チャールズ・チャップリン監督 チャールズ・チャップリン ジャック・オーキー ポーレット・ゴダード 1940年米
チャップリンは、喜劇王だけではなかった。希有なストーリーテラーでもあった。この映画は、随所にチャップリンらしいユーモアを折り込みながらも、物語として素晴らしい完成度となっている。しかも、公開が1940年というから、第2次世界大戦前夜、日独伊三国同盟がなった年だ。
モデルは、ナチス・ドイツのヒットラーであることはいうに及ばないし、ムッソリーニ(と思える人物)も登場する。映画で、チャップリンは、ヒットラーを徹底的に揶揄する。ヒットラーが全盛期の時期で、よく作ったと思う。奇しくも、チャップリンとヒットラーは同じ年齢だった。
映画の最後の場面での、ユダヤ人の理髪師が総統と間違えられて、演説する13分余は圧倒的である。
申し訳ないが、私は皇帝になりたくない……
人生は、自由で楽しいはずなのに、貪欲が人類に憎悪をもたらし、悲劇と流血を招いた。スピードも意志を通じさせず、機械は貧富の差を作った。知識を得て、我々は懐疑的になり、それを賢く使うことができなかった……
独裁から民主主義へ、機械に使われることから人間の心の解放、自由へ、と訴える。六十数年たった今でも、立派に通用する内容である。
現実は、この映画が訴えたように、ナチス・ドイツは敗北。第2次世界大戦は、ドイツ、イタリア、日本の枢軸国の敗北で終わる。その後、ソヴィエト連邦をはじめとした東欧社会主義国の崩壊があり、冷戦も終わった。世界は、民主主義主導の平和になるかのように思われた。
しかし、この映画から70年近くが過ぎた今、民主主義は理想ばかりでないことも見せ始めた。世界各国の軍事力は、肥大化していった。軍事だけでなく、経済が社会を動かす巨大な力を持つようになった。チャップリンが『モダン・タイムス』で、そしてこの映画の演説で訴えた、機械からの支配だけではなく、資本(金)に支配されるようになった。貧富の差は、今なおますます広がろうとしている。
では、何が求められるのか? 人間は、いま民主主義に代わるものがまだ見つけられないでいる。
この映画で、僕が一番好きな場面は、ブラームスの「ハンガリア舞曲、第五番」に合わせて、理髪師であるチャップリンが客の髭を剃るシーンである。音楽のテンポと髭を剃るパターンが、見る者を緊張させながらも、ぴったり調和した。
よく考えてみると、この曲をチャップリンが選んだというのは、迫害を受けるユダヤ人と、ジプシー(ロマ)の境遇を照らし合わせたのであろうか。
チャップリンは、喜劇王だけではなかった。希有なストーリーテラーでもあった。この映画は、随所にチャップリンらしいユーモアを折り込みながらも、物語として素晴らしい完成度となっている。しかも、公開が1940年というから、第2次世界大戦前夜、日独伊三国同盟がなった年だ。
モデルは、ナチス・ドイツのヒットラーであることはいうに及ばないし、ムッソリーニ(と思える人物)も登場する。映画で、チャップリンは、ヒットラーを徹底的に揶揄する。ヒットラーが全盛期の時期で、よく作ったと思う。奇しくも、チャップリンとヒットラーは同じ年齢だった。
映画の最後の場面での、ユダヤ人の理髪師が総統と間違えられて、演説する13分余は圧倒的である。
申し訳ないが、私は皇帝になりたくない……
人生は、自由で楽しいはずなのに、貪欲が人類に憎悪をもたらし、悲劇と流血を招いた。スピードも意志を通じさせず、機械は貧富の差を作った。知識を得て、我々は懐疑的になり、それを賢く使うことができなかった……
独裁から民主主義へ、機械に使われることから人間の心の解放、自由へ、と訴える。六十数年たった今でも、立派に通用する内容である。
現実は、この映画が訴えたように、ナチス・ドイツは敗北。第2次世界大戦は、ドイツ、イタリア、日本の枢軸国の敗北で終わる。その後、ソヴィエト連邦をはじめとした東欧社会主義国の崩壊があり、冷戦も終わった。世界は、民主主義主導の平和になるかのように思われた。
しかし、この映画から70年近くが過ぎた今、民主主義は理想ばかりでないことも見せ始めた。世界各国の軍事力は、肥大化していった。軍事だけでなく、経済が社会を動かす巨大な力を持つようになった。チャップリンが『モダン・タイムス』で、そしてこの映画の演説で訴えた、機械からの支配だけではなく、資本(金)に支配されるようになった。貧富の差は、今なおますます広がろうとしている。
では、何が求められるのか? 人間は、いま民主主義に代わるものがまだ見つけられないでいる。
この映画で、僕が一番好きな場面は、ブラームスの「ハンガリア舞曲、第五番」に合わせて、理髪師であるチャップリンが客の髭を剃るシーンである。音楽のテンポと髭を剃るパターンが、見る者を緊張させながらも、ぴったり調和した。
よく考えてみると、この曲をチャップリンが選んだというのは、迫害を受けるユダヤ人と、ジプシー(ロマ)の境遇を照らし合わせたのであろうか。