わかぬ間に 庭に茂れる八重葎(やえむぐら)
ふりゆく花も 香れしものを
2025(令和7)年正月
いつのまにか分からない間に、庭の垣根の木につる草が蔽い延びている。
私は年々老いていっているのだが、庭の花木も同じく古く老いていく。
この木は、花が咲けば香りが窓越しに降るように薫っていた。
しかし、その香りも心なしか乏しくなっているように感じる。
私が老いたせいだろうか、過ぎ去ったあのかぐわしい花の香る季節が懐かしいものだ。
沖宿
*黄昏の正月料理!
正月は恒例の形式である。形式は様式でもって表される。
年々、私の正月のおせち料理は、形式だけの料理になりつつある。
たかが、自分が作る自分のための料理だから、様式にこだわることはない、これも老いていく証か、と弁解がましい言い訳を自らにしてみる。
というわけで、今年のおせち料理は以下の通りとなった。
まず、「蒲鉾」と「鰊の昆布巻き」を切って並べる。これに「田作り」が加わり、個人的にはおせち料理の最低限を支える御三家としている。
おせちの定番である「数の子」は、いまさら子だくさんでもあるまいしと問題外とし、「黒豆」は糖分が高いし、甘い「伊達巻」も圏外にしている。
しかし、今年は「田作り」がなく、御三家の一角が脱落した。
「刺身」はカンパチ。刺身はカンパチに限る。かつてはハマチが一番好きだったが。
そして、「ゆで卵」、「豆腐」を並べる。野菜類は、「カボチャ煮」と「トマト」と簡単省力。摘まみとして「銀杏」を添える。
今年は「雑煮」をしないので、代わりにご飯として「寿司(にぎり)」である。正月料理の主力の雑煮が今年はない。これは我ながらまずいと思う。ぜひとも、来年は復活させなければいけない。
年に一度、家で飲む日本酒は、例年は「越乃寒梅」にしているのだが、今年はそれが売り切れていたので、同じ新潟県南魚沼産の「八海山」とした。
(写真)
さて、今年、令和七年も始まったなあと、ひとり、燗にした酒を飲みながら、おせちを摘まみだしたのは、西日が差すころとなっていた。
流す音楽は、カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」。
ヴェネツィアのサンマルコ広場でこの曲を演奏(2022年7月)している映像を見ていっぺんに気に入ったのだが、この曲は物語性の強い歌(合唱)があるので、音だけより映像込み(生演奏に越したことはないが)の方がいい。
こうして、すべてに不安定な要素を孕んだ今年、2025年が静かに始まったのだった。
ふりゆく花も 香れしものを
2025(令和7)年正月
いつのまにか分からない間に、庭の垣根の木につる草が蔽い延びている。
私は年々老いていっているのだが、庭の花木も同じく古く老いていく。
この木は、花が咲けば香りが窓越しに降るように薫っていた。
しかし、その香りも心なしか乏しくなっているように感じる。
私が老いたせいだろうか、過ぎ去ったあのかぐわしい花の香る季節が懐かしいものだ。
沖宿
*黄昏の正月料理!
正月は恒例の形式である。形式は様式でもって表される。
年々、私の正月のおせち料理は、形式だけの料理になりつつある。
たかが、自分が作る自分のための料理だから、様式にこだわることはない、これも老いていく証か、と弁解がましい言い訳を自らにしてみる。
というわけで、今年のおせち料理は以下の通りとなった。
まず、「蒲鉾」と「鰊の昆布巻き」を切って並べる。これに「田作り」が加わり、個人的にはおせち料理の最低限を支える御三家としている。
おせちの定番である「数の子」は、いまさら子だくさんでもあるまいしと問題外とし、「黒豆」は糖分が高いし、甘い「伊達巻」も圏外にしている。
しかし、今年は「田作り」がなく、御三家の一角が脱落した。
「刺身」はカンパチ。刺身はカンパチに限る。かつてはハマチが一番好きだったが。
そして、「ゆで卵」、「豆腐」を並べる。野菜類は、「カボチャ煮」と「トマト」と簡単省力。摘まみとして「銀杏」を添える。
今年は「雑煮」をしないので、代わりにご飯として「寿司(にぎり)」である。正月料理の主力の雑煮が今年はない。これは我ながらまずいと思う。ぜひとも、来年は復活させなければいけない。
年に一度、家で飲む日本酒は、例年は「越乃寒梅」にしているのだが、今年はそれが売り切れていたので、同じ新潟県南魚沼産の「八海山」とした。
(写真)
さて、今年、令和七年も始まったなあと、ひとり、燗にした酒を飲みながら、おせちを摘まみだしたのは、西日が差すころとなっていた。
流す音楽は、カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」。
ヴェネツィアのサンマルコ広場でこの曲を演奏(2022年7月)している映像を見ていっぺんに気に入ったのだが、この曲は物語性の強い歌(合唱)があるので、音だけより映像込み(生演奏に越したことはないが)の方がいい。
こうして、すべてに不安定な要素を孕んだ今年、2025年が静かに始まったのだった。