かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

Playback 桜はリバーサイド

2021-03-27 02:48:18 | 気まぐれな日々
 今年(2021年)の桜の開花は、東京では3月14日と、とても早かった。
 桜といえば、例年千鳥ヶ淵へ出かけるのだが、コロナ禍にて去年に続いて自粛し、3月24日の夕方、一人近くの多摩の桜散策に出た。
 まず地元の花見のための原っぱ高原のような、奈良原公園、そこから続く宝野公園へ出た。桜は満開だ。子ども連れの親子が楽しんでいる。
 そこから落合けやき通りを抜け豊ヶ丘南公園にぶつかると、そこから永山へ。
 永山駅に着いたときはもう日も暮れかかっていた。
 永山から、多摩川の支流である乞田川に沿って続く桜並木を、多摩センターの方へ向かって歩く。
 沿道の桜が川に向かって延びている様は、千鳥ヶ淵ならずとも風情がある。コロナが鎮まっていないので花見を推奨できないということからか、桜のライトアップはないけれど、人の通りもまばらな薄暗い川辺の桜も、派手さを抑えている感じで、これはこれでいいものだ。
 陰翳礼讃としよう。

 思えば、去年(2020年)も、この川辺の桜を求めて歩いたのだった。井上陽水の「ホテルはリバーサイド」を口ずさみながら、ブログで次のような歌を綴った。

 *桜はリバーサイド(2020-03-30)

 誰も知らない昼下がりが下がったとき
 町の角からひっそり家を出る
 老いた一人は夢中になることもなく
 不安を隠して花見の旅に出る

 昼間のうちに何度も桜を見て
 行く先を考えるのも疲れはて
 日暮れに気がつけば腹をすりへらし
 そこで老人はネオンの字を読んだ
 
 レストランはリバゴーシュ
 川沿いリバゴーシュ
 食事もリバゴーシュ

 *
 セーヌ川ならぬ、乞田川の左岸に、リブゴーシュならぬ、レストラン「リバゴーシュ」の明かりが見えた。(写真)
 1年ぶりの訪問だ。扉を開き、指を1本上へあげると、店の主が窓辺の席をどうぞと勧めた。窓の外には、満開の桜が揺らめいている絶好の席だ。
 前のときはパスタを食べたが、メニューを見て、コース料理を味わいたくなった。コースは2人からと書いてあったが、一人でもいい?と訊いてみると、いいですよとの返事だ。
 コース料理に、赤ワインを頼む。
 まず付け出しの前菜とパンが出る。僕が毎日食べているパン(バタール)より、はるかに美味い。
 次に、ホタテと野菜のクリーム煮。次に、甘鯛煮。和風牛肉焼き。これも美味しい。
 最後にデザートとコーヒー。
 久しぶりに食べた、ちゃんとしたフレンチだ。しかも、満開の桜を見つめながら。

 *

 店を出て、すっかり暗くなった川辺の道を、再び桜を見ながら歩いた。

 桜はリバーサイド
 水辺のリバーサイド
 一人でもリバーサイド

 *

 3月26日、昼間のうちに家を出て、再び川辺の桜を見に行った。
 桜はちょっとした風にも舞い散り、にわかに桜吹雪となった。歩いている茶色の歩道は、花弁で白く染まった。
 桜は散るのも早い。
 人生も。

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かげろうのような、西村玲子さんのこと

2021-03-24 03:16:40 | 気まぐれな日々
 イラストレーターで、エッセイストで、創作家だった西村玲子さんが先だって1月24日亡くなった。
 私が出版社時代に知りあい、かつて私が世田谷区の千歳船橋に住んでいて経堂を遊び場にしていたとき、西村さんが経堂に引っ越されてきて、それからたびたび経堂でお会いするようになった。
 西村さんは、いつも穏やかで、笑顔を絶やさず、自身のイラストのように淡い印象を残したまま、かげろうのようにいなくなられた。
 近年は肺がんによる闘病生活を余儀なくされていたが、創作意欲は衰えず、毎年、曙橋の喫茶店での個展は続けられていた。
 ここのところ会うのはままならなかったが、去年(2020年)電話で話したのが最後の会話だった。

 *

 このブログでも、西村さんのことを記している。

※「銀座の西村玲子作品展」blog→2007-03-18
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/4512a13edb6b8d4a0712bd786f180453

 彼女は、旅行が好きである。
 電話して留守なのでいないなと思っていると、イタリアへ行っていたとか、先週ベトナムから帰ってきたとか、しばしば海外へ行っているようだ。
 旅の話で面白かったのは、イタリアのジュース売りの話である。
 旅先で街を歩いていると、ラテン系の陽気なイタリア人が甘栗を売るように「ジュースはうまいよ」と声をかけてくる。それも、歌うように声をかけるので、ついつい買ってしまう。本当にイタリアの絞りたてのジュースはうまいので、こちらも鼻歌なんぞ歌って歩きながら飲んだりする。
 日本人は若く見られるので、いくらか年をとっても、街を歩けば陽気なイタリア男は、にっこり笑って声をかけてくる。
 それが、である。40歳を過ぎた時から、40歳を過ぎましたと言ったわけではないのに、手の平を返したように、声がかからなくなり、ついてくる男もいなくなった。そのとき、改めて自分の年齢を知らされた思いで、それまでおいしかったジュースがほろ苦く感じた、と言う話である。
 このような何でもないような出来事でも、西村さんが語ると一編の(イラスト付きの)エッセイになる。
 (「銀座の西村玲子作品展」より引用)

※「作品を生むという生き方――西村玲子さんの個展から」blog→2015-11-20
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/887776b98a3b0108e1bf971d35363e5f

 西村玲子さんを知ったのは、「魔女風ママと子どもたち」(鎌倉書房刊)の本からで、僕が出版社に勤めていたときからだから、もうだいぶん前になる(曖昧な表現だが)。
 それから西村さんは数多くの本を出版されたし、多くの個展で作品を発表されてきた。
 時々思い出したように「今晩、食事しませんか」と誘うと、用事が入っていない限り嫌な顔もせず付きあってくれる。場所は、僕が以前住んでいた世田谷の経堂で、懐かしさもあって、ここでの食事は気持ちを温めてくれる。
 会うたびに、いつも西村さんは変わらない、変わっていないように思える。
 いつも穏やかで、怒った話でも深刻な話でも、聞いている方としてはちっとも怒っているようにも深刻にも聞こえないのは、彼女の個性というより人徳である。おっとりとした感じで静かな雰囲気だが、生き方はいつも前向きで、どこから出てくるのかと思わせるそのエネルギーに僕はいつも敬服させられる。
 (「作品を生むという生き方――西村玲子さんの個展から」引用)

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哲学を生きた、ウィトゲンシュタイン

2021-03-13 01:20:16 | 本/小説:日本
 私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する

 何年か前、ウィトゲンシュタインのこの言葉を目にしたとき、まさにその通りだと思った。
 そのとき、彼の「論理哲学論考」の主旨を要約した解説文を読んだが、わかったようでわからないまま、深追いはしないで過ぎた。
 つまり、彼の言葉の断片だけを、私は頭の中に据え置いたにすぎなかった。追うには重すぎると感じたのだ。

 *

 ウィトゲンシュタインは、1889年オーストリア・ハンガリー帝国のウィーンで生まれ、1951年にイギリスのケンブリッジで亡くなった哲学者である。
 日本でいえば、明治22年生まれの昭和26年死亡であるので、さほど古い人ではない。永井荷風(1879―1959)、三木清(1897―1945)と重なる生涯である。
 当初ウィトゲンシュタインの名前は日本ではさほど知られていなかったと思うが、1922年発行された彼の「論理哲学論考」は今や哲学の古典ともいえる存在である。
 私が大学に入って教科書以外で最初に買った、ソクラテスからサルトルまで解説してあった「世界十五大哲学」(大井正、寺沢恒信著、富士書店、1962年初版発行)には、ウィトゲンシュタインの名前はまったく出ていなかった。
 この本が出版された当時、実存主義を唱えるサルトルは生存していたし、日本の学生の間でも人気があった。一方、私が浅学だったせいもあるが、学生時代はウィトゲンシュタインの名前すら知らなかった。
 とはいえ、私とほゞ同世代の士によると、学生時代の教養課程の哲学の授業で、「論理哲学論考」を学んだというから、レベルの高い学校は違うものである。

 *ウィトゲンシュタインとショスタコーヴィチ

 去年(2020年)、タイトルに魅かれて「ウィトゲンシュタインの愛人」( デイヴィッド・マークソン/木原善彦訳)という本を手にした。
 しかし、ウィトゲンシュタインとは何ら関係のない小説だった。筋らしい筋もなく、この本も何を言いたかったのか不明だった。
 この本のなかで、アトランダムな単語の記述に、「ショスタコーヴィチ」という名前が紛れていた。ソビエト連邦スターリン政権下の抑圧された時代の作曲家で、何か不確実な関連性がありそうなので、彼の曲を聴いてみた。
 しかし、ショスタコーヴィチの曲も、まだ私の手の届かない領域にある。
 心魅せられたのは、映画音楽のために作られた、「ジャズ組曲:ワルツ第2番」である。この曲の哀愁を帯びたメロディーが、彼の本音であろうか。

 *「はじめてのウィトゲンシュタイン」

 そんな折、「はじめてのウィトゲンシュタイン」(古田徹也著、NHK出版)という本を新聞の書籍広告で目にし、手にしてみた。
 この本は、ウィトゲンシュタインの生涯を辿りながら、彼の思想を日本人にわかりやすい例えを用いて解説した書である。その意味では、ウィトゲンシュタインの入門書としては極めてよくできていると思った。
 まず、彼の哲学者としての人となりがよくわかる。いわゆる哲学者として生きることは哲学と共にあること。言い換えれば、「哲学する」人間像が浮かんでくるのである。

 なぜ、世界は存在するのか。人の生きる意味とは何なのか。普遍的な倫理や美はどのようなものなのか。
 古来、人はそのような問いを「哲学」として考察してきた。
 ところがウィトゲンシュタインは、こうした問題はすべて、人々の言語使用の混乱から生じた、まったく無意味な問いと答えの応酬に過ぎない、という。
 彼の「論理哲学論考」は、語りうることの限界を明らかにすることで、哲学の問題を一挙に解決しようとする書である。

 そこで、彼は言う。
 「私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する」
 そして、その限界はある意味で果てしない。

 ウィトゲンシュタインは、最後にこう言う。
 「語りえないことについては、沈黙しなければならない」

 やはり、ウィトゲンシュタインは重い。

 *

 かつてBSテレビで放映されたという「ヴィトゲンシュタイン」(英=日、1993年制作)という作品を、久しぶりに録画DVDで観てみた。ウィトゲンシュタインを天才と認めるイギリスの哲学者バートランド・ラッセルとの関係を核に、彼の哲学と生涯を描いたもので、最初観たとき奇異に感じ朧気だった箇所が少しは鮮明にはなった。
 それにしても、「哲学する」ということは、特異で重い人生を歩むことと感じ入った。
 
 ※ウィトゲンシュタイン( Wittgenstein)は、ドイツ語ではヴィトゲンシュタインと発音されるので、両方の表記が見られる。


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