写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

21歳の礎

2005年07月27日 | 生活・ニュース
 炎暑のある日、一度訪ねてみたいと思っていた周防灘の大津島に行った。周南市の10km沖に浮かぶ「回天」の島である。

 回天とは、小さな潜水艦に爆薬を搭載して人が乗り、自らが操縦して敵艦に体当たりするという海の有人魚雷のことである。

 太平洋戦争末期の戦況不利な情勢下、「天を回らし、戦況を逆転させる」という切なる願いを込めて誕生したという。

 大津島はその隊員訓練の基地であり、また、ここから多くの若い命が大命を受け、回天と共に戦地へ赴いて行った。

 フェリーから降りると、「ようこそ回天の島大津島へ」との大きな看板がまず眼に入る。

 小さな小学校と漁港、それに数件の民家が点在するごく普通の瀬戸内の小島に見える。

 しかし、今は平和な島を突き抜けて掘られた長いトンネルの向こうには、魚雷調整工場・発射場・危険物貯蔵庫など、回天の風化しかけた多くの遺跡があった。

 訓練を受けていた隊員の平均年齢は二十一歳だったという。

 最後に立ち寄った海を見下ろす小高い丘の上の記念館には、若すぎる特攻隊員の数々の遺書・遺品が展示してある。

 そのひとつに「自分たちが礎となって日本は立派になるのです。自分たちの死は決して無駄ではありません」と、墨で力強くしたためてある。

 今を生きている我々は、この国を果たして彼が言う「立派な国」にしてきただろうかと、ガラスケースに収められた無言の遺書を前に、私はふと立ち止まって考えてみた。
(写真は、回天記念館前の石碑、05.7.31毎日新聞「男の気持ち」掲載)