写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

城下町・高山

2014年01月19日 | 旅・スポット・行事

 北アルプスを展望したあとは再び高山市に戻り、自由行動で由緒ある高山の町をを1時間半かけて見物した。高山は日本列島のほぼ中央に位置する盆地。東に乗鞍岳、焼岳、穂高岳、槍ヶ岳、南東には御岳、北西には白山が遠望できる環境にある。

 
奈良時代には国分寺、国分尼寺が造られた。戦国時代の1585年に、豊臣秀吉は越前大野城主であった金森長近に飛騨を征圧させた。以後、金森氏6代、107年の政治が始まり、長近は1600年に見事な城を造ると同時に城下町を整備した。

 金森氏の移封後の飛騨は幕府直轄地となったが、1695年幕府から高山城破却の命令が出され、今は「高山城跡」として県史跡に指定され、緑豊かな城山公園になっている。当時の様子をそのまま残す古い町並みは、「国選定重要伝統的建造物群保存地区」として、きちんと整備されて今に伝えられている。

 特に城下町の中心、商人町として発達した上町、下町の各三筋の町並みは「古い町並」と呼ばれ、多くの観光客で大賑わいとなっている。また、毎年テレビのニュースなどで報じられている「高山祭」は春の山王祭と、秋の八幡祭の総称で、日本三大美祭のひとつに上げられている。

 色鮮やかな屋台の上での
巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や、仕掛けが施された戻し車など、屋台には飛騨の匠の技が生きていて、祭の時期以外に訪れた観光客でも屋台のからくりを、祭さながらに見ることが出来るように立派な施設も整えられている。

 今まで高山がどんな町なのかは全く知らなかったが、行ってみてまさに目からうろこ、大変驚いた。城こそ残ってはいないが、城下町の街並みが殆んどそのままに近い姿で残されている。「国選定重要伝統的建造物群保存地区」に指定されているのも納得できる。それも一筋の町筋ではなく、6筋もの町並みがである。

 散策しながら私はどうしても我が町岩国と比較してしまう。表現上は同じように城下町である。それなのにこんなに大きな違いが出てしまっている。昔の姿を取り戻すことはもうできない。何がいけなかったのか。今から何をすればいいのか。そんなことを考えながら町を歩いた。