かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

エマニュエル・トッド……が示す、「人類の終着点」

2024-06-29 01:26:56 | 本/小説:外国
 *世界はどこへ向かっているのか?

 現在、世界がどう動き、どうなるのかは予測がつかない。
 予期せぬパンデミック(世界的感染症流行)が終息したかと思うと、ロシアのウクライナ侵攻、それにイスラエルとパレスチナ・ハマスとの戦闘状態は終息の目途を見ない。
 今まで世界をリードしてきたアメリカは、明らかにかつての強い影響力を失くしていて、前大統領トランプの出現以来、米国民の分断はより深くなっているようだ。
 ヨーロッパも、イギリスの離脱(ブレグジット)があったにせよ、EU(欧州連合)の旗のもと、国による思惑の違いを踏まえて曲がりなりにもより良い方向・世界へと連動していたはずだった。しかし、このところ各国の動きがおかしい。
 世界は、今までとは違った方向へ動いているように感じる。それは、あたかも地球の地盤が少しずつずれて地殻変動を起こすときのように。

 6月9日夜、フランスのエマニュエル・マクロン大統領は欧州議会選挙でマリーヌ・ル・ペン氏率いる極右政党「国民連合」が同国で大勝する見通しとなったことを受け、議会下院を解散し総選挙を実施すると発表した。
 フランスに限らず欧州では右翼、右派政党が伸長しており、これらの勢力はEUの理念である欧州統合に疑問を投げかけ自国第一主義を唱えて、ウクライナの支援には消極的なのが特徴である。
 パリ・オリンピックを前にして総選挙を強行するという事態に、フランス現実の不透明感と焦燥を感じさせる。
 6月16日には、ロシアの全面侵攻を受けるウクライナの和平の道筋を協議する「平和サミット」が、100カ国・機関が参加してスイスでの2日間の日程を終え「共同声明」を採択し、閉幕した。
 中国が欠席したなかで、国連憲章と国際法を順守する必要性を強調したが、一部の国は同意しなかった。共同声明は幅広い支持を得るために意見が分かれる問題が一部排除されたにもかかわらず、グローバルサウスと呼ばれるインド、インドネシア、南アフリカ、サウジアラビアやBRICSを構成する国々が署名を見送った。
 ウクライナを一方的に侵略するロシアを、世界は悪者国家とみなし嫌われていると思い込んでいたが、そうとばかり言いきれないという世界状況が現れてきた。
 ここのところの世界の動きは、あるべき姿を見失ったかのようである。いや、各国が内向きの視線になっているようである。

 *「人類の終着点―戦争、AI、ヒューマニティの未来」

 このような複雑な世界情勢のさなか、「人類の終着点―戦争、AI、ヒューマニティの未来」(朝日新書)を読んだ。
 本書の主な発言は、エマニュエル・トッド、フランシス・フクヤマ、マルクス・ガブリエルの現代の知の巨匠ともいえる思想家、経済学者、哲学者である。
 私は、トッドの「第三次世界大戦はもう始まっている」(文春新書、2022年)を読んで以来、彼の発言、著作に注意を払ってきた。
 ※ブログ→「今の世界は、「第三次世界大戦はもう始まっている」のか?」(2022-9-22)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/460823bdfcdac29864fe0d5f6c5dbf9a

 本書「人類の終着点」の発売が2024年2月であるから、当然彼らの発言はそれ以前のことである。それを踏まえて読むと、「自らを自由民主主義の価値観の旗手だと考える西側諸国は完全に時代遅れだ」「アメリカのさらなる悪化に備えなければならない」と説くトッド氏の発言は、近未来を的確に見つめていると思わせる。
 トッドはこう言う。
 「当然ながら、戦争はロシアの侵攻によって始まりましたので、人々は「ロシアは悪者」「ウクライナ人は善人」と考える傾向を持っています。しかし、私が基本的に関心を持っているのは、経済的な観点から見た「現実への落とし込み」です」
 そのうえで、戦争が長引く現況を読み解く。
 圧倒的な経済力を持っていると思われた西側諸国による経済制裁によって、ロシアへの経済打撃は相当重いものでロシアがたちまち疲弊するであろうと、アメリカをはじめとする西側諸国は予想していた。が、最初の想定・想像とはかけ離れていたことは現状を見ると明らかで、そのことを数字をあげて解いていく。
 長引く戦争の疲弊や焦燥は、西側諸国の行動に表れ始めているのだ。そのことを、西側諸国以外の国々が冷静に見ているのだ。

 エマニュエル・トッドはフランス人である。そして、イギリス(ケンブリッジ大学)でも学んでもいる。その西洋人の視点からの発言として、「西洋人が今気づいたことは「西洋は、私たちが思っていたほど好かれていない」という事実です」と述べる。
 このことは、先にあげたウクライナ「平和サミット」における、グローバルサウスやBRICSの行動に見てとれる。

 それを踏まえて、驚くべきことだがここ数年、「世界中の人々はアメリカを嫌っている」ということが、少しずつ見えてきた。もっと一般的に言うと、西側のネガティブな動きを考慮すれば、ウクライナ戦争とは関係なく、アメリカのさらなる悪化に備えなければならないと、アメリカの動向を憂う。
 そして、アメリカの現状を語る。
 「現在のアメリカは、不平等の国です。1980年代以降、経済的不平等が増大し、世界史上、他に例を見ないほどです。2010年以降も経済格差は悪化していき、その格差は、平均寿命の差にまで転化されました。アメリカでは死亡率が上昇していないのに、です。
 つまり、アメリカにおける大規模な社会的・経済的後退は、アメリカを歴史上の何か別のものに変えてしまいました。今のアメリカはもはや、1950年代、60年代、あるいは70年代に、私たちが愛したアメリカではありません。不平等が広がり、自由民主主義が変容した結果、私が「リベラルな寡頭制」と呼ぶものに、アメリカは変わってしまいました。」
 ※寡頭制とは、国を支配する権力が少数の人や政党に握られる政治体制のことである。

 *世界の民主主義は機能しているのか?

 エマニュエル・トッドは言う。
 「西側諸国は自らを「世界における自由民主主義の価値観の旗手」だと考えているけれども、それは完全に時代遅れだということです。
 欧米はもはや民主主義の代表ではなく、少数の人や少数の集団に支配された、単なる寡頭政治になってしまったのです。
 西側諸国の民主主義は、機能不全どころか、消滅しつつあります。ヨーロッパの共同体(EU)に関しては、もはや完全に寡頭制です。一部の国が他国より強く、一部の国には力がない。ドイツがトップにいて、フランスが下士官、その一方でギリシャは存在感がないといった具合のグローバルシステムです。
 ウクライナ戦争も同様です。ヨーロッパは民主主義の価値のために戦っているふりをしているだけで、これは完全な妄想です。そして驚くべきことに、私たちはそれに気づいていません。自分たちの国について話すときには、「民主主義の危機を抱えている」と言っているにもかかわらず。」

 では、問われている「民主主義」とは何なのか?
 民主主義(democracy)とは、直接的あるいは間接的に人民(people)によって決定される統治システムである。
 古代ギリシャの都市国家で行われたのが最初といわれており、英語のdemocracy(デモクラシー)は、古代ギリシャ語の「人民」と「権力」を合わせた言葉(dēmokratía、デーモクラティアー)に由来する。
 要は、現代の民主主義国家では国民が主権者となって政治を行なう形態のことである。人々は選挙権を行使して自らの代行者を選び、選ばれた代行者は人々の意思を代行して権力を行使する。
 つまり、選挙で代表を選ぶのが民主主義であるなら、今ほど民主主義が広まった時代はないだろう。
 ロシア・ウクライナ侵略戦争に関して、民主主義対権威主義の戦いと称されてきたが、民主主義の意味合いからすれば、ロシアも民主主義国家なのである。

 現代の民主主義という政治制度は資本主義という経済制度に密接に結び付いている。
 資本主義の特徴である市場経済は、豊かさ(利潤)を求めるがゆえに格差と貧困を生み出し、民主主義そのものをも揺るがしかねない構造となっている。
 現代は、民主主義に対する失望感が増大し、民主主義そのものが問われている。それにもかかわらず、人々はその解答を見出してはいない。

 かのイギリスの元首相ウィンストン・チャーチルは名言を残している。
 「民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば」

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「東京建築祭2024」に誘われて、「築地本願寺」の中へ

2024-06-08 03:15:29 | * 東京とその周辺の散策
 *思い出の日比谷「三信ビルディング」

 東京では、街の再開発と称して今まで建っていた建物やビルが壊され、新しく超高層ビルがあちこちに出現している。
 私が好きな日比谷界隈でも、2018年に竣工した地上35階の東京ミッドタウン日比谷が日比谷公園を見下ろすように聳えている。この東京ミッドタウン日比谷があるところには、もともと何が建っていたかというと、日比谷三井ビルディングとその向かい側にあった三信ビルディングである。
 私は、この三信ビルディングが好きだった。この近辺に来たときには、何の用がなくともついフラリと入ったものだった。
 「三信ビルディング」は、1929(昭和4)年の竣工で、当時のモダンさを感じさせる建物だった。1階は、2階までの吹き抜けのアーチ型天井を持つアーケードの商店街が貫いていた。そして、1階から見上げてみると、2階柱部分には鳥の彫刻が施されていた。さらに立ち止まらざるを得なかったのは、通路の中ほどにある扇場に並んだクラシカルなエレベーターの壮麗さであった。
 そのアーケードの商店街には、フレンチ・レストランやスナック風カフェもあった。であるから、ビルの中に入った途端、パリの街中に紛れこんだような気分になれるのだった。
 あの辺りを歩いていると今でも、よくあんなビルがあったものだ、幻のようなビルだったなあと懐かしく思い出す。
 有名な名所旧跡でなくとも、いいなあと思っていたり、何となく気にいっているといった建物を誰もが持っていることだろう。しかし人と同じく、どんな建物でもそこにいつまでも在るわけではない。いつの間にかなくなっていることも多い。

 *今年から始まった「東京建築祭」

 個性的な建物がなくなりつつあるなか、それを惜しむように、東京の個性的な建物を見て廻ろうという「東京建築祭2024」が5月25、26日を中心に行われた。
 今年が初めての催しである「東京建築祭」は、主に日本橋・京橋、丸の内・大手町・有楽町、 銀座・ 築地のエリアにある建築を見て回るイベントである。 普段見られない建物を自由に見学できる特別公開や、専門家による案内人の説明を聞きながら見学できるガイドツアー(申込制)などのプログラムも用意されていた。

 今回、参加する30件以上の建物のなかで、特別公開は以下の18件。
 <日本橋・京橋>エリア
 「日証館」、「三井本館」、「三越劇場」(日本橋三越本店)、「江戸屋」、「丸石ビルディング」
 <銀座・ 築地>エリア
 「築地本願寺」、「カトリック築地教会」、「旧宮脇ビル」(川崎ブランドデザインビルヂング)、「井筒屋」、「SHUTL」(中銀カプセルタワービル カプセル再活用)
 <丸の内・大手町・有楽町>エリア
 「東京ステーションホテル」(東京駅・丸の内駅舎)、「新東京ビルヂング」、「国際ビルヂング」、「堀ビル」(goodoffice新橋)、「明治生命館」(丸の内 MY PLAZA)
 <神田>エリア
 「安井建築設計事務所 東京事務所」、「神田ポートビル」、「岡田ビル」

 *築地本願寺の中へ入ってみた

 5月25日午後、築地地域の特別公開建築を見て廻った。地下鉄・東銀座駅から西の築地方面に出発する。

 ・「築地本願寺」(中央区築地3-15-1)
 築地本願寺は、浄土真宗本願寺派の関東における拠点の寺院である。
 今まで、築地本願寺の前を通り過ぎることはあっても、中に入ったことはなかった。しかし、外から何度見ても威容、偉容というより、寺としては異様と思える建物である。
正面の学校の入口を思わせる門を入り、初めて寺の中に入った。
 普段は寺の中には人はあまり見受けられないのに、この日は多くの人がいるし、テントを並べた出店のようなものまである。外国人も多く目につくし、建築に興味がない人でも、祭りとあればこうやって集まってくるのだ。
 正面の奥にある本堂である建物の前には階段があり、その上に構える本堂は西洋建築を思わせる列柱が並び、そこにインド様の飾りを施した半円状の屋根が乗っかっている。
 その本堂は、左右に延びていて、両翼にストゥーパ(仏塔)のごとき塔を擁している。正面階段の両側には、狛犬ならぬ羽を持った獅子が睨みをきかしている。
 威風堂々。外観は、西洋様式かインド洋式かわからない日本の寺である。(写真)

 正面右手に行列ができていたので係員に訊いたら、特別公開の貴賓室を見る列だというので、この日しか見られないのであるから仕方なく並んだ。ここに似合わないコスプレのような服を着た少女たちもいたが、それも祭りならではのほほえましい光景だ。
 40分以上並んでやっと室内に入り、貴賓室のある2階にたどり着いた。
 まず貴賓室の前にある控え室を見て、そして貴賓室に入った。貴賓室はテーブルと椅子が並んでいて、思ったより大きな部屋ではない。天井からは派手ではないシャンデリアが下がった瀟洒な感じの部屋であった。
 寺の外や、寺の中の室内のいたるところに、獅子のほかに馬や牛などの動物の彫像があるのも異端といえば異端なのかもしれないが、それを見つめるのも楽しい。

 貴賓室を見たあと、正面の本堂に入った。
 思ったより広々とした堂内は、畳敷きではなく椅子が並ぶ。正面には阿弥陀如来像が鎮座していて、天井にシャンデリアが下がり、出入口の上部には教会のようにパイプオルガンが置かれている。
 仏の説教も讃美歌も共存している異空間である。ここにシルクロードの痕跡が見えてくる。

 築地本願寺をあとに、聖路加国際病院を横切ってカトリック築地教会へ向かった。

 *カトリック築地教会、井筒屋、旧宮脇ビルを廻る

 ・「カトリック築地教会」(中央区明石町5—26)
 外からパッと見るとパリのマドレーヌ寺院のようで、ギリシャ建築の神殿を思わせる。
 もともと外国人居留地だったこの場所に、1874(明治7)年、東京で最初のカトリック教会である築地教会が建てられた。現在の聖堂は1927(昭和2)年に建てられたもので、東京都選定歴史的建造物に指定されている。
 通りにギリシャ式門柱の門があり、その門を入った敷地のなかに、フランスから送られたという鐘が置かれている。
 清楚かつ威厳を持った白い壁の聖堂の中に入ると、穏やかな空気が漂っていた。正面に十字架が掲げてあり、脇にキリストを抱いたマリア像がある。
 ここも中は人がいっぱいだ。

 カトリック築地教会を出て、銀座方面に進むとその前に新富町に行き着く。

 ・「井筒屋」(中央区新富2-4-8)
 新富町駅の近くのビルの間に、置き忘れられたようにひっそりと佇んでいるのが井筒屋である。
 約100年前の大正時代の後期に建てられた木造3階建てで、見るからに朽ち果てようとしている。空き家かと思いしや、最近2024(令和6)年1月に、「the design gallery」として再生されたとのことである。

 井筒屋を出て、銀座1丁目に入った昭和通りの角に、そのビルはあった。

 ・「旧宮脇ビル」(川崎ブランドデザインビルヂング)(中央区銀座1-20-17)
 高いビルが並ぶこの通りでは目につく低層の3階建ての建物が、旧宮脇ビルである。
 茶色のレンガ調の外観は、珍しい加飾タイル張りというもので、建物に温かい雰囲気を醸し出している。
 1932(昭和7)年に建てられたこのビルは、当初は「五十鈴商店」という油を売る店だったが、その後は、小料理屋の「小鼓」(こつづみ)という店だった。
 2013(平成24)年に、老朽化が進み解体するところを、内部を改修して「銀座レトロギャラリーMUSEE」として再スタートし、現在も活動している。
 この日は窓を開けて外から内部が見られるように配慮してあったので、3階の天井の木造の梁がよく見えた。

 *
 「東京建築祭」というイベントを機に、築地本願寺をはじめ築地界隈の建築を散策したが、エントリーされた以外の建物に足を止めることもしばしばあった。
 東京は再開発という名のもと、古い建物が壊され続けている。新宿の小田急ビルも、まだ工事中ではあるが、いつの間にかあの大きなビルがなくなっていた。
 日本の建物は、木造に限らず鉄筋コンクリート建物でも欧米の建物に比べると寿命が短いようにみえる。
 先ほど、全国の「消滅可能性都市」というレポートが発表されたが、街も建物もいつ消えるかわからないので、できる限り見ておいて、記憶、記録に留めておかなくてはいけない。

 日も暮れたこの後、新富町のフレンチのビストロに行った。

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