紀勢本線に乗って、大阪・天王寺から和歌山を経て串本を廻り、紀伊半島を一周して三重・多気から伊勢にたどり着いた。
心のなかにうずくまっていた“お伊勢参り”である。
と言っても私は無宗教なので、伊勢神宮に関して何の知識も持っていない。そもそも伊勢神宮と出雲大社はどちらが格上なのだろうという下世話な考えも浮かんでくるくらいだ。
弥次さんと喜多さんが、江戸から東海道を歩いてわざわざお伊勢参りに行ったというから、昔から全国的人気の神社だったのだろう。
一度は行っておきたい伊勢神宮である。
9月26日朝、串本駅を出て紀勢本線にて紀伊半島を北上し、多気駅にて参宮線に乗り換える。多気駅14時35分発、14時56分、JR伊勢市駅に着いた。
*伊勢神宮「外宮」参り
列車内で予約した、JR伊勢市駅から歩いて約10分のホテルに荷物を置いて、まずはJR伊勢市駅に。
駅構内の観光案内所にて地図をもらい駅を出ると、目の前にはもう鳥居が立っていて、その先に延びた通りが伊勢神宮の参道である。
参道の両脇には、食いもの屋や土産物の店がにぎにぎしく並んでいる。
この道を歩きながら、昔の人もやっとたどり着いたこの地で、お伊勢参りはさておき、店の人と、あんたどこから来なさった、はるばる江戸からさ、おやおや、箱根の関所を超えて来なさったとは大変だったねえなどと、あれこれ世間話や与太話、それに冷やかしやら買いものを楽しんだのだろうと想像した。
通りを歩きながら、夕食の店の目星をつけておいた。
参道が終わり、横切る大通りの前に現れたまさしく伊勢神宮は、そこは「外宮」(げくう)とある。
外宮とわざわざ書いてあるということは、他にもあるのだなと案内の地図を見ると離れたところに「内宮」(ないくう)というのがある。
何はともあれ、まずはここ外宮をまわり、参拝しよう。駅から賑やかな参道が続いているのだから、ここが伊勢神宮のメイン・ステージだろうと思った。
神宮のなかは、緑があり橋があり池があり、自然公園のように整然としている。
鳥居をくぐり、神楽殿の先に「古殿地」と称される、次の遷宮時に社殿が移される空きの地があった。その先に、見張りの係員が立っているところが「正宮」である。
板垣に囲まれた鳥居を入ると、檜で造られた古来の神明造りの神殿が構えている。正宮は奥行きがあり、正面の神殿の奥にも神殿がある。
この伊勢神宮は20年に一度、神殿が建て替えられ、隣の「古殿地」に移されるので、建物は古くはないのだが歴史を感じさせる。昔の人も、ここへ来て手を叩いて拝んでいたのかと想像した。(写真)
正宮で参拝を終えたら、何だか役目が終わったような気になった。
あたりを見渡すと、正宮の前に「土宮」(つちのみや)という別宮があったので、そこも見てまわって外宮を出ることにした。
*伊勢神宮の本当の名前は?
ここ「伊勢神宮」の案内書を見ると、「外宮」は、豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りする「豊受大神宮」(とようけだいじんぐう)が正確な名前である。そして、この豊受大御神は「天照大御神」のお食事を司る神とある。
その天照大御神をお祀りするのが「皇大神宮」(こうたいじんぐう)で、それが「内宮」であった。
この内宮、外宮だけでなく他の別宮、摂社、末社など125もの宮社全てを含めて「神宮」と称している。私たちが伊勢神宮といっているのは、他の神宮、神社と区別するために、形式的に地域名の伊勢を冠しているのである。
つまり、「伊勢神宮」の正式の名は、単に「神宮」ということであった。このことは、他の神社とは別格ということを意味している。唯一無比の天皇家に苗字がないのと同じである。
ちなみに、かつて「大社」といえば「出雲大社」を意味していたという。
伊勢神宮は、敷地(神域)も格別に大きい。東京の明治神宮も大きいと思っていたがそれ以上で、内宮が外宮より少し広く、日本の神社で1、2の大きさである。
多少気にはなっていたのだが、外宮を参拝したら伊勢神宮を参拝したのも同然だろうと思っていたけど、内宮も外せないとわかった。
伊勢神宮の案内書には、二つの宮はどちらが各上とかは一切記されてはいないし、どれもが並列に扱われている。とはいえ、JR伊勢市駅から続く参道からして外宮が地理的に恵まれているので、私のように外宮だけ参拝して伊勢参りを終えてもいいと思う(思った)観光客もいる(いた)のではなかろうか。
しかし、ここに来て分かったことは、二つの宮を参拝してこそ、伊勢神宮をお参りしたと言えるということである。
こんな基本的なことも知らないでの伊勢参りであった。
*もう一つの伊勢神宮「内宮」へ
地図を見ても、外宮から内宮まで歩くのは相当時間がかかりそうである。
参道から通ずる神宮の入口の前の大通りのところにバス停があり、そこから本数は少ないが内宮に行くバスが出ていた。バスでも外宮から内宮まで15分かかる。
神宮の参拝時間が18時までとあるので、なんとか時間に間に合うバスに乗った。
バスは三重県伊勢庁舎、猿田彦神社を通って走り、「内宮前」のバス停で降りた。
参拝時間制限まで30分しかない。
「内宮」は、入口のところにやはり大きな鳥居があり、それは緩やかな弧状の木造りの橋に繋がっていて、橋の先端にはまた鳥居が構えていた。橋の名前は宇治橋といい、100mを超える長さである。橋の下に流れる川は五十鈴川だった。
内宮のなかも外宮と同じく、広く木々が覆っていた。
戻る人とすれ違うこともあったが見物客はもうほとんどいなく、薄暗くなりかけた宮内を急ぎ足で歩きまわり、正宮を探した。
たどり着いた正宮は、宮内の奥にあった。階段の先の少し高まったところにある正殿は、やって来た人を少し見下ろすように建っていた。漂う暮れなんとする空気が、なにやら暗雲たる景色を醸し出している。
この正殿には、御神体であり三種の神器の一つでもある「八咫鏡」(やたのかがみ)が祀られているという。
人影のなくなった宮内を急ぎ足で最初に通った宇治橋に向かった。木々に囲まれた暗い通り道には灯りがともされた。宇治橋を出た入口(出口)のところには、閉門の準備を待ち構えている係員がいた。
外宮、内宮の両宮で参拝を終え、なんとか“お伊勢参り”をしたと思えた。
帰りのバス停のところに行こうと歩き始めると、いつしか両側にいろいろな店が並ぶ商店街を歩いている。来たときはこんな小ぎれいな商店街は通らなかったと思いながら進んだが、それにしても人がいない。暗くなり、内宮の閉門時間を過ぎて観光客がいなくなったからか、殆どの店が閉まっている。
どこまで行ってもバス停らしい気配はない。そこで、地元の人らしい人を見つけて、やっとバス停までたどり着くことができた。
私がバス停を探して歩いた通りは、「おかげ横丁」という商店街らしかった。
バスでJR伊勢市駅に出て、外宮に向かう参道のなかにあった魚料理店で夕食を摂った。
*旅の終わり、名古屋駅へ
翌9月27日、JR「伊勢市」駅9時20分発の名古屋行き「快速みえ6号」に乗った。
途中、参宮線と紀勢本線の分岐駅である「多気」駅を過ぎると、牛肉で有名な「松坂」駅である。この駅近辺では、牛もしくは牧場がないかと窓の外を注意深く探しまわしたが、その気配も見あたらなかった。
その先の三重県庁所在地の「津」駅を過ぎると「亀山」駅である。この駅が紀勢本線の起点である。
今回の、大阪「天王寺」駅の「阪和線」から始めた紀伊半島一周の旅は、「和歌山」駅から「紀勢本線」となって、「串本」駅、「新宮」駅を経て、「亀山」駅で紀勢本線は終える。
亀山駅からは「関西本線」と名前を変え、「四日市」駅、「桑名」駅を経て、「名古屋」駅へと進む。
名古屋駅、11時03分着。
名古屋駅からは新幹線で東京へ向かい、旅を終えた。
心のなかにうずくまっていた“お伊勢参り”である。
と言っても私は無宗教なので、伊勢神宮に関して何の知識も持っていない。そもそも伊勢神宮と出雲大社はどちらが格上なのだろうという下世話な考えも浮かんでくるくらいだ。
弥次さんと喜多さんが、江戸から東海道を歩いてわざわざお伊勢参りに行ったというから、昔から全国的人気の神社だったのだろう。
一度は行っておきたい伊勢神宮である。
9月26日朝、串本駅を出て紀勢本線にて紀伊半島を北上し、多気駅にて参宮線に乗り換える。多気駅14時35分発、14時56分、JR伊勢市駅に着いた。
*伊勢神宮「外宮」参り
列車内で予約した、JR伊勢市駅から歩いて約10分のホテルに荷物を置いて、まずはJR伊勢市駅に。
駅構内の観光案内所にて地図をもらい駅を出ると、目の前にはもう鳥居が立っていて、その先に延びた通りが伊勢神宮の参道である。
参道の両脇には、食いもの屋や土産物の店がにぎにぎしく並んでいる。
この道を歩きながら、昔の人もやっとたどり着いたこの地で、お伊勢参りはさておき、店の人と、あんたどこから来なさった、はるばる江戸からさ、おやおや、箱根の関所を超えて来なさったとは大変だったねえなどと、あれこれ世間話や与太話、それに冷やかしやら買いものを楽しんだのだろうと想像した。
通りを歩きながら、夕食の店の目星をつけておいた。
参道が終わり、横切る大通りの前に現れたまさしく伊勢神宮は、そこは「外宮」(げくう)とある。
外宮とわざわざ書いてあるということは、他にもあるのだなと案内の地図を見ると離れたところに「内宮」(ないくう)というのがある。
何はともあれ、まずはここ外宮をまわり、参拝しよう。駅から賑やかな参道が続いているのだから、ここが伊勢神宮のメイン・ステージだろうと思った。
神宮のなかは、緑があり橋があり池があり、自然公園のように整然としている。
鳥居をくぐり、神楽殿の先に「古殿地」と称される、次の遷宮時に社殿が移される空きの地があった。その先に、見張りの係員が立っているところが「正宮」である。
板垣に囲まれた鳥居を入ると、檜で造られた古来の神明造りの神殿が構えている。正宮は奥行きがあり、正面の神殿の奥にも神殿がある。
この伊勢神宮は20年に一度、神殿が建て替えられ、隣の「古殿地」に移されるので、建物は古くはないのだが歴史を感じさせる。昔の人も、ここへ来て手を叩いて拝んでいたのかと想像した。(写真)
正宮で参拝を終えたら、何だか役目が終わったような気になった。
あたりを見渡すと、正宮の前に「土宮」(つちのみや)という別宮があったので、そこも見てまわって外宮を出ることにした。
*伊勢神宮の本当の名前は?
ここ「伊勢神宮」の案内書を見ると、「外宮」は、豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りする「豊受大神宮」(とようけだいじんぐう)が正確な名前である。そして、この豊受大御神は「天照大御神」のお食事を司る神とある。
その天照大御神をお祀りするのが「皇大神宮」(こうたいじんぐう)で、それが「内宮」であった。
この内宮、外宮だけでなく他の別宮、摂社、末社など125もの宮社全てを含めて「神宮」と称している。私たちが伊勢神宮といっているのは、他の神宮、神社と区別するために、形式的に地域名の伊勢を冠しているのである。
つまり、「伊勢神宮」の正式の名は、単に「神宮」ということであった。このことは、他の神社とは別格ということを意味している。唯一無比の天皇家に苗字がないのと同じである。
ちなみに、かつて「大社」といえば「出雲大社」を意味していたという。
伊勢神宮は、敷地(神域)も格別に大きい。東京の明治神宮も大きいと思っていたがそれ以上で、内宮が外宮より少し広く、日本の神社で1、2の大きさである。
多少気にはなっていたのだが、外宮を参拝したら伊勢神宮を参拝したのも同然だろうと思っていたけど、内宮も外せないとわかった。
伊勢神宮の案内書には、二つの宮はどちらが各上とかは一切記されてはいないし、どれもが並列に扱われている。とはいえ、JR伊勢市駅から続く参道からして外宮が地理的に恵まれているので、私のように外宮だけ参拝して伊勢参りを終えてもいいと思う(思った)観光客もいる(いた)のではなかろうか。
しかし、ここに来て分かったことは、二つの宮を参拝してこそ、伊勢神宮をお参りしたと言えるということである。
こんな基本的なことも知らないでの伊勢参りであった。
*もう一つの伊勢神宮「内宮」へ
地図を見ても、外宮から内宮まで歩くのは相当時間がかかりそうである。
参道から通ずる神宮の入口の前の大通りのところにバス停があり、そこから本数は少ないが内宮に行くバスが出ていた。バスでも外宮から内宮まで15分かかる。
神宮の参拝時間が18時までとあるので、なんとか時間に間に合うバスに乗った。
バスは三重県伊勢庁舎、猿田彦神社を通って走り、「内宮前」のバス停で降りた。
参拝時間制限まで30分しかない。
「内宮」は、入口のところにやはり大きな鳥居があり、それは緩やかな弧状の木造りの橋に繋がっていて、橋の先端にはまた鳥居が構えていた。橋の名前は宇治橋といい、100mを超える長さである。橋の下に流れる川は五十鈴川だった。
内宮のなかも外宮と同じく、広く木々が覆っていた。
戻る人とすれ違うこともあったが見物客はもうほとんどいなく、薄暗くなりかけた宮内を急ぎ足で歩きまわり、正宮を探した。
たどり着いた正宮は、宮内の奥にあった。階段の先の少し高まったところにある正殿は、やって来た人を少し見下ろすように建っていた。漂う暮れなんとする空気が、なにやら暗雲たる景色を醸し出している。
この正殿には、御神体であり三種の神器の一つでもある「八咫鏡」(やたのかがみ)が祀られているという。
人影のなくなった宮内を急ぎ足で最初に通った宇治橋に向かった。木々に囲まれた暗い通り道には灯りがともされた。宇治橋を出た入口(出口)のところには、閉門の準備を待ち構えている係員がいた。
外宮、内宮の両宮で参拝を終え、なんとか“お伊勢参り”をしたと思えた。
帰りのバス停のところに行こうと歩き始めると、いつしか両側にいろいろな店が並ぶ商店街を歩いている。来たときはこんな小ぎれいな商店街は通らなかったと思いながら進んだが、それにしても人がいない。暗くなり、内宮の閉門時間を過ぎて観光客がいなくなったからか、殆どの店が閉まっている。
どこまで行ってもバス停らしい気配はない。そこで、地元の人らしい人を見つけて、やっとバス停までたどり着くことができた。
私がバス停を探して歩いた通りは、「おかげ横丁」という商店街らしかった。
バスでJR伊勢市駅に出て、外宮に向かう参道のなかにあった魚料理店で夕食を摂った。
*旅の終わり、名古屋駅へ
翌9月27日、JR「伊勢市」駅9時20分発の名古屋行き「快速みえ6号」に乗った。
途中、参宮線と紀勢本線の分岐駅である「多気」駅を過ぎると、牛肉で有名な「松坂」駅である。この駅近辺では、牛もしくは牧場がないかと窓の外を注意深く探しまわしたが、その気配も見あたらなかった。
その先の三重県庁所在地の「津」駅を過ぎると「亀山」駅である。この駅が紀勢本線の起点である。
今回の、大阪「天王寺」駅の「阪和線」から始めた紀伊半島一周の旅は、「和歌山」駅から「紀勢本線」となって、「串本」駅、「新宮」駅を経て、「亀山」駅で紀勢本線は終える。
亀山駅からは「関西本線」と名前を変え、「四日市」駅、「桑名」駅を経て、「名古屋」駅へと進む。
名古屋駅、11時03分着。
名古屋駅からは新幹線で東京へ向かい、旅を終えた。