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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

銀座で、ポルトガルのファドを聴く

2025-07-06 02:35:14 | 歌/音楽
 *大航海のポルトガル

 ポルトガルというと、海辺の夕日を思い浮かべる。暮れていく陽を見ている大人の後姿が重なる。
 落日。晩秋。旅愁。孤影。矜持。
 世知辛い競争世界から、少し離れたところで静かにゆっくりと自分の脚で歩いている大人の姿だ。
 「俺も若いころはあんな(悪ガキの)時代があったなぁ」と、かつての若かりし頃を懐かしみながら、世界を斜に眺めているといった感じとでも言おうか。そこに、幾分の寂しさもあるかもしれないが。

 1543年に種子島にポルトガル船が漂着し、日本に鉄砲を伝えた。ポルトガル人こそ、日本がヨーロッパと接触した最初の人種(国)で、やがて日本の南蛮貿易へと繋がっていった。
 これより先、ポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達し、インドを目指したペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルを見いだし、ポルトガルによるアメリカ大陸の植民地化が進んだ。
 つまり、このころポルトガルはスペインと並び、大航海時代の世界の最先頭を走っていた。
 そして、アフリカ大陸、南米大陸、それにアジアの各地に植民地を有するに至った。

 しかし、広大な植民地を維持することができず、徐々に勢力が衰えていったポルトガルは19世紀にはブラジルを手放すに至った。
 近代に入り、イギリス、アメリカはじめヨーロッパ各国が産業革命により国力と勢力を拡大化させたのに比し、ポルトガルの産業は成長させることができず、次第に勢力は衰えていった。
 第2次世界大戦後は、世界が脱植民地化のなか、アジア・アフリカの植民地が次々と独立していく。
 そんななか、1974年、ポルトガルは無血の内にそれまでの独裁体制を覆すカーネーション革命を達成する。
 1975年中に、ポルトガルはマカオ以外の植民地を全面的に喪失した。1999年にはマカオも中華人民共和国に返還され、2002年には、名目上ポルトガルの植民地だった東ティモールが独立を果たした。

 15世紀の大航海時代とともに生まれたポルトガル帝国は、21世紀の幕開けとともにその歴史を終えたといえる。

 *
 ポルトガルは、ヨーロッパの一国である。
 イギリスほど高慢でない。
 フランスほど洒落ていない。
 ドイツほど自己主張しない。
 イタリアほど派手でない。
 スペインほど脂っぽくない。
 ポルトガルは遠くを見つめている。

 *
 もうずいぶん前のことだが、「関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅」という番組があり、その「ポルトガル編」の最後に、関口知宏はこうつぶやく。
 「ポルトガルは大人の国だ。かつては日本でも、大人を感じることはあった。が、近頃はもうなくなってしまった。
 いつか外国に住むことになったとしたら、僕はその地にポルトガルを選ぶと思う」

 そのあと、彼が作った曲「訪秋」が流れた。まさしく哀愁を含んだファドだった。

 *哀愁のリスボン

 1974年、初めてパリを旅したとき、帰りにポルトガルのリスボンに立ち寄った。
 何の知識も持っていなかったが、リスボンの街は日本の地方都市のような落ち着きを感じさせた。
 夜になり、リスボンの下町の石畳を歩き、歌声が漏れる明かりが灯るレストラン酒場に入った。ファドを聴かせる店だった。
 リスボンでは、「カザ・デ・ファド(Casa de Fado)」と呼ばれるファドを聴かせるレストランやバーが、夜ともなると灯りをともすのだった。
 ファド(Fado)は、ポルトガルギターに合わせて歌う、ポルトガル独特の哀愁に充ち溢れた歌だった。
 私は翌日、リスボンの街中の路上で「アマリア・ロドリゲス」のドーナツ盤レコードを買った。アマリア・ロドリゲスは、ポルトガルで最も有名な実力ファド歌手だった。
 日本に帰ってからも、彼女の歌うファドはよく聴くことになった。

 1995年、2度目のリスボンへ行ったときも、夜の街角でファドの店に入った。
 フラリと入った店だったが、偶然にも20年前に行った店だった。その店の壁に、見覚えのある(写真にも残っている)絵を見つけて、かつてここに来た店だと気がついた。
 その絵はファドの絵として象徴的なようで、酔った女性の横でポルトガルギターを弾きながら歌っているツバ広の帽子を被った男を描いた絵「ファド」(ジョゼ・マリョア画)である。(写真、「ファド」(ジョゼ・マリョア))
 古いファドの店の雰囲気を表しているのだろう。
 リスボンの街とファドは切り離せない。

 ファドはポルトガルの歌である。
 例えていえば、フランスのシャンソン、イタリアのカンツォーネのように。
 
 *銀座でポルトガルの音楽、ファドを楽しむ

 日本で、ポルトガル料理の店は少ないが、ファドを聴かせる「カザ・デ・ファド(Casa de Fado)」となると、そうあるものではない。
 銀座のポルトガル・レストラン「ヴィラモウラ(VILAMOURA)銀座本店」で、6月21日にファドを聴かせるというので、夕食を兼ねて出かけた。
 店は、泰明小学校の前にある。

 食事はコースである。
 ポルトガルは、海洋で栄えた国だけあって海産物の料理に特徴がある。
 塩漬け干し鱈のバカリャウ、イワシ1尾のオーブン焼き(ポルトガルでは炭火焼き)。その他、ポルトガル料理らしい豚とアサリのスパイス煮込みのアレンテジャーナなど、堪能した。

 本命のファドである。食事の合間に味わうことができた。
 ファドは通常、歌い手のファディスタと、ポルトガルギター演奏者のギターラ、ギター演奏者のヴィオラで演奏されるそうである。
 この日の出演は以下のとおりである。
 ファディスタ:高柳卓也、安村今日子、ギターラ(ポルトガルギター):月本一史、ヴィオラ(ギター):小川皓史、伊代田大樹

 ファドは悲恋や運命や人生を愁う哀しみを帯びた歌が主であるが、最近は明るい歌も多いようである。
 2015年、東京国際フォーラムでの「ラ・フォル・ジュルネ」に、初めてのことだと思うが、ポルトガルのファッド歌手が出演するというので聴きに行った。アントニオ・ザンブージョという男性歌手で、それまでのファドの印象とは全く違った味を持つ歌い手だった。

 今回、ファドを聴いて改めて感じたのは、ポルトガルギターの独特の音色である。
 ポルトガルギターのギターラだけの演奏や、ギターラとクラシックギターのヴィオラだけの演奏もあり、それはそれで味わい深いものがあった。
 ファドの歌の哀愁を醸し出すのは、この12弦の民族楽器ポルトガルギターの音色だと、今更ながら再発見した思いだった。

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炎の小林研一郎と、魂の神尾真由子

2025-06-30 23:58:58 | 歌/音楽
 6月21日、府中の森芸術劇場(東京都府中市)にて、“炎のコバケン”と称される指揮者、小林研一郎および日本フィルハーモニー交響楽団と、“熱情のヴァイオリニスト”神尾真由子による公演を聴いた。

 そのだいぶん前の日であるが、ノーベル生理学・医学受賞者、山中伸弥とタモリによる、スペシャルテレビ番組「人体」—命とは何か―を見た。人体の生命源を、映像を駆使して最新医学情報で山中伸弥が解説するという、固い医学・生物学の番組である。
 そのなかで、小林研一郎の姿・行動が挿入された。生命における「老いとは何か?」というテーマで、85歳の小林研一郎がベートーヴェンの全交響曲を1日で指揮するという姿を追ったドキュメントであった。
 かの公演は、大晦日(2024年12月31日、東京文化会館)の午前11時から始まって、夜の11時半に終わるという過酷なもの。老体を奮い立たせて、小林は演奏をやり遂げる。
 演奏が始まる前、休憩時間、終わった後の小林の顔や姿と、演奏時の指揮する顔や姿の違いが浮き彫りになる。
 小林研一郎は言う。
 「40歳のときって、分からないことばっかりなんですね。60歳のとき少し分かってきて、80歳のときもう少し分かってきて。この一つの音は、ここでこう繋がっているから、こうなんだ、っていうのは40歳のころは分かりませんでした」
 「命って、どれだけひたむきになれるか、追及する心だと思う」

 *

 小林研一郎指揮による公演は、5月11日、パルテノン多摩(東京都多摩市)で読売日本交響楽団との公演を聴いているので、先月に続いてとなる。
 そのときの曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、チャイコフスキーの交響曲第5番であった。

 神尾真由子の演奏は、5月4日、「ラ・フォル・ジュルネ」のときに聴きに行った。そのときの演奏は、シューベルト、ピアノ三重奏曲第2番変ホ長調であった。

 奇しくも、小林研一郎と神尾真由子の公演を続けて聴くこととなった。
 さらに言えば、炎のコバケンと熱情の神尾真由子の共演である。

 *小林研一郎の指揮、神尾真由子のヴァイオリン……

 6月21日、府中の森芸術劇場・リニューアルオープン記念の公演である。
 指揮:小林研一郎、日本フィルハーモニー交響楽団
 ・チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
 ヴァイオリン:神尾真由子
 ・ベートーヴェン:交響曲第3番《英雄》 変ホ長調

 最初の演奏は、小林研一郎が指揮し、神尾真由子が弾くというまたとない組み合わせである。
 神尾真由子は、2007年、第13回チャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で優勝しているので、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は彼女にとって代表曲と言えるものである。
 神尾の演奏は、熱気にあふれていた。CDでは感じ得られない、身体からほとばしる迫力に充ちたものであった。
 小林研一郎は、登場するときはにこやかな好々爺の面持ちだが、いったん演奏が始まるとその中に入り込んで棒(タクト)を振る。そして、各パーツの演奏者に気を配るように顔と棒を向ける。
 曲が盛り上がる局面では、小林は客の方にゆっくり向きを変えて、会場の彼方に手をかざす。大空を仰ぎ見るようなしぐさで、小林研一郎の世界を描き出すかのように。
 これは、小林研一郎ならではの長い年輪が詰まった技、特権であろう。
 神尾真由子の熱情溢れ出る音が、小林研一郎の老練な技とあいまって会場に広がっていった。
 
 小林研一郎は、どの公演でもそうだが、演奏が終わった後は各演奏者を丁寧に手で仰いで、観客に感謝の紹介をするのだった。
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ジプシー・ヴァイオリン、古舘由佳子を聴く

2025-06-13 03:37:03 | 歌/音楽
 久しぶりに、ジプシー音楽を聴きに行った。
 日本でジプシー・ヴァイオリニストの第一人者である古舘由佳子とジプシーバンド・コンサートのライブである。

 私が最初に買ったレコードはブラームスの「ハンガリア舞曲」(第5番)だった。
 まだクラシック音楽をろくに聴いてもいないころで、それが証拠に同時期に買ったもう一枚のレコードは、日野てる子の「夏の日の思い出」である。
 「ハンガリア舞曲」は、ブラームスがハンガリーのジプシー音楽(ロマの民族音楽)から編曲した舞曲集である。
 「ハンガリア舞曲」は、初めて耳にしたときから心に残った。それに他のどのジプシー音楽を聴いても、心の奥に響くのがある。それは、どの曲にも切なさを伴った熱情の奥に、哀しみと愁いを忍ばせているからであろう。

 ジプシー(gypsy)は、世界各地を流浪した民族の歴史を持つ。それゆえ、それぞれの国で様々な名で呼ばれてきた。
 ヨーロッパでも国によって呼び名があり、フランスでは「ジタン」(gitan)と呼ぶ。アラン・ドロン主演の映画「ル・ジタン」(Le Gitan)が記憶に残っている。それに、フラメンコを踊る女性のシルエットを描いたタバコの「ジタン」(Gitanes)も、私は一時喫っていて思い出深い(今は日本では発売していない)。
 スペイン語の「ヒタノ」(gitano)、ドイツ語の「ツィゴイナー」(zigeuner)も同様の意である。
 それらの呼称は自称ではなく外名であり、差別的見地ということで現在は「ロマ」(Roma)と呼称されている。しかし、音楽では現在もジプシー音楽として使われている。今回聴きにいった古舘由佳子さんも、「ジプシー・ヴァイオリニスト」と自称している。
 日本とハンガリーを往復しながら演奏活動を続けている古舘さんは、「今ではロマの方が差別的にとられることがある」と言う。

 サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」(Zigeunerweisen)は、「ツィゴイナー(ジプシー)の旋律」という意味である。この曲も、ヴァイオリンの魅力が詰まった私の好きな曲である。
 ずいぶん前のあるとき、この曲を自分で弾けたら恰好いいなぁという思い(夢想)が、ふと頭によぎった。
 この曲がもとで、私はもう若くはない年に、うかつにもヴァイオリンの世界に片足(の指先)を踏み入れたのだった。
 ※「ヴァイオリン、デビュー」(2006-04-25)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/83f99c541cb8b796451b16243b710526

 *成城学園前のレストランでのライブ

 6月6日、東京・世田谷区の成城学園前(小田急線)のレストラン(F*GICCO エフジッコ)での、古館由佳子とジプシーバンド・コンサートのライブに行ってきた。
 かつて同じ小田急線の千歳船橋(世田谷区)に住んでいたが、成城学園前までは足を延ばしたことがなかった。初めて街中を歩いたが、高級住宅街らしく落ち着いた上品な街だ。ライブが行われた店も、通りに潜むように佇んでいて、渋く洒落ている。

 今回のバンドは、ヴァイオリ二ストの古舘由佳子さんと、ハンガリーからやってきたチェリストのコヴァーチ・カーロイ、イタリア人のギタリストであるジョヴァンニ・カルデリーニによる。
 古舘さんの演奏を初めて聴いたのは、18年前の2007年である。
 ※「ジプシー・ヴァイオリンに酔って」(2007-12-20)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/307d376fe8e628580c404e5de615ab84

 この日の演奏は、珍しくヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」から始まった。
 そして、ジプシー・ミュージックの定番ともいうべき「ハンガリア舞曲第5番」、「伝承曲 草笛ホラ」、「黒い瞳」、「モンティのチャールダーシュ」、「伝承曲 ひばり」などが演奏された。
 それにこの日演奏された、ハンガリーで発表された「暗い日曜日」(ハンガリー語 Szomorú vasárnap、英語 Gloomy Sunday、フランス語 Sombre Dimanche)、および、イタリア・パルチザンによって歌われた「さらば恋人よ」(イタリア語: Bella ciao)は、世界情勢を鑑み、この時期ならの選曲と思えた。
 ロシアがウクライナに侵攻直後ごろ、ウクライナの若い女性兵士2人が塹壕の中で、機関銃を持って「さらば恋人よ」をデュエットで歌う映像を見た。「私が死んだら、あなたが私を山奥に埋めて……」といった内容の戦争を悼む歌だ。このなかの「ベラ・チャオ……チャオ・チャオ・チャオ……」という響きが切なく残っている。

 ジプシー音楽は、哀愁を帯びているが熱いものがある。
 なぜか、その熱情は尾を引く……
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五日市線、秋川でジャズ

2025-01-01 00:00:00 | 歌/音楽
 JR五日市線に乗って秋川駅に行った。
 何しに行ったかといえば、近くにある「キララホール」にジャズを聴きに行ったのである。
 秋川駅は、東京都あきる野市にある駅である。

 多摩市は、左右(東西)に細長い東京都のほぼ真ん中辺りにある。
 多摩市に引っ越してきたころは、今までは東の都心の方しか目が向いていなかったのが、逆の西の奥多摩の方に目がいくようになった。気のせいか、西の森から風にのって何やら誘ってくるのである。
 それで、時々西へ向かい、JR五日市線に乗った。
 五日市線は、JR青梅線、八高線が交わる拝島駅から西へ延びて武蔵五日市駅まで行く線である。
 終点の武蔵五日市駅で降りると、そこからバスで「つるつる温泉」(東京都西多摩郡日の出町)に向かった。バスは機関車の形をした可愛いものであった。
 人里から離れた山のなかの温泉で、しかも日帰りで行けるというので、当時つるつる温泉以外に、青梅線の終点、奥多摩駅から歩いていける「奥多摩温泉もえぎの湯」(東京都西多摩郡奥多摩町)にも通った時期があった。
 だから五日市線といえば、ほのぼのとした印象しかない。

 *波乱に富んだあきる野市、秋川駅の変遷

 「秋川駅」は、東京都あきる野市にある駅である。あきる野駅という駅は存在しない。
 では、どうしてあきる野市にある駅が秋川駅になったのかを見てみると、いろいろ町の変遷と絡んで面白い。
 1889(明治22)年、町村制施行により、引田村、淵上村、上代継村、下代継村、牛沼村、油平村が合併し、神奈川県西多摩郡西秋留村が誕生する。
 1893(明治26)年、西多摩郡が南多摩郡、北多摩郡とともに東京府へ編入する。
 1925年(大正14)年、五日市線(拝島~武蔵五日市間)開通と同時に「西秋留駅」が誕生。同時に隣の「東秋留駅」も誕生している。
 1943(昭和18)年、東京都制施行により東京都西多摩郡西秋留村となる。
 1955年(昭和30)年、西秋留村、東秋留村、多西村が合併し「秋多(あきた)町」が発足。また、五日市町と増戸村、戸倉村、小宮村が合併し「五日市町」が発足した。
 1972(昭和47)年、秋多町が市制施行に際し「秋川市」と改称する。
 1987(昭和62)年、それまで西秋留駅のまま継続していた駅名を、「秋川駅」に改称する。
 1995(平成7)年、秋川市と五日市町が合併し、「あきる野市」が発足する。
 しかし、駅名は「秋川駅」のままである。「東秋留駅」は、いまだ当初の名前のまま残存している。

 それにしても、「あきる野市」という名前である。
 この名の市が誕生したころのこと。ここの出身の女性に、出身地を訊いたとき、「う、うん?、あひる?、あひるの市?」と、からかったものである。
 「秋留」「阿伎留」の地名がもとになっているのはわかる。それで、合併する秋川市と五日市町がもめて、ひらがなに落ちどころを求めたのだろう。それに、なぜか「野」を付け加えた。
 近年、合併によって増えてしまった市町村名のひらがな、カタカナ化には、私は疑問を感じている。どうしても、もめた末の、これだったら何とか強い反対も収められるという、浅い魂胆が窺える折衷案としか思えないのだ。
 県庁所在地の「さいたま市」などは、きちんと「埼玉」という歴史ある漢字があるのだからなおさらである。
 山梨県の「南アルプス市」に本場スイスやアルプス地元の人たちが訪れたら、なんと思うだろう。通称や俗称ではないのだ。

 *五日市線、秋川駅へ

 12月22日の午後、拝島駅から武蔵五日市駅行きの五日市線の電車に乗った。
 ホームで停まっている電車に乗ろうとしたらドアが閉まっている。寒いので一部のドア(多くは車両の端)だけ開けて他は閉めているのかと思ったが、そうではない。
 乗客がドアの横のボタンを押してドアの開閉を行う半自動(ボタン式)なのだ。うーん、東京ではめったに見られない。
 拝島駅からは、10分ほどの秋川駅で降りた。
 この日は、駅近くのキララホールでジャズの演奏会があるので、おそらく通常の日より多くの人が降りたようだ。
 それでも駅前は閑散としている。ホテルがあるのが救いだ。

 秋川駅からキララホールのある北へ向かうと、キララ通りと並行してマールボロウ通りなるものがある。アメリカ合衆国のマールボロウ市(Marlborough、Marlboro)と姉妹都市の関係でつけられた通りらしい。
 キララホールは洒落た建物だ。キララホールの隣には中央図書館があり、市の文化的中心地の雰囲気がある。(写真)

 *高瀬龍一ビッグバンドJAZZコンサート

 この日は、トランペット奏者の高橋龍一によるビッグバンドでのジャズ・コンサートである。
 内容は、デューク・エリントンと並ぶアメリカのビッグバンドの大御所、カウント・ベイシーのみの曲演奏である。
 現在、世界で行われているビッグバンドによるジャズの演奏は、5本のサックス、4本のトランペットと4本のトロン ボーンのブラスセクションに、ピアノ、ベース、ドラムス、ギターのリズムセクションを加えた17人編成が標準となっている。

 この日の、「高瀬龍一ビッグバンドJAZZコンサート」のメンバーは以下の通り。
 高瀬龍一(tp,cond)、岸義和(tp)、奥村晶(tp)、松島啓之(tp)、岡崎好朗(tp)、中路英明(tb)、橋本佳明(tb)、三塚知貴(tb)、堂本雅樹(btb)、辻野進輔(as)、白石幸司(as,cl)、岡崎正典(ts)、川村裕司(ts)、鵜木孝之(bs)、板垣光弘(p)、山下弘治(b)、丹寧臣(ds)

 ビッグバンドのジャズ・コンサートは初めてであった。
 それが、秋川であったということが印象深い。




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クラシック音楽のルーツを探る、ラ・フォル・ジュルネ2024

2024-05-09 02:00:45 | 歌/音楽
 毎年ゴールデンウィークに開催される、フランス発の音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」(熱狂の日々)が、今年も東京国際フォーラムで行われた。
 毎年テーマが掲げられ、去年は「ベートーヴェン」だった。
 今年のテーマは、「ORIGINES(オリジン) ――すべてはここからはじまった」である。
 クラシック音楽のルーツ、最初に生みだされた音楽というだけでなく、幾世紀にもわたり、世界のあらゆる国々の作曲家たちをインスパイアしてきた様々な音楽の伝統にスポットライトを当てる、ということである。

 *クラシック音楽の「オリジン」とは?

 ラ・フォル・ジュルネのアーティスティック・ディレクターであるルネ・マルタンの言葉から、その内容を記しておこう。
 クラシック音楽といえば、「音楽の父」と称されているJ.S.バッハがあげられるが、彼もまた、悠久の時と文明のるつぼに深く根を下ろした長い音楽の伝統を受け継いでいた。そして、彼以後の作曲家たちは皆、どの大陸、どの国の出身であれ、古くからの遺産をよりどころとして自分たちの音楽言語を練り上げ、作品を生み出してきた。
 その「オリジン」として、次の例をあげている。
 19世紀半ば以降、音楽を通して「オリジン」が探求されて、ロシア、ハンガリー、チェコスロバキア、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、フランス、スペインなどで花開いたのが「国民楽派」である。
 各国の限りなく豊かな大衆音楽から想を得、名曲を残した、ムソルグスキー、チャイコフスキー、スメタナ、ドヴォルザーク、コダーイ、バルトーク、さらにはグリーグ、シベリウス、アルベニス、ラヴェル、ビゼーらの作曲家をあげる。
 音楽の「オリジン」をめぐるテーマとしては、「楽曲形式の変遷」をあげる。時代を超えて多くの傑作を生み出してきたソナタ、四重奏曲、協奏曲といった形式は、どのように誕生したのか?
 そして、「楽器の起源」にも視点を置く。今日の私たちが知る楽器は、どのように生まれ、時とともにどのような変化を遂げたのであろう?
 人間の息は、あらゆる音楽の起源であった。竪琴とともに世界最古の楽器の一つとされる笛以上に、息を、すなわち世界の起源を体現する楽器があるであろうか?
 さらに、「パイオニア的作品」といえる、その法外な革新性によって新たな道を切り拓き、音楽史の流れを変えた作品も取りあげる。
 例えば、ヴィヴァルディの〈四季〉、ストラヴィンスキーの〈春の祭典〉、バーンスタインの〈ウエスト・サイド物語〉などをあげている。

 つまり、ラ・フォル・ジュルネにおいてのオリジンは、音楽のこと初めである歌声から、楽器、楽曲の形式、民族の特色など、その時代を彩った音楽、作曲家たちを取りあげる、クラシック音楽のパノラマということである。

 *
 私は、あらゆるジャンルの音楽を聴いてきた。
 歌謡曲、シャンソンやファド、ロック、ジャズ、クラシックなど、時代の流れとともにあった気がする。
 現在聴くのはクラシック音楽が最も多いが、現代音楽は苦手というか良いとは思わない。バロックからモーツァルト、ベートーヴェンなどの古典派が最も心地いいし、どうにかロマン派のブラームスあたりまでである。
 坂本龍一がドビッシーの音楽を聴いたとき、それまでのベートーヴェンなどの古典派の、ソナタ形式などの構築された音楽から、和音にとらわれない水の流れのようだと形容し、音楽的衝撃を受けたと述べていた。
 こう言われても私のなかでは、ドビッシーの良さは宙に浮いたままである。
 現代の音楽家(作曲家や指揮者)の多くが称賛し、このラ・フォル・ジュルネのルネ・マルタンもオリジンとして取りあげているストラヴィンスキーの「春の祭典」も、皆なぜ絶賛するのかという疑問符は氷解することはない。
 つまり、私はいまだベートーヴェンを敬愛した「ブラームスはお好き?」のままなのである。

 *ラ・フォル・ジュルネ2024へ

 ラ・フォル・ジュルネは、5月3~5日の間、朝から夜まで東京国際フォーラムの各ホールおよびその近辺で、数多くの公演が行われた。
 5月4日、東京国際フォーラムに出向いた。
 聴いた2公演は以下の通り。

 ・18:45 〜 19:30 ホールA
 世界に新たな一歩を踏み出した霊妙のコンチェルト
 [曲目]ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.61
 [出演者]リヤ・ペトロヴァ(ヴァイオリン)
 東京フィルハーモニー交響楽団
 三ツ橋敬子(指揮者)
 <リヤ・ペトロヴァ 略歴>
 2016年ニールセン国際コンクール優勝者。ブルガリアの音楽一家に生まれ、エリーザベト王妃音楽院でデュメイに、アイスラー音楽大学でヴァイトハースに、ローザンヌ音楽院でカプソンに師事。パリ管、フランス放送フィル等と共演。2021年、「ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ほか」をリリース。パリ在住。(ラ・フォル・ジュルネ広報より)

 ・20:00 〜 21:00 ホールB5(1)  マスタークラス
 [講師]アンヌ・ケフェレック(ピアノ)
 [曲目]シューベルト: ピアノ・ソナタ第17番ニ長調 D850 から 第1楽章
 公演ではなく、指定の曲を弾いた生徒(音大生)に対して、ピアニストの講師が指導、教授する催しであった。

 *歴史を彩ったクラシック音楽家列像

 会場で販売していたラ・フォル・ジュルネ音楽祭2024、30周年記念盤「オリジン~7世紀にわたる音楽の旅」と称したCD(2枚組)を購入した。
 これまでの音楽祭に登場した、あるいは関連ある作曲家や作品を、「オリジン」のテーマに即した内容としている。
 中世ノートルダム楽派のポリフォニー音楽の作曲家、ペロタン「祝福された胎児」(抜粋)から、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ドヴォルザーク、ブラームスの曲を含め、メキシコ人の現代音楽作曲家のA・マルケス「ダンソンno.2」までを、摘まみ選択したものである。
 そのジャケットには、その時代を彩った作曲家、その関係者の肖像画を羅列してある。音楽の教科書や関連書で見たことのあるモーツァルトやベートーヴェンなど有名な人物もいるが、まったく見たこともない(聞いたこともない)人物もいる。(写真)
 さて、何人知っているだろうか?

 参考までに、以下にその解答を記しておく(名前の順は、左から右へ)。
 ①アントニオ・ヴィヴァルディ
 ②ヨハン・セバンチャン・バッハ
 ③ヨーゼフ・ハイドン
 ④ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
 ⑤ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
 ⑥ルイーズ・ファランク
 ⑦フランツ・シューベルト
 ⑧ファニー・メンデルスゾーン
 ⑨フレデリック・ショパン
 ⑩クララ・シューマン
 ⑪モーリス・ラヴェル
 ⑫ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
 ⑬セルゲイ・ラフマニノフ
 ⑭メラニー・ボニス
 ⑮イーゴリ・ストラヴィンスキー
 ⑯ヨハネス・ブラームス
 ⑰ガブリエル・フォーレ
 ⑱ジョージ・ガーシュウィン
 ⑲ジェルメーヌ・タイユフェール
 ⑳フランツ・リスト
 ㉑ナディア・ブーランジェ
 ㉒フィリップ・グラス

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