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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

カジノの必勝法を求めた、「波の音が消えるまで」

2015-03-26 02:05:03 | 本/小説:日本
 1997年6月30日。香港は、イギリス領から中国に返還されることとなった。
 それに遡る1989年に、北京で民主化運動による天安門事件が起こり、変換されたら香港はどうなるのかという思いが広まった。
 僕は返還前の香港を見ておかないといけないという思いで、1993年、香港へ飛んだ。そして、軽い気持ちで、香港の隣の澳門(マカオ)に足をのばした。マカオも当時まだポルトガル領で、ここも1999年に中国に返還されることになっていた。マカオは小さな街なのだが、カジノで名が知られていた。
 香港から船でマカオに着くと、僕はカジノがある葡京酒店(リスボア・ホテル)に宿をとり、カジノの扉の中に入っていった。(写真)
 そこで、僕は思わぬことにカジノの深みにはまり、時間を忘れて浸り、瞬く間に燃え尽きて、ほうほうの態(てい)でマカオをあとにした。
 そのことは、先にブログで、大王製紙前会長の井川意高の著書「熔ける」に関連して書いた。
 *「悪魔のようなカジノの甘い快楽と陥穽を偲ぶ告白録「熔ける」」2014.9.1ブログ

 *

 「波の音が消えるまで」(沢木耕太郎著、新潮社刊)は、このマカオのカジノを舞台にした小説である。
 沢木耕太郎のマカオでカジノといえば、彼の旅行記「深夜特急」をすぐに思い浮かべるだろう。この本は、そのことを膨らませ小説化したものである。「深夜特急」では、大小という丁半賭博だが、本書ではバカラになっている。
 バカラといえば、先に書いた大王製紙前会長の井川意高が嵌り、106億余円もの借入金をつくったカード博奕で、世間を賑わせた。

 「波の音が消えるまで」の主人公は、返還最後の日である1997年6月30日に香港にやってくる。そして、マカオに向かい、リスボア・ホテルに泊まり、カジノに出向く。
 僕がマカオで泊まったホテルで、出向いたカジノだ。
 彼は、ギャンブルが好きだったわけではないのだが、バカラを後ろで見ていて、要領を覚えたら、自分も賭けてみる。

 バカラは、ブラックジャックと同じカードゲームである。
 バンカー(胴元)側とプレイヤー(客)側に2枚ずつカードが配られ、その合計数の下一桁が9に近い方が勝ちとなり、0が一番弱い数となるゲームである。絵札はすべて10でカウントする。
 2枚ずつ配った時点で下一桁が8か9以外の場合は、双方の数によってもう1枚カードを配る場合がある。

 主人公がバカラの深みに嵌っていき、バカラの本質を見極めようとするのが本書の主題である。
 本書のなかには、カジノの戦略本として、賭け方の戦略が紹介されている。
 そのなかで、マーチンゲール方式というのが紹介されている。
 以前から、僕もこの方法だったら絶対勝つと思ったやり方だ。僕は、カジノでその方法を試みたが、すぐに破棄した。理論的には正しいのだが、実際やり始めたらやり通すのは難しい。
 「まず1の単位を賭ける。負けたら2の単位を賭ける。それでも負けたら4の単位を賭ける。そのようにして倍々に賭けていくと、いつかは必ず勝って、すべての負けを取り戻すことができる」というものだ。
 しかし、この本では、それはまったく愚かな戦略だという解説が紹介されている。
 「まず第1に、すぐに巨大な賭け金になってしまうという点、第2に、その巨大なリスクを冒しても得られるものがわずか1単位の金に過ぎないという点に戦略としての不完全さがある」というのだ。
 「もし100ドルから賭けを始めて10回続けて負けると、11回目は1024単位の10万2400ドルを賭けなくてはいけなくなっている。しかも、それほどのリスクを冒して勝負し、何とか勝ったとしても、それによって手に入るのは、それまでの負けを相殺すると、わずか1単位の100ドルに過ぎない」という理由である。

 バカラも、大小と同じく、ほぼヒフティ・ヒフティの丁半博奕である。
 本書では、登場人物に、博奕に関する箴言のような言葉をつぶやかせる。
 「丁半博打は、すべてが偶然だ。出る目に法則などありはしない。だから、勘に任せて張るしかないとも言える。しかし、それではカジノに払うコミッションだけ失っていくことになる」
 「強く信じたときだけ強く賭けることができる」
 「重要なのは波だ」
 「バカラの台が海だとすると、8組416枚のカードが海の水です。……しかし、それがどんなかたちの波になるのかは、砕け散ってしまわなければわからない」
 そして、最後に、闇社会の帝王は言う。
 「バカラの必勝法。そんなものはこの世にありません。カジノで勝とうするのは、ティンホー(天河、天の川)を泳いで渡ろうとするようなものです」

 ギャンブル小説は、ギャンブラーが書いたものが真に迫っているのはいうまでもない。そして、実際に体験したことが胸に響くものだ。
 そういう意味で、僕は沢木耕太郎の「深夜特急」のマカオの場面は彼の実体験に基づいているので大好きなのだが、小説化し、主人公がサーファーからカメラマンとなり、女性との愛も絡むとなると、ギャンブルの本質を追及するという主題が、物語として美しく人工的に組み込まれ過ぎたと感じた。
 沢木耕太郎には、小説としてではなく、伝説のギャンブラーをドキュメントとして書いてほしい。

 *

 博打打としても名高い阿佐田哲也(色川武大)の「麻雀放浪記」や、カジノ(カシノ)の常打ち賭人の森巣博の「越境者たち」などは体験的に心情に迫るものがある。

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御三花、梅桃桜の咲く丘

2015-03-20 19:52:16 | 気まぐれな日々
 いつの間に 色つき染めし 去年(こぞ)の梅
      時の速さを 嘆くともなし
                         沖宿

 時の速さは一律ではない。年齢とともに比例して、加速しているようだ。
 年をとると、1日が過ぎるのが速い。何もしないうちに過ぎている。1日どころか、1か月が、まるで1日のように過ぎているではないか。この1か月は何をしたのだろうと思ってみるが、1日に集約されるように、確たる足跡に乏しい。
 いや、振り返れば、1年だって何をして過ごしたのだろうと考えてしまう。

 いつの間にか、近くの公園で白い花の梅が咲いている。その近くに桃の木もあり、今はまだ蕾の時だ。
 1年前のちょうど今頃、高尾梅郷に梅を見に行ったのだった。いや、正確に言えば、その前にJRの電車内に本を忘れ、それが出てきたので、保管されている高尾駅に本を取りに行ったついでに、高尾駅から案内を頼りに梅郷を散策したのだった。
 高尾の梅郷は青梅の吉野梅郷に比べれば誇大表示と思えるほどで、いくつかの公園などを総して梅郷、つまり梅の郷と表していた。これでは、多摩の僕の家の近くの公園の方が梅郷らしいなと思ったりしたものだ。(写真)

 多摩のこの公園には、梅、桃のほか桜もあり、公園に沿った道はハナミズキの並木だから、これからは順次花のパレードとなる。
 梅と桃と桜の違いは、花やその色を見て、日本人なら何となく違いはわかるつもりになっているが、正確を問われると少しおぼつかない。
 大体において、花びらの先端が、梅は丸いのに対して桃は尖っている。桜は先端に刻みが入っている。
 花の付き方を見ると、梅と桃は枝にくっ付いて咲いているが、桜は花柄が伸びて枝から茎が伸びてしなっているように見える。

 日本では桜が人気が高いが、中国では桃が上に見られているように思える。
 中国の陶淵明は別世界の理想郷を「桃源郷」と表しているが、梅や桜の郷はどんなものか伝えていない。
 「桃李不言下自成蹊」(桃李(とうり)もの言わざれども下(した)自(おのずか)ら蹊(みち)を成す)と「史記」にあり、桃に敬意を表している。成蹊大学とは、この言葉から拝借しているのだろう。

 今を咲く梅と桃のあとに、すぐに桜がやってくる。
 梅や桃はいつの間にか人知れず散っているが、桜は散る時が見ごろだ。

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ジプシー・ミュージックから、タンゴ・ミュージックへ

2015-03-03 01:26:10 | 歌/音楽
 麻布のハンガリー料理店で、ジプシー・ミュージックを聴いたのは、去年2014年の11月だった。
 ハンガリーには残念ながら行ったことがない。
 ハンガリーといってすぐに思い浮かべるのは、ブラームスの「ハンガリー舞曲」やリストの「ハンガリー狂詩曲」である。これらの音楽に見られるように、ロマの人たちの音楽の影響が強い。
 ロマといえば、いろんな呼び方がされているが一般的に広く伝わっているのは英語読みのジプシーという呼び名であり、ジプシー・ミュージックとしても定着している。
 フランスではジタンで、アラン・ドロンが一匹狼のヤクザに扮した「ル・ジタン」(Le Gitan)という映画もあった。アラン・ドロンが最も格好良かったころの映画だ。
 フランスでは、フラメンコを踊っている女性のシルエットをあしらったジタンというタバコもあった。今もあるだろうが、もうタバコを吸わなくなったのでその辺の事情はよくわからない。
 20代の気取っていた頃、一時期僕はこのジタンやゴロワーズを持ち歩いていたが、くせが強くて吸えなかった。時折、酒場でのカウンター辺りでおもむろにポケットからジタンを取りだして吸っていたが、普段はロング・ホープかセブンスターだった。
 ジタンは格好をつけるためのアクセサリーだった。ジタンのタバコに、カルティエのライター。う~ん、今思えば、気障で鼻持ちならないねぇ。

 *

 ハンガリー料理店「Paprika. hu(パプリカ・ドット・フ)」(高輪白金)での、ジプシー・ミュージックは、旧知のヴァイオリニスト古舘由佳子さんの演奏で、現地のミュージシャンとの共演で行われた。
 古舘さんはハンガリーに音楽留学したこともある、ジプシー・ミュージックに関しては日本では秀逸の演奏家である。
 その日も、まるでロマの人と思わんばかりの演奏を披露した。
 僕は、その日、かつてビートルズなどの日本でのディレクターで、音楽レコード業界を牽引してきた友人夫婦と、その音楽を聴いていた。
 演奏が始まる前、パプリカをふんだんに使ったハンガリー料理とワインをたしなみながら、僕たちは久しぶりに会ったので、懐かしい思い出話や音楽の話をしたのだった。
 演奏が終わった後、退席する際に、僕らと同じテーブルで、僕らの前に座っていたカップルの2人に挨拶した。
 すると、女性の人が、「みなさん、音楽の話をされていましたね。私もそれに参加したかったです。実は私たち二人とも、音楽をやっています」と語った。もらった名刺には「Sayaca」と書かれていた。

 *

 Sayacaさんは、タンゴ・ミュージックのヴォーカリストで、一緒に来ていた田中伸司さんはコントラバスの奏者だった。
 そのSayacaさんからライブ・コンサートの案内が来た。彼女は、一時期ブエノスアイレスに住んでいたタンゴの本格派ヴォーカリストである。
 ライブ・コンサートは、2月26日、神楽坂のライブハウスの「The Glee」で行われた。Sayacaさんのヴォーカルほか、ピアノ、バンドネオン、田中さんのコントラバス、ギターのメンバーである。
 タンゴといえば、ラ・クンパルシータやエル・チョクロ、カミニートなどのスタンダードや、アストル・ピアソラの曲ぐらいしか頭の中に入っていない。
 しかし、その夜、Sayacaさんの素敵なヴォーカルで、スタンダード以外の新しいタンゴを聴くことができた。そこには、ラテンの情感が溢れていた。

 ジプシー・ミュージックからタンゴ・ミュージックへ。人と人との繋がりは、予期せぬものであるから面白い。

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