かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

神尾真由子と日本フィル、そして音の記憶

2010-02-28 14:18:47 | 歌/音楽
 記憶の持続と定着いうのは難しい。
 その中でも、音の記憶というのはことさら難しいのではなかろうか。
 小説は、記号としての文字で物語を記述してあるにもかかわらず、いやそれだからこそと言うべきか、おのずと脳の中でイメージ化しているし、物語を頭の中で反芻、吟味することができる。気に入った文章なら暗誦しておくこともできる。あるいは、主人公はなぜあのような行動をとったのだろう、自分だったらこうしただろうという想像を働かせることもできる。
 映画は、印象的な映像(シーン)が記憶に残っているし、1枚の写真やポスターで、すぐに映像の再生が可能になる。
 絵画や写真となると、平面であるがゆえに記憶への定着は容易だ。
 思い出せないとしたら、それは忘却、記憶の喪失である。
 味(舌)はどうだろうか。
 美味しいステーキを食べたことがあれば、店先で、そのステーキ(肉)を見たり匂いを嗅いだだけで、唾が出てくることがある。要するに、味の記憶が脳を刺激するのだ。

 では、本題の音はどうだろう。
 すばらしい演奏を聴いて、感動することはよくある。
 しかし、その演奏会の写真やポスターを見ても、頭の中で音を再生することは難しい。ヴァイオリンの写真を見て、さっき聴いてきたヴァイオリンの曲目の演奏を甦らせるのは難しい。その演奏者の写真やポスターを見て、演奏会の情景を思い出すことなら容易だが。
 音を再生させようとすれば、そのときの情景を思い浮かべざるを得ない。僕たちは、純粋な音だけではなく、その情景を再生させているようなのだ。
 想像力は限りなく持っているように思うのだが、音へのそれは無力のように感じる。
 ドレミファ…の音階オクターブは、想像だけであったら何オクターブもできそうに思える。しかし、実際頭の中で音を出してみると、上限がすぐにきて、(僕の場合)2オクターブがいいとこだ。これは人によって違うのだろう。
 実際に音に出さなくて頭の中で想像するだけでいいと言い聞かせても、ある程度以上のキーになると、何度も平坦な音を繰り返しているだけである。低音についても同じである。

 2001年、イタリアを旅しているとき、ヴェネツィアの古い貴族の館で、ヴェネツィア・オーケストラの弦楽奏団の音楽を聴いた。そのとき、この感動は僕のそれまでの人生の感動の中でも有数のものだと感じた。そして、それを強く心に刻もうと思った。
 しかし、今は、そのときの情景は細かく思い浮かべることはできても、そのときの音楽は頭の中でも、心の中でも再現できない。ヴィバルディーの曲だったのだが、細部は霧にかき消されたようだ。
 音への感動の蘇生は、その音を再び聴かないといけないのだろうか?

 *

 2月22日、日本フィルハーモニー交響楽団の九州公演の一環として、佐賀市で公演会が行われた。
 日本フィルの指揮は、ロシア人の首席指揮者、アレクサンドル・ラザレフ。ゲストは、ヴァイオリニストの神尾真由子である。
 いきなり、ウェーバーの歌劇「オイリアンテ」序曲が始まった。ラザレフ指揮、日本フィルによる演奏である。
 次に、ヴァイオリニストの神尾真由子が登場。舞台は華やかになり、温度が高くなったようだった。
 曲は、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」。
 神尾真由子は、2007年に、日本人としては諏訪内晶子以来となる、チャイコフスキー国際コンクールで優勝して、一躍世界的に有名になったヴァイオリニストである。
 日本フィルをバックにした彼女の演奏は、エネルギッシュで華麗であった。まだ若くて美しくもある彼女は、才能を持つものだけが許される高慢の高みにいた。
 指揮者のラザレフは、最初から飛ばしていたという印象だったが、それは彼女を意識してのことだったのかもしれない。
 ヴァイオリニストと指揮者のエネルギーがぶつかり合った演奏会だった。

 神尾真由子の使用しているヴァイオリンは、1727年製作のストラディヴァリウスである。ストラディヴァリウスは数も少なくステイタスシンボルであることから、所有者や演奏者を公開している場合が多い。億単位というあまりにも高額であるため、企業や団体からの貸与という形式も多く、彼女の場合もサントリーホールディングスからの貸与である。
 現在このストラディヴァリウスを使用している日本人の演奏家は、彼女のほかに諏訪内晶子、五嶋龍、庄司紗矢香、竹澤恭子、南紫音などがいて、辻久子、千住真理子、高島ちさ子などは、自己所有である。もちろん、密かに持っている人もいるに違いない。

 神尾真由子の音の記憶を保つために、会場で販売していた彼女のCDを買って帰った。2枚目で最新盤の「パガニーニ:24のカプリースOp.1」である。
 この曲は、自身の演奏技術が悪魔的とまで言われたパガニーニが、そのヴァイオリンの極限の音域と指の早業の技巧を求めて作曲したもので、弾く者に超絶技巧を要求した曲である。
 パガニーニは発表当時、皆さん、こんな曲が弾けますか?と、弦を押さえる左指で弦をはじきながら、右手で弓を弾くという独自の「左手のピッツィカート」を披露しながら、冷ややかに見下していたのであろう。
 後日、神尾真由子のCDを聴いた。
 このパガニーニの「24のカプリース(奇想曲)Op.1」を、彼女は何の苦労もない曲のように弾いている。いや、超絶技巧を楽しむかのように、あるいはその演奏技巧を密やかに誇示するかのように。
 あたかも、フィギュアスケートで、3回転ジャンプを涼しい顔で跳ぶように。

 <追記>
 2月28日の夜、テレビのバンクーバー五輪特集のフィギュアスケートのエキシビションを見ていたら、浅田真央選手が、扇を片手に飛び出して舞った。
 曲は何と、パガニーニの「24のカプリース」で、その中でも最も美しい第24番であった。
 ただし、ヴァイオリンのソロ演奏曲ではなかった。もちろん、神尾真由子の演奏曲ではなかったが。

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長崎ランタン祭りを歩けば

2010-02-25 02:46:37 | * 九州の祭りを追って
 中国の街中の商店街とかお土産物売り場の集まる通りを歩くと、赤い提灯が並んでいるのをよく目にする。この大きなトマトかミカンのような、あるいはホオズキ(鬼灯)のような丸い提灯が続く様は、いかにもそこが中国だという思いを抱かせる。
 この中国提灯がランタンである。正確には、ランタンとは、角型で四面をガラス張りにした、軒下などに吊るした灯火をいう。
 このランタン(中国提灯)に彩られた祭りが、長崎で行われている。さすが、観光立県長崎である。中国の華僑の人が行っていた旧正月の祝いを、平成6年から本格的に始めたというから、長い歴史があるわけではない。秋のくんち(祭り)に匹敵するような観光の目玉を、2月の景気の落ち込む時期に立ち上げたのだ。
 期間は、中国の旧正月である春節の2月14日から元宵節の2月28日までの2週間という長さである。

 *

 実家の佐賀に帰っていたので、長崎に足を伸ばしてみた。
 長崎は、大河ドラマ「龍馬伝」にあやかって坂本龍馬の長崎を盛んにPRしている。JRの長崎駅に着くと、龍馬に加えランタン祭りで、秋のくんちの祭りのとき以上の賑わいである。
 駅構内から坂本龍馬のポスターがすぐに目につく。観光案内地図を見ると、龍馬の銅像が市内に2つもあり、龍馬のブーツ(長靴)像なるものまである。「亀山社中」の跡は記念館になっているし、中心街には「長崎まちなか龍馬館」をオープンさせている。さらに、「長崎龍馬の道」を名付けて、新たな観光コースも作っている。
 本家、高知はどうなのだろうかと気になった。長崎に負けていないか?

 この日の僕の目的は、龍馬ではなく中国ランタン祭りである。
 ランタン祭りは案内書を見ると、街中の何か所かに会場が設けてあり、そこでイベントが行われている。
 駅からゆっくり歩いて、本祭りの最大イベントである皇帝パレードの出発点となる、賑橋の近くの中央公園会場に向かうことにした。
 鐡(てつ)橋を渡って西浜町を川沿いに歩いていると、トルコ・ライスの看板のあるレストランに出くわした。ケチャップのかかったスパゲッティ(ナポリタン)とトンカツがのった料理で、トルコとは縁もゆかりもない。イタリアと日本の間はトルコという、冗談のような名前の由来を聞いたことがある。
 その隣に、豚マンの店があり、豚マンと並んで龍馬マンジュウとあった。いつから売り出したのか訊いてみたら、昨年の10月からという、典型的に龍馬人気にあやかったものだ。来年はないかもしれないと思って、ものは試しに買ってみた。中身は皿うどんの具で、何ということはない。

 中央公園会場に着いたら、すでに人は溢れんばかりにいっぱいだ。皿うどんや鯨カツや、 中国雑貨などの出店が並んでいる。会場入口近くには、チリンチリンアイス(アイスクリーム)売りのおばさんもいる。
 2月20日と27日の土曜日は、皇帝パレードが行われるので人気なのだ。
 それに、この日の20日は、皇帝パレードの初日で、ここ中央公園は出発会場である。
 皇帝パレードとは、清朝時代の中国衣装で、清朝の皇帝と皇后(の役)を御輿に乗せて街中をパレードするというものだ。
 日本の街道を、北九州から瀬戸内海を経て、江戸まで行列を作って歩いた朝鮮通信史と違って、実際に長崎で行われたのではない。本当は、長崎と縁もゆかりもない皇帝パレードなのだ。
 このあたりは長崎の観光にたいするアイディアの巧みさであり、したたかさでもある。例えば、上海や香港の祭りで、日本の天皇あるいは将軍のパレードを演じるようなものである。
 この日の皇帝役は、ドラマ「龍馬伝」の龍馬、福山雅治の子供時代を演じた濱田龍臣君であったので、ここでも、龍馬人気と一体である。
 この子役の皇帝は、紫禁城最後の皇帝、「ラストエンペラー」の宣統帝とダブって、愛らしかった。

 その後、中国雑技団によるショーが行われた。雑技団とは、中国各地にある様々なエンターテイメントなパフォーマンスを演じる、サーカスのようなグループである。
 パンフレットには、大黄河雑技団と書いてあり、司会者によると湖南省の雑技の本場から来た人たちだという。
 昨年2009年10月に上海を旅したときに、観光を無視して、というより雑技団を見ることなどすっかり頭の中から消えていて、上海で行われている雑技団を見なかった。そこで、ここは「上海のかたきを長崎で」と思い、どんなものか見入った。
 皿や大鉢回しの後は、アクロバットが行われた。
 アクロバットのメンバーは若い女の子で、体操選手のように脂肪を取り除いたスリムな身体ではなく、みんなぽっちゃりしていたのは意外だった。なかには、お腹までむっちりしている子もいた。ぽっちゃりやむっちりな体型とは関係なく、身体が柔らかいのだ。

 *

 中央公園会場をあとにして、最も賑やかな浜町アーケードへ出た。
 ここも、ランタン(中国提灯)で彩られている。
 そこから、新地中華街へ向かった。やはり、中国に倣ったランタン祭りでは、中華街へ行かないと画龍点睛を欠く。
 中華街の入口の中華門の近くまで来ると行列ができていた。中華街の中に入るのに、混雑しているのだ。こんな光景は初めてだ。
 中華街に入る前に、中華街に隣接している湊公園会場に行くと、ここも大勢の人だかりで、舞台ではニ胡の演奏が行われていた。
 二胡の演奏を聴くのもそこそこに、裏側から中華街に入った。人込みのなか、まっすぐ江山楼へ向かった。長崎に来たときには、チャンポンを食べに江山楼に行くのを、ここのところ常としている。
 しかし、ここでも客が並んで待っている。別館の方が少ないと思い、入口でどのくらい待つのかと係りの人に訊いてみると、2時間待ちだと言うので、すぐに店をあとにした。
 何か食べるのに、どんな店でも並んで待つことはしたくない。食堂が町に1件しかないというならまだしも、たかがチャンポンだ。
 しかしこの日は、中華街の店はどこも客がいっぱいで、すぐに食べられる店はありそうもない。とりあえず、満順の月餅を買って、中華街を出た。
 中華街を出てほどないところで、小さな中華料理店を見つけた。ここでは待つことなくテーブルにつけた。
 やはり、長崎に来たときの定番のチャンポンと焼き餃子を頼み、紹興酒を加えた。紹興酒は熱燗でと頼むと、主(あるじ)が紹興酒は熱燗にするのはよくない、そのままで飲んだほうが美味いと言う。客のごく普通のありふれた要望を否定するのも珍しいし、主があまりにも強く主張するので、そうすることにした。郷に入れば郷に従え、である。
 チャンポンはあんかけ風の味であった。いろいろな味のチャンポンがある。

 外は暗くなっているが、街はまだ静まるのを惜しむかのように、多くの人が行きかっている。

 *

 長崎のランタンフェスティバルは成功のようだ。それに、観光で来た人を、街中を歩かせることに成功している。
 街が賑わうには、人が集まることが第一の要因である。この長崎の街がわが愛する佐賀市と違って、中心街が廃れずにかつての勢いを保っているのは、街中に縦横に走る市電があるからだろう。市電はどこまで乗っても一律百円(今は120円)だ。
 それにこの街は、車が入りにくい狭い路地が多い。長いアーケードにも、中華街の中にも車が入らない。
 街の外は坂になっていて、それゆえ、否が応でも街の中心はコンパクトになっている。
 そのことが、人を街に入り(集まり)やすくし、人を街中に歩かせている。ちょっと歩くには遠いと感じたら、市電に飛び乗ればいい。
 これらが、車(自動車)依存の街に陥らない大きな要素になっている。
 空間の要素だけではない。人が集まるには、街が魅力的でなくてはならない。
 願わくば、人は街の中に発見とときめきを期待したい。
 街中の商店街は、小さな店が、それも様々な店がアトランダムに並んでいる。食堂の横に魚屋があり、その隣が雑貨屋だったりする。それらは、歩くことによって見出される店々だ。
 街は、目的だけで歩くものではない。ぶらぶらと歩いていて、そこから思わぬ発見があるものだ。予定しなかったものを買ってしまったり、思わぬものを食べたりすることがあるものだ。

 自動車依存の街はどこも、国道もしくは幹線道路沿いの新しくできた大型店舗に、人は大体が目的を持って買い物に行き、車が停まれるファーストフードの店で食事をするという潮流になっている。大型店舗で買い物を済ました客は、街の中をぶらぶらと歩きはしない。
 それゆえ哀しいかな、かつての町の中心街は廃れる命運をたどっている。

 *

 中華料理店を出て歩いていると、すっかりあたりも暗くなっていたので、思案橋に行った。
 最終列車まで、少し飲む時間があるようだ。
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□ 1Q84

2010-02-14 02:30:45 | 本/小説:日本
 村上春樹著 新潮社

 次のページが待ち遠しいと思ったり、読むのを中断してその文章と文体を吟味する、という本はそう多くない。いや、そうさせる作家は多くない、と言った方が正しい。

 ページをめくっていくと、ふと読み進むのをやめさせる。今読んだばかりの文が、その流れとは切り離され、川に浮かんだ笹の葉のように、そこだけ浮いたように見えるのだ。だから僕は、読み進めている文の中の、その一文、ワンセンテンスが素通りするのをとめて、再び反芻するのだった。
 村上春樹の文は、僕をよく立ち止まらせる。
 僕を立ち止まらせるセンテンスというのは、物語の大きな木の幹ではなく、その幹についた枝や、枝についた葉のようなものである。梢や葉の思わぬ描写があるので、その木がどのような特徴を持ったものか、よく分かるのだった。
 「彼女が深く息を吐くと、それは狭い海峡を越えて吹き渡ってくる熱風のように、…の乳首に当たった」
 村上春樹の文は、多くの直喩や類比や隠喩に満ちている。それが、彼を特有の作家にしている大きな要素でもある。
 特にこの物語「1Q84」では、彼は自分自身のアナロジーの力を試すかのように、次々と、その機会を見失うことなく、あらゆる状況で使用し、これでもかとばかりに読者に投げかけている。
 それはあるときは、鉱山技師が鉱脈を探るために山岩を堀ながら進んでいるようにも見えるし、生物学者が実験で生体を解剖しながら毛細血管の行方を追っているようにも考えられるし、素数がどこまで続くのかを解明するのに没頭している数学者のようにも思われる。
 いやいや、真実は、読み手がどんな反応をするか想像しながら、それを楽しみながら書き綴っているのかもしれない。
 「彼の着たグレーのスーツには無数の細かいしわがよっていた。それは、氷河に浸食された大地の光景を思わせた」
 このような文に遭遇すると、僕は彼の意のままに、旅先のアラスカの上空から見た白とグレーのまだら模様の氷河の大地を想起するのだった。萎びたスーツを表わす比喩にすぎないのに。

 *

 「1Q84」の物語は、「青豆」と「天吾」の、2人の男女の相互の話で進展する。
 「青豆」は、スポーツ・インストラクター(整体師)でありながらテロリストになっていく女であり、「天吾」は、予備校の数学教師をしながら小説を書いている男である。
 この2人が、お互いにふりかかった出来事、体験を通して、接点に向かって進んでいく。
 このような異なった二つの物語を平行して描くという手法は、彼の初期の作品「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で、すでに試用されている。ここでは、「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」というまったく異なった世界が、相互に描かれている。
 その後の作品「海辺のカフカ」でも、その手法は用いられている。そこでは、僕という1人称の少年とナカタさんという3人称の老人の話で、物語は展開される。

 「1Q84」は、青豆も天吾も、2人とも1984年の同じ世界の話である。ところが、いつの間にか、2人とも現実の1984年とは違った1984年に生きていることを知る。その現実と違う世界を、村上は仮に1Q84年と設定して、その違いの証として、月を2つ存在させている。
 主人公の見る夜空の景色に、今まであった普通の黄色の月と、その横に少し小さい緑がかった月が存在するという、今までとは別の世界を造りあげた。

 自分が生きていた現在が、あるときから分岐して、別の平行した世界が存在し、それを形成していくのを一般にパラレル・ワールド(平行世界)と呼んでいる。
 分かりやすくいえば、「不思議の国のアリス」などがそうであろう。白ウサギについていって穴の中に入った瞬間、まったく地上の世界と違った世界に迷い込むという、異空間の世界である。そこには誰でも行けるというものではないという点で、予め穴(地)の中(下)に異空間が存在していたという、ジュール・ベルヌの「地底旅行」とは、本質的に異なるのである。
 時間移動から派生したパラレル・ワールドは、タイム・トラベルなどで多く描かれている。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、その傑作だろう。

 「どこかの時点で私の知っている世界は消滅し、あるいは退場し、別の世界がそれにとって代わったのだ。レールのポイントが切り替わるみたいに。…
 パラレル・ワールド。…
 これじゃサイエンス・フィクションになってしまう、と青豆は思った。…
 私はパラレル・ワールドというような突拍子もない仮説を持ち出して、自分の狂気を強引に正当化しようとしているだけではないのか。」

 村上は、この小説がパラレル・ワールドという舞台のSF小説になるのを恐れて、もしくはそう解釈されるのを警戒して、主人公の言葉の中で予め釘を刺すことを怠っていない。
 「…ここにある世界のどこまでが現実で、どこからがフィクションなのか区別がつかなくなっていた」
 さらに物語の中で主人公にこう言わせて、主人公とともに読む者をも、現実とフィクションの区別がつかないように誑(たぶら)かすのである。こうして読む者は、物語の主人公と、そして作者(村上春樹)と共犯関係に陥っていく。

 パラレル・ワールドという際どい線上を主人公に進ませながら、彼の小説が常に単なるSF小説に陥っていないのは、冒頭にあげた村上の文体のなせる技であろう。その隠喩に裏打ちされた直喩や類比の質の高さは、日本人では他に類を見ない。
 彼の持つ物語創造性は、彼のメタファー(隠喩)の力量によって、多義性ばかりでなく普遍性をも帯びているのである。
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別れのワイン

2010-02-03 05:07:44 | ワイン/酒/グルメ
 「刑事コロンボ」は、最初アメリカのテレビ・ドラマとして、1967年単独で「殺人処方箋」が放映された。その後、パイロット版として71年「死者の身代金」が放映されたあと、シリーズ化され、69作品作られた。
 日本語版のほか、各国で放映された人気シリーズである。

 「別れのワイン」は、刑事コロンボ・シリーズの第19作目の作品である。原作、W・リンク、R・レビンソン。単行本は二見書房刊。
 原題は、「 Any old port in a storm 」。日本では、「別れのワイン」としたタイトル・メーキングは秀逸だ。
 物語の中で、ワインを通して含蓄ある会話が取り交わされる。ワインを愛する男の誇りと熱情が伝わってくる、名作と言っていい。

 ワインは、ただ飲むものではない。いや、ただ美味しいと飲んでももちろんいいのだけれど、それでとどまるものではない。
 葡萄の種類や生産される土地や風土や年度、さらに製造過程などで、まったく違った味を作り出す。加えて言えば、同じ銘柄・同じ生産年度品でも、保存状態によっても大きく違ってくる。それは、知れば知るほど、それについて知りたくなる、悪女のような魅力があるのだ。
 いや、失礼。これは、僕の浅はかな知識による推測による発言である。
 悪女という表現は適切ではない。若草のような処女もいれば、目も眩む熟女もいる、と言った方がいいかもしれない。いやいや、そんな魅力的な女性ばかりでなく、素っ気ない名も知らぬ女や、素通りするに値する性悪女もあまたいる、と付け加えなければならないのだろう。
 いわゆる、ワインの味の微妙な違いが分かるにしたがって、味の好みが生まれ、それに優劣が感じとることができるようになるということである。つまり、各ワインに、極端に言えば一本一本のボトルに、味の広がりと奥行きの差異を感じとるようになるのだ。
 だから、あるボルドーのワインには、ヒエラルヒーともいえる等級が存在する。ボルドー以外でも、価格の等級は歴然とある。
 それとこの種の酒に限って、自ずと飲み方が問われるような気がする。そのような意味では、ある種のスコッチもそうであろう。
 これらは、それを選択した時点で、暗黙のうちに人間性を問われているような面はゆい思いを抱かせる。
 例えば、知らない店で、特にフランス・レストランで、ワイン・リストの中から知らないワインを、それもあまり高くないのを頼んだりするとき、今日はこんなものでいいよねと、言い訳がましく照れ笑いしながら頼むのも、本当は面白くない。
 高いのを頼めばいいというものでもない。知らない銘柄であれば、それがどの程度のものか知識がないのに高い値段を払うのも癪なのだ。それに、高いのを頼んで、味が大したことなかったら、どんな反応をしたらいいのだろう。
 値段と味が比例するとは限らないのも、ワインなのだ。
 どちらにしろ、値段の高低にかかわらず、胸を張って頼めないところがあるのだ。味と値段がほぼ確定している、あるいはそれほど高低差がないビールや日本酒やほかの酒では、こんな後ろめたい思いで頼むことはない。
 つまり、ワインは、生半可な知識では、生半可な頼みしかできなく、生半可な味わいしか持てない、と言うことなのかもしれない。
 ワインを知るには、キャリアと愛情が必要なのだ。
 それに、最も大事なことだが、人間性が。

 *

 物語の主役、カリフォルニアのワイナリーの経営者、エイドリアン・カシーニは、ワインの製造に純粋に情熱を注ぎ込んでいる、この地では一目置かれる人物である。

 ある日、エイドリアン・カシーニ氏と数人のワイン鑑定の専門家が試飲用サンプルのワインを飲んでいた。
 その中で、エイドリアンに注目は集まっている。彼は、おもむろにワインを少し口にし、呟く。
 「フムム…。育ちのいい酒だ。あと味も愛嬌があって面白い。ちょっとばかり皮を取り去るのに時機を逸した気味があるが」
 そして、もう一口、ほんの少し口にして、ゆっくりと息をして、満足そうに言うのだった。
 「どうやら見当がついた。葡萄の品種は……、スパイスのような独特の風味は、輸入物だな。しかも良産年のものらしい」
 そして、銘柄とヴィンテイジの生産年度を言う。
 ざわめきが起こる。そして、一人がボトルを取り出し確認する。そして、大きく首を振ると、周りは感嘆の声に変わる。
 「まあ、信じられないくらいですわ。その通りだわ。どうして、そんな芸当ができるのですか。ぜひ、その秘密を教えてください」との女性の声がかかる。
 息を呑んだ一同に、彼は厳かに言う。
 「いや、簡単そのものですよ。あなた方が、ワインの芳香に気を奪われていらっしゃるその間に、私は瓶のラベルを見ただけでしてね」
 そして、弾けるように笑う。かつがれたと感じたみんなも、一緒に笑うのだった。
 業界専門家の一人が、隣の同僚にそっと呟く。
 「いや、エイドリアン君のユーモアの感覚てのは実に素晴らしいですな。パーティーの主役をさせても一流でしょう」
 隣の同僚も、微笑を浮かべて小さな声で囁く。
 「その通りです。実に洗練された感覚の持ち主だね。君、見ましたか? 私はずっと注意していたのだが、エイドリアン君は一度だって瓶のラベルなど見ていないんですなあ。つまり、彼は実際に的中させたのです」
 「じゃあ、なぜ?」
 不審そうに訊く同僚に、彼は説明する。
 「あまりに鮮やかすぎる才能は、とかく嫉妬や反感を招くものだ。エイドリアン君は、それが分かっているんです。だって的中したといってもたかが酒の銘柄だと言われりゃあそれまで。気障(きざ)なやつだということで食通としてはともかく、実業家としてはマイナスになりかねない。それより、周囲の人々を楽しませた方がいい。おそらく、彼はそう判断したのでしょう。分かる人は分かる、そう思ってね」

 この領域に達するには、相当高い峰に上らねばならない。
 それを支えるものは、ゆるぎない自信である。それに、人徳。

 *

 オークションの会場に出席したエイドリアン・カシーニは、古いワインの競りに値を付けた。値段はどんどん高騰する。
 隣りに座っている秘書が心配声で言う。
 「カシーニさん、これまでの分だって相当な量になりますわ。1本のワインに大金を投じるというのは、どんなものでしょう。この分だと(このボトルは)3千ドルはいきそうですが」
 それに対して、エイドリアンはこう答える。
 「分かっている。たかが1本のワインにしては高すぎる。買わなきゃならない必然性なんて何もないさ。だがねえ、人生はそう長くはない。芸術はどうか知らんが、人生というやつは、まったく痛ましいぐらい短いんだ」
 そういって、競売人に手を挙げて値を言うのだった。
 結局、エイドリアンは予想を超えて5千ドルで競り落とした。
 秘書は言う。
 「カシーニさん。いったいあのボトル、本当に入り用ですの?」
 エイドリアンは、苦々しい口調で答える。
 「1本5千ドルのワインが入り用な人間なぞ、いるわけがない。私は、他の人間にあのボトルを取られたくないのだ。それだけのことさ」

 このドラマが作られたのが、1973年のことだから、5千ドルの価値がどれくらいのものか。1ドル300円ぐらいの時である。
 そして、まだカリフォルニア・ワインはブレイクしていなくて、やっとアメリカにワインが根つき始めた頃である。カリフォルニア・ワインが、フランスのボルドー・ワインに、ブラインドテイスティング競争で勝ったのは、その3年後の1976年である。それは事件であった。
 入幕したばかりの力士が、横綱を破ったようなものだったからだ。
 そして、その後カリフォルニア・ワインが、いや、新興国のワインがおしなべて、ボルドーを抜いたという話は聞かない。
 今でも、東西の横綱は、ボルドーとブルゴーニュなのである。
 単なる味の追求だけでは測れないのである。それが文化の深度の違い、つまるところワインの奥行きなのだと思うのだが。

 *

 コロンボは、エイドリアン・カシーニが、腹違いの弟を殺害したとして、例の下手に出ながらも執拗に付きまとう。
 「このワイン、きっと気に入ると思いますよ。コロンボ警部」
 カシーニ・ワイナリーに顔を出したコロンボに、エイドリアンは嫌な顔をせずに、グラスにワインをついで差し出す。
 「このワインはですな」
 エイドリアンの説明を遮るように、コロンボは、「私が、当ててみます」と言う。
コロンボはワインのことはまったく知らなかったのだが、この日の前日、専門家に、基本だけでも教えてくれと申し出ている。
 「フウン…、デリケートな育ち、芳香も素晴らしい。コクも上等。あと味も結構で」
 ワインを一口味わい、呑み込んだコロンボの、この言葉を聞いて、エイドリアンの顔は、思わずほころんだ。昨日、カベルネ・ソーヴィニヨンの発音もできなかった男と思えない台詞だったからだ。
 「これは、バーガンディーじゃありませんか? だが、私に分かるのはそこまででして、ピノ・ノワール種かガメェ種だと思うんだが、どちらかまでは判定できませんのです」
 コロンボは、少し小首をかしげて笑いながらエイドリアンの目をのぞき込む。
 「素晴らしい。びっくりしましたよ。ピノ・ノワールです。でも、いったいどうして分かったのですか?」
 驚いたエイドリアンに、コロンボは照れくさそうに説明するのだった。
 「カシーニ・ワイナリーで作っている赤ワインは3種だということは知っていたのです。1つは、カベルネ・ソーヴィニヨンでボルドー・タイプ、あと2つはバーガンディー・タイプということもね。この赤ワインは、昨日ご馳走になったカベルネ・ソーヴィニヨンとは違った味だからバーガンディーに違いない。バーガンディーとなれば、ここで栽培しているのはピノ・ノワールかガメェでしょ。簡単な消去法による推理です」
 エイドリアンは目を丸くしてこう言う。
 「警部、あなたもなかなか隅に置けないお人ですな」

 このドラマの公開当時、僕もコロンボと同じく、カベルネ・ソーヴィニヨンもピノ・ノワールも知らなかった。だから、ワインを一口、口にしただけで、数多くのワインの銘柄の中から、当てる人物を驚嘆の思いで見ていた。
 今では簡単な推理で基本的なワイン(葡萄の種)の種類だが、このときのコロンボの推理も、感嘆したのだった。
 バーガンディーとは、ブルゴーニュのことで、かつてアメリカではこう言っていた。ヴェネティアをベニスというようなものだ。

 *

 最後に、コロンボは策謀を仕掛ける。
 疑ったことを詫びる意味で、コロンボはエイドリアン・カシーニと秘書のカレンを高級フランス・レストランに招待する。レストランでは、「パリの空の下」の曲が流れている。
 そこでコロンボは、特別なワインを注文する。それはポート・ワインの「フェレイラの1945年産」である。
 これが、原題の「old port 」である。port は、ポルトガル・ワインのことである。
 また、port は、港の意味でもある。「any port in a storm」で、「急場しのぎ」という慣用句となる。この、「any port in a storm」が、事件の命取りになったのだった。
 日本題名「別れのワイン」もいいのだが、原題も事件の核心を暗喩していて、なかなか洒落ている。

 *

 事件を感づいた秘書カレンは、12年勤めている勤勉な中年の独身女性である。カレンが、エイドリアン・カシーニのために嘘の証言をコロンボにする。
 そのことをたてに、エイドリアンはカレンに結婚を迫られるのだった。
 人が変わったような彼女の強気な姿勢に、エイドリアンは彼女に哀れんだ表情で言う。
 「強要で愛は得られないよ、カレン」
 「そうかもしれないわね。でも、結婚するのに愛が不可欠なんてことはないでしょ。結婚なんてもろい地盤の上で結構成り立ってるじゃありませんか」
 エイドリアンは何も言う気もなくなって、黙って彼女に背を向けて歩き出す。

 そして、エイドリアンは、自分の「any port in a storm」(急場しのぎ)のせいで、事件の綻びを見て、コロンボに自白する覚悟を決める。
 エイドリアンは、コロンボに言う。
 「実際の話、肩の荷を下ろしたような気分ですよ」
 「はあ」と聞き返すコロンボに、エイドリアンは呟くのだった。
 「いや、実は真相を知ったカレンに結婚を迫られているのですよ。こうなったら、女は強いですな。……刑務所は結婚より自由かもしれませんね」

 エイドリアンを車の助手席に乗せて、警察へ向かう途中、彼のワイン工場の前でコロンボは車を止める。
 「私が幸福だと感じた世界でただ一つの場所でした」
 エイドリアンはしみじみと呟く。
 コロンボは、バックシートから1本のボトルを取り出す。そして、グラスを2個取り出した。
 エイドリアンは、そのボトルを手に取ると、やっと硬い表情を崩すのだった。
 「モンテフィアスコーネですな。素晴らしいデザート・ワインです。別れの宴に相応しい」
 エイドリアンは、グラスについだワインを一口飲んで、コロンボに言った。
 「実によく勉強したものですな」
 コロンボはエイドリアンを見つめながら、言った。
 「ありがとうございます。何よりも嬉しいお褒めの言葉です」
 そう言って、2人は別れのワインのグラスを空けて、コロンボは車を発車させたのだった。

 モンテフィアスコーネはイタリアの白ワインで、正確には「エスト!エスト!!エスト!!!ディ・モンテフィアスコーネ」。「エスト」とは、「ある」という意味のラテン語で、12世紀の酒好きの僧正とその召使いの伝説による銘柄。
 最後にコロンボが「ありがとうございます」とエイドリアンに言う台詞は、「Thank you,sir」と、サーを付けて敬意を表している。ワインを媒体として、コロンボはエイドリアンの人間性を認めていたのだ。
 だから、この物語では、証拠による逮捕ではない。「自白してくれますね」という、異例の終結となっている。
 カシーニ・エイドリアン役のドナルド・プレザンスの、哀愁をおびたワインを愛する男の存在感がいい。
 まだワインに対する知識が行き届いていない時代のドラマ作成で、それにアメリカでできた作品とは思えないほど、ワインに対する愛情が溢れている。
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