かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

かげろうのような、西村玲子さんのこと

2021-03-24 03:16:40 | 気まぐれな日々
 イラストレーターで、エッセイストで、創作家だった西村玲子さんが先だって1月24日亡くなった。
 私が出版社時代に知りあい、かつて私が世田谷区の千歳船橋に住んでいて経堂を遊び場にしていたとき、西村さんが経堂に引っ越されてきて、それからたびたび経堂でお会いするようになった。
 西村さんは、いつも穏やかで、笑顔を絶やさず、自身のイラストのように淡い印象を残したまま、かげろうのようにいなくなられた。
 近年は肺がんによる闘病生活を余儀なくされていたが、創作意欲は衰えず、毎年、曙橋の喫茶店での個展は続けられていた。
 ここのところ会うのはままならなかったが、去年(2020年)電話で話したのが最後の会話だった。

 *

 このブログでも、西村さんのことを記している。

※「銀座の西村玲子作品展」blog→2007-03-18
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/4512a13edb6b8d4a0712bd786f180453

 彼女は、旅行が好きである。
 電話して留守なのでいないなと思っていると、イタリアへ行っていたとか、先週ベトナムから帰ってきたとか、しばしば海外へ行っているようだ。
 旅の話で面白かったのは、イタリアのジュース売りの話である。
 旅先で街を歩いていると、ラテン系の陽気なイタリア人が甘栗を売るように「ジュースはうまいよ」と声をかけてくる。それも、歌うように声をかけるので、ついつい買ってしまう。本当にイタリアの絞りたてのジュースはうまいので、こちらも鼻歌なんぞ歌って歩きながら飲んだりする。
 日本人は若く見られるので、いくらか年をとっても、街を歩けば陽気なイタリア男は、にっこり笑って声をかけてくる。
 それが、である。40歳を過ぎた時から、40歳を過ぎましたと言ったわけではないのに、手の平を返したように、声がかからなくなり、ついてくる男もいなくなった。そのとき、改めて自分の年齢を知らされた思いで、それまでおいしかったジュースがほろ苦く感じた、と言う話である。
 このような何でもないような出来事でも、西村さんが語ると一編の(イラスト付きの)エッセイになる。
 (「銀座の西村玲子作品展」より引用)

※「作品を生むという生き方――西村玲子さんの個展から」blog→2015-11-20
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/887776b98a3b0108e1bf971d35363e5f

 西村玲子さんを知ったのは、「魔女風ママと子どもたち」(鎌倉書房刊)の本からで、僕が出版社に勤めていたときからだから、もうだいぶん前になる(曖昧な表現だが)。
 それから西村さんは数多くの本を出版されたし、多くの個展で作品を発表されてきた。
 時々思い出したように「今晩、食事しませんか」と誘うと、用事が入っていない限り嫌な顔もせず付きあってくれる。場所は、僕が以前住んでいた世田谷の経堂で、懐かしさもあって、ここでの食事は気持ちを温めてくれる。
 会うたびに、いつも西村さんは変わらない、変わっていないように思える。
 いつも穏やかで、怒った話でも深刻な話でも、聞いている方としてはちっとも怒っているようにも深刻にも聞こえないのは、彼女の個性というより人徳である。おっとりとした感じで静かな雰囲気だが、生き方はいつも前向きで、どこから出てくるのかと思わせるそのエネルギーに僕はいつも敬服させられる。
 (「作品を生むという生き方――西村玲子さんの個展から」引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 哲学を生きた、ウィトゲンシ... | トップ | Playback 桜はリバーサイド »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

気まぐれな日々」カテゴリの最新記事