かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

再び四国から九州へ⑤ 大分、由布院から「ゆふいんの森」号で鳥栖、佐賀へ

2012-09-28 01:06:31 | * 四国~九州への旅
 9月10日朝、別府・鉄輪温泉を出て別府から大分へ出た。
 去年は別府から豊肥線の「九州横断特急」で阿蘇、立野を通って熊本へ向かった。今年は、日田を通って久留米を経て鳥栖に入る久大線で、すんなり佐賀に帰ろうと思った。
 大分10時49分発の各駅停車で、終点由布院に11時50分着。
 由布院の駅前は、いかにも観光地らしい風情が漂っている。絵本に出てくるような観光バスが停車している。温泉地や観光地は、いつ頃からかこのようなメルヘンチックなバスが多い。ここ由布院では、馬車も走らせているらしい。
 アンノン族出現の頃からであろうか、それまで無名の鄙びた温泉地だった由布院が急に若い女性に人気になったのは。のどかな温泉地に映画祭、焼酎が絡み合って、人気が沸騰した。今では、別府温泉に比肩する人気だ。
 かつて鄙びた街だった由布院駅周辺には、軽井沢駅、道後温泉駅などに共通するスノッブな雰囲気がある。

 由布院12時05分発、特急「ゆふいんの森2号」に乗った。この特急に乗るのは2度目だ。
 JR九州の列車は、近年どこでも凝っている。
 四国の急行や特急列車が、何の変哲もない列車だったのに比べて、どの列車もどこかに凝っている。それも、観光地を走る列車に偏っているようにも思える。僕の考えは、特急や新幹線に力を入れるのはいいが、その陰に走る在来線をないがしろにしないでほしいということである。
 「ゆふいんの森」号は、ドアを開けて中に入ると、列車とは思えない造りになっていて驚く。水戸岡鋭冶によるデザインと紹介されていた列車をテレビを見たことがある。
 ドアを開けると、列車と思えないフロアが現れ、木の回廊で車両に繋がり、中に入っても木目調の空間が広がる。座席の肘当ても背もたれも木が使用されている。(写真)
 車内ビュッフェがあるというので、昼食時だし行ってみると、列をなしていた。並んで待ってまで食事するのはいやなので、ビュッフェを出た。
 この列車は快適だ。
 スッチーのようなアテンダントのお姉さんが来て、乗車記念撮影もしてくれる。
 
 豊後森、日田、久留米を経て、鳥栖で降りた。鳥栖着、13時47分。
 「ゆふいんの森」号内では昼食を食べそこねたので、鳥栖駅ホームにある、名物の中央軒の「かしわうどん」を食べた。ここのは、安くてうまい。
 鳥栖駅から、鳥の巣のようなサガン鳥栖のホームスタジアムが見える。今年悲願のJ1昇格を果たし、どこまでやれるか疑問・不安視されていたが、あれよあれよという間の快進撃と言える。特にホームでは圧倒的に強い。サッカーには特に関心がなかったが、J1に昇格して注目度が増した。期を見て、鳥栖に試合を見に行かなくてはいけない。

 鳥栖から佐世保線に乗って、佐賀に向かった。
 またまた、東京から長い寄り道の佐賀への帰省となった。
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再び四国から九州へ④ 八幡浜から別府温泉へ

2012-09-25 00:36:23 | * 四国~九州への旅
 宇和島は、予土線と予讃線の終着駅である。
 去年は予讃線でたどり着き、今年は予土線でたどり着いた。どちらにしても、この先はない。予は伊予の予で、去年と今年、讃岐からと土佐から伊予に着いたということだ。
 宇和島駅を出て、去年泊まった駅前のホテルに行った。こぢんまりとしたビジネス・ホテルで、地方都市特有の少しうら侘しさを漂わせている。ひとり旅には、こんなホテルが似合っている。
 ドアを開けるとすぐに小さなカウンターがあり、ロビーといったくつろぎのスペースはない。宿泊を申し込むと、係りの人がすぐに部屋の鍵を渡してくれた。
 荷物を置いて、すぐに部屋を出た。
 去年歩いたので、街の地理は頭に入っている。駅前のホテルから大通りをまっすぐ西に向かうと、アーケイドの商店街に行き着く。そこから南に延びるアーケイドを中心にこの町の繁華街が広がっている。
 アーケイドの商店街に入らずにさらに進むと、大通りにぶつかる。その大通りをアーケイドに平行して南に進むと、右手西側にこんもりとした緑の宇和島城の丘が現れ、その頂に城の天守が顔を出す。

 腹が減っていたので、商店街を抜けて郷土料理屋の丸水に行った。宇和島特産の「鯛めし」を食べるためだ。去年食べて、何となく独特の味が記憶に残っていて、宇和島に来たらこれを食べようと思っていた。
 1尾使った鯛の刺身を、生卵を入れた店独自のタレに浸し、それを温かいご飯にかけて食べるものである。要するに、鯛の刺身の入った味のついた卵かけご飯である。
 それと、宇和島特産の小魚を潰して作ったテンプラである「じゃこ天」を肴にビールを飲んだ。
 鯛めしは、ここ宇和島で食するからいいのだろう。
宇和島は、次に来るときは闘牛を見ないといけない。今は、見る機会が少なくなった。

 翌9月9日、宇和島発8時39分発、予讃線で八幡浜に向かった。八幡浜から船で大分の別府へ行くのである。
 八幡浜9時18分着。
 八幡浜の駅を降りて、フェリー発着所のある港へ歩いた。ここも、去年歩いたから道筋は分かっている。まっすぐ西へ向かえばいい。通りは、相変わらず人は少ない。
 フェリー発着所に着いた。まるで、去年の僕の行動を撮ったフィルムを巻き戻し再生しているかのようだ。(写真)
 船の待合所は、どこも独特の空気が漂っている。飛行機に乗るような、これから出発するといった意気込みの交じった緊張感や嬉々とした雰囲気はない。若い人も年配の人も、素性が知れず、みんな当てもなくやってきて、これから目的もなく船に乗るといった感じさえする。
 飛行機や列車が目的先を持った旅なら、船は着いた先もその先も知れない、流れ者の旅の感がある。他の交通手段もあるのだが、船着場にやって来たというのが、それだけで各々の物語を想像させる。

 船の座敷は、いつも大部屋の2等だ。窓辺で海の景色を見ている人、家族で団欒している人、一人で本を読んでいる人、ただただ寝転んでいる人、等々。みんな自由で気ままに振る舞っている。
 日差しが強いので、奥のほうですぐに横になった。八幡浜を10時15分に出発した船は、佐多岬を過ぎると、あっという間に別府だ。

 13時05分に別府港着。
 別府温泉といってもいくつかある。別府港のバス停から、そのなかでも最も有名な鉄輪(かんなわ)温泉に向かったのも、去年と同じ足取りだ。去年は鉄輪温泉に行くバスを探すのに手こずったが、今年はスムーズだ。
 鉄輪温泉に着き、去年と同じ「いでゆ坂」のふもとの温泉旅館にこの日は泊まることにし、荷物を置いて外に出た。外は明るいし、まだ日は長い。
 鉄輪温泉街と地獄は去年歩き回ったので、ここから少し奥まったところにある明礬(みょうばん)温泉に行くことにし、バスに乗った。ここの温泉にも一度入ってみよう。

 明礬温泉のバス停は山里にあり、そこで降りたのは僕一人だった。遠く、大きな丸い陸橋が見える。
 バス停の目の前に、大きな看板を掲げた温泉旅館があるが、そこで温泉に入るのも策がない。どこに行っていいか分からず歩き始めたら、前を歩いているおじさんがいた。ビニール袋一つを持ったままなので、地元の人だろう。
 「地元の方ですか?」と訊いたら、「大分だが」と、そのおじさんは答えた。別府も大分県だ。
 「この辺に温泉に入れてくれるところがありますか?」と訊くと、「いろいろあるよ。その先の旅館も入れてくれるし、あそこもそうだよ」と、この辺の事情は詳しそうだった。
 「俺もこれから温泉に行くところだ」と言うので、そのおじさんに付いて行った。
 そこは、木造の鄙びた建物で、真ん中に地蔵様が置かれていて、なにやら霊場のようだ。共同浴場で、地蔵様の上に「鶴寿泉」とある。入浴料も無料だ。
 建物の中は、浴室が一つあるだけで、それでも数人が入るといっぱいだ。既に中に、2~3人のおじさんがいて、僕と一緒に来たおじさんが中に入ると、やあと声をかけて何やら話し始めた。ここへ来る人は、地元の人とか事情通の常連が多いようで、観光客はあまりいないようだ。
 こういう温泉は風情がある。
 温泉場を出て、歩いていくと、明礬地獄という、昔ながらの製法で湯の花を作っているところに出た。それを見学して、鉄輪温泉に戻った。

 一人入る旅館の温泉もいい。

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再び四国から九州へ③ 四万十川に沿って、宇和島へ

2012-09-24 01:04:40 | * 四国~九州への旅
 翌9月8日(土)、朝から高知の街を散策した。
 高知の街は、どこの地方都市でもそうだが、日中は人通りはそう多くはない。しかし夜になると、にこやかに活気づくのだ。
 高知は、街も人も湿気がないように感じた。残暑で暑いのだが、何だか爽やかなのだ。
 坂本龍馬は日本人の大人気人物なので、もっと龍馬のポスターやグッズが街に氾濫していると思っていたが、龍馬人気を利用して高知を売ろうと躍起になっている節もなく、すべてにあくせくしていない鷹揚な感じなのがいい。
 昼ごろ、街の中心街のアーケードを歩いていると、太鼓の音が聴こえてきた。四辻のスペースで、小学生から中学生ぐらいの少年・少女たちが、和太鼓の演奏をやっていた。
 高知駅に行くと、三志士の銅像裏で、やはりイベントをやっていた。

 高知発13時50分発の中村行き、土讃線「あしずり5号」で、高知をあとにした。列車は途中の窪川までがJRで、その先の中村、終着駅の宿毛までは土佐くろしお鉄道になっている。
 中村までは行かず、窪川で予土線に乗り換えて宇和島に行くことにした。

 窪川に14時53分に着き、15時01分発の予土線、宇和島行きに乗った。予土線は、すべて各駅停車である。
 列車は、四万十川に沿って走った。片側に山が、もう一方側にゆったりとした川が現れたり消えたりして、列車は山間を走った。
 「家地川」の駅は、ホームのすぐ目の前にトンネルがある。宇和島方面から来ると、「トンネルを過ぎると、そこは駅のホームだった」となる。
 四万十川は、ゆったりと緩やかに流れている。心が落ち着く川だ。川渕から岬のように出道を作ったところがあり、そこに車が止まっていた。(写真)
 列車の窓から山と川を眺めていると、四万十川を舞台に少年の思いを描いた小説「四万十川 あつよしの夏」を思い出した。
 列車が「土佐大正」駅を過ぎたと思ったら、「土佐昭和」駅に着いた。次は、「土佐平成」とはいかない。

 「江川崎」に止まったとき、ホームの駅の表示板に、前の駅が「はげ」と平仮名で記されていた。う~ん、どんな漢字をあてるのだろうと気になった。やはり「禿」の字ではなく、予想できなかった「半家」であった。
 江川崎の駅には16時ちょうどに着いたのだが、出発が16時37分と車掌が言って、運転手も電車を降りて行った。駅の周りを見回したが、閑散としていて大きな街ではない。37分の待ちとはあまりにも長いので、僕も電車を降りて駅の改札口を出ると、そこに売店があった。数人の高校生がたむろして、テレビゲームをやっている。
 小さい駅なのに売店があるのは、待ち時間に時間を持て余して何か食べたり、物色する人がいるためだなと思って、僕もアイスクリームを買った。そして、売店のおばさんに、「どうして、こんなに待ち時間が長いの?」と訊いてみた。
 すると、「トロッコ列車の時間に合わせたから、この時間になったのよ」と、思いもよらない返事がかえってきた。
 「えっ、トロッコ列車が走っているの?」と訊いてみると、「夏の7月と8月に走っていたけど、もう終わったわね」と、おばさんは言った。
 さらに駅の窓口の人に訊いてみると、トロッコ列車は季節によって1日1往復、部分運行していて、トロッコ列車を連結している電車は、トロッコを引かないときの普通の電車より少しスローになる。であるから、下りの窪川から宇和島行きでは、ここ江川崎で時間調整しているとのこと。
 しかし、トロッコ列車を運転していないときは、トロッコ列車の時間に合わせなくて、普通の速さの時刻ダイヤにすればいいのでは、という疑問が湧く。その疑問をぶつけると、窓口の人は、う~ん、と口を詰まらせ、それだけでなく、上り線の待ち合わせもあるので…と付け加えた。
 トロッコ列車は、黒部峡谷に行ったとき、宇奈月から乗ったことがある。しかし、ここ予土線で走っているとは知らなかった。

 江川崎辺りは、高知県の四万十市であった。平成の町村合併で、四万十川の河口の中村市は四万十市に変わっていた。
 しかし、予土線の出発地の窪川からさっき通り過ぎた土佐大正や土佐昭和の辺りは四万十町とあった。こちらも町村合併で名前を変えたようだが、四万十市と四万十町はまったく別の町だった。隣り町で、市と町の行政区分の違いだけで、同じ名前とは紛らわしい。第三者から見れば、こっちの方が、つまり自分たちの方が四万十の本家だと言い合っているように思える。
 四万十町が大きくなって市になったら、どうするのだろう。
 地図を見ていると、高知県にはもう一つ、土佐市と土佐町がある。
 県が違って同じ名の市や町というのは多々あるが、同じ県内で同じ町名は、市と町の違いであれ他の県にもあるのだろうか? それとも、高知県民の個性の表れであろうか?

 しばらく行くと列車は愛媛県に入り、17時44分に終着駅の宇和島に着いた。
駅前に出ると、四国でよく目にした椰子の木が聳えていて、宇和島は1年振りなのに、懐かしい思いがした。

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再び四国から九州へ② 土佐の高知のはりまや橋で

2012-09-21 00:30:11 | * 四国~九州への旅
 室戸岬から再びバスに乗った。行き先は終点で、電車の駅がある奈半利(なはり)である。
 室戸岬は観光地だと思っていたが、ここで行き交った人もまばらで、バスに乗ったのは僕以外に、やはりリュックを背負った女性が一人。のどかな田舎のバスだ。
 車が氾濫する前には、この岬を周る道は列車が走らないので、バスは重宝がられて満杯だっただろう。しかし現在、田舎のバスは田舎を走る鉄道と同じく、少し寂しく、なぜか子どもの頃を思い出させる。
 僕の子どもの頃にはあって、今はないもの。それは数多くあげることができるが、賑やかなバスや列車もそうだった。その車内には、夢と熱気が満ちていたように思う。
 それとも、かつて車内に夢と熱気が満ちていたのではなく、若い自分の中に夢と熱気が満ちていたのだろうか?
 走り行くバスのまばらな席を見ると、今までなくなっていくバスや鉄道の路線を見てきているので、ここもいつまで続くのだろうと、つい思ってしまう。路線がなくならないまでも、地方のバスや在来線の鉄道の本数は漸減していく。走る本数が減り利用に不便になると、ますます乗る人も少なくなっていく。それでいて、新幹線だけが増えていく。

 午後の日が照りつける窓の外の景色は、白く眩しい。道の脇に並木のようにハイビスカスの花が続いた。やはり、南国のイメージだ。
 奈半利に着いたら、すぐに電車が待っていた。
 土佐くろしお鉄道で、安芸、後免を通って、高知まで直通だ。奈半利15時1分発で、高知16時22分着。

 高知駅に降り立った。高知は3度目だ。来たのは、もうずっと前のことだ。
 駅前は、前に来たときにはなかった高知が誇る幕末の志士3人像が並んでいて、その武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎像を背景に広場があり、何やらイベントが行われている。
 駅から南の繁華街の方に少し歩いたところにホテルをとり、荷物を置いて街へ出た。
 まず、すぐ近くの「はりまや橋」に直行である。
 高知は、ここから始まる。
 駅から南にまっすぐ続く大通りの交差点が「はりまや橋」で、新しい灯篭のような石の橋があるが、下に川は流れていない形式的な橋である。その橋のふもとに、「はりまや通り」という案内板があった。
 そして、その大通りの脇に、赤い太鼓橋があり、この橋の下にはちゃんと水があり、こちらには「はりまや橋」と名前がある。新しいはりまや橋が誕生していた。この可愛い橋を渡ったところに、かんざし屋があるのも愛嬌だ。(写真)
 「土佐の高知のはりまや橋で、坊さん簪(かんざし)買うを見た…」
 「南国土佐を後にして」は、ペギー葉山のヒット曲ではあるけれど、小林旭の日活渡り鳥シリーズの原型として記憶にとどめておきたい映画である。
 若い盛りのとき、最初高知に来たときもまずここ、はりまや橋へ来た。水のない形式的な赤い橋があったと記憶している。そのとき、はりまや橋も東京の数寄屋橋と同じだなと思った。形として残るのが名所である。

 高知の街を歩いた。
 高知城の追手門へと続く大通りは、やはり南国的情緒を醸し出す大きな椰子科の木が続く。
 高知城は、初代山内一豊が築城した土佐藩主山内家の居城である。日本の典型的な城らしい造りであるが、城石垣から平たい石が挟み出ているのが珍しい。解説によると、雨の多い高知らしく排水のための石桶である。
 高知城から路面電車で上町へ出て、坂本龍馬のゆかりの地を歩いた。ここで、「高知ロケ映画ポスター展」のポスターが貼ってあった。やはりメインは、小林旭主演の「南国土佐を後にして」である。

 そして、高知といえばカツオのたたきである。夜は、地元の人に訊いて、魚の美味しい店に入った。カウンターの前の調理場で、カツオが藁の炎であぶられる。やはり、名物は地元で食べるのが一番である。
 土佐でも、カツオもかつては刺身として生(なま)で食べていた。ところが、城下で疫病が流行し、傷みやすい生は食べてはいけないというおふれが出た。そこで考えた庶民は、カツオの表面を火で炙って、生ではないですよと言って、これを食した。それが意外にも美味く、今日の高知の名物となったと聞く。
 高知の街は、飲み屋や料理屋がいたるところに散在している。夜の高知の街を歩いていると、あちこちで酔っているグループに出くわす。それが、いかにも楽しそうだ。高知の人が酒が強いという根拠は、おそらく高知の人は酒が好きなのだ。
 腹ごしらえの後、ホテルの近くのバーに入って飲んだ。
 その店の23歳の女性が、「ビールなら何杯でも飲めるの。先日も朝7時まで飲んでいて、何本飲んだか分からない。10本かしら、20本かしら」
 酒は好きだが元々強くない僕は、退散するのみである。

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再び四国から九州へ① 高松から室戸岬へ

2012-09-18 00:36:39 | * 四国~九州への旅
 あれからもう1年が過ぎたのだった。
 今まで四国には2度行っているが、愛媛県だけ土を踏んでいないと気がついた僕は、九州の佐賀に帰るのに愛媛を回って帰ろうと思いたって、去年(2011年)の9月、東京駅22時発の寝台特急「サンライズ瀬戸」に乗った。
 寝台夜行列車は東海道線を西へ走り、岡山から瀬戸内海を渡って早朝に四国に着くのだった。
 僕は、香川県の坂出で降りて予讃線で西へ向かい、丸亀、新居浜に立ち寄り、松山に入り、道後温泉に泊まった。翌日は松山からさらに予讃線で西の先へ向かい、南下して伊予大洲に立ち寄って、予讃線の終着駅宇和島に泊まった。
 その次の日は宇和島から予讃線で八幡浜に戻り、そこの港から船で九州・大分の別府に渡り、別府・鉄輪温泉に宿をとった。その翌日は、別府から大分を経て、豊肥線の「九州横断特急」で熊本へ行き、熊本で宿泊。翌日、熊本から大牟田に立ち寄って、佐賀に帰ったのだった。
 この去年の愛媛を周った旅で、全47都道府県に足を踏んだこととなった。

 *

 今年(2012年)もこの秋、佐賀に帰る際、四国を回っていこうと思った。宇和島の鯛飯をもう一度食うのもいいものだと思った。
 9月6日、やはり去年と同じく、東京駅22時発の寝台特急「サンライズ瀬戸」に乗った。
 寝台車は綺麗で、少し窮屈なホテルのようだ。動きゆくベッドに横になって、時刻表を眺めながら、次の日からの四国周りの予定を考えた。今回は、去年の松山と反対方向の高松から東南に向かって、徳島をへて南の室戸岬を周り、高知を通って宇和島に行こうと考えた。
 僕のような成りゆき任せの旅は、大まかな計画がいい。予定が狂っても、縛られないから。面白ければそこに留まっていいし、つまらなければ先へ進めばいい。

 東京駅を22時に発った寝台夜行列車は、明け方に岡山を南下し、児島から瀬戸大橋を走り抜け四国へ入った。鉄橋の下に瀬戸内の海が見える。
 かつて瀬戸内海は船で行き来していたものだが、いつの間にか本州と四国を結ぶ橋が3つもできた。徳島、香川、愛媛と各県に1個ずつだ。正確には、明石から淡路島を通り鳴門に至る道には島の両端に橋があるのでそこだけで2つだし、福山・尾道から因島を通って今治に至る道にはいくつ橋があるか知らないので、3個ではなく3ヵ所と言うべきだろう。

 瀬戸内海から四国に入った列車は、香川県の宇多津から松山とは反対方向の東に向かい、高松には7時27分に着く予定だ。しかし、米原あたりで線路事故により50分ほど遅れていると車内アナウンスがある。
 高松で列車を降りると、充分間に合うはずだった高松8時23分発の徳島行き「うずしお3号」の発車ベルが鳴っている。走って飛び乗るや、ドアが閉まって列車は発車した。
 高松から高徳線で徳島に9時35分着。
 徳島から南下して室戸岬に向かうのだが、地図を見ると岬の突端部分は列車が通っていない。高知県に入った甲浦(かんのうら)で止まっている。
 時刻表を見ると、各駅停車は行く先が途切れている。特急はあるにはあるのだが、9時51分発のあとは15時56分なので、徳島市内を散策するのは諦めて、次の特急「むろと1号」に乗ることにした。
 つかの間の時間、徳島駅を降りたつと、中央の大通りを挟んでソゴウ(SOGO)と名店街のビルがでんと構えていて、その間の青空にひょろひょろと背の高い椰子の木が10本ほど聳えているのが目に入る。いかにも南国風だ。
 徳島9時51分発の「むろと1号」は、四国の東海岸の内側をなぞるような牟岐線を南に走り、牟岐に10時59分着。
 さらに南に向かって、牟岐11時5分発、海部(かいふ)11時19分着。海部俊樹という総理大臣になった人がいたが、この地がルーツだろうか。
 ここからは阿佐海岸鉄道に乗り換えて、海部11時25分発、終着駅の甲浦11時39分着である。

 甲浦からは鉄道が走っていないので、駅前からバスに乗ることになる。
甲浦から海岸線に沿って続く土佐浜街道を南に約1時間近くバスで走って、岬ホテル前で降りた。
 バスを降りると、かんかんと照りつける日が眩しい。9月も半ばになろうというのに、残暑が続いている。暑い日差しの下に、いつからか閉まったままのホテルが廃墟のように日に晒されている。
 前には、ハイビスカスの花が繁っている。ハイビスカスは僕の好きな花で、東京の家にも鉢植えで数体ある。外の土に植えたこともあるが、東京では冬を越せなかった。
 しかしここでは、人の背丈より大きいハイビスカスの木が繁茂していて、まるで南国のようだ。ハイビスカスの先に鯨を描いた建物が見えるのは、公衆トイレだ。
 廃墟のようなホテルとハイビスカスの花々と鯨のトイレ。どこか、アニメの国に迷いこんだようだ。
 ここから、海岸に沿って作られた遊歩道を歩いた。巨大な根が岩に張り付いた亜熱帯のアコウの木が珍しい。
 岬の先端の潅頂ヶ浜からバス道路の方に向かって歩いていくと、正面に銅像が見えてくる。幕末土佐藩士、中岡慎太郎の像である。その後ろに聳える緑の山の頂に、白いものが見えた。展望台かと思えば、灯台だった。(写真)
 普通灯台は海の上にあるのだが、ここ室戸岬は山の上にあるのだった。

 灯台は、港湾や沿岸にあるのが通常だと思っていたが、岬の先端にあるのが一般的らしい。それにしても、室戸岬の灯台は山の上で高い。ライトを遠くまで送るために巨大なレンズを使用しているとある。

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