戻したのではと、著者は言う。
 イチローは、大リーグに行ったときから、うっすらと無精髭(実際は細かく計算された長さだと思う)をはやした。そのとき、「僕は若く見られるので、彼らになめられたらいかんので」というようなことを言っていた。

 人は見た目が何割なのかは、数字では正確なことは出てこないだろうが、男女の恋は、見た目でほぼ十割決定されると僕は思っている。少なくとも、最初の第一歩はそうである。特に、男にとっては。
 一目惚れというのはそうであるし、インスピレーションというのもそうである。
 あっという間に恋に陥ることはあっても、恋が長く続くとは限らない。それは、自分の抱いた恋の幻想と現実とのギャップがあるからだが、そのせめぎ合いが恋そのものだといえる。
 だから、恋は壊れる。
 そのような意味で恋は、二人にとって闘いである。
 長年闘いを続けていると、相手の攻め方や弱点も分かってくる。闘いを避ける法や和解の仕方も学習する。
 壊れていない恋は、修復だらけの恋である。
 あるいは、もとの原型とは違った形の恋である。
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御節料理のなかの「田作り」

2009-01-01 19:55:14 | 気まぐれな日々
 1日、朝起きて窓のカーテンを開けると、雪景色だった。
 東京ではまだ一度も降らなかったが、九州・佐賀での雪正月である。午前中は淡雪が舞っていたが、午後は一転陽がさし、やがて雪も溶け、見慣れた景色に戻ってしまった。

 正月といっても何ら変わらない。今年も、佐賀での老母との静かな正月である。
 父も母も元気で、僕も含めてその息子たちもまだ若かったときは、正月はもっと華やいでいた。正月は、最も家族というものが感じられた時であった。
 
 どのような正月を迎えようと、正月らしさを出すには御節の料理である。
 昔は、大晦日の日には、母が御節の料理つくりで夜遅くまで、紅白も見る暇もなく働いていたのを思い出す。今は、スーパーで何でも揃う。
 数の子、黒豆、田作り。これはどの地方にも必須のようである。カマボコ、チクワ、昆布巻きも欠かせない。それに、栗きんとんで華やかさを出す。
 魚の昆布巻きは、近所の仕出し魚屋で買ったのだが、訊いたら中は鮪だという。昔は鮒などの川魚だったと思う。
 それに、刺身の盛り合わせに、巻き寿司。漬物少々。
 そういえば、昔は御頭(おかしら)つきの鯛が中央にデンと鎮座していた。しかし、近年は、メデタイだけではいらないと思って、鯛は遠慮してもらっている。
酢の物と煮物が足りないが、ほうれん草のおひたしでよしとしよう。
 
 正月は、これらをつまみながら、お屠蘇で始めて熱燗の日本酒で少しほろ酔いになる。あと、適当な時間をおいて、雑煮でしめる。
 雑煮は、このあたりは鶏がらのだしである。昆布を入れるときもある。
 具は、鶏肉、葱、椎茸、春菊、カマボコ、チクワあたりである。

 それで、田作りである。
 以前から、小鰯(イワシ)を砂糖と醤油で炒めたものをこう呼ぶのを不思議に思っていた。田作りを辞書で調べてみると、(1)田を作ること、またその人、の他に、(2)ゴマメとある。あの「ゴマメの歯ぎしり」と揶揄される、評価の低い可哀想なやつである。
 さらに、ゴマメを見ると、片口鰯(カタクチイワシ)を真水で洗って干したものとある。
 豆(マメ)つながりで、縁起がいいものとして祝い料理に昇格したようだ。それに、小さくても御頭つきということが重宝されたらしい。鯛一匹の御頭よりも、ゴマメの何十頭である。
 ゴマメが祝い肴(料理)となった理由は分かったが、なぜ田作りという名に変容されたかである。
 古いNHKの「今日の料理」の、土井勝氏の正月料理の記事で、「田作り」は、「田畑の土地を肥やしてきたこの魚を食べることで豊作を祈願した」とある。
 この意味がよく分からなかった。海の魚が田畑を肥やす、つまり、田作り。
 よくよく考えてみたら、このゴマメは冷蔵庫などない時代に、田畑の肥料に使われたのだ。口に入らないで土に埋もれたことの供養に、名誉ある田作りという名を与え、祝い魚に昇格させたのかもしれない。
 う~ん、なんとも、ゴマメの歯ぎしりである。
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