鳴海章原作 根岸吉太郎監督 伊勢谷友介 佐藤浩市 小泉今日子 吹石一恵 草笛光子 2006年
去年(2009年)、根岸吉太郎の名前を久々に聞いた。映画「ヴィヨンの妻」(太宰治作、浅野忠信、松たか子主演)が、モントリオール世界映画祭の最優秀監督賞を受賞したとの報道である。
根岸吉太郎が注目されたのは、日活ロマンポルノを撮っていた彼の、初めての一般映画「遠雷」(1981年)によってである。立松和平原作のこのATG映画は、東京近郊の農業に携わる若者を描いたもので、若々しいエネルギーに溢れていた。
根岸吉太郎も立松和平もまだ若く、映画も原作の小説も彼らの代表作となった。その後根岸は「探偵物語」などを撮るが、この作品を超えるものがなかったと言うことであろう。
それに、主演した永島敏行と石田えりもこの映画で一躍脚光を浴びることとなった。
しかし、僕が注目したのは、この映画に出演していた横山リエという、ちょっと蓮っ葉な感じの女優だった。彼女は、すでに大島渚の「新宿泥棒日記」(1969年)で、横尾忠則と共演するなど、その特殊なキャラクターで知る人ぞ知る存在だった。
*
学生生活も後半になってきた頃、僕たちは何になろうか、どの方向へ進むべきかと、混沌とした中で模索していた。夢はどんな風にでもあったし、反対に挫折や蹉跌も隣り合わせにあった。
いつも、僕たちは何になるというあてもなく、いつしか映画館に足が向いていたし、煙草の煙をまき散らしながら、薄暗い喫茶店で何かについて喋っていた。
金もなく、未来に対する定かなる約束手形など何も手にしていないとはいえ、若さというものはあるときは無定見に、前に向かって歩き出すものだ。
学生運動にも見切りをつけた僕の友人は、新劇の劇団に入り演出助手となり、学校にもあまり来なくなった。
その劇団が栗田勇作「愛奴」という芝居をやった。友人に誘われて六本木の俳優座劇場で見たその芝居は、僕を陶酔させた。いやその前に、僕の友人もその作品に陶酔していた。
若い男(学生)の妄想とも現実ともつかないその物語は、幻想的でエロチックで文学的でさえあった。
今でも思い出す。幕が開くと、主人公の青年(斎木)が宙に向かって、呟くように叫ぶ。
「もう二度と、あの女、愛奴に会えないのだろうか。あの肉の快楽(けらく)、いやいや、魂の愛…」
愛奴を演じた当時早稲田の学生だった金沢優子は、たちまち僕たちの間のヒロインとなった。
スタッフを見ると、演出・江田和雄、美術・金森馨、音楽・一柳慧、衣装・コシノ・ジュンコ、ヘアーデザイン・伊藤五郎と、当時錚々たるメンバーだった。
僕の友人は「愛奴」の劇団人間座から劇団青俳に移った。
その劇団に横山エリがいた。
劇団では目立たなかったが、その後映画では異彩を放った。大島渚「新宿泥棒日記」のあと、斎藤耕一「旅の重さ」、藤田敏八「赤ちょうちん」、若松孝二「天使の恍惚」などに出演した。
そして、根岸吉太郎監督の「遠雷」で、彼女は脇役ながらその存在感を見せていた。
それから大分たって、ふらりと入った新宿三丁目のバーで横山エリと会った。彼女は、カウンターの中にいて、妹とその店をやっていた。
僕の友人は、その後芝居ではメシが食えないと言って芝居をやめ、学者になるべく大学院に行った。そして、今は大学で教師をしている。
*
根岸吉太郎の「雪に願うこと」は、ばんえい競馬を舞台にした物語である。
ばんえい競争とは、北海道だけで行われている、ソリなどを引きながら行われる競馬である。一般の競馬であるサラブレッドのスマートさと違い、がっちりずんぐりした馬が、速さばかりでなく、小高く山を作った障害物を乗り越える力比べ競争でもある。
一般競馬が、短距離スプリンターのボルトやグリーンとすれば、ばんえい競馬は、相撲の魁皇や朝青龍などが荷を担いで走るようなものである。
この映画の公開時、時を同じくして、ばんえい競争が行われていた旭川、北見、岩見沢市の、赤字によるばんえい競馬撤退が発表された。かろうじて、帯広市だけが残った格好である
その帯広のばんえい競馬が舞台である。
東京で事業に失敗し、すべてを失って借金を背負った矢崎学(伊勢谷友介)は、逃げるように故郷の帯広に帰ってきた。13年ぶりとなる故郷では、兄(佐藤浩市)がばんえい競馬の厩舎をほそぼそと経営していた。
そこにしばらくやっかいになることになる学は、厩舎の人たちや馬と生活を共にするうちに、次第にその空気に溶けこんでいく。
映画では、ばんえい馬の飼育や関係者の生活ぶりが丹念に描かれる。馬の吐く白い息が、寒さを超えて温かさを伝える。
ここで、サラブレッドの競争にはいない女性ジョッキーがいることを知った。その女性ジョッキーを、吹石一恵が健気に演じている。
学が、施設に入っているという母(草笛光子)に会いに行く場面がある。久しぶりに会った母は、息子に対して、「どなたか存じませんが、私の息子は国立大学を出て、今では会社の社長になって、忙しくて戻って来られないのですが…」と、息子の自慢をするのだった。
その場面は、息子ならずとも胸がつまる思いがする。
自分になついた馬が競走に走る日、その結果を待たずに学は帯広を出て東京へ向かう。あてもないのだが、再びスタートラインに立つために。
この映画で、世界で帯広だけに在る、ばんえい競馬の実態を初めて知った。
去年(2009年)、根岸吉太郎の名前を久々に聞いた。映画「ヴィヨンの妻」(太宰治作、浅野忠信、松たか子主演)が、モントリオール世界映画祭の最優秀監督賞を受賞したとの報道である。
根岸吉太郎が注目されたのは、日活ロマンポルノを撮っていた彼の、初めての一般映画「遠雷」(1981年)によってである。立松和平原作のこのATG映画は、東京近郊の農業に携わる若者を描いたもので、若々しいエネルギーに溢れていた。
根岸吉太郎も立松和平もまだ若く、映画も原作の小説も彼らの代表作となった。その後根岸は「探偵物語」などを撮るが、この作品を超えるものがなかったと言うことであろう。
それに、主演した永島敏行と石田えりもこの映画で一躍脚光を浴びることとなった。
しかし、僕が注目したのは、この映画に出演していた横山リエという、ちょっと蓮っ葉な感じの女優だった。彼女は、すでに大島渚の「新宿泥棒日記」(1969年)で、横尾忠則と共演するなど、その特殊なキャラクターで知る人ぞ知る存在だった。
*
学生生活も後半になってきた頃、僕たちは何になろうか、どの方向へ進むべきかと、混沌とした中で模索していた。夢はどんな風にでもあったし、反対に挫折や蹉跌も隣り合わせにあった。
いつも、僕たちは何になるというあてもなく、いつしか映画館に足が向いていたし、煙草の煙をまき散らしながら、薄暗い喫茶店で何かについて喋っていた。
金もなく、未来に対する定かなる約束手形など何も手にしていないとはいえ、若さというものはあるときは無定見に、前に向かって歩き出すものだ。
学生運動にも見切りをつけた僕の友人は、新劇の劇団に入り演出助手となり、学校にもあまり来なくなった。
その劇団が栗田勇作「愛奴」という芝居をやった。友人に誘われて六本木の俳優座劇場で見たその芝居は、僕を陶酔させた。いやその前に、僕の友人もその作品に陶酔していた。
若い男(学生)の妄想とも現実ともつかないその物語は、幻想的でエロチックで文学的でさえあった。
今でも思い出す。幕が開くと、主人公の青年(斎木)が宙に向かって、呟くように叫ぶ。
「もう二度と、あの女、愛奴に会えないのだろうか。あの肉の快楽(けらく)、いやいや、魂の愛…」
愛奴を演じた当時早稲田の学生だった金沢優子は、たちまち僕たちの間のヒロインとなった。
スタッフを見ると、演出・江田和雄、美術・金森馨、音楽・一柳慧、衣装・コシノ・ジュンコ、ヘアーデザイン・伊藤五郎と、当時錚々たるメンバーだった。
僕の友人は「愛奴」の劇団人間座から劇団青俳に移った。
その劇団に横山エリがいた。
劇団では目立たなかったが、その後映画では異彩を放った。大島渚「新宿泥棒日記」のあと、斎藤耕一「旅の重さ」、藤田敏八「赤ちょうちん」、若松孝二「天使の恍惚」などに出演した。
そして、根岸吉太郎監督の「遠雷」で、彼女は脇役ながらその存在感を見せていた。
それから大分たって、ふらりと入った新宿三丁目のバーで横山エリと会った。彼女は、カウンターの中にいて、妹とその店をやっていた。
僕の友人は、その後芝居ではメシが食えないと言って芝居をやめ、学者になるべく大学院に行った。そして、今は大学で教師をしている。
*
根岸吉太郎の「雪に願うこと」は、ばんえい競馬を舞台にした物語である。
ばんえい競争とは、北海道だけで行われている、ソリなどを引きながら行われる競馬である。一般の競馬であるサラブレッドのスマートさと違い、がっちりずんぐりした馬が、速さばかりでなく、小高く山を作った障害物を乗り越える力比べ競争でもある。
一般競馬が、短距離スプリンターのボルトやグリーンとすれば、ばんえい競馬は、相撲の魁皇や朝青龍などが荷を担いで走るようなものである。
この映画の公開時、時を同じくして、ばんえい競争が行われていた旭川、北見、岩見沢市の、赤字によるばんえい競馬撤退が発表された。かろうじて、帯広市だけが残った格好である
その帯広のばんえい競馬が舞台である。
東京で事業に失敗し、すべてを失って借金を背負った矢崎学(伊勢谷友介)は、逃げるように故郷の帯広に帰ってきた。13年ぶりとなる故郷では、兄(佐藤浩市)がばんえい競馬の厩舎をほそぼそと経営していた。
そこにしばらくやっかいになることになる学は、厩舎の人たちや馬と生活を共にするうちに、次第にその空気に溶けこんでいく。
映画では、ばんえい馬の飼育や関係者の生活ぶりが丹念に描かれる。馬の吐く白い息が、寒さを超えて温かさを伝える。
ここで、サラブレッドの競争にはいない女性ジョッキーがいることを知った。その女性ジョッキーを、吹石一恵が健気に演じている。
学が、施設に入っているという母(草笛光子)に会いに行く場面がある。久しぶりに会った母は、息子に対して、「どなたか存じませんが、私の息子は国立大学を出て、今では会社の社長になって、忙しくて戻って来られないのですが…」と、息子の自慢をするのだった。
その場面は、息子ならずとも胸がつまる思いがする。
自分になついた馬が競走に走る日、その結果を待たずに学は帯広を出て東京へ向かう。あてもないのだが、再びスタートラインに立つために。
この映画で、世界で帯広だけに在る、ばんえい競馬の実態を初めて知った。