写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

村のみなさん。

2005年07月06日 | 生活・ニュース
人間たちと なかよく まじめにつきあっていつも たのしく くらしてください

ぼくは しばらく みなさんと おわかれ。この ブログを お休みすることに きめました

みなさんと ぼくと いったりきたりしては人間たちは きになって おちつかないかもしれません

そうかんがえて 旅に出ることにしました

ながいたび とおいたびけれどもぼくは どこにいようと みんなを おもっているでしょう

みんなの だいじな幸せを いつも いのっているでしょう
さようなら みんな からだを だいじにしてください

どこまでも みんなのともだち    ロードスター
   (本文は「泣いた赤鬼」のラストの、青鬼の手紙一部引用)

昨年の11月より丁度8ヶ月間、旅行日以外は、取り付かれたように毎日拙いエッセイもどきを、ブログアップしてきました。

ここに来て、やや金属疲労を感じましたので、小休止いたします。都度、楽しいコメントを書いていただいた皆様に、ハートリー共々あつくお礼申し上げます。

これからは、みなさまのブログにお邪魔することを楽しみといたします。私のほうは、気の向いた時に、書きたくなった時に書く、というわがままなことにいたします。

ブログを通しての皆様の、ますますのご活躍をお祈りいたします。長い間、ありがとうございました。また、どこかで・・・

ナメクジ

2005年07月05日 | 季節・自然・植物
 梅雨といえば雨、雨といえばアジサイ、アジサイといえばナメクジ。梅雨になると、庭といわず家の周りのいたる所にナメクジが出没する。

 ナメクジは分類学的にはカタツムリと同じ類らしいが、かわいらしさといい、見てくれといいカタツムリより遥かに劣っているように思う。

 カタツムリなら、手のひらに乗せて遊んでみる気にもなるが、ナメクジとなると、うちの奥さんなどは見つけた瞬間悲鳴を上げる。

 朝起きてみると、廊下のサッシの内側にナメクジが這っていることがある。どこから侵入してきたのかと思うが、こうらしい。

 ナメクジは一見胴が太く見えるが、体積一定のまま細く長く変身する。小さな頭が入る隙間さえあれば、チューブを絞るようにして入り込んで来るらしい。

 なるほど、これで分かった。いくらサッシといっても隅っこには小さな隙間くらいはある。やつは、ここから入って来たに違いない。

 ナメクジは、チルチルミチルのまねをする。這ってきた所に粘液を残し、乾燥するとそこが光って見える。

 夜間活発に活動した彼らは、朝方、光っている道をたどり、進入口に向かって帰っていく。

 帰り道を忘れたやつが、廊下でうろうろしているのだろう。酔っ払った時の私に似ていて、親近感がわく。

 ともあれ、背中にマイホームを抱えているかいないかだけで、カタツムリと違って、人間からの扱いは随分と変わる。

 我が息子たちも、長いローンでもいいから自分の家は持ったほうがいいのかなと、ナメクジを見ながら現実に戻ってふと思う。

 ヤドカリのように、身の丈に合わせながら、とっかえひっかえの、時の好みに合わせた借家住まいも捨てがたい。

 いましばらく、ナメクジとやどかりの動きを見てみよう。カタツムリも、ローンの荷が重すぎるのか、行革のように歩みは遅い。
ナメ過ぎて クジも外れた 公団の カタく誓った ツムリだが。
    (写真は、未だホームレスの「ナメクジ君」)

消火器

2005年07月04日 | 生活・ニュース
 地区の集会所で、消防署員による災害時の防災活動の説明会があった。その中で、消火器の日常点検の話があった。

 中身を入れ替えなくても8年間は有効だという。それを超えていても、中の粉が固まっておらず流動状態であれば問題はないという。

 その日夕食を済ませ、テレビを見ていたとき、台所に置いてある消火器が目に入った。

 説明会で聞き覚えた、消火器の点検をしてみようと思い厨房に入った。町でよく見る大きさのものを1本置いている。

 中の粉がさらさら状態かどうかを調べるために、左手で消火器の底を、右手でレバーを持って逆さまにしてみた。

 その時であった。「ぱんっ」と鉄砲を撃ったような大きく乾いた音がしたと思ったら、足元に白い粉が勢いよく噴出し始めた。

 出るは出るは。出てくるのをとめる手段はない。顔を背けて抱えているしかない。1分くらいの長い時間が経ったと思った。が、お昼に聞いた話では僅か15秒間だという。

 噴出は止まった。部屋の中は、摩周湖のように真っ白い霧に覆われた。床全面は、季節外れの津軽海峡雪景色になっている。

 安全ピンを抜いてもいないのに作動した。分からない。噴出の音に驚き、奥さんとハートリーは私を置いて外に飛び出した。

 風呂上りの私も真っ白になっている。一段落してやっと理屈が判明した。数ヶ月前に、何かの拍子で安全ピンが抜けていたのを、奥さんがそのままにしていたという。

 それを知らずに、私がレバーを無意識に握った結果であった。ゆったりとした団欒の夕べのはずが、とんだ大掃除に変わった。

 3kgの粉は、掃除をしてみると思っている以上に大量である。あれなら少々の火は消えそうだ。

 しかし、責任のなすり合いで、夫婦喧嘩に火がつきかけたが、粉を被っていたせいか、すぐに消えた。火のないところに大量の白煙が立った一幕であった。
   (写真は、仕事を終えた大騒動の「消火器」)

暑中お見舞い

2005年07月03日 | 生活・ニュース
























 こんにちは。正面切ってのご挨拶ははじめてかと思いますが、この私が、ハートリーでございます。

 先ほど主人は「しばらく休みだ!」と言って何処かに出て行かれましたので、私が変わってブログアップいたします。

 4枚の写真をご覧ください。いつも大股開きで寝転んでいる怠惰な格好の写真しかごらん頂いていませんが、今日は、溌剌とした顔をみてください。

 外見の特徴は、太く短い手足。極太の鼻。短いしっぽ。ほっておけば、いくらでも伸びるカールした長い毛です。

 満4歳、独身、男、見合い経験1回、同棲経験なし。趣味は、野外活動、泳ぎ、山登り、ドライブ。好きな食べ物は、人間が食べるものすべて。苦手なもの、ドッグフード。

 お風呂は2~3週間に一度くらい。それは高価な犬用シャンプーだと、いつも主人に嫌味を言われています。ぼくは聞こえない振りをしています。

 散歩の時に色々な種類の犬と出会いますが、好き嫌いがあります。柴犬は本能的にむかつきます。何故でしょうか。

 大型犬も嫌いです。喧嘩すれば負けるかもしれませんが、主人と一緒の時にはむかっていきます。

 主人は、飼い主に似ていると笑っていました。権力・大きなものに無性に逆らってみたいのです。

 このところ毎日暑い日が続いていますが、夏なのに毛皮を着ているぼくの身にもなってみてください。

今年の梅雨は不順すぎます。みなさんご自愛の上お過ごしください。これにて、「暑中お見舞い」といたします。ハートリーです・・・

最終便

2005年07月02日 | 生活・ニュース
「最終便」という単語の付いた短編小説が私の書棚に2冊ある。林真理子の「最終便に間に合えば」(昭和63年)と、渡辺淳一の「パリ行最終便」(昭和52年)である。

 何れも十数年前に買ったものだと記憶している。

 前者は、7年前に別れた男と札幌で再会し会食する。引き止める男に心を残しながら、最終便に乗るために、雪道をタクシーに乗って一緒に空港に向かうが渋滞に巻き込まれる。しかし、女の意に反して最終便に間に合ってしまう、という話。

 後者は、1年前に別れた男が出張でパリに来る。日本を離れアムステルダムで仕事をし始めた女にその連絡が入った。パリに行く気になれば直ぐにいける。何便かの飛行機を見送ったあと、最終便の飛び立つ時刻となり、意を決し切符を買おうとしたが、霧のため運航しなかった、という話。

 何れも、女の意に反して、願っている方向にことが運ばなかった顛末が、切なげに書かれた名作だと思っている。

 若いころ、自分の意に反した行動をとることは、よくあった。本当はこうしたいと思っているくせに、それとは逆の行動をとる。

 そのくせ、しばらくの間、それを悔やんでいる。もう少し、自分に素直な行動をしておれば、と今頃になって思うこともある。

 しかし、それも人生。すべて自分が選んだ道である。その時々、それが一番いいと思って選択してきたはずである。

「最終便」登場のふたりの女性は、この時のことをきっかけに、きれいさっぱり過去と決別できたに違いない。

しかし、「人間万事塞翁が馬」、今の厳しい世の中、何が起きてもこう思って生きていくのが、いいのかもしれない。

 過ぎ去ったことを何時までもくよくよと考えない。これからどう生きるかだけを考える。

 そういいながらも、修正のきく生き方が出来ればなと思うこともしばしば。書いては消し、消しては書くラブレターのように・・・
   (写真は、2冊の「最終便」)