実家のある九州は大雨だが、東京は梅雨明けしたのかしないのか不安定で、世情と同じく鬱陶しく暑い日が続く。
7月13日の金曜日、この日は曇っていた。暑くなくてよかったと思った。
夕刻5時に、四ツ谷駅に降りた。ここから、永田町の国会議事堂を目指して歩こうというのである。
国会・官邸前で脱原発の抗議集会が金曜日ごとに行われていて、それが次第に大きくなってきていると知ったのはついその前の日である。それまではマスメディアにはあまり報道されなかったのか、知らなかったのだ。この日の新聞によると、前週の集会時間帯に人が集まって混雑したため、地下鉄国会議事堂前の出入口は制限されると出ていたので、友人と四ツ谷駅で待ち合わせたのである。そこから歩いて行こうと。
四ツ谷駅から上智大を右手に見ながら、皇居のある半蔵門に向かって歩き始めた。ちょうど、上智大から授業が終わったのか学生がぞろぞろと出てきた。昔は学生はその身なりを見てすぐに分かったものだが、今は学生だか誰だかわからない格好だ。
麹町を過ぎて内堀を眺める半蔵門にぶつかって右折すると、国立劇場と隣の最高裁判所を横目で見ることになる。さらに進むと、右手に国会議事堂があるのだが、そこいらに着くと道路のわきに警察の車が何台も横付けしているのが見えた。集会に来た人たちかあちこちから人が現れて、集会の誘導の人が案内をしている。
道に沿って歩いていくと、人が次第に多くなる。若い人から年配者まで様々だ。男女も半々といったところか。一人の人もいればグループの人もいる。
人込みをかき分けて進んだが、交差した道路のところで警察によって横断が遮断されていてそれ以上は進めず、立ち止まったところは「茱萸坂」(ぐみざか)と書かれていた。遠く国会議事堂の頭が見える。 この議員会館や議事堂の並ぶ無機質な風が吹く風景に、こんな粋で可愛い名前の坂の地名があったのか。かつてこのあたりは武家屋敷のあったところだが、朱い実のなる茱萸の木が植わっていたのだろう。
茱萸坂前は身動きできない膠着状態だったので、しばらくしてそこを離れて、また国会議事堂前の方へ移動した。こちらの方は、まだゆったりしている。薄暗くなった頃、太鼓だろうかドラムを抱えた人も登場した。祭りのような熱気が漂った。
個人的には40余年ぶりのデモというより集会だったが、もちろん当時とは時代も空気も全く違う。来る人々は、行動も自由で、雰囲気も明るい。
日も暮れた夜8時、集会も終わりを告げ、三々九度人込みはどこかへと散り消えていった。夜の明かりに囲まれひとり国会議事堂は、夜霧に消え入るように淋しく建っていた。(写真)
振り返ると、日比谷の明かりが見える。議事堂を横に見ながら、歩いていると、東京へ来たころ流行った「雨の外苑、夜霧の日比谷…」という歌を思い出した。テレビ「ブラタモリ」で外苑の特集をしていた時、タモリがふと口ずさんだ「東京の灯よ、いつまでも」という歌だ。
議事堂前から再び麹町へ戻り、四ツ谷ではなく市ヶ谷へ出て、そこで食事をすることにした。外堀が続く市ヶ谷駅に近づいたころ、小さく雨が降り出した。やはり、雨だ。
懐かしい市ヶ谷駅前の路地にあった中華料理屋「九龍飯店」が目当てだったのだが、すでになくなっていた。残念! あの人懐こい中国人の小父さんはどうしたのだろう。そして大きな小姐は。仕方なく、近くの中華料理店に入った。
7月16日には、大江健三郎、内橋克人、鎌田慧氏等の呼びかけで、代々木公園で脱原発を訴える抗議集会が開かれ、音楽家の坂本龍一や作家の瀬戸内寂聴も参加した。7月20日(金)の首相官邸前の抗議集会には、なぜか鳩山由紀夫元首相も参加したという。
今後も、金曜日の抗議集会は続けられるという。
隣の庭の紫陽花の季節は終わり、わが家の手入れのない庭で、雑草の中に伸びた鬼灯(ほおずき)の実が色づき始めた。その雑草の中から、今日(正確には昨日の夕方になる)、東京では絶滅しかかっているというカナヘビが顔を出した。おまえもまだ生き続けていたか、よかった。
7月13日の金曜日、この日は曇っていた。暑くなくてよかったと思った。
夕刻5時に、四ツ谷駅に降りた。ここから、永田町の国会議事堂を目指して歩こうというのである。
国会・官邸前で脱原発の抗議集会が金曜日ごとに行われていて、それが次第に大きくなってきていると知ったのはついその前の日である。それまではマスメディアにはあまり報道されなかったのか、知らなかったのだ。この日の新聞によると、前週の集会時間帯に人が集まって混雑したため、地下鉄国会議事堂前の出入口は制限されると出ていたので、友人と四ツ谷駅で待ち合わせたのである。そこから歩いて行こうと。
四ツ谷駅から上智大を右手に見ながら、皇居のある半蔵門に向かって歩き始めた。ちょうど、上智大から授業が終わったのか学生がぞろぞろと出てきた。昔は学生はその身なりを見てすぐに分かったものだが、今は学生だか誰だかわからない格好だ。
麹町を過ぎて内堀を眺める半蔵門にぶつかって右折すると、国立劇場と隣の最高裁判所を横目で見ることになる。さらに進むと、右手に国会議事堂があるのだが、そこいらに着くと道路のわきに警察の車が何台も横付けしているのが見えた。集会に来た人たちかあちこちから人が現れて、集会の誘導の人が案内をしている。
道に沿って歩いていくと、人が次第に多くなる。若い人から年配者まで様々だ。男女も半々といったところか。一人の人もいればグループの人もいる。
人込みをかき分けて進んだが、交差した道路のところで警察によって横断が遮断されていてそれ以上は進めず、立ち止まったところは「茱萸坂」(ぐみざか)と書かれていた。遠く国会議事堂の頭が見える。 この議員会館や議事堂の並ぶ無機質な風が吹く風景に、こんな粋で可愛い名前の坂の地名があったのか。かつてこのあたりは武家屋敷のあったところだが、朱い実のなる茱萸の木が植わっていたのだろう。
茱萸坂前は身動きできない膠着状態だったので、しばらくしてそこを離れて、また国会議事堂前の方へ移動した。こちらの方は、まだゆったりしている。薄暗くなった頃、太鼓だろうかドラムを抱えた人も登場した。祭りのような熱気が漂った。
個人的には40余年ぶりのデモというより集会だったが、もちろん当時とは時代も空気も全く違う。来る人々は、行動も自由で、雰囲気も明るい。
日も暮れた夜8時、集会も終わりを告げ、三々九度人込みはどこかへと散り消えていった。夜の明かりに囲まれひとり国会議事堂は、夜霧に消え入るように淋しく建っていた。(写真)
振り返ると、日比谷の明かりが見える。議事堂を横に見ながら、歩いていると、東京へ来たころ流行った「雨の外苑、夜霧の日比谷…」という歌を思い出した。テレビ「ブラタモリ」で外苑の特集をしていた時、タモリがふと口ずさんだ「東京の灯よ、いつまでも」という歌だ。
議事堂前から再び麹町へ戻り、四ツ谷ではなく市ヶ谷へ出て、そこで食事をすることにした。外堀が続く市ヶ谷駅に近づいたころ、小さく雨が降り出した。やはり、雨だ。
懐かしい市ヶ谷駅前の路地にあった中華料理屋「九龍飯店」が目当てだったのだが、すでになくなっていた。残念! あの人懐こい中国人の小父さんはどうしたのだろう。そして大きな小姐は。仕方なく、近くの中華料理店に入った。
7月16日には、大江健三郎、内橋克人、鎌田慧氏等の呼びかけで、代々木公園で脱原発を訴える抗議集会が開かれ、音楽家の坂本龍一や作家の瀬戸内寂聴も参加した。7月20日(金)の首相官邸前の抗議集会には、なぜか鳩山由紀夫元首相も参加したという。
今後も、金曜日の抗議集会は続けられるという。
隣の庭の紫陽花の季節は終わり、わが家の手入れのない庭で、雑草の中に伸びた鬼灯(ほおずき)の実が色づき始めた。その雑草の中から、今日(正確には昨日の夕方になる)、東京では絶滅しかかっているというカナヘビが顔を出した。おまえもまだ生き続けていたか、よかった。