かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

鹿児島への旅④ 雨の指宿・砂むし温泉

2016-03-29 00:43:11 | * 四国~九州への旅
 3月6日、朝起きて、指宿の旅館の窓を開けると雨だった。
 国内・海外を問わず多くの旅をしてきたが、にわか雨やスコールは経験あるが、旅先では不思議と雨にあわずにいる。傘をさして街を散策した記憶がない。
 天候に関しては、僕は本当に幸運だった。
 しかし、天気予報でこの日雨が降るのは知っていたので、バッグの中に予め防水のアノラックと折り畳み傘を忍ばせていた。
 本当は、こんな用意周到なことは嫌なのだ。今まで長い海外の旅でも傘を持って行ったことはない。かつてヨーロッパ1か月の旅を2度行ったが、そのときも雨にはあっていない。
 しかし、今回は雨が降るのは確実的だったので、意に反するのだが持参した。案の定、雨である。最近の天気予報は衛星から送られる雲の動きなどを細かくチェックして、かなりの確率で的確だ。

 *

 朝9時、旅館を出て、小雨の中、海の沿岸を歩いた。
 沿岸にそった先に建物が乱立していて街が見える。そこに砂むし温泉があるらしい。指宿に来たからには、名物の砂に体を埋める砂むし温泉に入らないと。
 旅館の女将さんが、砂むしは雨でも屋根があるから大丈夫ですよ、と言って、この道をまっすぐ行けば10分ぐらいで着きますからと教えてくれた。
 そのあたりに着くと、通りから海辺寄りに砂浜に向かって庇のある屋根が張ってあるから、ここが砂むし場なのだろうと思われた。通りの反対側にビルがあり、通りを小走りで横切って、そのビルに入ろうとしていた浴衣姿の女性がいた。
 僕は、このビルが旅館かホテルで、ここの宿泊客が通りの先の砂むしの温泉に入っているのだと思った。
 僕は、その女性に、ここに宿泊している人しか砂むしには入れないのですか、と訊いた。
 その女性は、浴衣の胸の合わせを押さえて、いいえ、誰でも入れますよ。それに、私はここに泊まっているのではないです。ここはホテルじゃないですよ。受付の入口がその先を曲がったところにありますから、と小雨の寒さと浴衣姿をさらしていることの恥ずかしさで、少し戸惑った表情で、しかしにこやかに答えた。
 僕はもう少し質問して困らしてやろうかと思ったが、あまりにも受け答えが誠実で美人だったので、それ以上質問するのをやめて礼を言った。浴衣姿の美女はすぐさまその建物に入っていった。そうこうしていると、その建物から浴衣姿の男が出てきた。
 どうも推測するに、この建物のなかで浴衣に着替えて、通りの外の砂場に行き砂むしを浴び、再びここへ戻ってくるようだ。(写真)

 そのビルは「砂むし会館」で、そこで受け付けをすまして脱衣室で服を脱ぎ、裸になって浴衣を着て、通りの前の砂むし場に行くのだった。
 砂むし場の前は海だ。砂むし場は広く、何人もの人が砂のなかで、首だけ出して並んでいた。
 海に向かって砂場に浴衣姿のまま横たわると、係りの男が砂を体に盛った。首だけ外に出して、あとは砂の中という体験は初めてだ。よく漫画や映画で、海水浴場の砂場で、バットを頭の上に構えたスイカ割りの少年がふらふらと曲がって歩きだし、間違った標的にされそうになった、砂に埋もれた男の慌てる頭姿が思い浮かんだ。
 砂むし場の柱に時計があり、10分を目安にしてくださいと書いてある。外は小雨で肌寒かったが、砂の中は温かい。じわじわと温かさが熱さに変わっていく。汗がにじみ出てくる。う~ん、やはり10分が限度だ。
 砂むし場を出て、通りを横切り再び会館に戻る。ここに来た時出会った美女の再現をしているようで、思わず笑いだしそうになった。男といえども浴衣の下に何も穿いていないというのは、何とも頼りない気持ちだ。あの女性が、浴衣の胸の合わせをしっかりと手で縛るように結んで、落ち着きのない表情を浮かべていたのがさらにわかった。
 再び会館に戻ったら、浴場で浴衣を脱ぎシャワーで砂を落として、温泉の湯船に入る。

 砂むし会館を出ると、外はずいぶん小雨になっていた。天気予報通り、もうすぐ雨はやむだろう。
 まだ午前中だ。できるだけ遠くまで行くんだ。薩摩半島の本土最南端を走る指宿枕崎線の、終点である枕崎まで行こう。
 時刻表を調べると指宿から枕崎まで行く列車は1日6本しかなく、次は11時27分で、その次となれば13時18分となる。
 指宿駅に出て、タイミングよく11時27分の枕崎行きの電車に飛び乗った。
もう雨はやんだようだ。

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鹿児島への旅③ 指宿の薩摩料理

2016-03-26 01:34:16 | * 四国~九州への旅
 3月5日、甥の霧島神宮での結婚式、近くのホテルでの披露宴が夕方つつがなく終わった。
 会場のホテルをあとにし、霧島神宮駅17時41分発鹿児島中央行き特急「きりしま15号」で、鹿児島中央駅に向かった。
 鹿児島中央駅に18時30分に着いた。九州新幹線が通って時間短縮となったので、今日中に佐賀まで帰ることができるようになったとはいえ、このまま佐賀に帰るのも策がない。前から頭の片隅に、薩摩半島を南下して指宿に行こうと思っていた。砂むし温泉で有名な指宿にはまだ行ったことがないのだ。
 時刻表を見ると、ちょうど18時48分発の指宿方面行の列車があるので、それに乗った。錦江湾に沿って電車は走っているのだが、もう日も落ちて外の景色を楽しむことは諦めざるをえない。

 指宿駅に着いたのは20時近くだった。
 駅を降りたら構内は薄暗く、すでに案内所は閉めてあった。もう夜の8時だから無理もない。構内は誰もいなく、駅前に人気(ひとけ)もない。
 一人旅の心地よいわびしさが忍びよってくる。この孤独感が生まれるからこそ、そこを抜け出たあとの歓びを感じることができるのだ。
 鹿児島中央駅でもらったガイドブックを見て、駅の近くの旅館を探して電話した。2軒目の海に近くの旅館が、夕食は終わりましたが泊まるのはいいですよと言ってくれた。
 駅から海に向かって、通りの途中に明かりがともる飲食店をチェックしながら歩いた。何軒か開いていた。
 歩いて10分位行った、暗い海に沿った道路の奥まったところにその旅館はぽつねんとあった。鄙びた造りの和式旅館で、入口は普通の民家のようだが、中は意外と奥行きがあるようだ。
 部屋に案内された。トイレが外の共同だが、遅い時間に来たのだから贅沢は言えない。それに、温泉かどうか知らないが共同風呂もある。

 あとはもう、旨いものを食うしか残された楽しみはない。
 旅館に荷物を置いて、旅館の女将さんが勧めてくれた美味しい店に行くことにした。駅から歩いてくる途中でチェックした郷土料理の店だ。
 扉を開けると、すぐにカウンターがあり、中にこの店の主と思わせる渋い親父さんと若い板前さんが3人いた。カウンターに座り、郷土料理「さつま味」の、品書きにあるメイン・コースを頼んだ。
 きびなご、鶏刺し、さつま揚げ、月見貝、豚骨、さつま汁、山川漬、ご飯、である。
 きびなごは、鰯に似た10センチぐらいの小さな細長い魚で、青白い胴体にそって銀色が走る。ちらと見るとトカゲのような色である。小さくて痛みが早いので、産地の九州では珍しくないが、東京あたりではめったに出てこない。
 昨日のホテルのバイキングにあったきびなごは味がひなびていたが、ここのは刺身でやはり鮮度が違う。こんな脂ののった鰯のようなきびなごは初めてだ。
 鶏刺しは、地鶏の薩摩鶏。
 月見貝とは名前が風流だ。丸いホタテガイのようで、肉の7割が貝柱というもの。初めて味わったが、あっさりとしていて美味しい。(写真)
 薩摩料理を堪能し、暗い海辺の旅館へ戻った。

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鹿児島への旅② 霧島神宮での婚礼

2016-03-24 01:01:58 | * 四国~九州への旅
 3月5日、この日の鹿児島・霧島の朝は晴れ渡り、緑に包まれた山あいは清々しい。
 山の中腹にある霧島神宮での甥の結婚式に出席した。
 遠くホテルの窓から見えた大鳥居を潜り抜けて参道を歩いた先の、朱色の2つ目の鳥居を抜けると鮮やかな柱や梁も朱色の本殿が現われる。(写真)
 霧島神宮は、「古事記」や「日本書紀」にも表れる、いわゆる天孫降臨の古い歴史を持つ神宮だが、もともとはいくつもの山が聳える霧島山の山岳信仰から始まったものであろう。社殿は火山の噴火でたびたび焼失し、移転して現在に至っている。先月も近くの硫黄山が噴火したばかりである。

 式は本殿の右側にある神楽殿で行われた。
 教会での結婚式に出席したことはあるが、神社、神宮での神前結婚式に出席するには初めてである。
 神職、巫女の人が手際よく進行してくれる。祝詞が詠われ、豊栄舞が行われる。太鼓の音に、奏でられるのは笙(しょう)に笛の古い雅楽か。
 三三九度の盃(杯)を交わしたあと、結婚の誓いの言葉、そして指輪の交換が行われる。
 神の前でも仏の前でも、指輪の交換は行われるものらしい。いつからこうなったのだろう。
 並んでいるこちらにも盃が回ってきて、巫女さんよりお神酒が注がれる。親族固めの盃ということである。

 式が終わって霧島神宮をあとにし、やや離れてはいるが山あいの静かなホテルで披露宴が行われた。
 冠婚葬祭の同じ「式」でも葬式と違って、結婚式は何となくほのかな雰囲気で、皆にこやかな顔だ。子どもたちの「うれしいひな祭り」や大人(母さん)たちの「四季の歌」などの合唱も楽しい。新婦方の人たちはみんな初めて見る顔なのに、前から知っていたような気分だ。
 結婚式は不思議なものである。昨日まで知らない人たちが親類となったのだ。そのための、式でお互い盃でお神酒を飲む儀式があったのだ。

 結婚式は、一度はやっておくべきだろう。最近は簡単に別れて、2度、3度やる人も多々いるが、そういう人は羨ましい限りである。
 僕にも何度かその機会があったが、なぜか実行に移されなかった。
 思うに、結婚とは勢いとタイミングである。と、僭越ながら思うのである。

 「結婚は鳥かごのようなものだ。
  外にいる鳥たちは中に入ろうとするし、
  中にいる鳥たちは出ようともがいている」(モンテーニュ)

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鹿児島への旅① 霧島神宮

2016-03-22 00:55:30 | * 四国~九州への旅
 鹿児島は近くなった。
 かつて博多から西鹿児島(鹿児島中央)駅まで特急で4時間半余かかっていた。鳥栖からは4時間余だった。
 2011年に九州新幹線が開通してからは、博多から鹿児島中央まで「さくら」だと約1時間40分、新鳥栖駅からは約1時間20分である。途中熊本だけに止まる「みずほ」だと、博多から鹿児島中央まで1時間20分を切る。
 僕は便利さやスピードが必ずしもいいとは思っていないのだが、福岡、佐賀から鹿児島へ行くには新幹線でないと直行の特急や急行はなく、各駅停車や快速電車の乗り継ぎになり、以前より随分時間もかかるのだ。
 つまり今の列車利用は、少し長い距離は新幹線を利用せよというシステムになっている。新幹線が主力となった列車は、大都市である点と点を結ぶ移動機関・手段であり、旅をしているという感覚は薄くなっている。
 北海道新幹線の開通に伴い、津軽海峡を越えた青森から札幌の急行列車「はまなす」の廃止に続き、昨日、2016年3月21日(上野着)で上野から札幌間の寝台特急「カシオペア」も定期運用をやめた。
 これで、日本の急行列車はなくなり、定期的な寝台特急はサンライズ瀬戸・出雲だけとなってしまった。
 新たな新幹線の増設に象徴される点と点を結ぶ高速網化は、日本の東京の一極集中型を地方に散在させているにすぎない。九州でいえば、福岡市(博多)がミニ東京化し、博多から結ばれた鹿児島、熊本、長崎(長崎ルートは現在建設中)あたりが点として恩恵を被る程度である。その結果、その点と点との間や、点の圏外にある中小の市や町は次第に置き去りにされる運命ということになる。
 これは地方の衰退を目にすればわかるが、日本全国そのようになりつつある。

 *

 3月4日、鹿児島に向かった。
 霧島神宮での甥の結婚式に出席するためである。
 佐世保線・長崎線の在来線で新鳥栖駅に出て、新鳥栖12時20分発の新幹線「さくら」に乗ると、13時41分には鹿児島中央駅に着いた。

 鹿児島県内を列車でちらと通ったことはあったが、鹿児島市に来たのは久しぶりだ。
 思い起こせば1985年のゴールデンウイークのときだったから、もう30年も前のことだ。あの時、鹿児島の街中を歩いていて、通りの道端に火山灰が積もっているのを見て、住んでいる人は大変だなあと思ったことを覚えている。
 今は、駅前は整備されてきれいになっている。駅前の広場には「若き薩摩の群像」という銅像が建っている。高知駅前にも、幕末の土佐の群像が建っていた。佐賀駅前も、「面浮立」ではなく、維新の佐賀七賢人の像でも建てればいいのにと常々思っている。幕末、明治維新の偉人は、今でも人気があるのだ。

 かつて鹿児島に来たときは、鹿児島、知覧から、宮崎の延岡へ出て、高千穂峡へ行った。現在は廃線になっている高千穂線がまだあり、高千穂に行く途中に、日ノ影、影侍、天の岩戸などの興味深い駅名があった。
 当時僕は、五木寛之の小説「日ノ影村の一族」を読んで、行ってみようと思ったのだった。五木も、日之影という地名を見て、小説を思いついたと語っていた。
 天孫降臨の地とされる神話の高千穂だが、宮崎には高千穂峡があり、鹿児島寄りの霧島には高千穂峰がある。こちらは、北九州と大和の邪馬台国論争のような本家争いは起こっていない。

 *

 鹿児島中央発14時19分、日豊本線宮崎行きの特急「きりしま12号」に乗る。車窓からは錦江湾を挟んで桜島が大きく見える。
 15時3分に霧島神宮駅に着いた。
 霧島神宮駅は地方によくある鄙びた駅だった。駅前に出ても商店街があるわけではない。霧島神宮までもハイキングをする覚悟でないと、歩いていける距離ではない。
 数人の乗客がこの駅で降りたが、観光客らしい人は駅舎を写真で撮ったあとは駅の近辺をうろうろし手持ちぶさたのようである。
 仕方なく、タクシーで霧島神宮の麓のホテルに行った。ホテルを出てぶらぶらと散歩すると、のどかな風景の中に牧場があり羊がないている。
 高層階のホテルの窓から、遠く霧島の山並みの緑に囲まれた霧島神宮の鳥居が見える。(写真)
 この山並みで最も高いのは韓国岳(からくにだけ)である。この名が残っているというのは、この辺りと朝鮮半島との関連があるのだろうか。天孫降臨の説とあわせて興味深い。
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長崎・島原半島の旅② 普賢岳の傷痕

2016-03-17 02:11:10 | * 四国~九州への旅
 3月2日、空は晴れ渡った。
 青い空に普賢岳が聳え、その頂の下に白い雲が浮かんでいる。

 普賢岳といえば、思い出すことがある。
 1990年、当時僕は出版社で婦人雑誌の編集をやっていた。11月19日から21日にかけてカメラマンとともに長崎に取材に行った。当時、栃木の女峰を抜いて人気急上昇だったイチゴの「とよのか」を取材した。
 そのとき現地の農協関係の人が南有馬町(現南島原市)のイチゴの産地を案内した後、車で普賢岳を登り始めた。そして中腹で止めて、ここから先は行けませんけど、ここが先日噴火したところです、と説明した。僕等がいた先には、山肌から白い煙が出ていた。
 僕らが長崎に来る直前、普賢岳で噴火が起こり、白い煙が出る山の姿がテレビで報道されたばかりだった。日本では火山の噴火はそう珍しいことではないので、僕らは、ここが先日噴火した普賢岳かと思う程度で、世間もそのときは、桜島や阿蘇中岳の噴火のように、長崎の山が噴火したといった感覚だった。誰もその後の大惨禍など予想だにしていなかった。
 僕らが東京に戻ったあとの翌1991年になっても、普賢岳の活動は小刻みに続いた。それが4月ごろから噴火は拡大し、5月には火山灰による土石流が発生し、警戒と注目を集めた。そして6月3日の、火砕流による死者43名の大惨事となった。多くの報道関係者やフランス人の世界的な火山学者もこの惨事に巻き込まれた。
 僕らは、あの時の普賢岳が、とカメラマンとともに思いもしなかった惨状に驚きあった。

 *

 この日、普賢岳は静かにたっていた。
 島原市の道の駅「みずなし本陣ふかえ」に行った。ここは、土石流被災家屋保存公園が併設されていた。
 公園の方を見ると、瓦の屋根や2階部分の窓あたりまでの家屋が見える。何だろうと近づいてみると、それは土に埋もれたいくつかの家屋だった。
 僕は、それらがあの普賢岳の噴火による土石流に飲み込まれた家屋だと初めて知り、その脅威に息を飲んだ。
 屋根だけが外に出て、残りは土中に埋もれたものもあり、そのままの形で保存されていたのだ。(写真)

 島原市をあとに海岸線を南に下りていくと南島原市に入る。
 海岸の防風林のなかに切支丹墓碑が眠っていた。蒲鉾型の墓碑である。
 さらに南に行くと、原城跡に出る
 島原・天草の乱の舞台となったところで、華麗な天守閣が聳える島原城と違って原城は、今はわずかな石垣が残るのみの廃墟の城跡である。
 広い畑のなかを迂回しながらたどり着いた城跡の頂には、白い十字架の塔と天草四郎の銅像が静かに建っていた。かつて橋幸夫が「南海の美少年」という天草四郎の歌を歌ったことがあった。

 さらに島原半島の先端の口之津を周り、加津佐を過ぎ、北上し小浜温泉に着いた。
 ここには、約100メートルの日本一長い足湯があるので、まずは足湯に浸かる。何でも日本一というだけで話題になるというものだ。
 千々石から愛野を通り、諫早に入った。こうして、島原半島を一周したことになる。

 *

 諫早を抜け、佐賀に入った先は多良岳である。
 多良岳の麓を走っていると、「岳の新太郎さん」の歌をつい口ずさんでしまう。
 「岳の新太郎さんの下らす道にゃ、ざんざ、ざんざ、
 金(かね)の千燈籠ないとん、明かれかし、
 いろしゃ(色者)のすいしゃ(粋者)で気はざんざ
 あら、よーいよいよい、よーいよいよい……」
 この地方の民謡で、多良岳の寺僧の色男に憧れた村娘たちの心情を歌った、囃し言葉に「ざんざ」が入るので「ざんざ節」とも呼ばれている歌である。
 むかし多良岳にある金泉寺に、新太郎といふ美青年の修験僧がいた。麓の娘たちは何かと彼の気をひこうと思ったが、山は女人禁制なので近づくことができない。新太郎は時おり里に降りて来ることがあり、そのときはたくさんの燈籠をあかあかとつけて迎え、彼が山へ戻るときは、山道に水を撒いて、道が滑って戻れなくなればいいと、娘たちの心情を歌ったものだ。
 地味で内気な佐賀のもんにしては、粋な民謡らしからぬ歌ではないか。

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