写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

最終便

2005年07月02日 | 生活・ニュース
「最終便」という単語の付いた短編小説が私の書棚に2冊ある。林真理子の「最終便に間に合えば」(昭和63年)と、渡辺淳一の「パリ行最終便」(昭和52年)である。

 何れも十数年前に買ったものだと記憶している。

 前者は、7年前に別れた男と札幌で再会し会食する。引き止める男に心を残しながら、最終便に乗るために、雪道をタクシーに乗って一緒に空港に向かうが渋滞に巻き込まれる。しかし、女の意に反して最終便に間に合ってしまう、という話。

 後者は、1年前に別れた男が出張でパリに来る。日本を離れアムステルダムで仕事をし始めた女にその連絡が入った。パリに行く気になれば直ぐにいける。何便かの飛行機を見送ったあと、最終便の飛び立つ時刻となり、意を決し切符を買おうとしたが、霧のため運航しなかった、という話。

 何れも、女の意に反して、願っている方向にことが運ばなかった顛末が、切なげに書かれた名作だと思っている。

 若いころ、自分の意に反した行動をとることは、よくあった。本当はこうしたいと思っているくせに、それとは逆の行動をとる。

 そのくせ、しばらくの間、それを悔やんでいる。もう少し、自分に素直な行動をしておれば、と今頃になって思うこともある。

 しかし、それも人生。すべて自分が選んだ道である。その時々、それが一番いいと思って選択してきたはずである。

「最終便」登場のふたりの女性は、この時のことをきっかけに、きれいさっぱり過去と決別できたに違いない。

しかし、「人間万事塞翁が馬」、今の厳しい世の中、何が起きてもこう思って生きていくのが、いいのかもしれない。

 過ぎ去ったことを何時までもくよくよと考えない。これからどう生きるかだけを考える。

 そういいながらも、修正のきく生き方が出来ればなと思うこともしばしば。書いては消し、消しては書くラブレターのように・・・
   (写真は、2冊の「最終便」)