写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

岩国検定の残り火

2021年03月13日 | 岩国検定

 2010年の1月に10人の仲間と「岩国検定」というご当地検定を立ち上げて、その年の11月に第1回の検定試験を実施した。その後2012年と2014年に試験を実施して以来、受験者が減ってきたのを機会に活動を休止している。

 世代が代われば又ぞろ始めてもいいのではないかと思い、全ての資料は大切に保存し、新しい情報など追記したりしている。そんな中、突然見知らぬ人から電話がかかってきた。

 「岩国検定の事務局ですか?」という。周南市に住む若々しい声の男性からであった。過去、周南市と山口市の検定を受験したことがある。岩国検定も受験したいというが、現在は休止している旨を説明する。

 検定というものに非常に熱心なので「失礼ですがお年は?」と聞いてみると、昭和13年生まれ・82歳だというではないか。未だ現役で、公民館で仕事をしているという。「声を聞いて60歳くらいの方かと思いました」と言っておいた。

 「それほど岩国検定に興味をお持ちでしたら、メールで検定の参考書と、3回分の問題集をお送りしましょうか」と言った。「是非お願いします。おいくらでしょうか」「代金は結構です。お暇な時に目を通してください」と鷹揚に答える。

 住所も氏名もメールアドレスも、年を感じさせないくらい的確に伝えてくれる。電話を切る前に一つ質問してもいいですかと言って「毛利本藩は最後まで、なぜ岩国を『藩』と認めなかったのですか」と聞いてきた。

 関ケ原の戦いのとき、吉川広家が徳川側に有利となるような行動をとったことに端を発したものであったが、時は移り、岩国12代藩主・経幹が四境の役・芸州口の戦いで挙げた功績が認められて、岩国領は悲願であった岩国藩となった、と簡単な説明をしておいた。

 振り返って見ると、岩国検定を休止してから早くも6年が経っている。それなのに、岩国検定に係る問い合わせが入ってくる。あと4年で10年が経ったころ、再び岩国検定をやって、岩国を愛する人に岩国の歴史や文化などに興味を持ってもらいたいものだと思っている。