写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

年賀状様ざま

2019年01月06日 | 生活・ニュース

 今年も多くの人から年賀状をいただいた。そのほとんどが、年に1度の近況報告のようなものである。そんな中、毎年のことながら変わった年賀状が1、2枚は紛れ込んでいる。

 よくあるのが、差出人の住所も名前も書いてないものである。それが誰からのものかは、表書きや添え書きなどが自筆で書いてあれば、文字の癖から推測は付くが、すべてが印刷の文字であれば全くもって分からないことになる。

 そうは言っても、毎年交換している人なのに、今年に限って年賀状が来なかった人の中から、差出人を書かなかった人を挿絵のパターンなどから推測してみると、ほぼ突きとめることがはできるのが面白い。

 時には、同じ人から丁寧にも2通送ってくることがあり、裏面の添え書きの内容も、それぞれ違った内容になっているものがある。どうして2通も出すようなことが起きるのか不思議に思っているとき、今年、投函する前のチェックで、2人の人に対して私自身が2通も出状しようとしていることを発見した。

 折角書いたものを没にするは忍びない。急きょ、「今年は特別に2通出状いたしました」と添え書きをして出すことにした。受け取った人は2通の意味を測り兼ねるに違いないが、お年玉くじに当たる確率が増えるので、これはこれでよいと思っている。

 次によくあるのが、裏面が逆さまに印刷されているものである。プリンターにはがきをセットするときに間違えたものであろうが、果たして印刷した全てを間違えたわけではなかろう。数枚であれば「えーい、この人ならこれくらのミスは許してもらえそうだ」と思って出したものか。もらった立場としては「度量の広い人」と認めてもらったと、いい方に思うようにしている。

 遠方に住んでいて、20年以上も会ったことのない旧友から「いつか、一杯やりたいね」と毎年書いてくる。社交辞令とは知りながら、私自身が同じことを書いて多くの旧友に出していることに気がついた。今年あたりは「いつか」ではなく「〇月〇日」と具体化する努力をしなければと強く思っている。