かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

甘酸っぱい思いの、「野いちご」

2016-07-19 01:49:16 | 映画:外国映画
 最近の日々は、名残りをとどめることなく去っていく。
 1日があっという間に過ぎていくと思ったら、1か月とて瞬く間で、1年とていつしか去っている。
 
 野いちごと聞けば、甘酸っぱい思いが甦る。
 子どもの頃、近所の草むらのなかで野いちごを採っては口に含んでいた。野いちごといってもヘビイチゴの一種だったが、おやつなどなかった貧しい時代の子どもの口には、それとて美味しかった。
 近所の幼馴染みの女の子の手を取って、人目を避けるように野いちごのある草むらの茂みに隠れるのだった。あれは幼い、秘密の禁じられた遊び。

 「野いちご」は、スウェーデンのイングマール・ベルイマン監督の1957年の映画作品である。
 日本では1962年に、その後1971年にアートシアターで公開されている。僕の書棚に1971年版のアートシアターの「野いちご」の小誌が残っている。(写真)
 しかし、彼の作品の「叫びとささやき」は印象にあるが、この映画に関しては殆ど記憶にない。僕の記憶の倉庫の大脳皮質から、いつの間に消え去ったのだろうか。記憶の倉庫がいっぱいになり滑り落ちたのだろうか、あるいは小さくなり摩耗したのだろうか。
 「人生は記憶である」と思っている僕には、さほどに記憶とは、哀しいかな儚いものである。
 最近「野いちご」を観たのだが、一部ちらと見おぼえのあるシーンがあったが、まるで初めて観る映画のようだった。

 *

 物語の主人公は、厳めしい顔をした78歳の老人である。住みつきの家政婦が家事の世話をしてくれているが、家族は家にいず、いわゆる一人暮らしである。
 名誉博士の学位を受けることになった老教授イサク(ヴィクトル・シェストレム)は、その日、式場のあるルンド(スウェーデンの南部の学園都市)へ向かうのに、予定を変えて急に車(自家用車)で行くことにする。その車に、息子の妻マリアンヌ(イングリッド・チューリン)が同乗することになる。彼女は息子とはうまくいっていないように見える。
 途中、車を運転するイサクは細い道を入り、古びた別荘のある所へ行く。かつて、家族で毎年ここへ来ていたとイサクは述懐する。
 車を降りて、草むらのなかにイサクは野いちごを見つける。「野いちごか」。
 すると、野いちごを摘んでいる若い女性が登場する。若き日のイサクの婚約者である従妹のサーラ(ビビ・アンデルセン)だが、横に座っているのはイサクの弟だ。彼は、強引にサーラを誘惑している。イサクはそれを見ている。
 遠い若き日の情景だが、見ているイサクだけは今の老人のままだ。

 車を走らせる途中、イタリアへ行くというヒッチハイカーの明るい奔放な少女サーラ(ビビ・アンデルセンの二役)と2人のボーフレンドを車に乗せる。
 すぐさま今度は、車を故障させた中年の夫婦を車に乗せることになる。喧嘩が絶えないその中年夫婦は、すぐに車から降ろすことになるのだが。
 さらに車を走らせる途中、老いた母が住む実家に立ち寄る。かつてイサクも住んでいた家で、母の憎まれ口は今も健在だ。

 代わってマリアンヌが運転する車のなかで、イサクはうたた寝をする。
 野いちごの生える草むらの奥の林。木々の林の中にそこだけ光を浴びた空間があり、一組の男女が絡まっている。イサクは木の陰からそれを見ている。
 林の中の空間では、中年の女性がカサノヴァのような脂ぎった男に誘惑されている。いや、女性が誘ったかのようにも見える。
 その女性はサーラとは違う別の女性で、すでに死んだイサクの妻なのだ。「アートシアター」小誌の表紙の写真にある、妻の不倫の現場のようだ。(写真参照)
 妻は、夫は寛容だがまるっきり感情のない人だと、怒りとも諦めともいえる口調で話している。
 それらを、じっとイサクは見ている。
 イサクは、目が覚める。
 やがて、現地に着いて、式典が行われる。現地では、息子が迎えてくれる。

 式に出席するためにストックホルム(おそらく)の家を出て、ルンドでの式典が終わる、それまでの2日間の出来事、その間の主人公の夢、甦る古い記憶を描いたものである。
 死をまぢかにした老人が、ふとしたことをきっかけに若き日を甦らせる。それは、現実的だったり、非現実(シュールリアリズム)的だったりした映像で描かれる。そして、彼の生涯が、観るものにパッチワークをつなげるように、おぼろげに感じられるようになる。

 迫りくる死というのが、若いときの僕にはわからなかったのだ。それに、若いときには自分の人生を振り返ることもない。野いちごの甘酸っぱさを思い起こすこともない。
 しかし、歳月は過ぎた。やっとこの映画が実感できるようになった。
 今は、草むらの中に野いちごを見つけたら、胸が痛くなるだろう。

コメント
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