かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ 武士の一分

2007-12-31 18:48:13 | 映画:日本映画
 藤沢周平原作 山田洋次監督 木村拓哉 檀れい 笹野孝史 坂東三津五郎 緒形拳 2006年松竹

 山田洋次監督による藤沢周平原作武士物三部作の一作。
 「一分」(いちぶん)とは、「面目」のことである。
 藩主の毒味役になった下級武士の主人公(木村拓哉)が、毒味によって失明する。妻(檀れい)は、失意の夫の自殺を留まらせ、上級武士(坂東三津五郎)に家禄の維持願いを相談に行く。そのとき、妻はその武士によって身体を奪われて、その後も関係を持たらされてしまう。
 そのことを知った主人公は、妻を離縁し、武道に励み、剣術の達人でもあるその上級武士に対して果たし合いを臨むという物語である。

 「目が見えないのに立ち向かうのは無茶です。どうしてそんなことを」と、思いとどまらせようとする家の下男(笹野孝史)に言う主人公の言葉が、「武士の一分だ」である。
 一分は、誰にでもあるものである。いや、持っていなければならないものである。それを失ったら自分でなくなるという存在証明と言っていい。
 この一分が、現代では失われているのであろう。
 政治家の一分、経営者の一分が、見当たらない。だから、品格が問われ、その名を冠した本がベストセラーに名を連ねている。

 妻を離縁し、無聊をかこつ主人公に、下男が「ゆっくり養生して長生きしてください」と言う。それに対し、主人公は荒々しく答える。
 「長生きして、何かいい事があるのか。毎日、お前のまずい飯を食い」
 この台詞がいい。
 失明して、武士としての役目をまっとうできずにいる武士に、いや誰かの手を煩わせながら生きて、何かいい事があるのだろうか。そもそも、人生を長く生きてどうしようというのだろうか。
 先日、テレビ番組で、将来、といっても2050年頃(40年先)には、人間の寿命は百才を超えるとあり、元気な老人の動く姿を映した。そして、寿命は金(医学や薬物)で買えると結論づけた。
 それを見て、何の取り得のないタレントが目を丸くして「私、長生きするのだったら絶対金で買いたい」とコメントしていた。

 「長生きして、何かいい事があるのか。毎日、お前のまずい飯を食い」
 映画では、主人公は死を決意して、妻を弄んだ上級武士に決闘を挑む。目の見えない彼には、武道の先生(緒形拳)が教えた「共に死する事をもって真となす」の心構え以外ない。
 「肉を切らして骨を切る」というより、相打ち覚悟の決闘に挑む。
そして、彼は相手の背後からの奇襲に、気配で勝つ。
 武士の一分は果たされ、死なずに、おそらく少し長く生きた彼は、下男のまずい飯ではなく、以前のうまい飯を食うことになる。妻も戻ってきたのだ。
 長生きして何かいいこととは、こんなことかもしれない。いや、こんな何気ないことが大切だといっているのだろう。

 下男の笹野孝史がいい。この人は若いときから老け顔で、このような役ははまり役である。
 召使の人生にも、長く生きて何かいい事があるのだろうか。この人は、いいことがあろうとなかろうと、といった役で、顔である。
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冬の田舎

2007-12-30 16:17:55 | 気まぐれな日々
 田舎の冬は、閑散としている。
 春にはあちこちに花が咲き、夏には燦々と降る陽の光があるが、秋から冬には日差しも薄く、草や木々も縮こまっている。
 通りを歩く人影も少なく、街の中心街である商店街も、年々萎れていくようだ。
 佐賀の田舎の実家に帰ってきたが、街は過疎化が進み、侘しさが増している。

 家の庭も、夏に来たときの鬱蒼とした夏草もなく、煩わしいと思った雑草さえも何だか懐かしい。
 庭の柿が、枯れた枝にまだ赤い実をつけてぶら下がっていた。老いた母には手が届かず、採る主がいないのだ。目白がやってきて、実を突いている。
 この柿を見て、柿右衛門が磁器の色絵を発見し、有田焼の色絵付けの始まりとなったという言い伝えは、本当だろうか。
 柿の先には、金柑と八朔がオレンジ色の実を付けている。八朔は緑の葉も鮮やかで、今の季節が盛りなのだ。

 12月29日は、佐賀市に行った。
 駅から南へ延びる中央通り(シンボルロード)は、イルミネーションが輝いている。佐賀も頑張っているのだ。
 しかし、この大通りさえも、師走だというのに人影は少ない。

 佐賀の知事がこのようなことを言っていたというのを聞いた。
 「今は、日本では一極集中が進んでいます。どんなに頑張っても、東京や、九州では福岡にかなわない。だったら、日本一の貧乏県を目指そうかと」
 真意はともかく、競争社会を外した発想はいい。格差社会が顕著になる今、人も街も、独自の生き方を模索する時代なのだ。

 佐賀の「夜来香」で、中華を食べながら、紹興酒を飲んだ。
 この店は、大通りから少し外れた道にそっと佇んでいる。中に入ると、3つのテーブルとカウンターのこぢんまりとした造りで、落ち着いた雰囲気が僕は気に入っている。
 年々寂しくなっていく佐賀の街とは裏腹に、久しぶりの佐賀の夜は僕の心を温かくした。
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ジプシー・ヴァイオリンに酔って

2007-12-20 02:20:01 | 歌/音楽


 ジプシーは、北インドから中近東経て、ヨーロッパ、北アフリカへ渡ったといわれている流浪の民族である。
 その定住を潔しとしない流離い人の生き方が、せせこましく生きている私たちには羨ましい。そして、彼らの生き方を滲み込ませた音楽は、哀愁を帯びたものとなって私たちを魅了する。
 ジプシーの語源はエジプシャン(エジプト人)で、これは誤解であり、ジプシーが差別的意味も持っていたこともあって、今ではロマと呼ばれている。ロマとは人間の意味であるロムの複数形で、彼らは誇りを持って自分たちをそう呼び、ジプシー以外の人間をガーショと呼んで区別している。
 ジプシーは英語であり、ドイツ語ではチゴイネル、フランス語ではツィガーヌあるいはジタンと呼ばれている。ボエミアンと呼ばれることもあるが、これはチェコスロバキアのボヘミア地方がジプシーの故郷と誤って伝えられたことから来ていて、ジプシーの意味から離れて、一定の処に安住しない若い芸術家、もしくは芸術家志望をこう呼んでいる。

 夢を持ってパリに集まってきたボエミアン(ボヘミアン)に、僕は憧れた。
 「ラ・ボエム」(La boheme)で、シャルル・アズナブールは、若い芸術家の愛を哀しく歌っている。
 「僕は話そう、二十歳にならない人には分からない時代のことを……」
 パリに来た多くのボヘミアンは、やがて夢やぶれて、ある人は他の地方へ、ある人は普通の人となって街に同化していった。

 様々な国に散らばっていったジプシーも、今は各国の国策により定住を余儀なくされていて、放浪をしているジプシーはいるのだろうか。
 しかし、定住すること自体、彼らの本質ではないのだ。
 若きボヘミアンのように、夢破れたのだろうか。
 彼らが最も好むものは、広々とした木や森であり、流れる清川であって、草原なのだ。彼らは、今日のことだけを考える。今日一日を生きぬく。明日のことを考えない。蓄えることをしないから、貧しさがつきまとう。
 「ジプシー」(相沢久著)を読むと、彼らの生活と考え方が書かれていて、胸が締めつけられる。それは、人間の本質のようなものであり、自分の中の奥深い憧憬でもある。
 まるで、「蟻とキリギリス」のキリギリスのように楽天的で、野生に生きる動物のように、逞しい。

 * *

 ジプシーを最もジプシーらしく表現しているのは、音楽であろう。
 その音楽は、躍動的でいて哀愁に満ちている。そのうえ、フラメンコは情熱的だ。

 このジプシー音楽を中心に、シャンソンなども含めた特異な演奏活動をしているヴァイオリン奏者の古舘由佳子さんが、多摩にやってきた。唐木田駅の近くの民家を活かした喫茶店「カフェ・ラ・フルール」で12月15日夕夜、演奏会が行われた。ピアノは、竹川由紀乃さんである。
 店は、クラシックな内装の落ち着いた雰囲気である。
 まずは、ワインを1杯。
 もともとジプシーは、路上をはじめ酒場などで演奏したというから、広い音楽会場などでやるよりこの方が似合っている。

 ソバージュの黒い髪と黒い服の古舘さんがヴァイオリンを持って登場すると、不思議とジプシーの雰囲気が漂う。
 まずシャンソンの「ラ・メール」から演奏は始まった。静かな出だしである。
 「パリの空の下」の演奏では、聴き入った。何せ、僕の発表会での出し物である。
 前半は、シャンソンや映画音楽といった軽やかな曲の演奏で終わった。

 後半は、ダイスの瞑想曲から始まった。
 それから、ジプシーに纏わる曲が続いた。曲と曲の間に、古舘さんのジプシー音楽に関する解説が入る。
 ジプシー音楽の影響を残すタンゴから1曲、それからジプシー女を歌ったロシア民謡の「黒い瞳」。
 さらに、ハンガリアン・ジプシーの作者不詳の「ロマンス」、曲芸的な演奏曲「フラジオレット・ワルツ」、ルーマニアの舞曲「ホラ」、草笛の甲高い音をヴァイオリンで弾く「草笛ホラ」と本格的ジプシーの曲が続いた。
 踊るような曲だ。演奏する弦と指が踊るように目まぐるしく動く。
 演奏しながら古舘さんが、客席のテーブルの間を進み出てくる。古舘さんがのってくるのが分かり、客席も一緒に熱くなっていく。
 そして、ブラームス作曲「ハンガリー舞曲」第5番で最高潮に盛り上がって、モンティの「チャールダーシュ」、「ひばり」と、引き継がれた。
 僕は、その右手の弦を弾く速さと、左手の指先の踊るような動きに釘付けになった。こうして、息を呑む間もなく演奏は、会場を熱い空気に包み込んだまま一気にフィニッシュへ到着した。

 ジプシー音楽は、踊るようにリズミカルで楽しいのだが、なぜかどこか哀しい。
 今は、定住を余儀なくされているジプシー(ロマ)の人たち。彼らは、なぜ流浪の旅に出たのか? 何を夢みたのだろうか?
 弾き継がれ、歌い継がれ、踊り継がれた、これらの音楽に鍵があるように思った。
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◇ ペルセポリス

2007-12-15 01:38:53 | 映画:フランス映画
 マルジャン・サトラピ原作・脚本・監督 ヴァンサン・パロノー共同脚本・監督 2007年仏映画 12月22日~シネライズ他全国順次ロードショー

 「ペルセポリス」とは、ギリシャ語で「ペルシャの都市」という意味である。
 この映画は、ペルシャの都市、今はイランの都市におけるつい最近の時代の物語である。監督はイラン生まれでフランスで活動しているマルジャン・サトラビ。この映画は、彼の自伝的同名本のアニメ映画化である。
 アニメ映画であるが、カラーではなくてモノクロで、アニメならではの特殊な動きや背景が出てくるわけではない。つまり、例えば宮崎駿監督の実写ではできない想像力を駆使したアニメ映画の対極ともいえる、まるでかつての紙芝居の動画版のような感じである。
 その時代と逆行した素朴なアニメが、想像力を掻きたてる効果を得ていることを、私たちは見終わって知る。
 この映画は、2007年カンヌ映画祭にてコンペティション部門に出品し、審査員賞を受賞している。

 王朝だったイランは、1978年学生デモをきっかけに、王政への国民の怒りが爆発し、全国で暴動が勃発する。翌79年にパーレヴィ王政が崩壊し、パリに亡命中だったホメイニ氏によって革命政府が樹立される。
 しかし、翌80年には隣国イラクとのイラン・イラク戦争勃発し、戦争は8年にも及ぶ。そんな中、新政権は女性のヴェール着用、男女別教育の方針を打ち出し、さらに西洋文明の排斥に動き出す。言論や思想の自由は、ますます狭まっていく。

 この激動の時代のイランで、一人の少女マルジャン(愛称マルジ)を主人公にした、監督の自伝的物語である。
 混迷の政局の下、少女マルジは様々な社会的矛盾に純粋で率直な疑問を抱く小学生である。大胆な発言や行動を起こすことから、心配した両親は彼女をオーストリアのウイーンに留学させる。
 ヨーロッパの自由な空気の下で成長した彼女は、恋もし失恋も経験して大人になる。そして、いまだ制約の多い家族の住む祖国イランに戻ることを決意する。

 このアニメ映画を見て、僕は「テヘランでロリータを読む」(アーザル・ナフィーシー著)を思い出した。
 この本も著者の自伝に基づいたもので、アメリカの本を読むことが制約されつつあるイランにおいて、秘密裏に行われた著者主催の読書会の模様を描いたものだ。
 これらイランでの映画や本によって、自由に発言することができない社会、また、本を読むことを制約されたり、服装を規制されたりすることが、どのようなことかが、ひしひしと伝わってくる。
 この映画の監督は、なぜ実写でなくアニメにしたかを、固定観念にとらわれないように、想像力によってインターナショナルな概念に広がるようにと、答えている。
 つまり、主人公を実際のイラン人による実写映画にすると、人物の持つイメージが固定される恐れがあるということである。そして、それを回避する企ては成功したと思える。
 イランが舞台であるが、言葉はフランス語である。そして、その声の配役がすごいメンバーなのだ。
 主人公のマルジの役は、キアラ・マストロヤンニ。彼女は、マルチェロ・マストロヤンニとカトリーヌ・ドヌーブの間に生まれたフランスで活動している女優である。
 そして、マルジの母役がカトリーヌ・ドヌーブ、祖母役がダニエル・ダリューという大物女優なのである。

 フランスの各紙誌は、この映画をこう述べている。
 イランの物語でありながら、普遍性を帯び、身近な事柄のような印象をもたらす映画であると。
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◇ 侍

2007-12-13 01:21:35 | 映画:日本映画
 郡司次郎正原作 岡本喜八監督 橋本忍脚本 三船敏郎 伊藤雄之助 松本幸四郎 新珠三千代 小林桂樹 1965年東宝

 「人を斬るのが侍ならば、恋の未練がなぜ切れぬ…」という歌は、子どもの頃から聴いて知っていた。昭和初期の歌であるが、戦後も歌謡曲の古典(懐メロ)として、ずっと歌われてきた。
 「侍ニッポン」という題の歌で、作詞は西条八十である。
 侍とは、勇ましいもので恋に悩むものではないといった印象があるが、侍ニッポン という大仰なタイトルの割には何だかロマンチックな内容である。
 その後に続く歌の文句は、「伸びたさかやき寂しく撫でて、新納(しんのう)鶴千代にが笑い」と続く。
 意味が分からないで聴いてきた歌というのは多々あるが、これなど典型だろう。さかやきとは、侍が額から頭の上に剃り上げた部分のことである。漢字で書けば月代で、それが月の形をしていたことからの由来だろうが、意味はおろか読み方さえ難しい。漢字クイズでも超難題の部類に入るだろう。
 さて、新納鶴千代であるが、この人も何ものか知らなかった。歌に謳われているからには、歴史上の有名人かヒーローなのだろうぐらいに考えていた。

 映画「侍」は、三船敏郎主演であるが、「用心棒」や「椿三十郎」のような侍ではない。歌の「侍ニッポン」の侍であった。
 郡司次郎正の原作で、内容の中心は幕末の桜田門外の変であった。つまり、史実に則ったフィクションであった。
 幕末の安政7(1860)年、水戸藩士が密かに時の大老、井伊直弼の暗殺を企てる。浪人の新納鶴千代(三船敏郎)は、ふとしたことで知り合った水戸藩士との縁で、その攘夷の一味に加わることになる。それには、大老の首を切って一躍有名になるという一攫千金の夢もあった。
 そして、雪の降りしきる3月3日、江戸・桜田門の外で暗殺は実行され、鶴千代は大老、井伊直弼(松本幸四郎)の首を切る。しかし、鶴千代は自分の父親を知らずに育ってきたが、実は井伊直弼と妾の間にできた子どもであった。彼は、知らず父親を殺したのだった。

 「侍ニッポン」が、ずっと人気を保っていた理由が分かった。
 時代は激動の幕末で、しかも物語の中核は、そのとき歴史が動いた桜田門外の変である。主人公である新納鶴千代を浪人に追いやったのは、恋した女性との結婚を身分が違うという理由で断わられたからである。しかも、誰の子どもか分からないという侮辱を浴びたのである。実際は、大老の子という高い身分であったのだが。
 やけっぱちで不遇の身になった主人公の前に現れた女性(新珠三千代の二役)は、諦めた女性と瓜二つであった。
 水戸浪士の仲間になった主人公であるが、冷徹な頭目(伊藤雄之助)の指図で、やむを得ず親しい仲間(小林桂樹)をスパイ容疑で斬る。その仲間は家庭を大切にする実直な男で、疑いは濡れ衣であった。
 最後は、父と知らないまま、大老、井伊直弼を斬ってしまう。父の首を槍で高々と掲げて、雄叫びをあげる主人公である。
 このように、恋あり斬り合いありの、結構盛りだくさんの物語である。

 映画では歴代、新納鶴千代を、大河内伝次郎、板東妻三郎、田村高広、東千代之介、そして三船敏郎が演じた。
 「侍ニッポン」の歌では、新納鶴千代は、「しんのう鶴千代」と歌われている。
 それが映画では、確か「にいろ」と呼ばれていた。「にいのう」の間違いではないかと思った。
 調べてみると、実際、薩摩・島津の重臣に新納氏が見られ、確かに「にいろ」と呼ぶ。

 桜田門外の変の暗殺隊の中に、水戸藩士に交じって薩摩の藩士である有村次左衛門兼清の名がある。この有村が、新納鶴千代のモデルに違いない。
 しかしである。「しんのう鶴千代」と歌われたのでは、「にいろ鶴千代にが笑い」である。
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