goo blog サービス終了のお知らせ 

かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

紀伊半島一周⑧ 伊勢神宮の内宮、外宮

2024-11-27 03:46:23 | ゆきずりの*旅
 紀勢本線に乗って、大阪・天王寺から和歌山を経て串本を廻り、紀伊半島を一周して三重・多気から伊勢にたどり着いた。
 心のなかにうずくまっていた“お伊勢参り”である。
 と言っても私は無宗教なので、伊勢神宮に関して何の知識も持っていない。そもそも伊勢神宮と出雲大社はどちらが格上なのだろうという下世話な考えも浮かんでくるくらいだ。
 弥次さんと喜多さんが、江戸から東海道を歩いてわざわざお伊勢参りに行ったというから、昔から全国的人気の神社だったのだろう。
 一度は行っておきたい伊勢神宮である。
 9月26日朝、串本駅を出て紀勢本線にて紀伊半島を北上し、多気駅にて参宮線に乗り換える。多気駅14時35分発、14時56分、JR伊勢市駅に着いた。

 *伊勢神宮「外宮」参り

 列車内で予約した、JR伊勢市駅から歩いて約10分のホテルに荷物を置いて、まずはJR伊勢市駅に。
 駅構内の観光案内所にて地図をもらい駅を出ると、目の前にはもう鳥居が立っていて、その先に延びた通りが伊勢神宮の参道である。
 参道の両脇には、食いもの屋や土産物の店がにぎにぎしく並んでいる。
 この道を歩きながら、昔の人もやっとたどり着いたこの地で、お伊勢参りはさておき、店の人と、あんたどこから来なさった、はるばる江戸からさ、おやおや、箱根の関所を超えて来なさったとは大変だったねえなどと、あれこれ世間話や与太話、それに冷やかしやら買いものを楽しんだのだろうと想像した。
 通りを歩きながら、夕食の店の目星をつけておいた。
 参道が終わり、横切る大通りの前に現れたまさしく伊勢神宮は、そこは「外宮」(げくう)とある。
 外宮とわざわざ書いてあるということは、他にもあるのだなと案内の地図を見ると離れたところに「内宮」(ないくう)というのがある。
 何はともあれ、まずはここ外宮をまわり、参拝しよう。駅から賑やかな参道が続いているのだから、ここが伊勢神宮のメイン・ステージだろうと思った。

 神宮のなかは、緑があり橋があり池があり、自然公園のように整然としている。
 鳥居をくぐり、神楽殿の先に「古殿地」と称される、次の遷宮時に社殿が移される空きの地があった。その先に、見張りの係員が立っているところが「正宮」である。
 板垣に囲まれた鳥居を入ると、檜で造られた古来の神明造りの神殿が構えている。正宮は奥行きがあり、正面の神殿の奥にも神殿がある。
 この伊勢神宮は20年に一度、神殿が建て替えられ、隣の「古殿地」に移されるので、建物は古くはないのだが歴史を感じさせる。昔の人も、ここへ来て手を叩いて拝んでいたのかと想像した。(写真)
 正宮で参拝を終えたら、何だか役目が終わったような気になった。
 あたりを見渡すと、正宮の前に「土宮」(つちのみや)という別宮があったので、そこも見てまわって外宮を出ることにした。

 *伊勢神宮の本当の名前は?

 ここ「伊勢神宮」の案内書を見ると、「外宮」は、豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りする「豊受大神宮」(とようけだいじんぐう)が正確な名前である。そして、この豊受大御神は「天照大御神」のお食事を司る神とある。
 その天照大御神をお祀りするのが「皇大神宮」(こうたいじんぐう)で、それが「内宮」であった。
 この内宮、外宮だけでなく他の別宮、摂社、末社など125もの宮社全てを含めて「神宮」と称している。私たちが伊勢神宮といっているのは、他の神宮、神社と区別するために、形式的に地域名の伊勢を冠しているのである。
 つまり、「伊勢神宮」の正式の名は、単に「神宮」ということであった。このことは、他の神社とは別格ということを意味している。唯一無比の天皇家に苗字がないのと同じである。
 ちなみに、かつて「大社」といえば「出雲大社」を意味していたという。

 伊勢神宮は、敷地(神域)も格別に大きい。東京の明治神宮も大きいと思っていたがそれ以上で、内宮が外宮より少し広く、日本の神社で1、2の大きさである。

 多少気にはなっていたのだが、外宮を参拝したら伊勢神宮を参拝したのも同然だろうと思っていたけど、内宮も外せないとわかった。
 伊勢神宮の案内書には、二つの宮はどちらが各上とかは一切記されてはいないし、どれもが並列に扱われている。とはいえ、JR伊勢市駅から続く参道からして外宮が地理的に恵まれているので、私のように外宮だけ参拝して伊勢参りを終えてもいいと思う(思った)観光客もいる(いた)のではなかろうか。
 しかし、ここに来て分かったことは、二つの宮を参拝してこそ、伊勢神宮をお参りしたと言えるということである。
 こんな基本的なことも知らないでの伊勢参りであった。 

 *もう一つの伊勢神宮「内宮」へ

 地図を見ても、外宮から内宮まで歩くのは相当時間がかかりそうである。
 参道から通ずる神宮の入口の前の大通りのところにバス停があり、そこから本数は少ないが内宮に行くバスが出ていた。バスでも外宮から内宮まで15分かかる。
 神宮の参拝時間が18時までとあるので、なんとか時間に間に合うバスに乗った。
 バスは三重県伊勢庁舎、猿田彦神社を通って走り、「内宮前」のバス停で降りた。
 参拝時間制限まで30分しかない。

 「内宮」は、入口のところにやはり大きな鳥居があり、それは緩やかな弧状の木造りの橋に繋がっていて、橋の先端にはまた鳥居が構えていた。橋の名前は宇治橋といい、100mを超える長さである。橋の下に流れる川は五十鈴川だった。
 内宮のなかも外宮と同じく、広く木々が覆っていた。
 戻る人とすれ違うこともあったが見物客はもうほとんどいなく、薄暗くなりかけた宮内を急ぎ足で歩きまわり、正宮を探した。
 たどり着いた正宮は、宮内の奥にあった。階段の先の少し高まったところにある正殿は、やって来た人を少し見下ろすように建っていた。漂う暮れなんとする空気が、なにやら暗雲たる景色を醸し出している。
 この正殿には、御神体であり三種の神器の一つでもある「八咫鏡」(やたのかがみ)が祀られているという。
 人影のなくなった宮内を急ぎ足で最初に通った宇治橋に向かった。木々に囲まれた暗い通り道には灯りがともされた。宇治橋を出た入口(出口)のところには、閉門の準備を待ち構えている係員がいた。
 外宮、内宮の両宮で参拝を終え、なんとか“お伊勢参り”をしたと思えた。

 帰りのバス停のところに行こうと歩き始めると、いつしか両側にいろいろな店が並ぶ商店街を歩いている。来たときはこんな小ぎれいな商店街は通らなかったと思いながら進んだが、それにしても人がいない。暗くなり、内宮の閉門時間を過ぎて観光客がいなくなったからか、殆どの店が閉まっている。
 どこまで行ってもバス停らしい気配はない。そこで、地元の人らしい人を見つけて、やっとバス停までたどり着くことができた。
 私がバス停を探して歩いた通りは、「おかげ横丁」という商店街らしかった。

 バスでJR伊勢市駅に出て、外宮に向かう参道のなかにあった魚料理店で夕食を摂った。

 *旅の終わり、名古屋駅へ

 翌9月27日、JR「伊勢市」駅9時20分発の名古屋行き「快速みえ6号」に乗った。
 途中、参宮線と紀勢本線の分岐駅である「多気」駅を過ぎると、牛肉で有名な「松坂」駅である。この駅近辺では、牛もしくは牧場がないかと窓の外を注意深く探しまわしたが、その気配も見あたらなかった。
 その先の三重県庁所在地の「津」駅を過ぎると「亀山」駅である。この駅が紀勢本線の起点である。
 今回の、大阪「天王寺」駅の「阪和線」から始めた紀伊半島一周の旅は、「和歌山」駅から「紀勢本線」となって、「串本」駅、「新宮」駅を経て、「亀山」駅で紀勢本線は終える。
 亀山駅からは「関西本線」と名前を変え、「四日市」駅、「桑名」駅を経て、「名古屋」駅へと進む。
 名古屋駅、11時03分着。
 名古屋駅からは新幹線で東京へ向かい、旅を終えた。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紀伊半島一周⑦ 本州最南端、串本・潮岬より熊野灘湾岸を走る

2024-11-14 01:43:03 | ゆきずりの*旅
 *本州最南端の草原

 本州最南端の駅、串本駅から本州最南端の潮岬を目指し、“岬めぐり”の串本町コミュニティバスに乗って、途中にあるバス停「潮岬観光タワー」で降りた。
 そこから、一本の道を潮岬灯台まで歩き、灯台のある岬を散策した。その一本の道沿いにある「潮岬・夕日が丘」(私作称)にて、太平洋に落ちなんとする夕日に佇む潮岬灯台を見た。
 そして、再び「潮岬観光タワー」のところへ戻ってきた。観光タワーも売店ももう閉まっている。
 そこは、物語の場面のように海に向かって芝生の草原が広がっている。夕方、バスでここに着いたとき、観光タワーに隣接している売店の人が、草原の先を指さして本州最南端の碑があると教えてくれた。それで、草原を歩き海辺の方へ行ってみた。
 日も暮れようとしている薄い日差しのなか、目の前に悠々たる太平洋が広がっていた。
 そしてそこに、「本州最南端」と書かれた四角い石碑が立っていた。ただそれだけの朴訥とした碑である。付近を歩き見ると、近くに日本列島の略図付きの「潮岬 本州最南端」という石碑が立っていた。(写真)
 ここには、「本州最南端」の碑が二つあるのだ。

 本土(九州)最南端は大隅半島の佐多岬(鹿児島県南大隅町)。日本最南端のJR駅は「西大山駅」(鹿児島県指宿市)で、JR本土最南端の終着駅(始発駅でもある)は指宿枕崎線の「枕崎」駅である。
 日本の最南端は沖ノ鳥島(東京都小笠原村)である。日本の最南端は、なんと東京都である。

 薄暗くなった本州最南端の地のバス停で、串本駅行きのバスを待った。人けがなくなったバス停標示板の前には、私以外にもう一人若い男性がいるだけだ。
 バスがやってきて乗り込んだが、二人専用である。こんなとき、寂しさ感とウキウキ感の混じった旅の感覚が湧きあがってくる。若い男性は中国からの留学生で、近畿地方を観光で旅していた。
 彼はこの日は白浜に宿泊予定だと言って、串本駅で別れた。
 ひとり、串本の夜の街を食事処を求めてさまよった。寂しい町は憂いがある。

 *串本から紀勢本線で三重・多気へ

 翌9月26日、串本駅発9時25分発の紀勢本線、各駅停車の普通列車に乗った。選択肢はない。この次の普通列車は13時05分発で、3時間40分後となるのだ。
 串本駅を出発する(下り)普通列車は全て新宮駅止まりである。新大阪発の特急「くろしお」も、多くが白浜駅止まりで、串本駅を通って新宮駅まで行くのが1日4本あるだけである。

 何はともあれ、列車の醍醐味は各駅停車といえる。
 「串本」駅を出ると、これぞ紀勢本線と思える海岸線が続く。太平洋である熊野灘の広い海に荒い岩が並ぶ。
 車窓から海岸線を見ていると、去年(2023年)呉線から眺めた景色を思い出した。紀勢本線の海は、呉線の瀬戸内海の穏やかな海とゆったりとした島々と全く違う景色だ。
 かつてクジラ漁で名をはせた「太地」駅を過ぎると、温泉で有名な「紀伊勝浦」駅である。
 岩のある海を過ぎ、砂浜を走っているような海岸を過ぎると「新宮」駅に着く。
 いわゆる紀勢本線の、和歌山—新宮間の愛称「きのくに線」の終着駅である。つまり、JR西日本の終わりで、これから先はJR東海管轄線となり、紀勢本線は「下り」から「上り」になる。
 ※このことは、ブログ「紀伊半島一周⑤紀伊半島の幹線、紀勢本線」で書いている。

 新宮駅10時03分着。10時52分発、紀勢本線(上り)普通列車「多気」行きに乗った。
 紀勢本線の終点(起点)は亀山駅だが、上りの普通列車のほとんどがその手前の多気駅止まりだ。というのは、多気駅から伊勢、鳥羽に行く「参宮線」が出ているからである。
 鳥羽・志摩へは行ったことがあるのだが、伊勢神宮にはいまだ行っていない。
 紀勢本線を走破しようと思いついたときから、その横に飛び出している伊勢が気になったのだ。というのも、心の片隅に、一度は伊勢参りをせねばならないと思っていたからだ。

 ということで、「多木」駅から参宮線に乗って伊勢へ行くことにした。
 多気駅14時10分着。多気駅14時35分発、参宮線にて「伊勢市」駅14時56分着である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紀伊半島一周⑥ 紀伊半島の突端、串本から潮岬

2024-11-06 02:18:34 | ゆきずりの*旅
 10月24日、奈良から紀伊半島の突端、串本に行くことにした。
 奈良駅発の不慮の列車の遅れによって、予定していた奈良・王子から和歌山線にて和歌山駅へ、そこから紀勢線で串本に行くというコースをやめて、大阪・天王寺駅に行き、そこから阪和線・紀勢本線にて串本に行くことに変更。

 遅れた列車は、11時頃に天王寺駅に着いた。
 それで、時刻表を見て、この日の目的地、紀伊半島の突端である串本まで、阪和線・紀勢本線を普通列車で行くと仮定した。すると、次の通りである。
 ・天王寺駅11時10分発→(阪和線・関空快速)・和歌山駅着12時27分。
 ・和歌山駅13時0分発→(以降紀勢線)・御坊駅着14時8分/・御坊駅14時20分発→・紀伊田辺駅着15時5分/・紀伊田辺駅16時51分発→・串本駅18時16分着。
 串本駅着が18時16分ではもう日が暮れている。これでは、行きたい(行かねばならない)潮岬に行くには暗い夜道となり、行けるかどうかわからない。

 それで、「特急くろしお」に乗ることにした。
 天王寺駅11時32分発「くろしお9号(白浜行き)」・白浜駅13時47分着/・白浜駅13時55分発→・串本駅15時6分着。
 この切符を買おうとしたら、売り切れであった。駅員の説明によると、この前の特急「くろしお」が運休になったので、その客がこの列車に移ったためと説明した。
 それで、当初の予定で和歌山駅から乗ろうと思っていた「くろしお11号(新宮行き)」にした。
 ・天王寺駅13時18分発→・串本駅着15時40分。

 当初の予定である「奈良駅→(関西本線)王子駅→(和歌山線)和歌山駅→(紀勢本線)串本駅」が、「奈良駅→(関西本線)天王寺駅→(阪和線)和歌山駅→(紀勢本線)串本駅」になったのである。
 予定変更のおかげで、大阪・天王寺で300メートルの高いビルの昇ることができた。
 ※ブログ→「紀伊半島一周④大阪で最も高いビルに昇る」参照。
 それに、そもそもの命題である紀伊半島一周において、半島の根元である大阪からスタートすることとなったのも正解と考えよう。

 *海と山の間…紀勢本線を走る

 天王寺駅から、特急「くろしお11号」(新宮行き)に乗る。
 列車は、天王寺駅から大阪湾に沿ってなだらかに南下すると和歌山駅に着く。ここからが、本格的な「紀勢本線」の始まりである。
 「海南」駅あたりから海が見え始め、海岸方面に工場地帯と思しき建物が見える。こんなところに、山陽本線の徳山や鹿児島本線の八幡あたりに見られるような工業地帯があったのかと新鮮だ。
 「箕島」駅を過ぎたとき、すぐに簑島高校を思い出した。甲子園のアイドルとなった太田幸司に次いで、“コーちゃん”ブームを巻き起こした島本講平(のちに南海ホークスに入団)のいた高校である。弟の島本啓次郎も、江川卓とともに東京6大学野球で活躍した。
 箕島は、今は「有田」市となっている。
 列車の右手の車窓を見ていると、途切れ途切れに海が現れ、リアス式の海岸線を走っているのがわかる。ところが、左側を見ると、緑の木々の山が続く。先は奥深い紀伊山地なのだ。
 山の手前にところどころ平地が散在し緑の木々がある。よく見ると、ミカンの木だ。そうだ、このあたり、和歌山の有田といえばミカンの産地なのだ(佐賀の有田は磁器の産地だ)。
 昨晩、奈良のスーパーで早生のミカンを買った。まだ青く新鮮な酸味があって、とても美味かった。ここ有田産のミカンかもしれない。
 近年の果実はなにもかも糖度を高くして甘くしたものが多いが、個人的にそれは好みではない。やはり、果実は酸味があった方がいい。
 「御坊」駅を過ぎてしばらく走ると、はっきりと海が見える。そして海辺の街が現れ、やがて「紀伊田辺」駅に着く。
 各駅停車の普通列車はほとんどがこの駅止まりだ。時刻表を見ても、これから先に行く列車は本当に少ない。特急の停まらない駅に住む人は不便だろうと思う。

 列車のなかで、この日は串本で泊まるつもりなので、スマホのネットでホテルを探した。すぐに潮岬に行きたいので、できるだけ串本駅の近くのホテルをと検索したら、観光地の白浜や勝浦のホテルが多く出てくる。そのなかで何とか、串本駅前のビジネスホテルを見つけたので予約した。

 *本州最南端駅の串本

 「紀伊田辺」駅を過ぎ、さらに温泉で有名な観光地「白浜」駅を素知らぬふりで通り過ぎると、ようやく紀伊半島の突端「串本」駅である。
 串本は、和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡串本町とある。「東牟婁」はなかなか読めない。
 串本駅に15時40分に着いた。
 列車を降りて駅のホームを見渡してみると、ホームの向こう側の線路べりに「本州最南端の駅」と書いた看板が素っ気なく立ててあった。
 駅構内の観光案内所で地図をもらい、駅を出ると、人気はないがバスターミナルになっていた。本州最南端の街という雰囲気は感じられないごく普通の駅前である。
 バス停のところに行って、潮岬方面に行くバスはないかと案内板を探したら、潮岬を周る串本町コミュニティバスが走っていた。その時刻表を見ると、次のバスが16時ちょうど発で、その次は最後の便で1時間以上も後だ。時計を見ると、バスの発車まであと10分もない。
 あわてて駅前を見渡して、列車内で予約したホテルを探し出し駆け込んだ。すぐにチェックインだけして、バッグをカウンターに預けてバス停へ走った。
 なんとか間にあってバスに乗り込んだ。駅前のホテルでよかったと胸をなでおろした。

 串本町の串本駅は、紀伊半島の突端の先が尖り細くなったところにあり、さらにその先に陸続きの小さな四国の形状地がくっ付いている。その南の太平洋に面して東西二つの突端を持った四国の、西側の突端である足摺岬の部分(もう一つの反対側の突端は室戸岬)が潮岬である。
 バスは、駅前から細く延びた町の中心街を通り、四国でいえば北の先の香川・高松の部分で二股に分かれる。さらに南下し四国部分に入ると人家も途絶え、20分ほど走ったところで観光用とすぐわかる円筒形の建物が目に入った。
 その「潮岬観光センター」のバス停で降りた。バスには町の人と思しき数人の客が乗っていたが、降りたのは、私一人だった。
 そこは、この観光センターのビルと隣の売店以外に目立った建物はなく、田舎の草原のような風景の先に海が広がっていた。本州最南端に来たという実感が湧いた。
 帰りのバスの時刻を案内板で確認した。これから先の便は17時28分、19時16分である。
 すると、売店の人が出てきたので、潮岬灯台までの方角と所要時間を訊いた。目の前に通っているバスの道を歩いて10分ぐらいだという。最後の便が19時過ぎなのでゆっくりできると言ったら、19時はもう真っ暗で何も見えないですよ。その前の17時28分でないと、と言われた。

 *本州最南端の道「潮岬 夕日が丘」

 「潮岬観光センター」の前には、水平線に続くかのような1本の道が延びていた。
 この道は「潮岬周遊線」と呼ばれている。この潮岬へ行く道は、今は誰も人はなく、先ほど私が乗ってきたバスが過ぎたあとは車も通っていない。
 まっすぐに延びた道を歩き始めた私は、いい道だと思い入った。ひとり、青春映画の主人公を俯瞰しているように感じた。ただ、一本の道、本州最南端の岬に続く道の風景に酔っていただけなのだが。
 しばらく歩いて延びた道が下ったところに、逸れて潮岬灯台に行く道があった。
 そこを歩き進むと「潮岬灯台」に出た。白い灯台は、学校の門のような石柱のなかにひっそりと、それでいて威厳を持って立っていた。時間が遅かったのか、灯台の門は頑丈な横引きシャッターで閉められている。

 「潮岬灯台」は、幕末にアメリカほか3か国と結んだ「改税条約」(別名「江戸条約」)に基づき建てられた8か所の灯台(観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬、潮岬)の1つである。
 1870(明治3)年、完成した当初の灯台は八角形の木造であった。現在の石造灯台は、1878(明治11)年に造られたものである。

 青い空が少しずつ陰りだしてきたようだ。潮岬灯台をあとにしてバス道に戻り、潮岬観光タワーのところへ向かって、再びあの一本の道を歩き始めた。
 すると、海の方に向かってきれいに芝生で囲った公園のようなところがあった。行くときは素通りしたところである。その入り口あたりに「この付近でのキャンプを禁止します」とあり、奥の海辺のところに碑のようなものが建っていた。
 おもむろに、なかに入ってみた。奥の碑には「和歌山県朝日夕陽百選 潮岬」とあった。
 そこからは、太平洋の海が広がっていた。それに、今まさに海に落ちる夕日を影にした潮岬灯台がひっそりと立っているのが見える。偶然とはいえ、この景色が見たかったのだ。
 まさに、夕日百選の潮岬に遭遇したのだった。(写真)
 ここは観光案内所でもらった串本町の地図にも載っていない。しかし、灯台をも含めて潮岬の海を眺める最適の場所である。
 「潮岬 夕日が丘」とでも名付けて売りだそう!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紀伊半島一周⑤ 紀伊半島の幹線、紀勢本線

2024-10-31 02:14:44 | ゆきずりの*旅
 *紀伊半島の実態

 紀伊半島は鏃(矢じり)のような形をしていて、ほぼ日本の中心に位置し、日本で最大の半島である。
 地図を見た感じでの紀伊半島の左右(西東)の起点は、くびれからして大阪と名古屋といっていい。学術上の定義はさておき、これは私の勝手な見解であるが。
 紀伊半島の突端である潮岬に行くため、この紀伊半島を一周しようと思いたったのだが、距離はどのくらいなのだろう。目途として、ちょうどいい具合に半島の海岸線を鉄道が走っている。
 「JR時刻表」(2024年7月号)をもとに、私が辿る大阪から名古屋までの鉄道の距離を計算してみた。

 ・天王寺駅→(阪和線)61.3㎞・和歌山駅→(紀勢本線)159.1km・串本駅→(紀勢本線)41.6km・新宮駅→(紀勢本線)180.2km・亀山駅→(関西本線)59.9km・名古屋駅。
 メインの「紀勢本線」は、和歌山駅から紀伊半島をぐるりと周り三重・亀山駅までで、距離(和歌山駅~和歌山市駅間は入れない)は380.9km。
 半島の根元である大阪から紀伊半島を一周して反対側の名古屋に至る、大阪・天王寺駅から名古屋駅までの総距離は計502.1kmである。

 新幹線の東京駅から名古屋駅間が366kmだから、紀勢本線はそれより長いということである。
 大阪から紀伊半島を一周して名古屋に至る距離は、新幹線の東京から京都までの距離が513kmであるから、ほぼ東京~京都間である。
 大阪・天王寺駅からほぼ真っすぐ西に向かう関西本線(大和路線)で、奈良経由で名古屋駅に至る距離は171.4km。
 紀勢本線で紀伊半島を周ると、ほぼ直線で横断する距離の約3倍を走るということである。
 ちなみに、新幹線による新大阪駅から京都を経て名古屋駅へ至る距離は186.6kmである。

 *紀勢本線の不思議

 大阪から潮岬の串本方面に行く路線の、「JR時刻表」を見ていたときのことである。
 先に書いたように、天王寺駅から和歌山駅までは「阪和線」で、和歌山駅から紀伊半島の突端串本を周り反対側の三重の亀山までは「紀勢線」である。
 JR時刻表によると、天王寺駅から和歌山駅に向かう阪和線は「下り」となっている(京都・—関西空港・和歌山(阪和線・関西空港線・下り)の頁)。ところが、和歌山駅から先の別の頁にある紀勢線は「上り」となっている。
 阪和線と紀勢線は連続して繋がっている。私が天王寺駅から乗った「くろしお11号」も、新宮駅まで連続で走る。つまり、天王寺からの「上り」の列車が、和歌山駅から「下り」の列車になるということである。
 これは、ちと奇妙だ。

 *「上り」と「下り」の規定

 首都である東京へ向かう方向が「上り」で、首都・東京から遠ざかる方向が「下り」というのは知られている通りである。このことは、鉄道のみならず道路もそうである。
 いや、鉄道が敷かれる前からそうであった。であるから、明治になり首都が東京に移る遷都以前の江戸時代には、東海道は京都方面が「上り」で東京(江戸)方面が「下り」だった。
 関西の「上方落語」というのは、かつてのこの時代の名残である。

 鉄道の路線で、東京に向かっているかどうかあいまいな路線もある。この場合、どう扱っているのだろうか。
 鉄道は建設される場合、国に届出上、その路線の「起点」「終点」が定められる。例えば、東海道本線の場合は東京駅が起点で神戸駅が終点である。
 つまり、起点に向かう方向を「上り」、起点から遠ざかる方向を「下り」と呼ぶ。
 起点は、慣例として東京駅に近い方となった。

 阪和線は、起点は天王寺駅で終点は和歌山駅である。であるから、大阪・天王寺から和歌山方面が「下り」である。
 紀勢本線の起点は亀山駅で終点は和歌山駅である。したがって、和歌山駅から三重・亀山駅へ向かうのが「上り」である。
 であるから、天王寺から和歌山を過ぎる列車は「下り」から「上り」に変貌することになる。
 紀勢本線で少し複雑なのは、和歌山駅から新宮駅(和歌山県)まではJR西日本、新宮駅から亀山駅(三重県)まではJR東海の管轄ということである。
 時刻表を見ると、和歌山から串本・亀山方面に向かう列車は、普通列車は御坊駅か紀伊田辺駅止まりで、特急でも新宮駅が終点である。起点から終点の亀山~和歌山間を連続して走る列車はない。
 この紀勢線の変則的な形をとる列車を、JR西日本では列車運転の実情に合わせる形で、和歌山→新宮方面が「下り」、新宮→和歌山方面が「上り」としている。
 列車番号も、和歌山→新宮方面が「下り」の奇数番号、新宮→和歌山方面が「上り」の偶数番号になっている(列車番号は時刻表にも掲載されている)。

 紀勢本線はちょっとややこしいが、そんなところが胸をくすぐる路線ともいえる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紀伊半島一周④ 大阪で最も高いビルに昇る

2024-10-23 01:55:24 | ゆきずりの*旅
 *予定外の電車の遅れで、和歌山線は……

 9月25日、奈良を出発して和歌山を経て、紀伊半島の突端串本へ行こうと思った。
 予定の行程は以下の通りである。

 奈良駅9時45分発(JR関西本線・天王寺行き)→王寺駅10時着/10時12分発(JR和歌山線・和歌山行)→和歌山駅12時36分着/13時18分発(紀勢本線「くろしお11号」新宮行き)→串本駅15時40分着。
 奈良駅から大阪の天王寺駅に向かう関西線の途中に王寺駅がある。この王寺駅から和歌山駅に向かう和歌山線が出ている。この和歌山線に乗ろうと思うのである。
 和歌山線は王寺駅から南下し、五条駅あたりから紀ノ川に沿って和歌山駅まで進む路線である。

 朝、奈良駅に来ると、9時45分発の天王寺行きが20分遅れるとある。そのうち、25分遅れ、30分遅れとなった。
 旅に出れば、よくとは言わないがしばしばあることだ。
 時刻表を見ると、王寺駅からの和歌山線は1時間に1本ぐらいと本数が少ない。これでは和歌山駅から串本に行く紀勢線の特急「くろしお11号」に乗り遅れてしまう。
 潮岬に行くには、串本駅には夕方までには着きたい。「くろしお11号」を逃すと、次に串本駅に着くのは18時過ぎとなってしまう。

 電車は35分遅れで奈良駅に到着した。
 それで、和歌山線で和歌山駅に行くのはやめて、王寺駅で降りずそのまま大阪の天王寺駅まで行くことにした。特急「くろしお11号」は新大阪駅始発で、天王寺駅から乗ることができる。それが早いのだ。

 改めて地図を見て驚いた。奈良市と大阪市は、緯度がほとんど同じなのだ。つまり、大阪市の真横に奈良市がある。奈良県全体が紀伊半島の中央部に延びているので、奈良市の方が大阪市よりずっと下(南)にあると思っていたのだ。これは私の思い勝手で、奈良市の位置は昔から変わってはいない。
 それで、奈良駅から天王寺駅には、ほぼ真横(西)に移動する(行く)ことになる。

 奈良駅を遅れて発車した電車は、大阪・天王寺駅に約11時に着いた。
 特急「くろしお11号」(新宮行き)は天王寺発12時32分である。くろしお号は全席指定なので駅で特急券を買ったが、約1時間の時間がある。

 *高さ300mのビル、「あべのハルカス」

 列車の発車まで約1時間あるので、天王寺駅近辺を散策しようと思いたった。大阪は何度も来ているが、天王寺近辺を歩いたことはない。
 JR天王寺駅を出て地下街を歩いていると、近鉄百貨店に出た。そして、そこが「あべのハルカス」だと知った。「あべのハルカス」は、駅に繋がっている駅ビルだった。
 「あべのハルカス」とは60階建て(地下5階)で高さ300mの、つい最近まで日本で最も高かったビルである。完成した2014年から、去年(2023年)開業の東京都・麻布台ヒルズ森JPタワー(高さ 325m)に抜かれるまで日本1位の高さであった。
 今でも、駅ビルとしては日本で最も高い。

 東京タワーの333mを考えると、ビルで300mとは異常なまでの高さである。日本のビルはタガが外れたようにどんどん高くなっている。

 展望台「ハルカス300」(58~60階)への案内掲示を見つけたとき、これだと思った。1時間の時間つぶしには絶好だ。“渡りに船”、“瓢箪から駒”とはこのことだろう。
 今まで建造物のなかで最も高いところへ上ったのは、東京タワーの展望台(250m)である。東京スカイツリーは昇っていない。
 展望台へのチケット売り場は16階にあり(料金は18歳以上で1,500円)、そこから高速エレベーターで60階まで一気に昇る。わずか45秒である。
 エレベーターを出ると、足元から天井までガラス張りの向こうに、300m上空からの大阪の風景が広がっている。
 外を見ながらガラス張りの回廊に沿って歩くと、東西南北、このビルを一周できる。つまり、360度大阪の街が見渡すことができるのだ。
 場所によって床もガラス張りになっていて、少しドキドキしながら300m下の地上を覗くことができる。
 セスナ機やヘリコプターに乗ったことがあるが、そこからの風景のようだ。
 この場所から見た景色の案内図と照合しながら、大阪の風景を見てまわる。ビルに囲まれた通天閣を探し出しホッとする。道頓堀はビルに埋もれてわからない。
 (写真は、通天閣や道頓堀のある大阪北西方面の風景)

 大阪で最も高いビル、いや、西日本で最も高いビル、去年まで日本で最も高いビル、日本で最も高い駅ビル…の最上階まで登ったことは、電車の遅れから起きた予定外のことで、偶然の賜物(たまもの)ながら嬉しい体験であった。

 時間がきたので、天王寺の駅に戻った。
 さあ、ここ大阪から紀伊半島の突端、串本へ行こう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする