繊細で妖艶なヴィーナスを描いた画家、ルカス・クラーナハの作品展が上野の国立国際美術館で行われているので、見に行った。(写真)
入口の建物の前にルカス・クラーナハ展の看板が掲げてある。そのタイトルは、意味深長な「クラーナハ展―500年後の誘惑」である。写真における、看板の後ろに見える白い建物が世界遺産の一つになったル・コルビュジエの作である展示会場の国立国際美術館である。
やはりこの日は、ル・コルビュジエよりルカス・クラーナハである。
今でこそルカス・クラーナハは、こうして大々的に知られる画家となっているが、かつてはルーカス・クラナッハとも呼ばれていて、エロティックな面だけが視点を浴びた多少異端の画家と目されていた。
*
ヴィーナス(ウェヌス、アフロディア)といえば、西洋においては美の化身である。
そのヴィーナスは、紀元前100年位に作られたギリシャの「ミロのヴィーナス」に代表されるように、健康的でグラマラスな姿態であった。
しかし、そのヴィーナスの姿は時代とともに変わっていく。
15世紀後半から16世紀に入るや、美しいヴィーナスがあちこちに出現する。
ルネサンス期の、イタリアで生まれた泡から生まれているボッティチェリによる有名な、「ヴィーナスの誕生」。
そして、横たわるジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」、それに、僕が好きなティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」。
同時期にドイツで生まれたルカス・クラーナハの「ヴィーナス」は、見るからに異質だ。ヴィーナスという題名がついていなければ、誰もそうとは思わないだろう。
小さなスラブ系の顔に小さな乳房、長い脚。髪はクルクルとカールしてあり、裸にネックレスすら付けている。そして、何よりの特徴は、幼くも妖しい雰囲気を醸し出している。
こちらを見ている彼女は、薄い恥毛を隠しもしない。覆っているかのような手に持ったショールは細い網のように透き通っていて、それは単なる見せかけであるのは明らかであり、かえって見る者をそそっているかのようである。
やはり、誘惑しているのか。
*
僕が初めてルカス・クラーナハを知ったのは、澁澤龍彦の本だった。
澁澤は湘南ボーイのような清々しい顔を否定するようにサングラスをかけたり黒い帽子をかぶったりして、アカデミズムから距離をおいて少しいかがわしい匂いを放っていた。彼の発信するものはマルキド・サドや黒魔術といったヨーロッパの香りに充ちていながら、奇妙にエロティックでオカルティックだった。
1965年にカッパブックス(光文社)という軽い新書形式で出版された「快楽主義の哲学」は、彼をいっきにメジャーに押し出し、当時僕は彼の主張に深く共感するとともに、僕の生き方に安心感を与えた。
その後1967年に出版された、今も僕の書棚にある澁澤著の「エロティシズム」(桃源社)には、クラナッハ(当時のまま)の「パリスの審判」が、澁澤編集の「ユリイカ1971年11月臨時増刊・エロティシズム」(青土社)には、「ヴィーナス」や「楽園のイヴ」が載っている。
どちらも、文中で澁澤はクラーナハについて記述していない。つまり、エロティックな具象としてクラーナハの画をあげているのである。
何となく気づかれたであろう。クラーナハは、マニャックな研究家や好事家が秘かに好む画家だったのである。
ちなみに付け加えるならば、宗教改革のマルティン・ルターの肖像画なら知っているという人は多かろう。広く流布されているルター像はクラーナハの画である。
厳めしいルターの肖像画とロリータ風の蠱惑的なヴィーナス画像はなかなか結び付かない。
それからだいぶんたってからだが、思わぬところでクラーナハの記述に出くわし驚いたことがある。
ある芝居を観ての関連だったと思うが、たまたま読んだ中山可穂の「猫背の王子」という小説のなかの一文で、僕はノートに書き残したのだった。
「カンヴァスに当たる光によって見る者の印象を変える。ときにはルーカス・クラナッハであり、ときにはギュスターヴ・モローになる。ルオーの宗教画にさえ見えることがある。…」
僕は初めて読んだ著者の才能に感嘆しながら、レズビアン特有の感性がクラーナハに魅かれたのかと、思わず考え過ぎていた。
たまたま書店でクラーナハの表紙を見つけて、手にした本もある。美術史学者の若桑みどりの「象徴としての女性像」は、「ジェンダー史から見た家父長制社会における女性表象」として、クラーナハの「ホロフェネスの首を持つユディト」を表紙にし、本文中でもクラーナハを取りあげている。
ルカス・クラーナハは、知る人ぞ知る画家だった。
「クラーナハ展」に「500年後の誘惑」とあるが、渋沢龍彦や多分一部の愛好家は、とっくに50年前にルカス・クラーナハのエロティックな誘惑に誘い込まれていたのだった。
入口の建物の前にルカス・クラーナハ展の看板が掲げてある。そのタイトルは、意味深長な「クラーナハ展―500年後の誘惑」である。写真における、看板の後ろに見える白い建物が世界遺産の一つになったル・コルビュジエの作である展示会場の国立国際美術館である。
やはりこの日は、ル・コルビュジエよりルカス・クラーナハである。
今でこそルカス・クラーナハは、こうして大々的に知られる画家となっているが、かつてはルーカス・クラナッハとも呼ばれていて、エロティックな面だけが視点を浴びた多少異端の画家と目されていた。
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ヴィーナス(ウェヌス、アフロディア)といえば、西洋においては美の化身である。
そのヴィーナスは、紀元前100年位に作られたギリシャの「ミロのヴィーナス」に代表されるように、健康的でグラマラスな姿態であった。
しかし、そのヴィーナスの姿は時代とともに変わっていく。
15世紀後半から16世紀に入るや、美しいヴィーナスがあちこちに出現する。
ルネサンス期の、イタリアで生まれた泡から生まれているボッティチェリによる有名な、「ヴィーナスの誕生」。
そして、横たわるジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」、それに、僕が好きなティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」。
同時期にドイツで生まれたルカス・クラーナハの「ヴィーナス」は、見るからに異質だ。ヴィーナスという題名がついていなければ、誰もそうとは思わないだろう。
小さなスラブ系の顔に小さな乳房、長い脚。髪はクルクルとカールしてあり、裸にネックレスすら付けている。そして、何よりの特徴は、幼くも妖しい雰囲気を醸し出している。
こちらを見ている彼女は、薄い恥毛を隠しもしない。覆っているかのような手に持ったショールは細い網のように透き通っていて、それは単なる見せかけであるのは明らかであり、かえって見る者をそそっているかのようである。
やはり、誘惑しているのか。
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僕が初めてルカス・クラーナハを知ったのは、澁澤龍彦の本だった。
澁澤は湘南ボーイのような清々しい顔を否定するようにサングラスをかけたり黒い帽子をかぶったりして、アカデミズムから距離をおいて少しいかがわしい匂いを放っていた。彼の発信するものはマルキド・サドや黒魔術といったヨーロッパの香りに充ちていながら、奇妙にエロティックでオカルティックだった。
1965年にカッパブックス(光文社)という軽い新書形式で出版された「快楽主義の哲学」は、彼をいっきにメジャーに押し出し、当時僕は彼の主張に深く共感するとともに、僕の生き方に安心感を与えた。
その後1967年に出版された、今も僕の書棚にある澁澤著の「エロティシズム」(桃源社)には、クラナッハ(当時のまま)の「パリスの審判」が、澁澤編集の「ユリイカ1971年11月臨時増刊・エロティシズム」(青土社)には、「ヴィーナス」や「楽園のイヴ」が載っている。
どちらも、文中で澁澤はクラーナハについて記述していない。つまり、エロティックな具象としてクラーナハの画をあげているのである。
何となく気づかれたであろう。クラーナハは、マニャックな研究家や好事家が秘かに好む画家だったのである。
ちなみに付け加えるならば、宗教改革のマルティン・ルターの肖像画なら知っているという人は多かろう。広く流布されているルター像はクラーナハの画である。
厳めしいルターの肖像画とロリータ風の蠱惑的なヴィーナス画像はなかなか結び付かない。
それからだいぶんたってからだが、思わぬところでクラーナハの記述に出くわし驚いたことがある。
ある芝居を観ての関連だったと思うが、たまたま読んだ中山可穂の「猫背の王子」という小説のなかの一文で、僕はノートに書き残したのだった。
「カンヴァスに当たる光によって見る者の印象を変える。ときにはルーカス・クラナッハであり、ときにはギュスターヴ・モローになる。ルオーの宗教画にさえ見えることがある。…」
僕は初めて読んだ著者の才能に感嘆しながら、レズビアン特有の感性がクラーナハに魅かれたのかと、思わず考え過ぎていた。
たまたま書店でクラーナハの表紙を見つけて、手にした本もある。美術史学者の若桑みどりの「象徴としての女性像」は、「ジェンダー史から見た家父長制社会における女性表象」として、クラーナハの「ホロフェネスの首を持つユディト」を表紙にし、本文中でもクラーナハを取りあげている。
ルカス・クラーナハは、知る人ぞ知る画家だった。
「クラーナハ展」に「500年後の誘惑」とあるが、渋沢龍彦や多分一部の愛好家は、とっくに50年前にルカス・クラーナハのエロティックな誘惑に誘い込まれていたのだった。