かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

曖昧な民主主義とは何かを考える、「来るべき民主主義」

2014-02-18 01:59:16 | 本/小説:日本
 私たちは民主主義の社会に生きている。そして、資本主義経済のもとで生活している。
 民主主義という言葉であるデモクラシーが古代ギリシアを起源とし、人民主権であるということぐらい知っている。そして、わが国が法治国家だから、政治の代表者(議員)を選挙で選ぶのだから、といった理由で民主主義の国だと思って疑わない。
 しかし、同じ民主主義国家と言っても、日本とアメリカやフランスなどとは政治の体制ひとつ見てもかなり違う。細かいディテールを比較すれば、ずいぶん違いがあるようだ。
 「わが国では民主主義が成熟していない」とか、「あの国はもっと民主化が必要だ」とか使っているのをよく聞く。
 ということは、民主主義とは、国によって姿が違っていて、達成度なるものに違いがあるということだ。だとすると、民主主義の理想形があるということになる。しかし、理想的な民主主義というものがあれば、みんな、どの国も、その理想形を掲げ、そこへ向かえばいいと思うのだが、その具体的な姿というのは知らないし、存在しているとも聞かない。実際に、理想の 民主主義というのはあるのだろうか。
 あるにはあるのだが、国の当事者(政府あるいは党、はたまた議会)が自分たちのいいように解釈して歪曲しているのだろうか。
 それとも理想の民主主義とは実体のない曖昧模糊としたもので、ベンサムの言うところの「最大多数の最大幸福」で言い表されるにすぎないものだろうか。
 イギリスの元首相のウィンストン・チャーチルは「民主政治は最悪の政治形態と言うことができる。これまでに試みられてきた、他のあらゆる政治形態を除けば、だが」と述べている。

 民主主義に対して完全の信頼がおけないまま隔靴掻痒の思いでずっときているところに、國分功一郎の「来るべき民主主義」(幻冬舎新書)を手にとって見た。
 國分功一郎は、昨年、「暇と退屈の倫理学」を読んで、彼の哲学的思考・発想に興味を持ったばかりだ。この書で、彼は、先達の哲学者、経済学者の論理を掘り下げることによって、現代人の持っている暇と退屈の潜在意識を気晴らしという実態で炙り出して見せた。
 自由と金を手に入れた現代人(すべてではないが)は、趣味や老後の自己実現とおぼしき行為も、自分のやりたいことをやっているのではなく、退屈という手におえないものを予め隠蔽するための行為で、資本形態のなかでの商品として消化させられているのだと。

 *ブログ参照→「人生は長い暇つぶしなのか?を考える、「暇と退屈の倫理学」」(2013.11.23)

 國分功一郎は、自分が住む東京都小平市において、たまたま小平市都道328号線の反対運動に加わったことをきっかけにして、民主主義について考察し、その現代の問題点を探る。
 國分功一郎の「来るべき民主主義」は、彼の民主主義への実践論であり、提案論であり、民主主義の解説本でもある。

 民衆が主権を有し、またこれを行使する政治体制と定義されるのがデモクラシー、すなわち民主主義である。
 では、現在、その主権はどのように行使されているのか?
 それを、國分功一郎の「来るべき民主主義」から見てみよう。著者はわかりやすく解説している。

 主権者たる私たちが実際に行っているのは、数年に一度、議会に代議士を送り込むことである。つまり、民主主義といっても、私たちに許されているのは、概ね、選挙を介して議会に関わることだけである。
 議会というのは、法律を制定する立法府と呼ばれる機関である。すると、現代において民衆は、ごくたまに、部分的に、立法権に関わっているだけ、ということになる。

 なぜ主権者が立法権にしか関われない政治制度、しかもその関わりすら数年に一度の部分的なものにすぎないものが、民主主義と呼ばれるのだろうか?

 近代政治理論の前提とは、立法権こそが統治に関わるすべてを決定する最終的な権力、すなわち主権だ、という考えである。
 立法とは法律を作ることである。法律は作られたら適用されねばならない。国または地方公共団体が、法律や政令、その他条例などの法規に従って行う政務のことを「行政」という。国ならば省庁、地方公共団体なら市役所や県庁などがこの行政を担っている。
 さて、近代政治理論によれば、主権は立法権として行使されるのだった。すると、そこで思い描かれているのは、主権者が立法権によって統治に関わる物事を決定し、その決められた事項を行政機関が粛々と実行する、そういった政治の姿であることになろう。
 たとえば日本の国政でいえば、国会が立法という形ですべてを決定し、各省庁に努める官僚たちがそれを粛々と執行する。地方自治体でいえば、市町村・都道府県の議会が条例制定・予算承認といった形ですべてを決定し、市町村役場・都道府県庁の職員たちそれを粛々と執行する。そういう前提になっている。
 これは、日本に限らず、近代初期に作られた政治哲学による、主権の概念に基づいて採用されたやり方である。

 しかし、ここからが問題提起となる。
 議会が統治に関わるすべてを決定しているとか、行政は決定されたことを執行しているにすぎないというのは、誤りである。実際に統治に関わる実に多くのこと、あるいはほとんどのことを、行政が決めている。しかし、民衆はそれに関われない。私たちに許されているのは立法権に(ごくたまに、部分的に)関わることだけだ。
 それでは、とても民主主義とは言えないように思われる。民衆が実際の決定過程に関われないのだから。それでも、この政治体制は民主主義と呼ばれている、と著者は述べている。

 著者は、小平市都道328号線の反対運動に加わったことから、この民主主義の問題点に直面する。反対の署名運動を始めて、住民投票にまで持ち込む。しかし、投票は投票率が50パーセントに満たないというので不成立となり、開票すらされない結果に終わる。
 投票率が50パーセントに満たなければ投票そのものが不成立というのであれば、48パーセントだった先の都知事選はどうなんだと言いたくもなるだろう。
 この小平市都道328号線の反対運動は、新聞報道(都内版のみかもしれない)で細切れに知ってはいた。
 
 著者は、この道路反対運動に関わったことによって、実践者となり、深く民主主義について考え、この本となった。
 著者は最後に、フランスの哲学者、ジャック・デリダの言葉を借りて、民主主義は「常に来るべきものにとどまる」と書いている。つまり、実現の手前にあり、十分でないものであり続けるという。
 民主主義が完全に実現した姿を想像することができないというのである。
 う~ん、ふりだしに戻った。

 いまだ、この小平市の道路問題は続いているが、私も本書によって、曖昧な民主主義について、未解決のままだが、少しは知りえることになった。

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「サンジャンの私の恋人」が流れた、銀座のシャンソニエ

2014-02-13 02:22:53 | 歌/音楽
 時代や年齢によって、聴く音楽が違ってくる。そして、かつて聴いて好きになった音楽は、自分のなかに静かに生息している。
 それは、マルセル・プルーストが、マドレーヌを口にした途端、遠い時代を甦らせたように、ある種の音楽を耳にすると、忘れていたはずの、その時代を甦らせるのだ。

 僕も、音楽の嗜好に関してはいろいろさまよったようだ。
 子どものころの童謡や唱歌は別として、学生時代までは歌謡曲とアメリカンポップスだった。
 社会人になって、フランスに興味が沸くと同時にシャンソンが入ってきた。
 20代後半に男性雑誌で音楽担当をしたと同時に、僕の中では未開発だった洋楽のロックが、仕事関係上どっと急流のように入ってきた。
 ロックの波が引いたころ、それまで良さが理解できなかったジャズが少しずつ入ってきた。
 会社勤めを辞め、家で仕事をする時間が増えたら、BGMとしてクラシック音楽を流すようになった。いや、正確には、その少し前の婦人雑誌の編集者時代、モーツアルトの特集をした時、いくつかのレコード会社がモーツアルトのCD試聴盤をたくさん持って来た時からだ。あれはモーツアルト没後200年という企画だったから1990年のことだ。
 それ以来クラシック音楽を聴くようになったが、もちろんそれだけを聴くわけではない。
 僕は一時的に夢中になる性質なので、バリ島に行ったときはガムラン音楽を、インドに行ったときはインド映画音楽を、しょっちゅう聴いていた。たとえ1枚のCDでも、飽きるまで聴くのだ。
 今はクラシック音楽をメインに、折にふれ、古い歌謡曲やシャンソンもジャズも、何でも聴く。音楽に関しては、何でも売っているデパートを歩いていて、その時ちょっと気に入ったものを手にしているような状態だ。

 *

 久しぶりにシャンソンを聴きに出向いた。
 シャンソンを聴くと、青春を卒業しきれないでいた頃の、まだ瑞々しい精神が高揚していた時代が甦る。
 
 「銀巴里」がなくなって久しいが、まだ銀座にはシャンソンを聴かせる店シャンソニエがいくつかある。そのなかでも、コリドー街にある「蛙たち」は、開店以来50年近くになる最も古いシャンソニエである。
 蛙(カエル)はフランス語で「grenouilleグルヌイユ」。モンマルトルにあるウサギ「ラパン・アジルLapin agile」を意識したのだろうか。

  日比谷から有楽町駅をかすりながらJR線のガード下を通ると、すぐに数寄屋橋に出くわす。 ここに来ると銀座に来たという感覚になる。あの「君の名は」の橋はとうの昔になくなっていて、その地の小さな公園には「太陽の塔」に似た岡本太郎の塔がたっている。
 数寄屋橋から脇に入って、泰明小学校の先から新橋の方に向って首都高速沿いに連なる通りが、いわゆるコリドー街である。
 その通りに並ぶ店を眺めながら歩いていくと、右手に小さな入口があり、その階段を登ると2階にその店「蛙たち」がある。この店は前から知ってはいたが、入るのは初めてである。
 扉を開けて店内に入ると、左手にカウンターがあり、右手にテーブルがある。そして、奥のピアノの前の舞台を囲むようにソファーが並ぶ。東京のシャンソニエのなかでも、フランスのシャンソン・ライブ・ハウスと最も雰囲気が似ていると感じた。

 まず、ピエール、クロード(蔵人)、サラさんと、フランス語の名前を付けた日本人の若手の歌手が歌い始める。そして、少しベテランの高木椋太さんが話を交えて歌い継ぐ。
 若い樋口亜弓さんは、シルヴィ・ヴァルタンの「初恋の二コラ」を歌ったあと、フレンチ・ポップスと呼ばれたミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」。そして、シャンソンらしいバルバラの「孤独」(La solitude)、エディット・ピアフの「パタン・パタン」。
 シャンソンを歌う人に、若い人が育っている。だのに、聴く人に若い人が少ないのが寂しい。シャンソンは、恋を、人生を歌っているというのに。
 最後は、この日のお目当ての青木FUKIさんの登場。この人は、シャンソンだけでなく、カンツォーネもラテンも歌う幅広い本格派の歌い手だ。
 まず僕の好きな「サンジャンの私の恋人」を歌ってくれた。なぜか、哀愁のあるこの曲が好きだ。
 そして、かつて世界の恋人と呼ばれたフリオ・イグレシアスの「抱きしめて」(アブラサメ)、青木さんのオリジナル曲である小椋桂作曲の「今が一番」と、バラエティ豊かだ。
 この人の歌は、前から時々聴いていてCDも持っているが、歌にますます迫力が増したようだ。

 *

 「サンジャンの私の恋人」(Mon amant de Saint Jean)はリュシエンヌ・ドリールが1942年に吹き込んだ古い歌で、何人もの歌手が歌っている。原題にあるmon amantを日本語では「私の恋人」と訳してあるが、恋人という場合もあるが、正確には、amantアマンは愛人、情夫である。
 マルグリット・デュラスの自伝的小説に「愛人/ラマン」があるが、このタイトルが「L'amant」である(冠詞のleがあるがeが省略されラマンとなる)。戦前のフランス占領下のインドシナが舞台で、そこに住んでいたフランス人少女が、現地の中国人の愛人になる話で、1992年に映画化もされた。美しい映像の映画だった。
 僕は青木さんに、僕たちはアマンの関係だね、と秘かな願望を込めて冗談を言うが、青木さんはそれを笑って受け流してくれるおおらかな人だ。
 サンジャンとは僕はずっと町か村の名前だと思っていたが、フランス各地にて夏至当日に行われる「聖ヨハネ祭」のことで、歌はその時出会った男への恋心を歌ったものである。

 「サンジャンの私の恋人」は古い有名な歌だが、僕がこの歌を知ったのは、試写会で観たフランソワ・トリュフォーの映画「終電車」( Le dernier métro、1981年) のなかでだった。
 「……あの腕に抱かれれば、誰だってそれっきりよ 
  あの眼差しに見つめられた時から、もうあたしはあの人のもの……」
 画面からその歌が流れたとき、僕は雷に打たれた“一目惚れ”のように、胸が熱くなった。カトリーヌ・ドヌーヴとジェラール・ドパルデューの演じる映画の物語にではない。歌に、である。暗闇のなかで、僕は忘れないように、夢中でスクリーンの字幕の歌詞をパンフレットの裏に書きなぞっていた。
 また、2001年にフランスを旅していた時、列車でワインで有名なボルドーに着いた。その時、ボルドーの駅がサンジャン駅という名前だったので、それだけで僕は胸が高鳴った。
 それにしても、ヨーロッパには、どうしてこういう洒落た駅名があるんだろう。ヴェネツィアの表玄関は、サンタ・ルチーア駅だし。この駅を降りて、目の前の海に浮かぶ舟を見ただけで「サンタルチア……」と歌いたくなったものだ。
 僕が「サンジャンの私の恋人」が好きだと知ったフランスに住んでいる知人が、オリジナル曲を集めたCDを買ってきてくれたこともあった。(写真)
 このなかに、リュシエンヌ・ドリールとは別にジャーヌ・シャカンという女性が歌う、同じ歌だが題名が「Mon costaud de Saint Jean」というのも入っている。なぜか「愛人amant」に代えて、「頑強な人costaud」となっている。

 サンジャンの余韻をかみしめて、銀座のグルヌイユをあとにした。周りの風景には、かつての熱い心の空気が漂っているかのように感じた。
 時折、膨大な古い記憶が埋まっている脳に刺激を与えないといけない。そうしないと、脳の中の記憶も、楼蘭の都のように次第に砂漠の中に消滅していく運命にあるのだ。
 つかのまであれ、人には、若さを維持し、甦らせるスイッチが必要だ。その一つが音楽といえる。

コメント (1)
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