写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

あきらめない

2011年03月23日 | 生活・ニュース

 どんなお見舞いや慰めの言葉をかけてみても、ただ虚しくなるだけのような東日本大震災。2週間が経っても救援の手が十分に届かない様子がもどかしい。
 日本において過去最大であるマグにユード9.0という巨大地震によって引き起こされた大津波と火災。かてて加えて原子力発電所で起きた4炉の放射能事故。何れもが深刻な事態を引き起こした。
 過去、岩手・宮城を主とした東日本の沿岸には、幾多の大津波が襲ってきた。特に1896年(明治29年)の明治三陸地震津波では、震度はわずか3の小さな揺れであったが、岩手県綾里村では30分後に38.2mの大津波が襲ってきて、2
万人以上が犠牲になったという。
 1933年(昭和8年)の昭和三陸地震でも、三陸の各地は10mを遥かに超える津波に襲われ、甚大な被害をこうむっている。
岩手県の田老町は過去幾度も津波による大被害を受けてきたため、総延長2.5km、高さ10mにも及ぶ他に類を見ない防潮堤を建設するなど、津波に対して強い街づくりを進めてきた。
 そんな対策を講じていたにもかかわらず、この度も10mの高さをはるかに超える大津波が襲ってきて、大きな被害を受けた。「高さ10mにも及ぶ他に類を見ない防潮堤」は、確かに類は見ない設備ではあったが、これだけでは万全な対策ではなかったことになる。
 では過去最大の津波よりも高い、高さ40mの防潮堤を建設しておけばよかったのか。東日本沿岸のすべてに、こんな物を作るのはどう考えても現実的ではなさそうだ。しかし、大津波はまた、いつ襲ってくるかもしれない。長年住み慣れた土地を、おいそれと出ていく訳にもいかない。ではどんな知恵を出せばよいのか。
 津波には特に弱いリアス式の海岸を抱えた三陸海辺の集落が、二度とこのような被害をこうむらないための方策は必ずある。そう思いたい。
 私は一つ大きな疑問を持っている。過去最大の津波は、町づくり・設備設計する際の想定外なのか。これについての議論はまだ出てきていない。
  (田老町の防潮堤)